里山再生


藪や樹林地と化した岩殿丘陵入山地区の谷津の耕作放棄地を「市民田んぼ」(ビオ水田、ビオ菜園、湿地・草地のビオトープ)として再生し、生きもの豊かな里山環境を維持することを目指して岩殿満喫クラブを2014年に結成し、今年は3年目を迎えました。今回の調査を維持・管理活動に活かしていくとともに、成果を市民と共有し、活動を拡げていきたいと思います。
※加倉井調査員の当日記事「岩殿満喫クラブ活動場所を歩きました」(ブログ『環感クラブ』)




※FaceBook『一宮ネイチャークラブ』
※根本正之編著『身近な自然の保全生態学 生物の多様性を知る』(培風館、2010年)「第8章生物多様性を自分で観察する知恵」(引用部分は渡辺守さん執筆)
.8.2.6 保護と保全管理
かつての「種の保護」という考え方は、絶滅の危機に瀕している種に限定され、とくに日本では「手を触れないこと」が保護であるとして、その種の生活史や生息環境の変動を無視した対策がとられることが多かった。極相に生息しているK-戦略者ならば「手を触れないこと」が保護になっても、遷移の途中相に生息している種では、「手を触れないこと」は遷移の進行を招いてその種にとっての生息環境を悪化させてしまい、保護をしたことにはならない。とくに里山景観に生息する種の多くは遷移の途中相を生息場所としているので、里山景観を維持するという「管理」が必須となる。このような視点で、生息環境の保護・保全・管理が考えられるようになったのは最近のことである。さらに、近年、絶滅危惧種や環境指標種のみを保護の対象にせず、いわゆる「普通種」の生息も保全すべきであると考えられるようになってきた。個々の種ではなく群集の視点が重要であることに気がついたからである。自然界における複雑な植物網が解明されればされるほど、どの種も生態系の構成要素のひとつであり、欠かすことのできないことも強調されてきた。したがって、あるひとつの種の生活史を取り出しても、その種を主体とした生態系の考え方から出発せねばならない。たとえばトンボのように水中と陸上の両方を生活場所としている場合、考えねばならない生態系は少なくとも2種類はあるので、「複合生態系」あるいは「景観」という概念が必要となる。
トンボの成虫は、水田をはじめとするさまざまな場所を飛び回りながら小昆虫を捕らえており、それらの多くが害虫であると思われたため、トンボは益虫と認識されてきた。確かに、蚊や蠅、ブユなどをトンボの成虫は食べるが、これらの餌すべてが害虫とは限らない。もっとも現在の日本では、これら「見ず知らずの虫たち」は「不快昆虫」と名付けられているので、そのような立場からトンボは益虫という地位を保つことができる。しかし、生態系の中での食う-食われるの関係を思い起こせば、トンボの餌になる小昆虫は、トンボの個体数よりもはるかに多量に存在せねばならないのは自明である。とすれば、益虫のトンボがたくさん生息する場所には、それを上回る数の不快昆虫や害虫がそこに生息していてもらわねばならないのである。トンボ池を作って「自然を呼び戻す」運動が、そこまでの覚悟をもっているようには思えない。(185~186頁)
8.2.7 啓発
近年、自然環境の保全を求める社会情勢で、全国的に「ビオトープの創生」や「トンボのいる公園作り」などが盛んになってきた。しかし、これまでに報告されてきた多くの「ビオトープの創生」は、生態学の基礎知識が不足しているためか、主体とした種の生活空間の拡がりや植生環境を量的・質的に考慮してこなかった。高木層のみを植栽して下層植生を無視した「雑木林の創生」が何と多いことか。また、水を溜め、γ-戦略者の典型であるウスバキトンボがやってきただけで「トンボ池の成功」と信じてしまったり……。【以下略】(186頁)



※『実践ガイド 田園自然再生 よみがえる 自然・生命・農・地域』(企画:農村環境整備センター、監修:進士五十八、発行:農文協、2009年)の「谷津田の再生でよみがえる生きものたち」(100~104頁)、「放棄水田の再生に挑んだ高校生たちの青春物語」(219~221頁)、「谷津田再生」-農業土木部の挑戦-(『農業教育資料』57号、実教出版、2006年1月)、茂原樟陽高校の谷津田の再生・保全活動(『2009年度千葉県産業教育審議会専門部会報告書』「地域社会との連携」千葉県教育庁)


天井田区の田んぼ



三本入区の田んぼ



※桜宮自然公園基本計画(2001年11月)(桜宮自然公園HPより)
1.趣旨※ブログ『農を語る 自然にやさしい不耕起栽培』
私たちは、多古町染井字三本入、天井田地域に水田を所有し米づくりを行ってきましたが、農道の未整備や山間谷津田という悪い条件のために生産性が低く、休耕や減反をせざるを得なくなり、その上農道の入口付近はごみすて場と化し、現在農道は封鎖されており、水田は荒廃水田となってしまいました。
然しながら、この地域の自然景観はすばらしく、一般の観光地などには見られない「里山」としての風景を残している貴重な地域であります。
現在、八田バイパス沿いに産業廃棄物の中間処理場が企業によって計画され、その申請書が県に提出されています。その場所が私たちの地域に隣接しています。この貴重な自然景観を保存し、後世に継承することは、私たち「今を生きる者」の重要な責務であると考えます。
この度水田の所有者全員で協議した結果、この地域を「自然公園」にして、広く住民の参加を募り水性植物や野草などを始め、かつて生存していたメダカ、昆虫、トンボ、ホタル等によってこの地域の自然環境を再生し、住民の憩いの地として行くことで意見の一致をみました。このことは「環境の世紀」と云われる21世紀に於いて、非常に意義深いことと思います。
本会の活動は、上記の趣旨を広く多くの人に理解して頂き、下記の「活動の基本方針」を、行政の指導と援助を頂きながらその実現に努める事により、自然豊かな個性的なまちづくりの一助となることを目的とします。
以上は、多古町が平成12年度に策定した「多古町総合計画」にも添うものであると確信します。
2.活動の基本方針
1) この活動を進めるために必要な道路の整備を、既設農道の改良などにより行う。
2) 水田の草刈などを行い、そこに水性植物や草花等を植えること等により、荒廃した自然環境の復元をはかる。
3) 同地域には、八田バイパスに歩道の施設が整備されて居り、桜並木等の景観も有ります。これ等と本計画を総合的に考え、さらに散策道を多方向に延長するなどにより、多くの地域住民が利用し、活用できるものにする。
4) 谷津田の両側の山林については、里山の景観の維持、保全のため所有者と話し合い、下草刈等の管理協定を結ぶ。
5) 一般利用者の便を図るために駐車場、トイレ、水道、ベンチ他等の施設を設け、利用目的の多角化を目指す。
6) この活動は「住民参加型」で進めることにより、より多くの人に「自然環境保護」の大切さの理解を深めて頂く。
7) 以上の活動を推進するにあたり、多方面に渡る行政の指導と力添えを御願いして行く。


市民の森保全クラブの作業リーダー渡部さんがチェンソー1本で仕上げました。昨年4月に製作したものが1年でかなり傷んでしまい新調しましたが、このテーブルとベンチも雨ざらしなので1年後はと考えるともったいない。
今年から囲いをして育てているワラビが気がつくとごっそりなくなっているのはやはり(生えているのではなく手を加えているので)残念ですが、林道沿いにC地区まで散策していらっしゃったらベンチに座ってご一服ください。






しろい環境塾は下手賀沼の南にある白井市平塚地区を拠点に活動するNPO法人です。夕方、到着したので、関係者からお話しは聴けませんでしたが、2003年に本校の白井市立第二小学校に統合された平塚分校の敷地内に事務所があり、近くにベースキャンプがあります。管理する樹林地8.4ヘクタール、復元農地3.6ヘクタール、正会員100名という大きな団体です。



※「NPO法人しろい環境塾」(白井市HP市民活動団体紹介より)
※「NPO法人しろ環境塾の活動を紹介します」(ブログ『池ちゃんと印旛沼』より)

日本自然学習実践センターは生態系保全等を目的として設置された約2.6haのビオトープです。大池いこいの森ビジターセンターから徒歩10分、ほくほく線大池いこいの森駅から徒歩1分のところにあります。2002年度に開設されました。ビオトープ施工については、養父志乃夫『ビオトープ再生技術入門』(農文協、2006年)第1部自然再生工法の基礎知識第Ⅱ章自然再生工事の進め方、第Ⅲ章小構造の施工と育成・維持管理に詳しく書かれています。








玄僧田んぼにはほくほく線大池いこいの森駅から車で10分位で行けます。ホタルの名所、上越市頸城区玄僧の山あいの沢の田んぼ(谷戸田)の源頭部にある10aほどの田んぼです。養父志乃夫『田んぼビオトープ入門』(農文協、2005年)第2部実践から学ぶ田んぼビオトープづくり第5章市民主体に伝統的な稲作でつくった田んぼビオトープ -NPO法人「日本自然学習センター里やま学校」の実践-に詳しく書かれています。
第5章市民主体に伝統的な稲作でつくった田んぼビオトープ田んぼはこのあたりかなと見当をつけて道路端の田んぼで作業をしている高齢者に確かめると、運のいいことにその人が玄僧田んぼの持ち主で、いろいろとお話しが聴けましたした。このあたりはイノシシが出没するようになったのでワナや電気柵を設置しましたが効果がなく、2年前から沢の奥にある玄僧田んぼの作付けは止めてしまったとの事でした。放って置けば再度耕作放棄地になってしまいます。対策が急がれますが、それを担う市民がいるのでしょうか。
1荒廃した谷戸田を復元
(1)里やまに囲まれた立地環境
(2)田んぼビオトープづくりの契機
(3)復元作業前の生きもの調査
(4)荒廃した田んぼを修復復元
2伝統農法による稲作りの実際
(1)栽培計画
(2)品種はその地域の中生か晩生
(3)手植え苗の水苗代育苗
①水苗代の作り方(畦、温水路、温水田等の補修 用具の準備と苗代の設計 耕起 溝掘りと苗床つくり 苗床の代かき 施肥 苗床の整形 苗床の再整形 苗床固め 水苗代の水位調整 種まき前の湛水)
②種モミの塩水選・浸種・芽だし 塩水選 浸種 芽出し めだし種モミの保管
③種まきと苗代管理 種まき 鳥害防止ネットとヒエ抜き 田植え前の苗
(4)本田の準備
温水路、温水田等の補修 (草刈り 水路の泥上げ 取水口の補修) 耕起(荒起し) 畦塗り(畦切り 漏水穴の埋め込み 畦塗り) 施肥の施用と荒起し(堆肥・元肥の施用) 代かき(荒代かき 本代かき) スジ付け
(5)田植え
苗取り(苗取り 苗を束ねる 苗の運搬) 田植え(1株2~3本ずつ分ける 浅植え)
(6)除草
手取り・除草機による除草(段取り 1回目の除草 2回目の手取り除草 3回目の草取り) そのほかの除草法(深水除草 米ぬか除草 ウキクサ除草)
(7)見回り・水管理・追肥
見回り 水管理 追肥
(8)畦草刈りと防除
畦草刈り 病虫害の防除 イノシシの防御
(9)イネの生育と生きもの観察
田植え後1カ月 田植え後2カ月 田植え後3カ月 田植え後4カ月
(10)収穫
稲刈り・乾燥(稲刈り前の落水 刈り方 刈る高さ 刈り稲の結束 1束ずつ運ぶ 再度湛水 はざ架け乾燥) 脱穀・モミすり(脱穀 モミすり
(11)冬季管理
3頸城の田んぼビオトープに集まった生きものたち
【以下略】








桑園だった時期に肥料が多投されていたせいか、アズマネザサとそれにからまったツルの繁茂ぶりはすごいものがあり、刈払機の作業でも手を焼いてきました。
「試行錯誤の結果、まずササの根本をできるだけ広範囲に刈払機で一気に刈り、そのあとササを覆っているツルを鎌で切り取ってササを引き抜けるようしにし、引き抜いたササを脇に積み上げていくという作業の繰り返しが一番効率のよいアズマネザサの処理の仕方。一人で作業をする場合は、刈払機の操作時間が断続的で短時間なため、白蠟病対策になる。グループでする場合には分業して、刈払機の扱いになれた人がまず機械でササの根元を切っていき、ツルの片づけと刈ったササを集める作業は刈払機を扱えないひとがするようにすれば、みんなで一緒に働きながら効率よくササの刈り取り作業が進む」というという須田さんの提言を、岩殿F地区の耕作放棄地のアズマネザサの藪の刈払いで試してみます。
刈払機の振動は防振手袋をつけて操作していても相当なものです。操作時間を短くしてと思っていてもついついタングの燃料がなくなるまでしてしまいがちですから、間に手作業を入れていくという方法は身体によいと思います。
須田さんの使った小型の鎌が物置においてあります。鎌もいろいろ試して使いやすいものを見つけましょう。須田さん、お疲れさまでした。

開講前の実習地。今日の作業はどの位できるでしょうか。

刈払機経験者は、購入した刈払機3台とバイザー、イヤマフ付ヘルメット3個の組立て。

6名の学生は3班に分かれて、澤田さん、小松﨑さん、須田さんがていねいにと刈払機操作を指導。



刈払機に慣れている峯岸さん、片桐さんは藪や傾斜地の草刈り。


市民の森保全クラブから応援に来てくれた鷲巣さんは昨日からの無名沼イ号に向けて、親指大になったアズマネザサを鎌で刈り取り。

お昼は、細川さんの作ってくれたけんちん汁と須田ゼミ手製のキムチをおいしくいただきました。

午後は2班が実習地の草刈りを体験し、3日間の里山再生ボランティア養成講座を終了しました。


とき:12月6日(日)午前9時~午後4時
12日(土)、13日(日)午前9時30分~午後3時
ところ:岩殿会館、市民の森隣接の遊休農地
内容:刈払機取扱作業者安全衛生教育と2日間の実習
定員:10人
費用:6,000円(学割あり)
問合せ・申込み:岩殿満喫クラブ(090-8592-1938)
この講座は公益財団法人サイサン環境基金の助成を受けて実施します

1.12月6日(日曜日、岩殿会館)の刈払機取扱作業者安全衛生教育(講師:高橋昭夫さん、寄居町にあるヤングリーブズ・ログ・ホーム代表)は、刈払機作業の安全を確保し、かつ、刈払機取扱作業者に対する振動障害を防止すること等を目的とした学科5時間、実技1時間の講習です。
学科教育は、
①刈払機に関する知識(刈払機の構造及び機能の概要、刈払機の選定) 1.0時間
②刈払機を使用する作業に関する知識(作業計画の作成等、刈払機の取扱い、作業の方法)1.0時間
③刈払機の点検及び整備に関する知識(刈払機の点検・整備、刈払機の目立て)0.5時間
④振動障害及びその予防に関する知識(振動障害の原因及び症状、振動障害の予防措置)2.0時間
⑤関係法令(労働安全衛生関係法令中の関係条項及び関係通達中の関係事項等)0.5時間
実技教育は、
①刈払機の作業等(刈払機の取扱い、作業の方法、刈払機の点検、整備の方法等)1.0時間
です。これを修了していないと、国、地方公共団体等発注の道路、河川等の刈払い作業を行うことはできません。本講座修了者には「労働安全衛生特別教育修了証」をお渡しします。
2.12月12日(土曜日)、13日(日曜日)の2日間の実習は市民の森に隣接した岩殿C地区と遊休農地で行います。受講者をグループに分けて、岩殿満喫クラブと市民の森保全クラブ会員が刈払機の取扱い方について、ていねいに指導します。
12日は、里山・谷津田再生、岩殿市民田んぼ事業について学び、刈払機の基本的な取扱い方を実習します。刈払機の連続操作時間は30分以内とします。
①里山再生・谷津田再生、岩殿市民田んぼ事業について解説 0.5時間
②刈払機の種類と構造(各部の名称、安全装置の機能と点検)、刈払機の準備(刈刃の取り付け、燃料の準備、ハーネスの装備と位置の調整)1.0時間
③刈払機の操作(刈払機のエンジン始動と運転、停止)1.0時間
④刈払機の作業(平地)1.5時間
13日は、前日に続いて刈払機の基本的な取り扱い方の実習と現場周辺の里山・里地の見学をします。
①刈払機の点検、整備 0.5時間
②刈払機の作業(平地・傾斜地)1.0時間
③刈払機作業のヒヤリ・ハット点検(上下作業・近接作業の禁止など)0.5時間
④現場周辺見学(ボッシュ林・市民の森保全クラブ作業エリア・岩殿A・B地区)1.0時間
⑤2日間の刈払作業の片づけ 1.0時間
⑥3日間の講習会ふり返り、 里山・谷津田再生活動への継続参加呼びかけ 0.5時間
です。
岩殿満喫クラブは、耕作放棄された谷津田を「岩殿市民田んぼ」として再生して市民の利用に供し、長く維持・管理することを通じて生きもの豊かな里山景観の回復を目指しています。谷津田再生の第一歩である刈払機での下草・潅木の除去に必要な知識と作業の基本を学んだ受講者の皆さんが、岩殿満喫クラブのスタッフあるいはボランティアとして里山再生事業の担い手となってくださることを願っています。


全国植樹祭の植栽樹にクロマツが選ばれた理由は、上毛カルタの「ろ」の札の船津伝次平(ふなつでんじべい、1832-1898)が赤城山麓にクロマツを植林したことにあるようだ。

※自治研報告書集(第29回地方自治研究全国集会 「徳島市」2002年10月29日~31日)に「赤城山に造林されたマツについて(中間報告)」がある。
4.船津伝次平のマツの植林について富士見かるたの「め」の札は「明治の老農船津翁」。船津伝次平は上野国勢多(せた)郡原之郷(はらのごう)村(→富士見村)出身である。
(1)船津伝次平について
船津伝次平は、1832年に生まれ、1858年(27歳)で、名主となり、植林を行う、また、農業関係で数々の功績を残し、1898年(明治31年)に永眠した。
(2) 船津伝次平が植林した当時の森林の状態について
富士見村教育委員会「郷土の偉人船津伝次平」では、「当時、赤城の山頂から、南のふもと一帯は前橋藩、大胡藩などの138ヵ所村の入会地(共有地)のはぐさ場(草刈り場)でした。夏になると、ふもとの村の人たちは、馬を引いて、馬の飼料にする草刈りにいきました。それが堆肥の原料になりました。秋になると屋根ふき用の萱刈りをしたり、冬には草を焼いて肥料用の灰を集めました。また、来年よい草が茂るようにと、わざわざ野火をつける者もあり、毎日のように山火事があったので……略……このように山全体が草山でしたので、大雨が降りつづくと、白川などがあふれて大洪水となり、ひでりががつづくと、川の水が減って、田植えの出来ないような年がありました。」と、当時の状況を説明している。
(3)牧野和春著「森林を蘇らせた日本人」による赤城の植林の抜粋
船津伝次平は、1858年原之郷の名主に選ばれた。……(略)……伝次平は、水不足からの争いの愚かさを感じ、周囲の名主に呼びかけ、赤城山麓の植林の必要性を説いたのである。すなわち、白川の水源を確保するためには、広大な原野に植林し、涵養林としての機能を果たさせるしかないとの判断からである。彼は、各名主を説得し、前橋藩に届け出て許しを受け植林に着手した。……(略)……
松苗については、「造林功労者事績」によれば「伝次平の意見としては郷土付近の自然生苗を疎植せむとせしに、藩は東京西ヶ原より養成苗を運び来り密植し繁茂につれこれきる方法を用ひしめ着手より3年の日子を要して之を完成せり」と記述している。なお、東京とあるは、当時、まだ江戸のはずである。これに対し、「船津伝次平」(昭和58年、富士見村教育委員会刊)という小冊子によれば「苗木は特別に仕立てたものでなく、並木のそばの雑木林や、松の木の下に自然に生えたものを根に土をつけたまま堀とって運んだのですから、各村から労役に出た者の苦労は大変なものでした」とあり、食い違いが見られる。
植え方は、一反歩(約1,000平方メートル)あたり75本、苗木と苗木のあいだを十分にとった植え方が採用された。これは、従来どおり、まぐさ用の下草を刈り取りための余地を残したのである。
その結果、3年間かけて完成。芳賀、富士見、北橘、横野の村にまたがる400町歩(約400ヘクタール)の広大な植林が誕生し、白川の水源涵養林としての機能を果たすことになった。
(4)なぜクロマツを植林したのか?
1858年以後、数年で植栽されたマツは、現在、100年生以上になっているはずである。赤城白川を下流から上流に向け、クロマツを求めて歩いてみると、龍蔵寺町近くで約100年生のクロマツの伐根を1本発見できた。同様な太さの松が、周辺にあった。クロマツは、海岸に多いマツで内陸には少ない樹種である。なぜ、船津伝次平は、クロマツを植えたのであろうか?
既に記したように、牧野和春著「森林を蘇らせた日本人」では、
①植栽したクロマツは、江戸からクロマツの苗木を運んで植栽
②赤城参道には、クロマツの並木があったことから、その実生苗を堀取り植栽
の2説の記録が紹介されている。
植栽本数は、75本/1,000平方メートルなので、400haでは、75万本必要となり、3年間で植栽したので、1年間では、25万本の苗木が必要となる。25万本を、江戸から運ぶのも、実生で掘り取り、植栽するのも容易なことではない。また、マツは、早春に植栽しないと、活着が悪い樹種なので、3月から5月の2ヵ月間程度で植栽したものと推察できる。クロマツの苗木は、江戸から持って来たのか? 並木近くから掘り取ったのか? 本年度は、結論が出なかった。
県内でクロマツを捜すと、敷島公園や前橋城跡にクロマツの大木があることから、何かアカマツではなくクロマツを選択する意味が存在したはずである。この問題は、今後の検討課題とする。……

※群馬県以外でマツを県木に指定している県: 岩手県(ナンブアカマツ)、福井県(マツ)、島根県(クロマツ)、岡山県(アカマツ)、山口県(アカマツ)、愛媛県( マツ)、沖縄県(リュウキュウマツ) 。
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