岩殿満喫クラブ 岩殿 Day by Day

市民の森保全クラブ Think Holistically, Conduct Eco-friendly Actions Locally

長野県

田中健太『上田の身近な自然の魅力~高原・ため池・山城の草原再生~』 2月28日

2月23日に開催されたSDGsフォーラムin信州上田「みんなで捉えろ!気候変動と生物多様性」(主催:上田市、共催:上田市環境衛生協議会、筑波大学山岳科学センター、長野県環境保全研究所)の午後の部の田中健太さん(筑波大学山岳科学センター)の講演「上田の身近な自然の魅力~高原・ため池・山城の草原再生~」です。上田市の塩田平のため池群は「日本のため池百選」(農水省HP)に選定されています。埼玉県内では比企丘陵地域が日本農業遺産「比企丘陵の天水を利用した谷津沼農業システム」(農水省HP)に認定されました。入山沼もGooglemapでは「入山沼(日本農業遺産)」としてマークされています。ため池の価値や維持管理、堰堤の植生、斜面崩壊について考えながら聴講しました。
上田の自然の魅力_41

身近な自然:人の利用・手入れ(放牧・採草・野焼き・刈払)によってできる自然
草原の歴史 菅平高原・峰の原高原 山城 農業用ため池
上田の自然の魅力_45上田の自然の魅力_46上田の自然の魅力_47

歴史の凄さ 古い草原の環境価値
上田の自然の魅力_48上田の自然の魅力_56上田の自然の魅力_62
 生物多様性 歴史が古いほど植物がゆたか
 遺伝資源 歴史の古い草原にある未知で膨大な遺伝資源

斜面防災 森林  vs 草原 どちらの斜面が崩れやすいか?
上田の自然の魅力_65上田の自然の魅力_66

 茅場の斜面は崩れないという経験則
 森林の脆弱性 根返り:根こそぎ倒れ地面がめくれる
 樹木は斜面を不安定化(河川法、1964年)
  植樹木の主根が堤防内に入らぬよう、安定性を損なうことがないよう十分留意すること

山城の土手の森林化、根返りの不安
上田の自然の魅力_67

全国で進むため池の防災工事
上田の自然の魅力_68
 東日本大震災や西日本豪雨で、多数の農業用ため池が決壊
 (能登半島地震でも、約4割の池で亀裂・崩壊等)
 ため池防災特措法(2020~30年)
  46都道府県の6160池で防災工事が計画(NHK調べ)
 土地改良法・指針による環境配慮が、ため池土手は見落とされていた
  堤体植生の掘削、張芝による植生改変

植生配慮工法の先行例
上田の自然の魅力_69
 表土戻し工法
 表土からの植生回復
 希少植物の移植活動
 課題 掘削しない植生保存帯の設置

歴史の凄さと歴史の怖さ
上田の自然の魅力_70
 失ったら取り戻せない(不可逆) 
 失った時に何か起きかねない

2018 水と巡る信州上田地域の旅 ~塩田ため池群~ 6:01
 

塩田まちづくり協議会
 ●みんなでため池の植物を守る 2023.12.3
塩田にたくさんあるため池。「日本のため池百選」にも選定されているのですが、塩田平土地改良区に登録されているため池の数は41。貯水量を合計すると300万トンにもなります。一般家庭が一年間に使う水の量が平均300トンだそうで、そうすると1万軒のお宅が使う年間使用量を賄える勘定に。そんなたくさんあるため池ですが、数年前から耐震工事が行われています。東日本大震災で福島県のため池が決壊し、大きな被害が出たことを契機に、全国的にため池の耐震工事が進められています。塩田平でも、ため池の耐震調査を行い、対策が必要な所で順次工事が行われています。工事で何をするのかと言うと、基本は堤を厚くすること。決壊しにくくするためです。堤を厚くするということは、工事する時はそこを削ったりするわけです。そうすると、そこに生えている植物はなくなってしまいます。工事が終わって、もしかしたら、何年か先にはまた生えてくるかもしれませんが、もう二度と見られなくなる可能性は高いですよね。……工事が始まる前に堤の植物を別のところに移植して、工事が終わったら堤に埋め戻す。これまで、工事が行われたため池で行われてきたのですが、今年後期は、塩吹池と浅間池、そして不動池で希少植物を移植しました。塩吹池と浅間池は、堤体に生えている植物を掘り取って別の場所に移す作業を行い、不動池は池の工事が完了したので、舌喰池のそばに移植してあった植物を堤体に戻す作業を行いました。筑波大学の田中准教授の指導を受けながら、地元自治会、水利組合が中心となり地元住民が協力して作業を行い、作業は無事に終わりました。……(F森)
 ●塩田のため池を写真で観る フォトギャラリーに40のため池写真 2021.4.28
 ●塩田のため池をドローンから視る ①砂原池 ②山田池 ③塩野池

ため池堰堤の造成後年数とともに希少植物種数が増えるか?ー83地点での検証ー
  日本生態学会第70回全国大会 (2023年3月、仙台) 講演要旨ESJ70 Abstract
人間の草原利用が減ることで半自然草原が近年急速に減少し、多くの草原性生物が絶滅の危機に瀕している。そのため生物多様性が高い草原を特定して保全する必要がある。先行研究では、継続年数が長い草原で植物の多様性が高いことが分かっているが、植物の多様性が増えるのに草原の継続年数がどれくらい必要なのかは分かっていなかった。そこで、様々な継続年数の草原が多数得られるため池堰堤を対象に、草原の継続年数が植物の多様性に与える効果を明らかにすることを本研究の目的とした。
長野県上田市塩田平周辺で、ため池堰堤の造成から1~450年が経過した計73か所と、対照区として、10~70年前に造成された公園等10か所を対象とした。2020~2022年のいずれかの年の5~10月に3回、各調査地に出現する維管束植物種を約300~8000㎡の範囲(広域調査)と、1×20 mトランセクト(トランセクト調査)で調べた。
広域調査では、計553種の植物種が出現し、スズサイコ・ノジトラノオ・キキョウなどの環境省指定絶滅危惧種といずれかの都道府県でレッドリストに記載されている希少種が、合計220種出現し、そのうち148種はため池堰堤でのみ見つかった。トランセクト調査では、草原の継続年数が増えるほど外来種数が減少し、約300年で最小値に漸近した。在来普通種数と草原性希少種数は継続年数によって増加し、それぞれ約100年、200年で最大値に漸近した。草原の継続年数によって種組成が異なり、マツバウンランのような年数の経過とともに減少する種群と、ツリガネニンジンやクサボケのような年数の経過とともに蓄積して歴史の古い草原の指標となる種群が認められた。
以上より、200年以上継続している草原は保全優先度が特に高く、ポスト2020年目標として国際的な注目を集めている民間保全地(OECM)の有力な候補になりうる。現在、ため池の耐震工事による植生破壊が全国的に進んでいるため、貴重な植生に配慮した工事が望まれる。
ため池に生える希少植物について学ぶ 小学校で授業  上田
 NHK『信州 NEWS WEB』 2023年12月11日 動画(1:47)
景観の美しさから、国の「ため池百選」に選ばれている上田市の塩田平のため池などに生えている希少な植物について学ぶ授業が、地元の小学校で行われました。雨が少ない上田市の塩田平では、江戸時代から多くのため池がつくられ、その景観の美しさから「塩田平のため池群」として農林水産省の「ため池百選」に選ばれています。11日は、ため池の土手などに生えている希少な植物について学ぶ授業が地元の塩田西小学校で行われ、5年生が参加しました。授業では、植物の研究をしている筑波大学山岳科学センターの田中健太准教授が、上田市内には、およそ100か所のため池があることや、学校の近くにある山田池には、「スズサイコ」など複数の希少な植物が生えていると説明しました。また、全国的にため池をめぐっては、決壊などを防ぐため防災工事が進められていますが、田中准教授は「工事を進めながらもため池の希少な植物を守っていくことが大切だ」と呼びかけていました。授業を受けた児童は「今にもなくなりそうな希少な植物が身近にあることを知りました。自然を守りたいと思いました」と話していました。

1. 管理作業の内容
 ① 水位の調整
 ② 水入れ(パイプライン方式、水入れ役方式)
 ③ 共同作業(草刈りや水路清掃)
 ④ 設備の点検・整備
 ⑤ お金の管理
 (1) 日常的な会計 人件費(草刈りや水入れに関わる人件費)
    水利費(水田への配水や集落から排水するために必要な水路の管理にかかる経費)
    軽微な改修費、電気代、など
 (2) 非日常的な会計
    大規模な改修工事に伴う手続きや費用の徴収
    ため池が売却された際の売却金の管理、用途の決定
 ⑥ その他(イベントの実施など)
2.  管理作業の主体
 水利組織:水位の調整やお金の管理、施設の点検・整備、,水入れなど
 水利組織に加えて,農家や住民が参加:草刈りや水路清掃
 住民・市民:イベント参加
3. まとめ


  
 
 ●狩野 仁慈・小原 悠太「長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続」
   筑波大学大学院生命環境科学研究科『地域研究年報』43、2021年
本研究の目的は、長野県上田市塩田地域におけるため池を事例とし、その維持管理と多面的利用の特徴を明らかにすることを通じて、ため池群として存続させるための望ましい維持管理の在り方を検討することである。産業構造の変化に伴う第一次産業の衰退や、地域の水利事情の改善により、農業用水としてのため池の需要は縮小している。それに伴い、地域において一様な管理体制は機能しなくなり、それぞれのため池に合わせた維持管理を行うことが望まれる。その際に重要となるのが、ため池群としての維持管理である。具体的には、人的資源が豊富な自治会やその他の民間団体、そして、今まで直接管理に携わることのなかった行政が、維持管理の難しくなったため池の管理者と連携・協働を通じて、その存続を担うような体制である。このような体制を築くことができれば、ため池群としての長期的な存続が期待できる。


SDGsフォーラム「みんなで捉えろ!気候変動と生物多様性」(上田市) 2月23日

雨天で市民の森保全クラブの活動が中止になったので、午前・午後、SDGsフォーラムin信州上田「みんなで捉えろ!気候変動と生物多様性」(主催:上田市、共催:上田市環境衛生協議会、筑波大学山岳科学センター長野県環境保全研究所)を視聴しました。
気候変動と生物多様性1気候変動と生物多様性2
「雪が少なくなった」「桜の開花が早いなぁ」―暮らしの中で感じる気候や自然の変化、実際はどうなっているのでしょうか?気候変動の実際や生物多様性の課題に、科学的な視点から迫ります。午後は、世界に誇る信州上田の生物多様性を紹介し、自然共生サイトに登録された草原の維持について30by30として取り組むキリンホールディングス株式会社の取り組みを紹介します。地域の自然を味わい、維持していくことの重要性について、ぜひ聞きにきてください。
《午前の講座》まだまだ知らない気候変動のお話
①気候変動入門:私たちはどうなる?どうする? 廣田充(筑波大学)
②信州の気候はどう変化? 栗林正俊(長野県環境保全研究所)
③みんなの情報で将来の気候変動からライチョウを守る!  堀田昌伸(長野県環境保全研究所)
④信州の味噌からみえる気候変動の影響 高橋聖(信州大学繊維学部3年生)
長野県内の味噌屋さんにヒアリングをし、長野県を代表する食品“味噌”に何が起こっているかを最近よく聞く(と思う)気候変動と絡めてまとめてみました。
気候変動が起きると何が起きるのか?強いて言えば最近暑くなった?なかなか想像出来ないと思います。今回は身近な食品の味噌と絡めて何が起きているかを発表します。
面白そうなことの一環で,年に1回,興味のあるテーマについて長野県環境研究所と連携し調べています。今年で2回目。去年は長野県の各地域の特産物と気候変動をテーマに皆で分担して調査を行いました。私は東信地方の農産ということでリンゴを担当。今年は発酵食品と言うことで味噌についてやりました。今年は私のみの個人戦。普段忘れた頃に実験発表を十数人規模の前でガタガタ震えながらやるような私が、果たして大人数の前で発表しきることができるのか?よろしくお願いします。
《午後の講座》生物多様性の育て方~人と自然が共生する信州上田~
⑤上田の身近な自然の魅力~高原・ため池・山城の草原再生~ 田中健太(筑波大学山岳科学センター)当ブログ2月28日記事
⑥シャトー・メルシャン椀子ヴィンヤードにおける生物多様性と「30by30」 藤川宏(株式会社キリンホールディングス)
キリングループのCSV経営と環境ビジョン、長野県上田市にありますシャトー・メルシャン 椀子ヴィンヤードにおける自然環境についてお話しします。
キリングループの環境ビジョン「ポジティブインパクトで、豊かな地球を」と、それを掲げる背景をご説明した後に、長野県上田市にある「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー/ヴィンヤード」における事業や取り組みを通じて、自然環境にどのような良い影響を与えているのかについて発表します。
信州上田学
現在、少子高齢化社会の進展により、深刻化する地域の担い手不足とこれに伴う地域経済活動の縮小が顕在化しており、今後も高齢者人口の増加と地域の担い手となる生産年齢人口(15歳~64歳)、年少人口(14歳以下)の減少は続くものとされています。
 こうした現状を踏まえて、上田市では、持続可能な地域の創出に向け、地域に脈々と受け継がれてきた歴史、文化、自然、風土、産業等を「学ぶ」ことで、住民が「住み続けたいと感じる地域づくり」、地域を離れて進学した学生が「ここに帰ってきたいと感じる人づくり」を行い、さらには、「上田を離れても地域を想い続けてもらう人づくり」につなげていくことを目的として、信州上田学を積極的に推進していきます。
※信州上田学の学びの手法「上田メソッド」(上田市立長野大学『信州上田学』
  地域で・地域と協働する学び 地域課題解決の方法論
上田は「信濃自由大学発祥の地」であり、この地の人々が自ら学び地域を築いてきた歴史と気風があります。この伝統に基づき、「信州上田学」は、単に地域のあれこれを教え込むものではなく、大学という研究機関が中核となり、地域と学生がともに自ら学び続け地域を創造する、「研究」と「人づくり」の中核をなす地域学です。
◎地域の魅力を掘り起こし、ローカルナレッジを普遍的視野から再構築、再評価し、地域資源を創造する地域学の創造
◎地域の豊富な資源を持続的に活用して地域の発展を牽引できる人づくり
・ 地域の豊かさや地域の人々に触れ、自ら地域づくりに関わっていく過程を通して、地域に愛着を感じ、自分が生きていく場としてこの地域を選ぶ若者の増加も期待される
・ 圏外の出身地へ就職しても、自らの地域の発展を牽引するとともに、信州上田をよく知り、出身地と信州上田をともに発展させていく、いわゆる「関係人口」の増大が期待される

里山プロジェクト・信州里山の3類型(2006年) 10月7日

霧ヶ峰高原の草原は採草利用により維持されてきた二次草原であること、草原化の起源が鎌倉時代であること、近世以降霧ヶ峰高原は肥料や飼料となる草の採取に利用され近世末には全域が草原となり、明治以降化学肥料の普及により採草利用が減少し草原の縮小が始まったこと、昭和初期には標高1500m以上は秣の採取に利用されていたことなどが、長野県では2000年代前半には解明されていたようです(霧ヶ峰草原の成り立ち」9月12日記事)。長野県環境保全研究所では2001年度から5年間、「信州の里山の特性把握と環境保全のための総合研究」(通称 里山プロジェクト)」を行い、研究成果が『信州の里山の特性把握と環境保全のために」(165pp、2006年3月発行)としてまとめられています。

1-1 信州の里山の特性では、プロジェクトの研究成果や文献資料等をもとに,「自然環境」,「産業」,「文化」などの異なる視点から,信州の里山の特性についてまとめています。まず「立地」では県域を低平地、山間地、高原、奥山に区分し、里山を低平地の里山(里山Ⅰ)、山間地の里山(里山Ⅱ)、高原の里山(里山Ⅲ)に類型化しています。
立地からみた信州の里山の類型区分_4信州の里山の特性_1
長野市飯縄山南東麓(浅川流域、標高約350~1900m間)の土地利用形態の歴史的変遷をたどり、過去から現在への里山環境の移り変わりの傾向は,長野市飯綱山南東麓や中条村虫倉山麓などという特定の地域に限ったことではなく,県内の多くの里山において,若干の程度の差はあっても,基本的には共通して認められる」(10頁)としています。
信州の里山の特性_2信州の里山の特性_3

この報告書での「里山」の定義は畑中健一郎・富樫均・浜田崇・浦山佳恵「2-1 里山の何が問題なのか-里山問題の概観-」にあります。
里山は、農林業を主体とした人の暮らしを支えるある広がりをもった地域であり、暮らしや生産活動の影響下に成立した二次的自然の総体を指すものとする。そのなかには、雑木林、植林地、草地、農地、ため池、水路、集落といった多様な自然環境が含まれる。また、里山の言葉にある地形的な山の概念にはとらわれず、たとえ二次的自然が平地に存在する場合もその地域を里山と称するものとする。(24頁)
  植林地の面積が県土の約25%を占めているので、長野県の里山の面積は県土の約78%になります。

富樫均2-11 立地からみた信州の里山の類型区分」は長野市北部の飯縄山南東麓(浅川流域)のデータなどをもとに、信州の里山に関する新しい 3 つの類型区分、里山Ⅰ(低平地型)里山Ⅱ(山間地型)里山Ⅲ(高原型)を提案し、「里山ⅠとⅡの間に地形的な難所が形成され、相互に分離される傾向がつよい。一方ⅡとⅢでは、前~中期更新世に形成されたと思われる古い侵食小起伏面の残存により、巨視的にみれば地形的な連続性が高く、県境や郡境を越えて広域に分布する。これらの類型区分は北部フォッサマグナ地域においてとくに明瞭にあらわれるが、より広く長野県全域にわたって適用される可能性が高い」とし、信州の里山の立地特性としては、里山ⅡとⅢの存在とその意味がとくに重要であることを強調しています。
立地からみた信州の里山の類型区分_1立地からみた信州の里山の類型区分_5立地からみた信州の里山の類型区分_6

立地からみた信州の里山の類型区分_2立地からみた信州の里山の類型区分_3

長野県においては、山岳地のなかに盆地が切れ切れに分布するという特徴から、里山Ⅰの広がりも断片的である。それに対し、里山Ⅱと里山Ⅲは相互に地形的な連続性が高く、県境や郡境を越えた広域的な広がりが認められる。
里山Ⅱは、緩傾斜地から利用困難な急傾斜地まで、比較的小面積のさまざまな地形要素の集合からなる。とくに近世以降、居住地、畑地、水田、ため池、採草地、林などとして持続的に活用され、用途の違いに応じて多目的な土地利用が行なわれてきた。継続して適度のかく乱が加わりつつ、モザイク状に展開する様々な環境の組み合わせは、多様な生き物の生息場所にもなってきた。また山間地上部の肩状尾根などにみられる古い小起伏地は、その連続性や安定性から、かつての街道につながる脇道(峠道)のルートとしてよく利用された。山間地上部の尾根筋にめぐらされた峠道は、とくに近世以降、集落間を結ぶ庶民のための重要な陸路となり、物資や情報を流通させていたとみられる。
里山Ⅲは、多くがゆるやかな起伏をもつやや高冷な地域であることから、現在ではリゾート地や別荘地、あるいは高原野菜の生産地になっている。しかし1960年頃にはじまる高度経済成長期以前には、採草地などとして現在とは全く異なる形で、長期にわたり、高い生産性をもつ場所として利用されてきた。とくに集約的に採草が行なわれた場所では、現在よりもはるかに広い面積の草原環境が維持されてきたものと予想される。そうであるとすれば、里山IIIはおそらく草原的な環境を好む野生動植物にとって重要なビオトープにもなっていたと考えられる。さらに、湿原堆積物に含まれる花粉や微粒炭の分析結果をもとに、飯綱高原の環境変遷史を考察した結果によれば、この地域では約3000年前の縄文後期から火入れをともなう人間活動が活発になり、さらに約700年前には森林破壊の激しさが極大になったこと、それと同時に、森林にかわって草原環境が拡大したことなどが明らかにされている。県中南部の八ヶ岳山麓にも、井戸尻・尖石など縄文時代中期を代表する遺跡群が多数存在することはよく知られている。このように里山Ⅲは、たんに人々が利用してきたばかりでなく、原始・古代から近代・近世を通じて、里山IやIIよりもむしろ長期にわたり、資源採取地として継続的に利用されてきた場所である可能性が高い。現在観光地として名高い霧ケ峰高原でも、火入れや採草などの人為的働きかけが継続されてきたことで草原が維持されてきた。つまり、霧ケ峰などの高原の里山は、まさに信州独特の里山と位置づけられる。
最後に、氷河時代から生きつづけている遺存種と呼ばれる野生生物種と里山との関係について考えてみたい。たとえば約1万年前以降の後氷期の時代には、気候の温暖化にともなって退行する落葉広葉樹林と、縄文中期以降に焼畑耕作によって人為的に形成された二次林性の落葉広葉樹林が国内に共存していた。その結果寒冷期の落葉広葉樹林に住んでいた生物が、後氷期の照葉樹林の拡大の下でも滅びることなく、現在につづく里山の二次林で生きながらえることができたのではないかという指摘がある。
長野県では、潜在的に照葉樹林そのものの分布域が小規模であるため、西日本や関東周辺の里山とはやや事情が異なる。しかし、同様の意味で信州の標高差の大きな里山の二次林や草地が、氷河時代に生息域を広げた植物や昆虫などにとって、後氷期におけるレフュージア(避難場所)となったことは十分に考えられる。そのばあい、とくに里山IIと里山IIIの環境は、広域に連続するという面においても、気候変動下における生物多様性の維持のために、より大きく寄与してきたはずである。(93~94頁)

この報告書『信州の里山の特性把握と環境保全のために」(2006年)が明らかにしたことと環境保全のための提案
信州の里山の特性
 ① 低平地と山間地と高原に展開する広大な里山分布(3 つの類型に分かれる信州の里山)
 ② 多様な気候と多様な野生生物の共存(多雪と少雨、寒暖、多種多様な生物種など)
 ③ 地形と気候を生かした多彩な農作物の栽培、林業、観光などの様々な産業立地
 ④ 各地域ごとの個性的な文化(食べ物、暮らし、行事、工芸など)
 ⑤ 縄文時代にまでさかのぼる里山の利用の歴史と戦後の急激な変貌
信州の里山の魅力と価値
  ① 奥山から低地までが凝縮された独特の里山景観
  ② 全国的にも特筆される、野生生物の多様性
  ③ 山間地の地形や種々の環境を巧みに利用してきた文化や民俗
これからの里山の環境保全のために
  ① 地産地消の推進(里山が里山であるために)
  ② 里山をもっと知ること(学びの必要性)
  ③ 里山保全の担い手確保のための配慮(高齢者と若年者の意識の違いから)
  ④ 新たな発想による里山整備の展開(生き物、散策の場、自然体験など)
  ⑤ エネルギー資源の供給地としての可能性(木質バイオマスの活用など)

※報告書の目次は以下で、各項目ごとにPDFのダウンロードができます。概要版(PDF63KB)もあります。

  長野県環境保全研究所『信州の里山の特性把握と環境保全のために』

 里山の写真(小川村)

 長野県における里山の分布

  口絵2
 里山の原風景(県内4箇所)

はじめに

1 信州の里山の特性と環境保全のための提言

2 個別のテーマによる調査・研究成果報告

3 資料編

執筆者一覧


霧ヶ峰の草原の成り立ち 9月12日

霧ヶ峰高原の八島ヶ原湿原に隣接する下諏訪町立八島ビジターセンターあざみ館を見学しました。

八島ヶ原湿原と霧ヶ峰の山々(Wikipedia)_11-4A八島湿原(八島ビジターセンター)
八島ヶ原湿原と霧ヶ峰の山々Wikipedia「八島ヶ原湿原」

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浦山佳恵「霧ヶ峰高原の山麓集落による高原資源の利用と生業の変遷 -近世から近代を対象に-」(
長野県環境保全研究所 環境保全研究所研究報告 第3号、2008年)

1.はじめに
 霧ヶ峰高原の標高1500m以上には、約1000haという日本最大規模の亜高山帯の草原が広がっている。降水量の多い日本列島では、高山や海岸風衝地に成立する自然草原を除けば、何らかの人為的干渉がなければ森林が成立する。そのため、多くの草原は人間による火入れや採草、放牧などにより形成された二次草原である。霧ヶ峰高原の草原も採草利用により維持されてきた二次草原であるが、採草利用の停止により草原の森林化がすすみ、草原景観の消滅や草原性動植物の絶滅さらには生態系全体への影響が危惧されている。
 近年、県や市町村、NPO等により草原を保全する取組みが行われつつあるが、草原と山麓集落との関わりの変遷を把握することは、今後の草原保全に多くの示唆を与えてくれると考えられる。
 これまで霧ヶ峰高原の草原と山麓集落との関わりについては、草原化の起源が鎌倉時代であること、近世以降霧ヶ峰高原は肥料や飼料となる草の採取に利用され近世末には全域が草原となり、明治以降化学肥料の普及により採草利用が減少し草原の縮小が始まったこと、昭和初期には標高1500m以上は秣の採取に利用されていたこと、昭和初期の秣の具体的な採取方法等が解明されてきた。
 一方、霧ヶ峰高原での採草利用は山麓集落の生業と密接に関わってきたと考えられるが、山麓集落の生業との関連で霧ヶ峰高原の資源利用を明らかにしたものはない.
 そこで、今回は近世から近代を対象に取り上げ、山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用の変遷を明らかにすることを試みた。
2. 調査地の概況
 2.1 霧ヶ峰高原の自然条件
 2.2 中世における霧ヶ峰高原の草原化要因
          霧ヶ峰高原の山麓集落による高原資源の利用と生業の変遷_3
3. 近世の山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用
 3.1 入会集落の生業
 3.2 入会集落による霧ヶ峰高原の資源利用
   霧ヶ峰高原の山麓集落による高原資源の利用と生業の変遷_4
 3.3 資源をめぐる利用規制
4. 近代の山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用
 4.1 入会集落の生業
 4.2 昭和初期の入会集落による霧ヶ峰高原の資源利用
 4.3 昭和初期の資源をめぐる利用規制
5. 山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用の変遷
6. おわりに
これらから、近世末に霧ヶ峰高原全域が採草地として利用されたのは、山麓集落が稲作を中心とした生業を営み肥料をほとんど自給していたためであったと考えられる。また、明治以降の採草利用の減少は、養蚕が盛んになり現金収入が増加するとともに肥料としての草の価値が低下したためであったと考えられる。一方、明治以降も標高1500m以上で比較的採草利用が維持されたのは、西麓集落が現金収入を得るために酪農を開始したことと関連していたと考えられる。利用規制の運用状況の変化は、こうした生業の変化に伴う草の資源価値の変化を反映していると考えられる。
今後は、さらに戦後から現在についても同様に明らかにすることにより、現在の草原の形成過程について検討し、今後の草原保全のあり方についても考えていきたい。
謝辞
文献
 

  

※車山山頂(茅野市)には高さ12.4mの気象レーダー観測所(気象トップラーレーダー)があります。

立科町のくびれ 9月12日

立科町は東西9.9㎞、南北26.4㎞と南北に長い町で瓢箪[ひょうたん]を引き延ばしたような形をしています。最狭部は幅わずか53mで、そのくびれをもたらしたのは、17世紀初頭、雨境峠の南側の蓼科山麓は諏訪方9ヶ村(現・茅野市)と佐久方8ヶ村(現・立科町)の入会原野でしたが、半世紀以上にわたって争論が続いたあげく、1670年代に諏訪側の立ち入り・利用が禁止されて佐久側の独占が認められたことです。これが「立科のくびれ」の南側、白樺高原地域(蓼科)が現在立科町に属している遠因の一つです。
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中山道 茂田井間の宿 9月12日

霧ヶ峰高原の八島ヶ原湿原に隣接する長野県諏訪郡にある下諏訪町立八島ビジターセンターあざみ館に向かう途中で寄りました。中山道69宿の25番目の望月宿と26番目の芦田宿の間にある宿場町で用水に沿って古い家並が残っています。

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案内板に佐久市教育委員会、立科町教育委員会とあるので、『立科町合併60周年記念 町勢要覧 2015』の資料編・立科町60年のあゆみをみると1960年に望月町(2005年に佐久市に合併)茂田井地区で立科町への境界変更についての住民投票が行われ、望月町茂田井の大部分が立科町に境界変更したとありました(39頁)。2軒の造り酒家は佐久市、一里塚は立科町です。

 

 


一丁99円(外税)の豆腐 10月20日

長野県北佐久郡立科町芦田北佐久郡立科町芦田の国道142号線白樺湖入口信号角にあるTSURUYA(ツルヤ)立科店で買った豆腐です。

国産大豆100%使用
信州松本もめん

私自身 うまいおとうふが食べたい
一心で作った 一丁入魂の作品です。
大豆の甘味とコクで
ととうふ好きのあなたをおもてなし
      三代目 とうふアーティスト

松本奥座敷
おとうふ司 豆味蔵(とみくら)印[地豆腐・豆味蔵]

一丁99円(外税)の豆腐 →23.6円(100グラムあたり)
名称:もめんとうふ
原材料名:丸大豆(国産)
    塩化マグネシウム(にがり)
内容量:420グラム
消費期限:21.10.23
保存方法:要冷蔵(冷蔵庫で10℃以下で保存)
製造者:おとうふ司豆味蔵
     (合名会社富成伍郎商店)
        富成 敏文
 長野県松本市大字原90-3
 ℡0263-46-03…
プラ:フィルム PP PET
   容器 PP

栄養成分表示(100gあたり)
エネルギー 80kcal
たんぱく質 7.2g
脂質 4.9g
炭水化物 1.2g
食塩相当 0g
 この表示値は、目安です。

※富成伍郎商店の豆腐は2018年4月10日にGoro Tominari(富成伍郎商店のショップ)で買っています。
(信州をもっと好きになる・長野県中南信地域の口コミナビ『ずくらぼ!』)
気になること
■家族の目
子どもや奥さんに直売店のことをあまり話してなかったので「シュークリームやっているって友達からきいたんだけど…」とか、「豆腐のメンチカツおいしいって娘の友達のおかあさんに言われたんだけど…」とちょっと冷ややかに言われました…
■井戸水
おじいさんのときに使っていた手掘りの井戸が枯れてしまったので、業者さんに頼んで掘ってみたら(飲料水が出るかどうかはわからないので実は賭けでした)幸運なことにとてもおいしい水にあたりました!豆腐の8割は水ですからね。水のおいしさって大切なんです。機会があればぜひ水を汲みに来てください。
■適性価格
品評会で何度も受賞した豆腐だからもっと高く売れるよと言われますが、値段を高くして高級に見せるのはちょっと違うと思っています。お豆腐は普段にもご馳走にも使える食品として庶民に長く愛されてきたものです。原材料の価格による値上げは仕方ないですが、おいしいから高くてもいいではなく、普通に材料費と諸経費を足した適性価格がいいと思います。作る人、買う人、売る人の関係のバランスが悪いとその商売は続かないと思うんです。まー水より安い激安のお豆腐とかも不思議ですけどね。

豆富二種 #くらかけまめ豆富 #富成伍郎商店(『オモムケドトリヨセズ』2015年11月2日記事)

  信州松本もめん

一丁169円(外税)の豆腐 10月20日

長野県北佐久郡立科町芦田の国道142号線沿いにあるTSURUYA(ツルヤ)立科店で買った豆腐です。ツルヤは長野県に36店舗、群馬県に2店舗を展開するスーパーマーケットチェーンです。

手づくりの味
みまきとうふ

一丁169円の豆腐(外税) → 39.3円(100グラムあたり)
名称:もめんとうふ
原材料名:丸大豆(長野県産)
     塩化マグネシウム(にがり)
内容量:430グラム(標準)
消費期限:21.10.23
保存方法:要冷蔵(10℃以下)
製造販売元:農事組合法人北御牧村味の研究会
 長野県東御市下之城963-1
 ℡ 0268-67-36…
プラ:容器 PS PP
   フィルム PP PET
製造上、お豆腐の中にゆばが入っている場合がありますが、品質上問題はありませんので安心してお召し上がり下さい。

栄養成分表示(1パック430gあたり)
エネルギー 309.6kcal
たんぱく質 28.38g
脂質 18.06g
炭水化物 6.88g
食塩相当 0.43g
 七訂食品成分表[日本食品標準成分表2015年版]より
 数値は日本食品標準成分表を用いて計算した推定値です。

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かわいい豆腐には旅をさせるな?(『じょうしょう気流』2014年2月8日記事)
「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。
今日は地元では常識?「みまきとうふ」のご紹介です。 旧北御牧村(現在の東御市)で契約栽培された大豆を使った豆腐で、「北御牧村味の研究会」という、地元の農村女性グループが作っています。……
木綿豆腐なのですが、温めて食べると絹ごし豆腐のようなぷるぷるの食感があり、煮込んでもしっかり大豆の旨味が残っています。

地元のスーパーで普通に売っていますので、買おうと思えばわりと手に入りやすいせいか、ついつい隣の激安豆腐に目が行ってしまうのですが、たまにはささやかな贅沢をと思った時にはこれ。一丁の値段もそんなに高くなく、それでこの味ですから、おススメですよ。

「豆腐には旅をさせるな」という言葉を某書物で読んだことがあります。
豆腐は作ってから時間が経つとどんどん味が落ちるという意味ですが、信憑性はともかく、地の物を地元で美味しいうちに消費する。まさに地産池消です。

読者のみなさんも、店頭で見かけたら手にとってみてくださいね。

一丁160円(内税)の豆腐 10月20日

長野県佐久市長野県佐久市の道の駅・ヘルシーテラス佐久南の農産物・物産直売所で買った豆腐です。
ヘルシーテラス佐久南は中部横断自動車道佐久南インターチェンジ正面に2017年7月にオープンしたゲートウエイ型道の駅です。2018年4月5日20年4月9日に立ち寄ってこの160円の豆腐を買っています。前回は1パック350グラムでしたが、今回は同額で480グラムに増量されていました。

松本産大豆100%
まごころ豆腐
安心・安全・美味しい

一丁160円(内税)の豆腐 → 33.3円(100グラムあたり)
名称:もめんとうふ
原材料:大豆
    凝固剤(塩化マグネシウム)
    消泡剤
内容量:480グラム
消費期限:21.10.23
保存方法:要冷蔵5℃~10℃
製造者:つるや豆腐店合同会社
 佐久市下越155-10
 ℡0267-82-30…
プラ 紙

長野県のダイズについて長野県ホームページ2021年9月16日)
長野県では、以前は中山間地域を中心に大豆が生産されていましたが、平成10年[1998]頃から水田を活用した生産面積が多くなりました。
県内で製造された味噌は「信州みそ」として全国に知られていますが、このほかにも豆腐や納豆など特色ある大豆加工製品が県下各地で製造されており、その原料として県産大豆が活用されています。
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前々回2018年に購入した豆腐は塩尻生まれの青大豆あやみどりを使っていましたが、今回の豆腐には品種名はありません。あやみどりの豆腐は淡緑色で普通の大豆を使用した豆腐とは色合いが違います。青大豆の豆腐の記事を掲載する時には写真も必要ですね。

一丁150円の豆腐(外税) 10月13日

長野県諏訪郡原村の生産者直売たてしな自由農園原村店で買った豆腐です。

霧ヶ峰もめん
国産大豆100%試用

にがり100%を使った
大地の恵みのお豆腐です。

一丁150円の豆腐(外税) → 50.0円(100グラムあたり)
名称:もめんとうふ
原材料名:丸大豆(国産)
     凝固剤(塩化マグネシウム〈にがり〉)
     消泡剤(グリセリン脂肪酸エステル)
内容量:300グラム
消費期限:20.10.17
保存方法:要冷蔵(10℃以下)
製造者:有限会社松野屋
 長野県諏訪郡下諏訪町西鷹野町4894-8
 [店の所在地はマップ内の「下諏訪広域地図」にあり]
お問い合わせ:0266-27-89…
プラ:容器 PP
   フィルム PP PA

栄養成分表示(100gあたり)
エネルギー 72kcal
たんぱく質 6.6g
脂質 4.2g
炭水化物 1.6g
食塩相当 0.0g
 この表示値は目安です。
  [日本食品標準成分表による推定値]

販売していたジビエ肉類
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シカ肉、シシ肉、熊肉など

(『日本農業新聞』2020.07.17)
 豚熱感染イノシシ拡大(日本農業新聞)

※「イノシシ被害、列島を北上 「最前線」秋田で対策本格化」(『朝日新聞Digital』2018.01.18 18:23)
 イノシシ猛進(朝日新聞Digital)

 イノシシ東北に猛進(日本農業新聞)


 ニホンジカ・イノシシの推定個体数と捕獲数の状況_2ニホンジカ・イノシシの推定個体数と捕獲数の状況_1

※隣接県におけるイノシシの生息状況(『長野県第二種特定獣害管理計画(第3期イノシシ管理)2018年4月~2023年3月』資料篇から)
 長野県第二種特定鳥獣管理計画(第3期イノシシ管理)_1
※イノシシと人間の関わり(概要)、大規模な猪垣の分布跡(『長野県第二種特定獣害管理計画(第3期イノシシ管理)2018年4月~2023年3月』資料篇から)
 長野県第二種特定鳥獣管理計画(第3期イノシシ管理)_3長野県第二種特定鳥獣管理計画(第3期イノシシ管理)_2
※『いま、獲らなければならない理由 -共に生きるために-』(環境省自然環境局、2015年11月)
 いま、獲らなければならない理由_1いま、獲らなければならない理由_2いま、獲らなければならない理由_3

 いま、獲らなければならない理由_4いま、獲らなければならない理由_5

※「クマの数を調べる、森には何頭いるのか」(環境省、YouTube 35:23)
 


田畑の除草用具(茨城県下妻市・長野県伊奈地方) 7月15日

①『館所蔵民俗資料目録第7集 籠・管理・害虫除去・儀礼用具』(下妻市ふるさと博物館、2002年3月)に収録されている田畑の除草用具です。

  刊行にあたって(2頁から)
 除草用具は豊富な種類と数があるのが目立ちます。特に水田の回転除草機の多様さに驚かされます。
また、最初は柄に刃が付いているという単純な形のものから時代とともに畜力用にまで改良されていく流れが、はっきりとみることができます。……
 また、農耕用具は現地の呼び名が個性的なものが多いのも特長の一つです。

田畑の除草の用具として〈クサカリガマ〉〈ナガエガマ〉〈タチガマ〉〈カマカケ〉〈ガンヅメ〉〈カメノコ〉〈コロガシ〉〈クマデ〉〈ジョレン〉があります。
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②「信州大学農学部附属農場における人力・畜力農具の収集と保存」(有馬博・北原英一・信州大学農学部附属農場)
 伊那は長野県南部に位置し、中央アルプスと南アルプスの問に伸びている細長い谷型の地域である。この谷の底部には天竜川が流れていて水田が連なり、その両岸には河岸段丘が形成されている。さらにその背後には山間農業地が続き、これら相互の標高差は500m以上に及ぶ。一般に伊那谷と呼ばれているこの地方は上伊那郡辰野町付近を北端とし、それから南南西に位置する飯田市の南方まで直線距離で約80kmにわたっている。そのうち北部は寒冷地に、南部は温暖地に属しているうえ、凹凸の多い山岳地形が多いため気象には地域差が大きい。
 このような立地条件のもとで伊那においては様々な種類の農作物が栽培され、他に養蚕や馬匹生産も盛んであった。そのため農家では古来、多種の人力・畜力農具を使用してきた。
 しかし昭和30年代後半からの経済発展、農業構造と生産手段の変化及び農村住宅と納屋の建て替えによって、昭和40年代には人力・畜力農具が急速に廃棄されるようになった。そこで著者ら農場職員は当時の農場長故高橋敏明教授の指導のもとに.伊那の農家に呼びかけて昭和42年[1967]からそれらの農具の収集を開始した。しかし学内には適当な収納場所がなかったため整理もしないまま収納舎の一角へ収容しておいた。
平成7年[1995]に至って、ようやく農場の木造鶏舎を農具展示場として使用できる状況になったため農具を整理・展示し、同年4月1日に農具資料舎と名付けて公開した。また人力・畜力農具以外にも発動横、トラクタなど歴史的意義のある機材も若干数展示した。[25頁]
  〇田車(たぐるま)、代車(しろぐるま)(伊那林屋式:畜力用)
 長野県から山梨県にかけて、水田の代かきに用いていた畜力砕土車で、轅木(えんぼく:舵とり腕木)と馭者席[ぎょしゃせき]を備えた1軸の車輪列型のものと、形式の異なる2軸の車輪列を長方形の馭者台でつないだものがあった。1軸型は土塊を縦方向に、2軸型は縦横方向に土塊を切った。資料舎にはその2形式がある。馭者は土塊の状態を見ながら歩いたり乗ったりした。忙しい時には5~6歳の子供さえ馭者とされ、居眠りで転落しないように席へ荒縄でくくりつけられた。牛馬に体力があれば作業能率の良い車であった。[27頁]

  〇八反取(はったんどり:人力用)
 水田専用の人力除草用具で、一般に2番除草以後に使われた。柄を持って前後に押したり引いたりしながら前進し、表土を浅くかきまわして除草した。10a当たりの歩行距敵は3.5~4㎞に及び疲労がひどかった。少しでも軽くするため柄に竹を用いたものが多い。その後、回転除草機に代替されたが昭和40年代以後は除草剤の普及によってそれも使われなくなった。1条用のほか2条用もあった。[以下28頁]

  〇回転除草機(各種:人力用)
 八反取と同様に2番除草以後に使用する水田専用の手押しのうね間除草機で、通常は爪状の回転刃をもつ2本の軸と鳥居型の柄で構成されている。昭和初期から昭和30年ころまで全国的に使用され、その後は株聞除草機や除草剤に代替された。株間除草ができない欠点があったものの八反取に比べて軽快で能率も良く、中耕もできた。舳先[へさき]の高さと柄の角度が調節できるようになっていて、回転刃の食い込み深さが調節できたが水が深いと浮き上がった。1足ごとに腕を伸縮しながら断続的に押した。カがいるので子供にはいやな仕事であった。

  〇株間除草機(各種:人力用)
 2~4個の縦軸で回転する針金又は薄い鉄板製のローターで稲株をはさみ、柄を押すと土の抵抗でローターが回転して株ぎわの雑草を土とともに外側へかき出して除草が行われる。商品名を「カブマトリー」と称したものもあった。昭和30年(1955年)から数年間に各農家へ普及したが除草剤の出現によって急速に消滅した。実用期問が短かったし小型なので良好な保存状態のものが多く現存している。

  〇畜力3連型回転除草機(畜力用)
 2番除草以後に使用する水田専用の畜カうね間除草機で、昭和30年ころまで大規模農家で使用され、その後は除草剤に代替された。株間除草ができないことと、機体が重くて回転が困難な欠点があったものの能率が良く、中耕もできた。舳先の高さと柄の角度が調節できるようになっていて回転刃の食い込み深さが調節できた。訓練された牛馬はこれを引きながらうね間を上手に歩いたが、田のはしで回転するときには稲を踏みつけたので、小さな田では使いにくかった。

田んぼの草取り 7月10日

今日も田んぼの草取り。毛塚一反田、終了しました。
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田の草取り(『上田市誌民俗編(2)』上田市、2001年3月)120頁
 上田市誌 第24分冊 衣食住とくらし
 第4章 生産・生業 第1節 稲作 6 田の草取り 下線は引用者
 田の中に出てくる雑草を取るために、また稲の分けつを促すためにと、3回から4回、田の草取りをしました。田の草取は中腰で田の中をはって雑草を取るという大変な重労働です。それぞれの除草の回数ごとに一番取り二番取り三番取りまたは、一番ご二番ご三番ごと言いました。休んで腰を立てるとなお痛くて大変でした。
 大正年間から昭和初年には、ころばし八反取り(田の草取りの農具)が使用されるようになり、手による草取りと併用されるようになりました。また畝間の中耕としてがん爪(熊手状のもので3~5本の曲がった爪をもつ農具)が使われました。
 石神での除草は①ころばしをかける(攪拌する)②はう(株間を除草する)③八反取りヌリツケ(最後の除草で、水を落しておき、塗り付けて固まらせる)の順でしました。ヌリツケは穂ばらみ前の(穂が出る直前)天気の良い日に、稲の葉先が目に入らないように網の面をかぶってやりました。
 東前山では、田植えから20日過ぎてからころばしをかけ、稲が60~70㎝になった7月ごろにがん爪で株の間を起こしました。下郷では、一番ごは、稲のまわりの土をぎゅうっと握って稲株から離し、草は押し込んで埋めて、稲がフラフラするほど、稲株を開くようにしました。稲の分けつを促すためでした。
 小学校尋常科を卒業して高等科になると、大人並みに田の草取りをさせられるようになったということです。
 除草剤の普及で、田の草取りの重労働がなくなったのは画期的なことでした。除草剤を効率良く使うためには、撒く時期や水田の水の調節が大変重要です。なるべく除草剤を使わないためには、今もころばしを使っている人もいます。

一丁108円の豆腐 6月20日

長野市古里の西友古里店で買った豆腐です。

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信州のおとうふ
内田屋木綿豆腐

一丁108円の豆腐(外税) → 27.0円(100グラムあたり)
名称:もめんとうふ
原材料名:大豆(亜米利加合衆国またはカナダ産)
         大豆の産地は、過去1年間の使用実績順です。
       分別生産流通管理済み
     豆腐用凝固剤(塩化マグネシウム)
     豆腐用消泡剤(炭酸マグネシウム、ライスワックス、レシチン)
名称:メヌカロウ(米ぬか油から得られた、リグノセリン酸ミリシルを主成分とするものをいう。)別名:メヌカワックス/ライスワックス 簡略名:植物ワックス 基原・製法・本質:イネ科イネ(Oryza sativa LINNE)の種子より得られる米ぬか油より、分離して得られたものである。主成分はリグノセリン酸ミリシルである。 用途:ガムベース光沢剤 備考:Rice bran wax(「平成30年2月8日消食表第58号 食品表示基準について」別添 添加物2-1「既存添加物名簿収載品目リスト」から)
内容量:400グラム
消費期限:20.06.20
保存方法:要冷蔵(10℃以下で保存してください)
      開封後はお早めにお召上がりください。
製造者:株式会社田内屋
 長野県松本市大字笹賀7155番地1
お問い合わせ:0120-50-10…
プラ:容器 PP
   フィルム PP PET

栄養成分表示(100gあたり)
エネルギー 72kcal
たんぱく質 6.6g
脂質 4.2g
炭水化物 1.6g
食塩相当 0.1g
(日本食品標準成分表による推定値)

一丁138円の豆腐 6月17日

長野市古里の西友古里店で買った豆腐です。

長野県産
大豆100%もめん

一丁138円の豆腐 → 41.8円(100グラムあたり)
品名:もめんとうふ
原材料名:丸大豆(長野県産)(遺伝子組み換えでない)
     豆腐用凝固剤
内容量:330グラム
消費期限:20.06.17
保存方法:要冷蔵(10℃以下)
使用上の注意:開封後は賞味期限にかかわらずお早めにお召上がりください。
製造者:株式会社キタコー
 長野県長野市松代町豊栄宮崎6555-1
 ℡ (026)278-23…
プラ フィルム・トレー
 塩化ビニール系は使用しておりません。

栄養成分表示(100gあたり)
エネルギー:76kcal
たんぱく質7.63g
脂質4.1g
炭水化物 2.2g
食塩相当0.03g

一丁160円(内税)の豆腐 4月9日

長野県佐久市の道の駅・ヘルシーテラス佐久南の農産物・物産直売所で買った豆腐です。

佐久産大豆100%使用
まごころ豆腐
安心・安全・美味しい

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一丁160円(内税)の豆腐 → 45.7円(100グラムあたり)
名称:もめんとうふ
原材料:大豆
    凝固剤(塩化マグネシウム)
    消泡剤
内容量:350グラム
消費期限:20.04.12
保存方法:要冷蔵5℃~10℃
製造者:つるや豆腐店合同会社
 佐久市下越155-10
 ℡0267-82-30…
プラ 紙

2018年4月7日の記事
2018年4月5日の記事

一丁99円(外税)の豆腐 11月7日

デリシア軽井沢店(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢野沢原1323-1002)で買った豆腐です。

八重原産
スズホマレ大豆100%使用
木綿とうふ

信州生まれ
御牧八重原で
育てた大豆と、
塩にがりを100%使用した
昔ながらの豆腐です。

一丁99円の豆腐 →30.0円(100グラムあたり)
品名:もめんとうふ
原材料名:丸大豆(国産)(遺伝子組み換えでない)
     豆腐用凝固剤
内容量:330グラム
消費期限:19.11.09
保存方法:要冷蔵(10℃以下)
販売者:株式会社デリシア
 長野県松本市大字今井7155-28
製造者:株式会社キタコー
 長野県長野市松代町豊栄宮崎6555-1
商品には万全を期しておりますが、万一商品に何かお気づきの点がございましたら、下記までお知らせ下さい。℡ 0120-542-8… 受付時間:平日 月~金曜日(9:00~17:00)
プラ フィルム・トレー
 塩化ビニール系は使用しておりません。
本品に含有しているアレルギー物質:大豆
使用上の注意:開封後は賞味期限にかかわらずお早めにお召上がりください。

栄養成分表示(100gあたり)
エネルギー:76kcal
たんぱく質8.3g
脂質3.5g
炭水化物 2.9g
食塩相当0.03g

八重原[やえはら]・御牧ヶ原[みまきがはら]>北御牧[きたみまき]>東御市[とうみし]
東御市:長野県中東部の市。2004年4月東部(とうぶ)町と北御牧(きたみまき)村が合体して成立した。人口3万0696(2010)。(『世界大百科事典』から引用)
北御牧:長野県中東部、北佐久郡(きたさくぐん)にあった旧村名(北御牧村(むら))。現在は東御(とうみ)市の南部を占める一地区。2004年(平成16)小県(ちいさがた)郡東部(とうぶ)町と合併、市制施行して東御市となる。旧北御牧村は、千曲(ちくま)川中流左岸に位置し、浅間(あさま)火山の泥流地を侵食した千曲川に沿う低地と、千曲川沿岸より100メートルほどの崖上に展開する蓼科火山(たてしなかざん)の泥流でできた台地の部分からなる。台地は中央部を流れる鹿曲川(かくまがわ)の侵食谷で、北部の八重原(やえはら)と南部の御牧ヶ原(みまきがはら)に分かれる。旧村域の中心部は千曲川沿岸の低地にあり、台地は水不足のため古くから原野のまま放置されてきた。近世の終わりごろから、八重原は蓼科山の山麓より用水路(八重原堰(やえはらぜき))を引いて水田化された。一方、御牧ヶ原は平安時代から官牧で馬の飼育が盛んであり、朝廷に名馬を献上したことなどから、御牧(みまき)とよばれた。明治になって開拓されたが水田化は遅れ、薬用ニンジンやジャガイモが特産である。台地上は眺望がよいので別荘や民宿も増えている。[小林寛義](『日本大百科全書』から引用)
御牧原の野池群(長野県東御)(Hatenaブログ『水辺遍路』から)


御牧ヶ原台地(グリーンウッド氏の『Seven Mile Beach File』から)

北御牧地区地域ビジョン(御牧ふれあいの郷づくり協議会、2017年)



広報『たてしな』6月号 7月30日

4月23日の記事でとりあげた長野県立科町出身の教育者、五無斎・保科百助(1868~1911)は、6月8日に生まれ、7日に亡くなっています。立科町の広報『たてしな』6月号に岩上起美男さんの「6月、五無斎先生を憶う[おもう]~ 本名? そして、現代書道の父・比田井天来先生との交わり?  ~」が12・13頁に掲載されていました。
広報立科2019年6月号12ページ広報立科2019年6月号13ページ

保科百助の「百助」は「ひゃくすけ」なのか「ももすけ」か。協和村(現・佐久市望月)で生まれた比田井天来との交わりの有無について本当のことを知りたいと願っている岩上さんは、保科百助という人物を大きく4点から評価しています。

①体験型教育の実践者であり、差別の愚[ぐ]なることを力説し、差別撤廃[てっぱい]のために尽力[じんりょく]した謹厳実直[きんげんじっちょく]な教育者。
②もったいぶった権力[けんりょく]や権威[けんい]に対する反骨心旺盛[はんこつしんおうせい]な人。
③自己本位で、悟[さと]らんとして悟りきれない煩悩[ぼんのう]の世界に住んだ鬼才[きさい]。
④奇行[きこう]と毒舌[どくぜつ]の人という半面、シャイで、心優しいユーモリスト。

保科百助という人物についてさらに図書を紐解いて学んでみたくなりました。

広報立科2019年6月号13ページ-001
両親の位牌を見ては思ふかな 線香立つるかゝをほしなと





保科五無斎碑 4月23日

4月16日、カタクリの花を見に立ち寄った長野県北佐久郡立科町山部の津金寺[つがねじ]に建てられていた明治時代の教育者・鉱物学者、保科百助(ほしなひゃくすけ)(1868ー1911)の顕彰碑です。石碑の人物・保科百助については、「百助少年」(立科町HP 2016年3月30日)。
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「五無斎」については、鉱物採集に出かけた先でわらじが切れてしまい、そばの茶店で買おうとしたところ手持ちが僅かに足りず、店の主人が値をまけてくれないことから「お足なし 草鞋なしには 歩けなし おまけなしとは お情けもなし」と狂歌を詠んだことから、あるいは『海国兵談』の著者林子平(1738ー1793)は「親も無し妻無し子無し板木無し金も無けれど死にたくも無し」から六無斎と号しましたが、それにならったともいわれています。
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石碑に刻まれている「我死なば 佐久の山部へ 送るべし 焼いてなりとも 生でなりとも」、「ゆっくりと 娑婆に暮らして さておいて わしは一足 ちょっとお先へ」が気になってどういう人物だったのか調べました。泊まるところがなくて友だちのところに出したという「○○ ○○○○○○○○○○に○」は「こまるこまる とまるにこまる」と読むそうですが、寄行・奇言の類はさておき「立科教育の精神的原点」として世のため人のために自分の一生をささげた保科百助をたたえる立科町教育相談員・岩上起美男さんの文章が立科町のHPに多数掲載されています。「信州教育」という言葉がありますが、長野県が教育県と言われる所以を感じました。
 ●広報たてしな2013年7月「「立科教育」への期待」20頁21頁
 ●広報たてしな2013年8月「五無斎・保科百助先生の「無垢なる教育的情熱」と「立科教育」」10頁11頁
 ●広報たてしな 2013年9月「五無斎・保科百助先生の凄さと魅力」12頁13頁
 ●広報たてしな 2015年6月「五無斎・保科百助先生を偲ぶ~奇行奇言の背後に横たわる実像~」12頁13頁
 ●広報たてしな 2016年6月「怖い人、五無斎先生を偲ぶ」16頁17頁 
 ●広報たてしな2017年5月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」12頁13頁
 ●広報たてしな2017年6月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」16頁17頁
 ●広報たてしな2017年7月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」18頁19頁
 ●広報たてしな2017年8月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」16頁17頁
 ●広報たてしな2018年6月「五無斎先生を想う~悟らんとして悟りきれない煩悩の世界に生きた鬼才~」12頁13頁

布引観音 4月16日

「牛に引かれて善光寺参り」で知られる布引山釈尊寺(長野県小諸市)に行きました。
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一丁194円(内税)の豆腐 4月10日

長野県松本市のGoro Tominari(富成伍郎商店のショップ)で買った豆腐です。
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Goro Tominari
富成伍郎商店
手塩にかけた伍郎のもめん

一丁194円(内税)の豆腐 →64.7円(100グラムあたり)
名称:もめんとうふ
原材料名:大豆[(国産)遺伝子組み換えでない]
    塩化マグネシウム(にがり)
内容量:300グラム
消費期限:18.04.10
保存方法:要冷蔵(10℃以下)
製造者:合名会社 富成伍郎商店
 長野県松本市大字原90-3
 ℡0263-46-03…
プラ:容器 フィルム
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日本一旨い豆腐「手塩にかけた伍郎のきぬ」のお店と値段!通販は?(『TUNEBO.com|ニッポンの魅力を伝えるブログ』記事)

※第1回日本一旨い豆腐を決める品評会受賞商品(2015年6月21日、京都)
    【2015年版】日本一美味しい豆腐が買えるお店」(『豆腐専門ページ by PINTORU』記事)
 金賞「手塩にかけた伍郎のきぬ」(合名)富成伍郎商店(長野県)
 銀賞「菜の花とうふもめん」豊産商事㈱(千葉県)
 銅賞「菜の花とうふきぬ」豊産商事㈱(千葉県)
 特別賞(もめん部門)「徳松豆腐」井川とうふ店(大阪府)
 特別賞(絹ごし部門)「清里高原きぬごし」㈱山久食品(山梨県)
 特別賞(充填豆腐部門)「充填こいまろ」㈲村のおっさん(徳島県)

※第2回全国豆腐品評会審査結果(2016年10月16日、熊本)
 金賞「匠選(たくみせん)極(ごく)ソフトもめん豆腐」(株)日本栄養給食協会(栃木県)
 銀賞「幻の極上 木綿豆腐」とうふ工房味華(群馬県)
 銅賞「『手塩にかけた伍郎のもめん」(合名)富成伍郎商店(長野県)
 4位 「はんなりもめん」(有)久在屋 京都府)
 5位「木綿豆腐」大豆乃館(株)(栃木県)
 6位「菜の花とうふ もめん」豊産商事(株)(千葉県)
 7位「もめん豆腐」豆腐屋おはら(福島県)
 8位「秘伝大豆もめん豆腐」横丁とうふ店(山形県)

第3回全国豆腐品評会審査結果(2017年10月1日、東京)
≪木綿豆腐の部≫
 金賞「豆太特上木綿とうふ」(株)豆太(北海道)
 銀賞「撰もめんとうふ」田中屋(長野県)
 銅賞「はんなりもめん」(有)久在屋(京都府)
 4位「もめん豆腐(塩で食べるとおいしい豆腐)」豆腐屋おはら(福島県)
 5位「菜の花とうふ木綿」豊産商事(株)(千葉県)

一丁160円(内税)の豆腐 4月7日

長野県佐久市の道の駅・ヘルシーテラス佐久南の農産物・物産直売所で買った豆腐です。

佐久産大豆
あやみどり使用

一丁160円(内税)の豆腐 →?円(100グラムあたり)
                【内容量の記載なし】
名称:もめんとうふ
原材料名:大豆(あやみどり)
    凝固剤塩化マグネシウム
    消泡剤
消費期限:18.04.07
保存方法:要冷蔵5℃~10℃
製造者:つるや豆腐店合同会社
 【佐久市下越155-10】
 ℡0267-82-30…
プラ

青大豆品種「あやみどり」『全国農業新聞』2009年6月5日記事)
 新品種紹介 「あやみどり」-緑色きれいな豆腐用青大豆-
 長野県野菜花き試験場は、緑色で外観が良く、病害に強く倒伏も少ない豆腐加工用の青大豆品種「あやみどり」(旧系統名・だいず東山青211号)を開発した。  
 「あやみどり」は「信濃青豆」と「天津青大豆」に由来する青大豆系統と「タチナガハ」を改良した系統から生まれた。種皮とへそが緑色で子実の外観が良く、子葉も緑色。ダイズモザイクウイルスと紫斑病に強く、病害粒の発生が少なく良質であるほか、長葉で普通品種並に草型が良く倒伏の発生も少ない。豆腐に加工すると淡緑色となり、甘みのある味になる。

耕作放棄地を賑やかす「あやみどり」の煎り豆JA長野県『長野県のおいしい食べ方』2012年4月4日記事より)
塩尻生まれの緑の大豆「あやみどり」
その新商品とは、今年の2月18日から販売されている「彩っこ豆」。「あやみどり」という地元産の大豆を使った豆菓子です。シンプルに煎っただけという潔さが売りの「煎」、塩をまぶし、お酒のおつまみにぴったりな「塩」、砂糖をまぶしたおやつ向けの「甘」の3種類がラインナップされています。
ポリポリと食べてみれば、しっかりとした食感の割にやわらかく、食べやすくてびっくり。豆の味が濃く、無意識のうちにどんどん食べてしまうおいしさで、リピーターが続出しているとのこと。最高のお酒のおつまみです。(*^_^*)
あやみどりは、塩尻市にある長野県野菜花き試験場で2009年に開発された新品種の大豆。名前の通り鮮やかな緑色が特徴で、味が濃く香りも強いため、豆のおいしさが存分に味わえる煎り豆にぴったりの豆なんです。

耕作放棄地を蘇らせよう
塩尻市は、長野県のほぼ中央に位置し、レタスやブドウ、ワインづくりで有名です。しかし農業が盛んな塩尻市でも、やはり耕作放棄地は課題となっていて、市内には約47ヘクタールもの耕作放棄地が存在していました。
そんな耕作放棄地を何とか有効活用しようと、2010年10月に一般社団法人塩尻市農業公社が設立され、翌年2011年から荒れた畑を整備し、耕作してきました。その際、畑で栽培されることになったのが、ソバ、小麦に加えて「あやみどり」「ナカセンナリ」という2種類の大豆だったのです。

地産地消の特産品が誕生
昨年度は、耕作放棄地10ヘクタールで「あやみどり」「ナカセンナリ」を栽培し、約12トンを収穫しました。収穫された大豆のうち「あやみどり」は「彩っこ豆」に。「ナカセンナリ」は農業公社が2月頭より販売している「塩尻名物 山賊焼のたれ」「天然醸造丸大豆醤油」に使われます。

新しいアイディアが続々登場!
塩尻市農業公社によると、来年度は栽培面積を2倍に広げる予定とのことです。ゆくゆくは耕作放棄地47ヘクタールの内、諸事情で手をつけられない10ヘクタール以外を公社で耕作し、維持していく計画なのだとか。
塩尻市農業公社の石井達郎常務理事は、「現在は公社が耕作放棄地を耕作しているけれど、生産技術を確立させて、今後は若い夫婦などが就農できる農業を提案していきたいね」と話します。
石井さんは、さらに耳寄りな話を教えてくださいました。
「大豆などの加工品は、やっぱり品種の特性と地産地消というポイントを生かして、長く愛される商品にしたいね。それが長い目で見たときに農業振興に貢献できると思うんだ。実は今、大豆を使った豆腐やプリン、ドーナツも試作中なんだよ」
塩尻生まれ塩尻育ちの大豆を使った新商品に、期待が膨らみます。

道の駅 ヘルシーテラス佐久南 4月5日 

ヘルシーテラス南佐久は中部横断自動車道佐久南インターチェンジ正面に2017年7月にオープンした「ゲートウエイ型道の駅です。「健康長寿」をキーワードとして、安全安心な野菜や健康長寿食を提供しています。
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国は地方創生の「拠点」として地域外から活力を呼ぶ「ゲートウェイ型」、地域の元気を創る「地域センター型」道の駅設置を支援しています(国土交通省『「道の駅」による地方創生拠点の形成』2014年8月)。

(1)ゲートウェイ型 ~地域外から活力を呼ぶ「道の駅」~
  ①インバウンド観光「道の駅」
    a) 多言語に対応した案内など、外国人観光案内所認定の取得
    b) 地酒やお菓子など、地域の特産品を免税で購入できる免税店の併設
    c) 外国発行クレジットカードの利用可能ATMの設置
    d) 無料公衆無線LAN環境の提供
    e) 電気自動車による周遊観光を可能とするEV充電設備の設置
   等により、インバウンド観光を促進する「道の駅」の提案
  ② 観光総合窓口「道の駅」
    a) 観光協会等と連携した地域全体の観光案内機能
    b) 宿泊予約やツアー手配のための旅行業の登録
    c) 単なる物見遊山にとどまらない、史実・文化など知的好奇心を刺激する機会の提供
    d) 地域資源を活かした体験・交流機会の提供
   等により、地域の観光総合窓口となる「道の駅」の提案
  ③ 地方移住等促進「道の駅」
    a) 空き家情報や就労情報など、地方移住に必要な情報のワンストップ提供
    b) 若者に地域の魅力を体験する機会の提供
    c) 運営スタッフの公募等による雇用機会の創出
    d) ふるさと納税に関する情報提供
   等により、地方移住・ふるさと納税推進に貢献する「道の駅」の提案
(2)地域センター型 ~地域の元気を創る「道の駅」~
  ① 産業振興「道の駅」
    a) 地域の特産品によるオリジナル商品開発、ブランド化
    b) 直接的な雇用に加え、地元生産者からの調達による雇用の創出
    c) 地元農林水産物を活用した6次産業化のための加工施設や直販所の設置
   等により、地域の特産品を活かした産業振興「道の駅」の提案
  ② 地域福祉「道の駅」
    a) 診療所、役場機能など、住民サービスのワンストップ提供
    b) 高齢者への宅配サービス
    c) 健康、バリアフリーに配慮した高齢者向け住宅の併設
    d) 地域公共交通ネットワークの乗継拠点
    e) SS(サービスステーション)過疎地における石油製品の供給拠点機能
   等により、安全安心な住民サービスを提供する地域福祉「道の駅」の提案
  ③ 防災「道の駅」
    a) 自衛隊、警察、消防等の広域支援部隊が参集する後方支援拠点機能
    b) 地場産品の取扱や燃料保有、非常電源装置等によるバックアップ機能
    c) 平時からの防災啓発教育のため、既往災害等の情報発信
    等により、災害時に高度な防災機能を発揮する「道の駅」の提案
         (「道の駅」による地方創生拠点の形成に関する企画提案について
※山本祐子・岡本義行「道の駅による地方創生拠点の形成」(法政大学地域研究センター『地域イノベーション』9号、2017年3月) 
※山本祐子・岡本義行「全国「道の駅」のアンケート調査報告書」(法政大学地域研究センター『地域イノベーション』6号、2014年3月)
※千葉県香取郡神崎町の道の駅「発酵の里こうざき」はゲートウェイ型。

塩本の棚田(長野市信州新町) 7月11日

長野市信州新町竹房にある塩本の棚田を訪れました。日本の棚田百選の一つで、犀川の流れや北アルプスの景色を眺めることができる場所にあります。
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地すべり地帯にあり、集水井工の施設がありました。
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集水井工(しゅうすいせいこう)は、縦穴をほり、深いところの地下水を井戸に集めたのち排除して地すべりを防止する工法です。









芦ノ尻道祖神 7月11日

長野市大岡丙にある芦ノ尻道祖神です。道祖神と彫られた石碑にワラをまいて作られています。
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『たくさんのふしぎ』2014年1月号「村を守るワラのお人形さま」(宗形慧 文・写真)に登場しています。
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※「道祖神祭り」は東松山地域では「フセギ」にあたります。東松山市のフセギについては、きらめき市民大学郷土学部Aグループ2011年度レポート「残そう東松山の民俗行事 “防ぎ”の調査と記録」に市内高坂地区と石橋地区のフセギについてまとめられています。「フセギ 東松山市」で、検索すればこのほか多くの記事を見つけることができます。

望月のフセギ行事について
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  (望月会館前案内板)

原田沖の棚田(長野市大岡丙) 7月11日 

原田沖棚田(長野市大岡丙)は県道12号線の下にある棚田です。電気柵に囲まれ、耕作放棄された田んぼもありました。1999年7月、農林水産省に認定された「日本の棚田百選」(日本全国117市町村、134地区)の一つです。
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長野市地域おこし協力隊ブログ』に「棚田って意外と写真を撮るのが難しいんですね。近くで見ようと下っていくと、平坦に見えてしまうので、上から見下ろせる場所を見つけてください。電柱や木などが手前に入ってしまうことも多く、そういう障害物が写らない角度を探すのが大変ですが、よいポイントを探すのも楽しいです。」とありますがその通りですね。

「沖」という地名:松本市の島田地区では、「村内地字三九件のうちそのほとんどが高綱沖・中沢沖など沖がつく」、薪村地区では、「地字は本郷沖・芝沢沖などの沖地名二一件」ある(『日本歴史地名大系』)そうですが、沖とはどのような意味があるのでしょうか。

粉豆腐 7月11日

道の駅あおきで売っていました。凍み豆腐(しみどうふ、高野豆腐)を作る際に出る割れた物や形状不良を粉にしたものです。信州では昔から食べていたそうです。
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「雪豆腐」は飯田市の株式会社信濃雪製造です。

半過岩鼻の崖 7月11日

千曲川左岸に100メートルも切り立ってそびえている大きな崖と千曲川の側方浸食によってえぐられた大きな穴があります。上田市大字小泉(旧小泉村下半過)にある半過岩鼻(はんがいわばな)です。
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1)「上田市誌自然編(1)『上田の地質と土壌』(2002年)の「第1章上田の地質」にその地質学的解説があります。
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2)かつて岩鼻より上流の小県郡(ちいさがたぐん)から南佐久郡にかけては大きな湖(海)があり、現在も残っている地名として湖の北端の「塩尻」(潮尻)、南端にあたる「海の口・海尻・海瀬」などがある。岩鼻は唐猫に追われた鼡(ねずみ)がかみ切ってできたもので、湖の水が北方へ流れ出してできたのが今の千曲川の流れ、塩田平や佐久平は湖底だったなど、さまざまな伝説が残っています(上田市誌民俗編(4)『昔語りや伝説と方言』(2003年)等)。
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※異説:「小海町」の名前の由来(小海町HP
 ……仁和3年(887年)あるいは仁和4年(888年)に起きたとされる八ヶ岳(天狗岳)の水蒸気爆発による大崩落によって千曲川の下の深山(現在の八那池洞門付近)が泥流によってせき止められ、海の口から、海尻にかけて大きな湖ができました。この時土村の除ヶ付近(現在の小海小学校付近)の相木川もせき止められ、相木の入口までの湖ができました(相木湖と呼ばれていた)。

海ノ口の湖水は寛弘8年(1011年)に決壊して無くなりましたが、相木湖はその後も残ったらしく、天正初期(1572年頃)古絵図にも記入されていますので、鎌倉時代の中頃(1300年頃)まであったと思われます。これが当時ここに入って来た人達によって「小海」と名付けられたものが小海の名前の起源と言われています。

【歴史、地理の自習の時間】 海なし県、長野県のJR小海線の「小海」の意味。
(←『ブログ高知』)佐久海ノ口駅。 海尻駅。小海駅。海瀬駅。


3)崖の上にある千曲公園からは、千曲川を中心に上田市全体が見渡せます。このあたりは千曲川の中流域にあたり多様な生きものの生息環境(すみ場)をそなえた川原が発達しています。岩鼻の崖には猛禽類のチョウゲンボウやハヤブサが営巣し、川原やまわりの田んぼ、堤防の法面、畑や水田、林縁をえさ場にして子育てしています。
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川原 この日本的な風景
   桜井善雄『水辺の環境学3 生きものの水辺』(新日本出版社、1998年)90頁
 地質構造が若く、急峻な山地からの石礫や土砂の供給が多いわが国の多くの河川では、それらが堆積する中・下流部の河道に広い川原が形成されるのは自然の成り行きであり、川原の存在は、日本の川の自然環境を考える時に忘れてはならない特徴的な要素である。
 さて川原は英語で“dry river bed”といわれるように、平水時や低水時には陸の一部のように見えても、本質的には水が流れる河床の一部である。
 自然の川の特性である流量の変動、とくに洪水によってもたらされる堆積と浸食の程度と頻度が、流路の中の場所によって、不均等に起こるのは当然である。そのため、低水時に水面の上に現れている川原の地表には、全くの石ころだらけの部分から、生育場所の乾湿、草丈の長短などさまざまな草本群落や、低木、亜高木の群落まで、多様な植生がみられる。そして、自然の原因による流量変動が続く限り、このような植生は極相に向かって一方的に遷移することなく、たえず退行と回復をくり返しているのである。
 このような川原は、まことに「日本的」とでもいえるような「移ろいの風景」を、もともとそなえている場所なのである。
激しく変わる川原の植物
   上田市誌自然編(3)『上田の動物と植物』(2001年)の第2章第3節5千曲川の植物(池田登志男)
 川原は砂や大小さまざまな石が多く、昔は洪水が出るたびに地形や水の流れが変わるので、植物も安定して育つことができませんでした。ですから、そういう所にも強いカワラヨモギやオオマツヨイグサなど限られた植物が多く見られました。
 河川の護岸工事や山地の植林が充実してきた現在は、洪水も少なくなり、川原の陸地化が進んできて、さまざまな植物が育つようになりました。各地にニセアカシヤやヤナギ類の林ができたり、畑や野球場・マレットゴルフ場も作られています。
 このように陸地化してきた場所もありますが、場所によっては水の流れや地形が絶えず変化し、生えている植物が変わっている所もあります。
 昔、川原一面に黄色い花を咲かせたオオマツヨイグサは消えて、それよりも花の小さいメマツヨイグサに替わりました。また黄色いじゅうたんを敷いたように見えるアブラナ科のハルザキヤマガラシ、場所によってはアレチウリやクワモドキの群生地も見られます。
 洪水によって植物が流され、その後に再び生え、また洪水で消える。こうしたことが繰り返されてきた川原こそ自然の姿で、陸地化し安定してきている現在の川原は、人間の力で作られた人工的な川原といえます。

上田 道と川の駅 おとぎの里 7月11日

千曲川左岸に100メートルも切り立ってそびえている大きな崖とえぐるようにあいた大きな穴にひかれて、「上田 道と川の駅 おとぎの里」に寄りました。
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「上田 道と川の駅」は、『道の駅』Vol.18(2016年夏号)で紹介されていました。
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……道の駅に登録されてからオープンまでなんと、12年!様々な紆余曲折がありました。建物すら無いところから始まって、ようやく食堂まで完成したのも2年前。その間、地元の人々が自ら動いて一つ一つ作り上げてきた道の駅です。……

『おとぎの里』のリーフレットのウラ表紙に沿革が書かれていました。
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     1998年4月17日 道の駅登録
     1998年6月11日 川の駅登録
     2002年4月1日  上田水辺プラザ施設供用開始
    [ 2010年4月1日  全国ではじめての“道と川の駅”としてオープン]
     2010年8月1日  おとぎの里飲食・物販開始
     2013年5月23日 飲食・物販施設開始
     2014年3月27日 河川協力団体指定
1998年に「道の駅」「川の駅」に登録されて2010年に飲食・物販開始までの12年間の「紆余曲折」は、2001年、『脱ダム宣言』の田中康夫県知事のもとでおこなわれた公共事業の見直しが契機となったようです。詳細はわかりません。

現在、おとぎの里の事業は、地域の皆さんが会員となって「持続可能な豊かな地域づくり」を目指して部会に分かれて活動を展開しています。安全・安心部会、あとりえ部会、ふるさと部会、農林水産物部会、あきない部会、企画・プロモーション部会、てらこや部会、食品部会の8部会です。

おとぎの里のめあて

■「コミュニティービジネス方式」により、収益事業とそれに支えられる公益事業の展開し“新たな公共の場づくり”を目指しています。
■“地域性・社会性+事業性・自立性”を伴った「地域事業」を展開しています。
■民(産)・学・官の連携と協働を推進しています。
■市民が主体となり、特徴ある持続可能な“豊かな地域社会の創造”を目指しています。

※参考:公共事業の見直し 小さく生んで大きく育てられる公共事業
        岩波ブックレット№589『市民がつくる公共事業』2003年)9~10頁
田中 札幌についで長野市もオリンピックを行いましたが、やったあとに「宴のあと」の悲しさを痛感してしまいました。かつて長野市は東京から時間的にはたいへん遠い県庁所在地でした。東京駅ではなく、上野駅から特急に乗って軽井沢へ行くまでには碓氷峠(うすいとうげ)を、かつてはアプト式というギザギザの電気機関車をつないで長野市まで三時間もかかっていました。四国や九州の県庁所在地は羽田から二時間で行けてしまう。けれども、現在新幹線ができて東京から長野市までは最短一時間二五分で行けます。これによって何がおきたかというと、ビジネスで来た人たちが日帰りで帰るようになってしまいました。観光客についても、もともと長野県というのは他の都道府県がお金を出しても買えないような軽井沢や上高地という得難い財産がありましたが、これを所与のものとして、県民があまりその貴重さを把握していなかったわけです。長野県民というのは生糸から精密機械を経てIT関連産業に、というように、議論をして物をつくるのは非常に得意なんですが、それをいかに営業したり接客したりするかということについては少なからず不得手な県民でございまして、気がついたらお客が来なくなっていたということです。みんな草津の温泉に泊まって志賀高原へバスで降りてきて、あとは善光寺を拝観してー最近では「拝観料」が無料なので県庁一階のガラス張りの知事室もご覧になって知事の名刺を一枚受け取ってお帰りになる方も多いのですがー、その多くの方が夕方の一六時台の新幹線に乗って東京に帰って、東京でご飯を食べるようになってしまいました。 このようなことを経て長野県の人たちは、バイパスができてしまうと「道の駅」には人が来るかもしれないが、自分たちの集落の商店街は空洞化してしまうことを感じたわけです。それはまさに物質主義から脱物質主義への転換だということです。脱物質主義の世の中といっても、これは一言では言えないわけです。橋やトンネルを造るというのは目に見えるものですから、お金をそこにかければ確かにできます。でも「豊かさ」は、そのことによってはどうももたらされない。……

フォッサマグナ発想の地(長野県南牧村平沢) 5月8日

佐久市から野辺山高原を訪れました。たまたま立ち寄った南牧村歴史民俗資料館の展示と『南牧村の地質』(南牧文庫、南牧村教育委員会発行)から飯盛山近くの「しし岩」がある平沢が、ドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンがフォッサマグナの発想を得た場所であることを知りました。ナウマン象は、日本の化石長鼻類研究の草分けでもあったナウマンにちなんで名付けられた和名です。
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しし岩展望台からは八ヶ岳や南アルプスの山々が一望でき、近くには国立天文台宇宙電波観測所もあります。

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※ナウマンについては、ウィキペディアの「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」の項の外部リンクにある山下昇氏が1990年から93年にかけて『地質学雑誌』に連載した「ナウマンの日本地質への貢献」が詳しいです。

※フォッサマグナについては、山下昇編著『フォッサマグナ』(東海大学出版会,1995年)。
 山下昇編著『フォッサマグナ』目次
  はじめに-問題は何か?
  序章 フォッサマグナとは何か
  1章 フォッサマグナの西縁、糸魚川-静岡構造線
   (1) 太平洋から日本海への横断路
   (2) 糸静線の概要
   (3) 姫川地域
   (4) 松本盆地
   (5) 宮川~釜無川地域
   (6) 駒ヶ岳山麓~早川地域
   (7) 静岡地域
  2章 フォッサマグナの東縁、直江津-平塚線
   (1) 東縁を追跡すると
   (2) 実在しない東縁断層
   (3) 東北日本の南限
   (4) 東北日本と西南日本の境界地域
   (5) 復元できない東縁
   (6) それでもフォッサマグナは存在する
   (7) フォッサマグナの定義
  3章 古期岩層-フォッサマグナ以前の岩層
   1. 西南日本の古期岩層
   (1) 帯状に延びた構造
   (2) 飛騨帯-ユーラシア大陸の断片
   (3) 飛騨外縁帯-日本最古の化石を含む混沌地帯
   (4) 美濃帯-プレートの沈みこみと付加作用
   (5) 領家帯-変成された美濃帯と花こう岩類
   (6) 中生代後期~新生代前期の花こう岩類と火山噴出物
   (7) 三波川帯-白亜紀の高圧変成帯
   (8) 秩父帯
   (9) 四万十帯-白亜紀と古第三紀の付加体
   2. 東北日本の古期岩層
   (1) 帯状構造とその意味
   (2) 各帯の特徴
   3. 信越-房豆地区の古期岩層
   (1) 関東山地
   (2) 嶺岡帯その他
  4章 中期岩層-フォッサマグナの発生と発展
   (1) 直前の状態-海岸山脈であった日本
   (2) 中期=フォッサマグナ時代の概要
   (3) フォッサマグナの地質区区分
   (4) 中期の時代区分
   (5) 第1期:フォッサマグナの始まり
        2500万年前~1700万年前(中新世前期)
   (6) 第2期:海底火山活動の始まり
        1700万年前~1500万年前(中新世前期末~中期初頭)
   (7) 第3期:海の拡大と第一次古代日本アルプス
        1500万年前~1150万年前(中新世中期)
   (8) 第4期:隆起の拡大と石英閃緑石の貫入
        1150万年前~600万年前(中新世後期)
   (9) 北部フォッサマグナの第5期:糸静線の始まり
        600万年~70万年前(中新世後期末~更新世前期)
   (10) シンシュウゾウとアケボノゾウ:氾濫する礫岩
   (11) 南部フォッサマグナの第5期
        600万年~70万年前(中新世紀後末期~更新世前期)
   (12) 伊豆半島の中期岩層 
  5章 大峰面-中期と新期の境界面
   (1) 大峰面とは?
   (2) 中期の終わり,新期の始まり
   (3) 大峰面の隆起
  6章 新期岩層-フォッサマグナの変容
   (1) 新期の特徴
   (2) 沈降する越後平野
   (3) 十日町盆地
   (4) 長野盆地
   (5) 生坂村の平坦面群
   (6) 安曇野-松本盆地北部
   (7) 筑摩野-松本盆地南部
   (8) 坂下町の段丘群
   (9) 濃尾平野
  7章 新期の火山
   (1) フォッサマグナと周辺の火山の概要
   (2) “乗鞍火山帯”の火山
   (3) “那須-鳥海火山帯”の火山
   (4) 北部フォッサマグナの火山
   (5) 南部フォッサマグナの火山
   (6) フォッサマグナ中央部の火山
  8章 フォッサマグナの温泉と地下資源
   (1) フォッサマグナと温泉
   (2) フォッサマグナと地下資源
  9章 フォッサマグナと人類
   (1) 人類の時代
   (2) 野尻湖の発掘
   (3) フォッサマグナ地域の遺跡
   (4) ナイフ形石器文化-3万年前~1万4000年前
   (5) フォッサマグナは石材の産地
   (6) 細石器文化-1万4000年前~1万3000年前
  10章  フォッサマグナの成因
   (1) ナウマンのフォッサマグナ成因説
   (2) 1930年代から1940 年代のフォッサマグナ成因説
   (3) 新しい地球科学の発展
   (4) 七島山脈
   (5) 関東平野の地下構造と柏崎-千葉構造線
   (6) 七島弧の本州弧横断
   (7) 島弧交差の諸相
   (8) 交差地域の構造の総括
   (9) 残る諸問題
  11章 ナウマン小伝
   (1) 悪意にみちたナウマン評
   (2) 大学を出るまで(0歳~20歳)
   (3) 日本滞在の10年(20歳~30歳)
   (4) ミュンヘン時代(31歳~44歳)
   (5) フランクフルト時代(44歳~72歳)
  付録1 岩石の古さ
   (1) どちらが先か?
   (2) 地層は「時」の系列を示す
   (3) 生物の進化現象を時間のものさしとした
   (4) 放射線元素の崩壊を利用して年数を測る
   (5) 地磁気の南北は逆転を繰り返した
   (6) 火山灰層は特定の時間を示す
   (7) さまざまな方法を組み合わせる
  付録2 用語解説

 『地学雑誌』104巻3号(1995年)に掲載されている有田忠雄さんの書評があります。

『フォッサマグナ』序章「フォッサマグナとは何か」(山下昇)
  フォッサマグナの位置
 フォッサマグナは、日本列島の中央部を横断して、日本海から太平洋へ突き抜けている細長い地帯である。そこには妙高山・八ヶ岳・富士山・箱根山・天城山など、たくさんの果山が日本列島を横断して南北に並んでいる。
 フォッサマグナの西縁は糸魚川(いといがわ)-静岡構造線という名の大断層である。略して糸静線(いとしずせん)という。……
 フォッサマグナの東縁には名前がない。そこで、仮に直江津(なおえつ)-平塚線(ひらつかせん)と呼ぶことにする。直江津は日本海岸の上越市の一部であり、平塚市は太平洋岸の街である。

  フォッサマグナの発見者、ナウマン博士
 フォッサマグナを発見し、命名したのはドイツ人地質家のエドムント・ナウマン博士(Edmund Naumann, 1854-1927)である。それは今から100年あまり前の1880年代から90年代にかけてのことであった。
 ナウマンは1875年(明治8)、20歳のときに日本に来た。以後10年間日本に滞在し、最初は開成学校から東京大学の教授、後半は地質調査所の所長格の技師長をつとめた。この間、日本国内を1万㎞も旅行した。
 フォッサマグナには3回旅行したと彼は書いている。第1回は日本に来て3ヵ月もたたない1875年11月のことであった。中山道から碓氷峠を越えて長野県に入り、南へ千曲川をさかのぼり、野辺山原(のべやまはら)を越えて平沢(ひらさわ)という小さい村に泊まった。嵐の一夜を過ごした翌日、11月13日の朝のこと、目の前には赤石(あかいし)山地北東縁の急崖がつらなり、左手には富士山が高く大きくそびえていた【実際には平沢の集落からは富士山は見えないそうです(引用者)。】。その印象はまことに強烈であったと彼は言っている。これが、ナウマンにとってフォッサマグナとの最初の出会いであった。

  フォッサマグナは大きな溝
 フォッサマグナはラテン語のFossa Magnaである。Fossaは溝、Magnaは大きいという意味である。だから、日本語にすれば「大きな溝」である。初めはドイツ語でグローセルグラーベンGrosser Grabenと名付けられたが、これも意味は同じである。
 富士山をはじめ高い山々が並んでいるこの地域を溝と呼んだのは何故か、富士山も八ヶ岳も、ここに並んでいるたくさんの高い山は火山だからである。火山は地中から噴出した溶岩や火山灰が地表に積み重なって山となったものである。だから、それを取り除くと、そこの地面はずっと低くなる。

  フォッサマグナの岩石は2500万年前~70万年前の地層
 フォッサマグナの岩石は新第三紀から第四紀更新世の前期まで。すなわち2500万年前~70万年前に堆積した地層である。この地層は泥・砂・礫などが固まってできた岩石、すなわち泥岩・砂岩・礫岩と、火山灰や溶岩から成っている。
 そこで、2500万年前より前を「古期」、2500万年前から70万年前までを「中期」、70万年前から現在までを「新期」と呼ぶことにする。そして、そえぞれの時期に形成された岩石や地層を古期岩層・中期岩層・新期岩層と呼ぶ。したがって、この区分でいうとフォッサマグナの岩石は中期岩層である。

  フォッサマグナは衝突の産物
 ナウマンは、フォッサマグナの前方に七島山脈が存在していることに注目した。日本列島が大陸側から太平洋側へ水平に移動したとき、前面にある七島山脈に衝突し、赤石山地や関東山地が北へ曲げられたと主張し、水平移動の距離を120㎞と算定した。
 フォッサマグナの出来方に関するナウマンの説は、現代のフォッサマグナ成因論の先駆けであった。

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