『鳩ヶ谷市史 民俗編』(1988年8月)の記述です。現在、鳩ヶ谷市は埼玉県川口市に編入されています。下線、[ ]は引用者。

 除草(『鳩ヶ谷市史 民俗編』) 
  『鳩ヶ谷市史 民俗編』 1988年8月
   第2章 生産・生業
   第2節 農業 1 稲作 (1)摘田
 田の草取りは通常2回、丁寧な家は3回行い、1回目を一番草、2回目を二番草、3番目を三番草と称している。
 一番草は田植えが終わって10日から2週間ぐらいたったころに行うことが多かった。田植えの時期や田の農作業との関係で若干の前後はあるが、7月上・中旬に行い、土用の入りまでに一番草を終えた。この一番草は中耕を兼ね、カッパナシネボグシモトユルメなどともいって稲株の周りを手でかき、根を切るようにして稲の分けつを促した。
 田に水があり、土が軟らかければ手で除草できたが、場所によっては土が堅いところもあったので、このようなところではタコスリコスリマンガ)などと呼ばれる道具で株間をこすり、土を軟らかくしてから除草した。この一番草のときには、除草と共に稲の根付きが悪いところに、余分に植えておいた苗を補植したりもした。
 二番草は一番草を取ってから1週間から10日ぐらい後に取った。田の草取りは20日ごとに行えば良いといわれていたが、この時期は畑の草取りなど他の仕事も多く、仕事の手順が思うようにいかなかった。
 三番草を取れば収量が1反当り1俵は違うといわれたが、なかなか三番草までは手が回らない家が多かった。三番草を取る場合は、月遅れの8月7日の七夕のころまでに行った。
 田の草取りの道具としては、ハッタンコロガシタコスリマンガなどが用いられた。ハッタンコロガシは回転式の歯のついたもので、株間を1人で押しながら除草する。タコスリマンガは万能の一種で、歯の先端が内側に曲がっていて、株間を1人で引いたり押したりして用いた。大正時代ごろまではツメマンガもしようされたという。
 田の草取りも、昭和30年代ごろから次第に除草剤が使われるようになると、労働がきつかったので、手で取ることは行われなくなっていった。[30~32頁]

東温市文化財・収蔵資料データベース(愛媛県東温市教育委員会)
  大分類:[生産・生業]、中分類:[農耕(果樹・園芸などを含む)]、小分類:[管理用具/除草]
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