一般社団法人子供教育創造機構が2020年10月にリリースした動画学習サイト『小学生のためのSDGs』
【目標15】陸の豊かさを守ろう!
※世界森林資源評価(FRA)2015(『林野庁』サイトから)
※世界森林資源評価(FRA)2020(『林野庁』サイトから)
※こども環境白書2019(環境省、2019年1月)
市民の森保全クラブ Think Holistically, Conduct Eco-friendly Actions Locally
scene01 クワガタの世界に起きていることって?
今日のお話は、こん虫の王様ともいわれるクワガタについてです。今、このクワガタの世界にたいへんなことが起こり始めているのです。小島啓史さんは、子どものころから40年以上もクワガタをかいつづけているクワガタ研究家です。クワガタが森のどこにいるのか、とてもよく知っています。小島さんに案内してもらったのは4月の半ば。クワガタはこの時期、かれ木の中でたまごからかえって育ちます。実は、かれ木の中でクワガタが成長していくことが、森にとってとても役に立つのです。scene02 森が生まれかわるのに必要なクワガタ
たまごからかえったクワガタの幼虫は、まわりの木を食べます。食べた木はクワガタの体の中にいる微生物によって、空気にふくまれる窒素というものといっしょになり、とても栄養のあるウンチになります。これがさらにまわりの窒素とむすびついて、クワガタの巣は、栄養たっぷりのウンチでいっぱいになります。クワガタのいた木は、やがて土になります。そしてこの土で新しい木が成長し、森が生まれかわるのです。クワガタは森に必要な生きものなのです。scene03 毎年100万びきが輸入されている!
森にとって大切なクワガタ。でも、最近心配なことが起こっています。日本には、外国からいろいろなものが運ばれてきます。ずらりとならんだ黒いもの。実はこれ、生きているクワガタです。今、日本で大人気のクワガタは、毎年およそ100万びきが東南アジアなどから輸入されています。しかし、かう人のなかにはとちゅうで外に放してしまう人も出てきました。やがて、本来いるはずのない日本の森に、外国のクワガタが入っていくようになりました。scene04 外国産クワガタと日本産クワガタ
国立環境研究所では、外国から入ってきた生きものが日本の自然環境にあたえるえいきょうを調べています。外国産のクワガタを研究している五箇公一さんは、外国のクワガタと日本のクワガタはいっしょにくらすことはできないと考えています。「東南アジアなどからやってくるクワガタは体も大きく、力も強い。性格もあらいのです」。台湾のオオクワガタと日本のオオクワガタを同じ場所においてみます。すると、日本のオオクワガタはおさえこまれて動けなくなってしまいました。scene05 最後まで責任をもってかおう
小島さんは、外国のクワガタが森に入ることで、日本の自然に悪いえいきょうが出るのではないかと考えています。「地元でつかまえたものをもとのところに帰してやるのならいいのですが、フィリピンとかアフリカからつれてきたものを日本で放してしまうと、地元にもともといた日本産のクワガタやカブトムシを全部追いはらって、そこをひとりじめしてしまうかもしれません」。自分でかった生きものは最後まで責任をもってかいましょう、ということだと小島さんは言います。scene06 ペットとして輸入された動物が…
実はもう、日本の自然をあらしている外国の動物がいます。本来、北アメリカにすんでいるアライグマです。今から30年ほど前、アライグマを主人公にした本やテレビアニメが日本でブームになると、アライグマはたちまち人気者になり、ペットとしてたくさん輸入されました。しかしアライグマは成長すると気があらく、凶暴になります。かいつづけられなくなった人たちが森に放してしまうということが起き、すてられたアライグマが畑や民家をあらしたりするようになりました。scene07 日本の自然をあらしているアライグマ
山あいのゆたかな自然がのこる神奈川県横須賀市。金田正人さんは、このあたりの自然環境を長いあいだ観察しています。もともとこのあたりはイモリやサワガニ、トウキョウサンショウウオなどの動物がたくさんくらしていました。そうした動物がめっきり少なくなっています。「毎年ヤマアカガエルがたくさん集まってたまごをうんでいた場所も、全部アライグマにほりかえされて、たまごを見かけなくなってしまいました」。今、アライグマは各地でつかまえられています。scene08 ふえすぎないようにする方法をさぐる
北海道にある酪農学園大学には、一年に500頭以上のアライグマが送られてきます。そして、ここで処分されます。つかまえた場所を記録し、年れいを調べ、どの地域で子どもがたくさん生まれているかを調べます。的場さんはこうした研究を通して、アライグマがふえすぎないようにする方法をさぐっています。「ころしたくないという気持ち。でも日本の生態系を守るためにしなければいけないことなんだという気持ち。むじゅんした気持ちです」。scene09 悪いのはアライグマ?
アライグマが日本の自然におよぼすえいきょう。でもそれはアライグマのせいなのでしょうか。アライグマも、生きていくために畑に入ったり魚をとったりしているのです。すきで日本にやってきたわけではない。そう考えると、つれてこられたアライグマも被害者です。外国から日本にやってきた生きものは、植物も合わせると全部で83種もいます。ザリガニやカメのほとんどは外国から来たものになっています。日本の自然にえいきょうをあたえる外国の生きものたち。この問題を見て、みなさんはどう思いましたか。
『クワガタブーム』とは1990年代後半より始まった日本産オオクワガタ、外国産クワガタを中心とした飼育、販売のブームである。子供から大人までを巻き込み、一時はオオクワガタの大きさを巡って大型個体が高額で取り引きされるなどマスコミにも取り上げられ大きな話題となった。
概要:1990年代中頃、菌糸によるクワガタムシの幼虫飼育法が確立、ビンに入った幼虫の餌が流通し始めるとこれまで困難であった成虫を産卵させて再び次世代の成虫まで育てる累代飼育が手軽になり、一気にファン層が広がる。またこの方法は天然には存在しえない程の大型個体を生育する事が可能であり、それまでオオクワガタを筆頭に大型や採集困難であった種の生体が高額で取り引きされていたこともあり、投機目的も絡んでクワガタ飼育が一気に大ブームとなる。さらには植物防疫法の改正によりこれまで禁止されていた外国産クワガタ、カブトムシの輸入が解禁され外国産のクワガタが流通しはじめるとブームにさらに拍車をかけた。やがて飼育ノウハウの普及やショップの乱立により流通個体が増加し価格は沈静化、一時のブームは収まったが過剰な採集圧による自然での生育環境の破壊、ショップの過剰在庫や飼育に飽きた個体の自然への放虫による遺伝形質の混乱等の問題を残しながらも クワガタの累代飼育が趣味として定着する基盤となった。
2000年以降、急速に輸入量が増加して、一大飼育ブームを巻き起こした「外国産クワガタムシ」。現在でもその熱は冷めることなく、毎年夏休みになれば、ペットショップやデパートで、雌雄のペアが大量に販売されている。これほどまでにクワガタムシを愛する国民は、世界広しといえども、日本人だけである。しかし、この日本人のクワガタ愛好心が日本の、そして世界のクワガタの衰退を招く恐れがある。
●外国産クワガタムシの飼育ブーム●外来生物としてのクワガタムシ●人的な介在でもたらされた新たな雑種個体●原産地の生物多様性や経済にまで影響●日本人のクワガタムシ好きは日本人の固有性●「生き物」の輸入や売買は自然の法則の逸脱
第1章 「生物多様性」とは何か?
第2章 生物多様性が危ない
第3章 クワガタムシが語る生物多様性
デパートへ虫捕りに行く時代/クワガタムシの輸入解禁/外国のクワガタムシがやってきた!/クワガタムシのDNA/クワガタムシの家系図/ヒラタクワガタのフランケンシュタイン化? 雑種誕生/なぜ雑種が問題なのか?/外来生物法の登場/外国産クワガタムシの受難/日本人は世界一のクワガタムシ好き/日本人はなぜクワガタムシが好きか-里山クワガタ論/日本人と生物多様性
第4章 マルハナバチが語る生物多様性
第5章 ミジンコが語る生物多様性
第6章 ダニが語る生物多様性
ダニの多様性/ハダニの薬剤抵抗性/ハダニの遺伝的多様性/ハダニの海外旅行?/ハダニの進化的重要単位の危機!? 植物防疫システムの崩壊/クワガタのダニ/ダニCGの切手
第7章 カエルが語る生物多様性
カエルの病気/カエルツボカビ日本上陸?/カエルツボカビの起源は日本か?/日本産カエルツボカビのリスク評価/海を渡ったカエルツボカビ/感染症の流行にも生物多様性の撹乱がからむ/目に見えない生物多様性・寄生生物との共生/カエルの未来と人間の未来
この問題[外来種問題]を扱ったこれまでの書籍とは異なり、農業振興や新規の愛玩あるいは実験動物などの目的で日本に持ち込まれた動物群とそれに寄生する病原体が自然生態系のリスク因子となっているという主張である。見落とされがちであるが、プリオンやウイルスなど一部例外を除けば、多くの病原体もやはり生物なので、やはり外来種の範疇に入ると啓蒙している。評者も、爬虫類・鳥類・哺乳類などの動物とその蠕虫類との進化的な固有の歴史の中で醸成された宿主-寄生体関係が、外来種の介在で撹乱されつつあるという点を疫学という手法で追いかけているので、非常に参考になった。この手の研究は、基盤となる在来の寄生生物相を押さえるのが重要な鍵なのだが、時間も手間もかかる。その間、外来種がどんどん入り込み、何が在来なのか、それとも外来なのか決めがたい状況になった。そういった時間がかかる研究も、外来種問題がクローズアップされ一気に進行することもある。その実例が両生類のツボカビ類である(7章)。両生類保全という視点で急速に調査研究を展開していたら、なんと、外来病原体と信じられていたこの真菌が、実は日本列島で分岐した可能性があるという。このどんでん返しは驚嘆させられた。……(『生物科学』第63巻第3号、2012年)
FridaysForFuture(未来のための金曜日)は、2018年8月に当時15歳のグレタ・トゥーンベリが、気候変動に対する行動の欠如に抗議するために、一人でスウェーデンの国会前に座り込みをしたことをきっかけに始まった運動です。彼女のアクションは、多くの若者の共感を呼び、すぐさま世界的な広がりを見せました。この世界的なムーブメントに共感する若者は、ここ日本にもたくさんいました。2019年2月、日本でのFridaysForFutureの運動が東京から始まります。発足以来、学生たちを中心に、徐々に全国各地に活動が広がっています。(FFF Osakaサイトから)
・地球上で多数の生物が絶滅に瀕している現状を憂えた研究者らの問題意識から生まれた考え方。生物多様性の意義 (1)生態系サービス
・1992年にリオデジャネイロで開かれた「国連サミット」で、「生物多様性条約」が採択。生物多様性は「全ての生物の間の変異性を指すものとし、種内の多様性、種間の多様性、および生態系の多様性を含むものとする」と定義された。
・人間生活に必要不可欠の生態系サービス生物多様性の意義 (2)未発見・未確定の意義
1.供給サービス(有用な物質を生産する。)
2.調整サービス〈土地やその環境を安定化させる。)
3.文化的サービス(人間生活を文化的に豊かにする。)
→これらを維持する上で
生物多様性が健全な状態に保たれる必要がある。
・将来明らかにされ、利用されるかもしれない生物の価値や機能を、将来に向けてほぜんしておかなければならないという考え方。潜在的価値2.生物多様性の危機の現状
・遺伝(遺伝子)価値
・生物多様性保全の道義的(倫理的)重用性
・地球上の種の数:500万?~5000万?絶滅危惧の生物の例
・うち、記載済み175万種(環境省 2008)
・昆虫95万種、維管束植物27万種、鳥類9000種、
哺乳類6000種……(同上)
・未発見の種が多数あると考えられている。
(例UNEP(2011)は、未発見の種を含む総種数を焼く870万と推定。)
・スズメ(三上ほか、2009)生物多様性における「4つの危機」
個体数は2005年頃には1960年代の1/10程度まで減少していた可能性を指摘。
・秋の七草
・キキョウ(絶滅危惧Ⅱ類)、フジバカマ(準絶滅危惧種)
身近にいた当たり前だった生物が、気づいたらいなくなってい、ということがこれから続々と起こる?
・第1の危機:開発など人間活動による危機「第1の危機」の例
(例)生物の生息場所の消失、縮小
・第2の危機:自然に対する働きかけの縮小による危機
(例)里山の変容に伴う生物多様性の低下
・第3の危機:人間により持ち込まれたものによる危機
(例)外来生物による在来生物の個体群の衰退
・第4の危機:地球環境の変化による危機
・開発に伴う生物生息場所の消失、縮小「第1の危機」の例(河川整備に伴う水際の湿地の消失)
・生物生息場所やその周辺空間の人為的改変
生物の生息場所として意識されていなかった空間も多い
生息場所の周囲を道路や建築物で囲むことにも問題あり?
・人間による捕獲
クジラ、マグロ、アホウドリ……
・自然に対する撹乱の抑制
・外来生物による影響「第3の危機」の例(人間が持ち込んだ生物)
・在来の生物を捕食する。
・在来の生物の競争相手となる。
・人間が放出した(持ち込んだ)物質やエネルギー
・いわゆる汚染物質
・光や音、熱が生物の生息、生育を妨げることもある。
・特定の動物にとっての生息場所や植物を提供することがある。
・CO2排出量の削減4.対応における課題
・省エネルギー、再生可能エネルギーの利用促進、低炭素燃料への転換
・二酸化炭素の分離、隔離(貯留)
・経済社会システムの変革
・CO2吸収量の増大
対応が予想したとおりに機能しない5.今後に向けて
・整備した生息場所が生息場所として機能しない。
・ある外来種の駆除が別の外来種を助長する。
・生態系ネットワークの構築が外来種を拡散させる。
・生息場所を保全する同意が得られない。
・CO2削減がなかなか進まない。
・経済活動の世界的縮退コロナウィルス感染症で社会はどう変わったのか
・生活様式の大きな変化
→大気汚染の改善、動物の分布域の拡大の可能性
・一時的な変化にとどまるかもしれない。
・人の集まりの最小化→人の移動の減少(国内、国際)現在起こっている社会の変化をどう生かすか
・「不要不急」の活動の抑制→新たな生活、産業のあり方
・情報通信の活用(テレワーク、遠隔教育、オンライン会合など)
・合意形成におけるインターネットの役割の増大
・人手をできるだけ介さない新たな輸送手段の検討
・購買様式、娯楽のあり方の変化
・人々の行動や正割が実際に変わった。
しかもそれは持続するかもしれない。
……必要があれば人々は変わり得る。
・行動の持続可能な抑制
・生物多様性や環境への負荷が小さくなる生活形態、産業構造
・必要な情報の適切な伝達
そのことが生物多様性の劣化を招くという話は、多くの人にはピンとこないかもしれません。今後、経済成長が見込めない日本は鎖国するしかない!?
人間がいなくなった方が自然は豊かであり、生物多様性も高くなるのではないのか? そう思われる方もいると思います。たしかに人間がいなくなれば自然のまっとうな生物多様性が、そこに維持されますが、そこでは人間社会は維持することは難しくなります。
人間社会と生物多様性の関わりの中では必ずしも開発=悪とはなりません。日本の場合、本来の手付かずの自然環境は、ブナやタブノキなどの陰樹(光に対する要求性が比較的低い樹木)で構成される極相林に覆われ、暗い森になってしまい脆弱な人間が生活の場とするには、厳しい自然環境になります。
生物多様性との共生で目指すものは手付かずの自然ではなく、人間が生きていける空間作りです。日本人は、古くから森を利用してきました。やがて森を加工し、水田や畑などの農耕地や居住のための開放空間を確保するようになり、その周りに自らの手で森を作り、奥山(自然林)、雑木林、里地という異なる生態系がつながりを持つ里山を作り上げてきました。
この生態系の空間的異質性がさまざまな動植物の生息空間を提供しました。人間自身はそれらの動植物が生産する資源や生態系機能を享受して生活を維持してきたのです。
例えば、古くは縄文時代から、日本人たちは森でドングリを食料として採取し、木を伐採して薪とし、一部では、栽培種のクリやウルシを植えて利用していたと考えられています。
里山が発達してくると、雑木林に生えているアカマツは、建材に利用される他、枝低木は燃料に、さらにその灰は田畑の肥料に利用されていました。クヌギやナラなどの落葉樹も10年から20年ごとに切りやすい低い高さで伐採し、薪や木炭に利用して、落ち葉を掻き集めて堆肥にしました。雑木林の林床や林縁で採れる木の実やキノコ、山菜、野草は、季節の旬を味わう食料にもなりました。そして奥山からたまに里山へ降りてくるシカやイノシシ、クマなどは、貴重なタンパク源として利用されていたのです。
このように、日本人は自然に手を加え、それを持続的に管理することで、自然との共生社会を完成させて、実に縄文の時代から1万年もの間、この狭い島国の中だけで完結して生きてきたとされます。
そんな自然共生社会としての里山が、今では都市開発の裏側で放置・放棄され、劣化が進んでいます。
人間の管理を離れた耕作地は、元の生態系に復元されるのではなく、外来種の雑草が入りこんで繁茂し、また、雑木林も長期間放置された結果、樹高の高い巨木が占拠し、林床には耐陰性の常緑樹種やササ類が茂っています。この様な状態ではカタクリなどの林床植物や草花に訪れる昆虫類、そのほかの小動物が生息できず、生物多様性の劣化することになります。
さらに、人間が住む里地と野生動物が住む奥山の間に位置する「バッファー・ゾーン」であった里山が放置されることで、シカやイノシシなどが平野部にまで進出してくる機会が増加し、農業被害や人間を襲うなどの被害が続出するようになりました。このまま里山の過疎化と放棄が進めば、人間社会が野生動物の襲来に圧迫されるのではないかと危惧されています。
外来生物が侵略してくる、といいますが、実は外来生物は、人間が自ら引いたロードマップに乗っかって、動かされているにすぎないのです。
私は立場上、そして職務上、外来生物を駆除し、環境を保護することを目標としています。しかし、研究者として、今の外来生物対策が本当に自然科学として正しいことなのかどうか考え込んでしまいます。
本来いなかったはずの生物が異常に増えて、何らかのハザードやリスクが生じているのであれば、その数を減らす努力をすることが先決です。しかし、外来生物を増やしている原因が人間の活動にある限り、ある外来生物を根絶できたとしても、またすぐに違う外来生物が侵入してきて増加することは続きます。
現在、生物多様性の保全が世界中で声高にうたわれていますが、ベース(理想)となる生物多様性とはどんな状態なのか、という定義すら曖昧なままです。だから、保全目標自体が人間の価値感に左右され、外来生物も人の嗜好性によって大事にされたり、悪者にされたりします。
例えば、今、新潟県佐渡島で放鳥されているトキは元を正せば中国産です。野生復帰プロジェクトが行われている兵庫県豊岡市のコウノトリも外来個体が起源です。でも、みんな増やすために大事に育てている。これは明らかに人間もしくは人間社会の価値感に基づくものです。
外来生物駆除のベースも、究極的に、原始自然だとすれば、それは人間がいない状態の環境となります。しかし、その究極解は人間の存在を否定する論理であり、人間のための科学として成立しません。
結局、外来生物を駆除すべきかどうかは、その地域の自然の持ち主である地域住民たちが考えて合意形成をするべき問題だと思います。住民がその存在に対してNOという合意を得たら、その外来生物は駆除すべきとなります。生物多様性の基盤となるのはローカルな自然であり、それらはそこに住む人たちの共有財産でもあります。だからこそ生物多様性の保全を地域ごとに、地域ぐるみで、地域住民主体で議論することが一番大事だと思うのです。
「生物多様性」という概念は、実はいろいろな人たちのそれぞれのエゴで形成されており、その嗜好性の多様さゆえに、解決の緒を見つけにくくなっています。
研究者の中には、「遺伝子資源として日本の生物を全て残さなければならない」という価値感を持つものもいるでしょう。また、住民の中には「江戸時代の里山のような状態にしたい」という極端な意見を持つ人もいるかもしれません。価値感の多様性が、生物多様性保全について明確な答を導くことを困難なものにします。
その点、温暖化対策は政治的にも経済的にもかなり一定のベクトルを示すことに成功しています。会議派はゼロではありませんが、かつてに比べて随分と減りました。
脱温暖化が、ひとつのグローバルマーケットとして投資の対象になることで、世界の政治経済が動き出しました。儲かる話なら、そのベクトルに乗ることに価値感の相違はあまり出る余地がないと思います。「排出量ゼロ目標」は夢物語かと思っていましたが、今は本気で世界が目指していますからね。
温暖化対策は(○年前に戻そう」もしくは「排出量ゼロ」という明確な目標を立てることができています。しかし、生物多様性保全にはそれだけの明確な目標は確率されていません。
少なくとも「生物種がこれ以上減るのを防ごう」という目標がありますが、その根拠、すなわち生物多様性が減ることによる、人間社会や地球環境に及ぼす影響やリスクが定量的に示されていないため、温暖化ほど、一般の人たちにその危険感は通じてはいません。
生物多様性保全という研究分野も流動的で、国際的に確固たる統一ポリシーができあがっているとはいいがたい状況にあります。研究者の間でも意見統一ができていないのだから、一般市民の方にどうあるべき、どうすべき、といった指針を示すことも難しくなります。
温暖化と同様に生物多様性でも、森林資源は一番最初に減らしてはならないものです。これは面積で表せるので、目標になりえます。
例えば、紙などの林産資源については、認証制度を義務付けることが可能です。熱帯雨林を切り出して作ったものはNGで、リサイクルで生み出されたものにはOKと分けることができます。
具体的には、認証されたものを使うことが企業としての義務であり、守っていないと風評被害を受け、大きな損益を被ることになるというシステムを考えています。そうすると企業側も、再生産エネルギー、資源の使用に努力するはずです。認証を受けていない企業と取引するとペナルティを受けるというような制度を作ることも可能です。
実際には日本でもエコファースト企業という取り組みがあります。企業の資源消費という意味では、環境保護のシステムができ始めているんです。
現時点では、生物の数の減少も変わらないですし、多様性の劣化も止められていません。なぜ生物多様性は世界的に見てもまったく進歩がないのか、それは先ほど触れた価値感の統一ができず、目標が定められていないからだと思われます。第6章 生物学と未来
2010年、『生物多様性条約 第10回締約国会議(COP10)』が日本で開かれました。そこで「名古屋議定書」と「愛知目標」というふたつの国際的な枠組みが採択されました。
「名古屋議定書」は遺伝子資源の公平分配に関する決め事です。赤道近くの生物多様性が高い地域を包含する発展途上国には豊富な遺伝子資源が存在しています。これまでは、農産物の原種や医薬品の原材料となる植物種や土壌細菌を先進国により開発され、その利益が独占され続けてきました。
例えば、マダガスカル島のニチニチソウの成分から抗がん剤、中国の香辛料「八角」からインフルエンザ治療薬「タミフル」などができたのです。さらに古くは15世紀にスペイン人が南米から持ち帰った高山植物が原種となってジャガイモが育種されました。
先進国の企業による遺伝子資源の開発と利益の独占は植民地時代からの歴史であり、途上国側には積年の恨みもあるでしょう。こうした生物資源を利用した製品の市場規模は45兆円とも70兆円ともいわれています。
グローバル化が進む中、途上国はこうした医薬品などの原料の原産国への利益の還元、さらに開発技術の提供を求めてきました。特に「現在」「未来」の利益だけでなく、植民地時代という「過去」の利益にさかのぼっての還元をも主張しています。当然、先進国側の国や企業は、利益配分の負担が重すぎると資源を活用できなくなり、結果的には途上国にも不利益になると訴えて、南北間の利益をめぐる対立が続いていました。
この遺伝子資源の利益配分をめぐる問題解決は、生物多様性条約の中でも重要課題とされており、「遺伝資源の取得の機会(Access)とその利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分(Benefit-Sharing)という目標が定められています。Access and Benefit-Sharingの頭文字をとってABSと呼ばれています。
名古屋議定書では、このABSのための具体的なルールが定められています。代表的なものは以下の3つです。
○遺伝子資源を提供する国はそれぞれに、利用国との間での合意・契約に基づく遺伝子資源の提供を行うための、確実・明確・透明なルールを策定すること
○利用する国は、自国で利用される遺伝資源が提供国の定めたルールを遵守して取得されることを担保するためのルールを策定すること
○ABSCH(国際的な情報交換センター)に、遺伝子資源利用にかかる提供国法令・許可証情報を通報すること
今後、先進国が無断で他国の遺伝子情報を持ち出したり。開発したりすることは各国の法令に基づき禁止されることとなりました。
このルールは、医薬品開発や食品開発といった産業目的の遺伝子利用だけにとどまらず、分類学、生態学、進化学などの基礎的研究分野にも波及することになりました。現在、われわれ研究者も勝手に標本を持ち出すことはできなくなっています。
この遺伝子資源の利益再配分こそが生物多様性条約の本当の目的だったともいえます。
しかし、アメリカを含む先進国はグローバリズムという名のもとに、遺伝子資源を医薬品などに利用し、経済的に利したいわけですから、ABSに躊躇する国も多く、各国の足並みはまだ十分そろっていません。議定書を作った議長国である我が国ですら、批准したのは2017年と最近のことでした。
COP10で定められたもうひとつの枠組みである「愛知目標」の方は、ぼんやりと、「生物多様性の劣化を防ごう」とする目標です。
正直具体性を欠く内容で、もう目標達成度が図られる2020年が来てしまいましたが、なにひとつ際立った成果は上がっていないというのが現時点での評価です。
外来種に関しても「外来種を防除し、増やさない」と当たり前のことしか書いてありません。数値目標を設定するなど、具体的なゴールを示しておく必要はあったのではないかと思われます。
もっとも、生物多様性の保全の根幹が地域制(ローカリティ)にあり、それを守るのが地域のコミュニティであり、その方針・指針は地域の合意形成に基づくとすれば、国際基準というものはむしろ無用の産物ともいえるかもしれません。2020年、愛知目標の設定期限が間もなく切れて、ポスト2020年目標が準備されていますが生物多様性の未解決課題はまだまだ山積み状態です。
生物多様性は、種の絶滅や外来種などの問題だけではなく、人間社会にもたらす恵み(生態系サービス)を賢く利用することが重要な問題になっています。2010年に名古屋で生物多様性条約の第10回締約国会議が開催されて以来、国内外で生物多様性の考え方を社会に根づかせる(主流化する)さまざまな動きが急速に進みました。たとえば、生物多様性や生態系サービスの経済評価が世界各地で行われるようになり、その保全コストを負担する必要が議論されるようになってきました。一方、地方自治体が生物多様性地域戦略を策定したり、地域での保全を促進したりするための活動も広がっています。企業活動などにおいても、生物多様性に対する配慮の有無を企業評価として重視しようとする動きが進んでいます。こうした最近の動向とこれからの生物多様性問題を考えてみましょう。