1995年1月17日午前4時46分、淡路島北部を震源地とする阪神淡路大震災の発生から31年経過した本日、堀内正美さんの『喪失、悲嘆、希望 阪神淡路大震災 その先に』(月待舎、2024年11月)を読みました。
  喪失、悲嘆、希望
第1章 阪神淡路大震災の発生
 1995年1月17日午前5時46分
 火の手が迫り、子どもにすがる母親を引き離す
 動けなくなった僕を動かした一言
 心に響く「がんばろうね」の合言葉
 市民ボランティア・ネットワーク「がんばろう!!神戸」を立ち上げる
 “赤ちゃんのお風呂屋さん”の誕生
第2章:生き残った者たちの希望
 「災害ユートピア」を見た 
 「そんなことくらいならできる」を集める
 イキイキと過ごせる秘訣は“必要とされる自分探し”
 仮設住宅で勝手に自治会をつくる
 おばあちゃんの造花づくりから始まった「mik」
 見守りに葬儀、ボランティア活動の広がり
 綺麗ごとでは済まない震災の現場
 「震災モニュメント」のマップをつくる
 「息子以外の死者が初めて見えた」と泣いたご遺族
 “個人の死”が“みんなの死”に 
 「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」を建立
 ご遺族支援のNPO法人を立ち上げる
 NPO法人運営者の勘違い
 ボランティアは自己満足の手段ではない
第3章:「市民主導」の成功と挫折
 「神戸で震災は起きない」は嘘だった
 すぐ元に戻る「形状記憶行政」
 「市役所の中に入り込む」と決意
 市役所とボランティア団体、連携の裏側で
 行政の中に協働の機運が生まれる
 復興イベントの副会長に名乗りを上げる
 天皇陛下にも届いた「はるかのひまわり」
 総額5億円を超える企画が通った
 希望の灯りから始まる復興記念事業
 「選挙に出ないでください」
 追悼行事を引き取る
 神戸市と距離をとる
第4章:東京生まれの俳優、神戸へ行く
 祖父母が開いた私塾
 戦争から帰り、映画監督になった父
 「お互い様」が当たり前だった時代
 世界の格差を知り、社会主義に傾倒
 清水邦夫、蜷川幸雄に衝撃を受ける
 デモと演劇の日々
 三里塚の老人の一言で逃げ帰る
 朝ドラの影響で俳優の仕事が相次ぐ
 芸能界に消耗し、神戸へ
 調剤薬局でバブルを実感
 本当の神戸市民になった
 強制的に社会が変えられた震災
第5章:喪失、悲嘆はすぐそばにある 
 2011年3月11日午後2時46分
 朝ドラ「純と愛」が描く喪失と悲嘆
 チャイルド・ケモ・ハウス理事長に
 忘れられない子どもたち
 レモネードスタンドの広がり
 チャイケモから去る
 つらさに引きずられない秘訣
 「震災関連死」を刻む銘板
 全員死んだら終わり、ではない
 若者にHANDSを引き継ぐ
 特別コラム:HANDS現理事長・藤本真一の思い
第6章:「災害大国」日本で必要なこと
 日本の終わりの始まり
 「失敗した」と言える社会へ
 人は自分を助けられない
 市民中心の社会へ
 「子どものため」で思考停止していないか
 政治と共進化していくために
 想像力を持とう
 サンダーバードに託す未来