入山沼近くで見つけた糞(タヌキ?)からギンナンを採取しました。タネまきをして育ててみます。(→22年7月22日記事
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イチョウは外来種・いつ頃日本に渡来したのか?
吉海直「謎だらけの「イチョウ」」同志社女子大学HPの2019年11月12日記事)
    古典では『万葉集』以下の勅撰和歌集に詠まれていないどころか、『枕草子』や『源氏物語』などの散文にも一切描かれていないことがわかりました。……
    ではどうして古典にイチョウは登場しないのでしょうか。決して別名で呼ばれていたのではありません。その答の一つは、日本にイチョウがなかったからというものです(外来種)。イチョウが日本になければ、文学に書きようもありません。それに関連して気になるのは、一体いつごろ日本に伝来したのかということです。全国各地にイチョウの大木が百本以上もあって、樹齢七百年は当たり前、千年を超えるといわれているものも複数あるようです。ただしほとんどは伝承であって、年輪からきちんと確認された例はありません。
    もし樹齢千年が本当だとすると、当然平安時代には存在していたことになります。七百年前でも鎌倉時代ですから、必然的に平安から鎌倉にかけて日本に伝来したという説は根強いようです。それに関連して、1219年2月13日、三代将軍源実朝が鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝した折、石段のイチョウの木の陰に隠れていた甥の公暁によって暗殺されたという説話が知られています。
    その由緒ある鶴岡八幡宮の大イチョウが、平成22年3月10日の強風で根本から折れてしまいました。ただし幹の胴回りは七メートルしかなく、到底樹齢千年には達しそうもありませんでした。そもそも『愚管抄』などの古い記録にはイチョウが登場していません。この話にイチョウが付加されるのは、江戸時代になってからのことでした。ですから実朝の一件は、イチョウ伝来の資料としては使えそうもないのです。実は原産地とされる中国でさえ、「鴨脚」として文献に登場するのは11世紀に入ってからでした。仮に日本のイチョウの樹齢千年が本当なら、中国より古いことになってしまいます。かくして樹齢千年というのは、科学的な根拠のない幻想・伝承になります。
    現在、総合的な調査で判明していることは、イチョウに関する資料は室町時代以降にしかないという事実です。それによればイチョウは、1400年代に「銀杏」として日本に定着したことになります。その用途は、一つには薬用であり一つには食用でした。また江戸時代の版本を購入した際、よくイチョウの葉が栞のように挟んでありますが、それは防虫効果が信じられていたからでしょう。最近の調査によれば、葉に含まれるシキミ酸を紙魚が嫌うということが報告されています。……
源実朝の暗殺場所として、鶴岡八幡宮の大銀杏が登場する古い読み物は何かレファレンス協同データベース
回答:現在確認できているものの中で、古い読み物には以下のようなものがあります。(今のところこれより古い資料に大銀杏の記載は確認できておりません)
◆『名所記 鎌倉物語』 中川喜雲著 1659(萬治2)年
 「公暁ガ実朝ヲ殺セシ銀杏樹ノ西ノ小社也」
◆『鎌倉日記(徳川光圀歴覧記)』 徳川光圀 1674(延宝2年)
 「上宮より下る石坂のわきに銀杏の木あり、東鏡に健保七年正月廿七日、実朝将軍右大臣はいがの時、神拝事おはり退出し給ふ時、上宮石橋の砌、いちゃうの木陰まで公暁伺来て、丞相を害し奉り~」