霧ヶ峰高原の八島ヶ原湿原に隣接する下諏訪町立八島ビジターセンターあざみ館を見学しました。
八島ヶ原湿原と霧ヶ峰の山々(Wikipedia「八島ヶ原湿原」)





1.はじめに霧ヶ峰高原の標高1500m以上には、約1000haという日本最大規模の亜高山帯の草原が広がっている。降水量の多い日本列島では、高山や海岸風衝地に成立する自然草原を除けば、何らかの人為的干渉がなければ森林が成立する。そのため、多くの草原は人間による火入れや採草、放牧などにより形成された二次草原である。霧ヶ峰高原の草原も採草利用により維持されてきた二次草原であるが、採草利用の停止により草原の森林化がすすみ、草原景観の消滅や草原性動植物の絶滅さらには生態系全体への影響が危惧されている。2. 調査地の概況
近年、県や市町村、NPO等により草原を保全する取組みが行われつつあるが、草原と山麓集落との関わりの変遷を把握することは、今後の草原保全に多くの示唆を与えてくれると考えられる。
これまで霧ヶ峰高原の草原と山麓集落との関わりについては、草原化の起源が鎌倉時代であること、近世以降霧ヶ峰高原は肥料や飼料となる草の採取に利用され近世末には全域が草原となり、明治以降化学肥料の普及により採草利用が減少し草原の縮小が始まったこと、昭和初期には標高1500m以上は秣の採取に利用されていたこと、昭和初期の秣の具体的な採取方法等が解明されてきた。
一方、霧ヶ峰高原での採草利用は山麓集落の生業と密接に関わってきたと考えられるが、山麓集落の生業との関連で霧ヶ峰高原の資源利用を明らかにしたものはない.
そこで、今回は近世から近代を対象に取り上げ、山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用の変遷を明らかにすることを試みた。
2.1 霧ヶ峰高原の自然条件2.2 中世における霧ヶ峰高原の草原化要因3. 近世の山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用3.1 入会集落の生業3.2 入会集落による霧ヶ峰高原の資源利用3.3 資源をめぐる利用規制4. 近代の山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用
4.1 入会集落の生業
4.2 昭和初期の入会集落による霧ヶ峰高原の資源利用
4.3 昭和初期の資源をめぐる利用規制
5. 山麓集落の生業と霧ヶ峰高原の資源利用の変遷
6. おわりにこれらから、近世末に霧ヶ峰高原全域が採草地として利用されたのは、山麓集落が稲作を中心とした生業を営み肥料をほとんど自給していたためであったと考えられる。また、明治以降の採草利用の減少は、養蚕が盛んになり現金収入が増加するとともに肥料としての草の価値が低下したためであったと考えられる。一方、明治以降も標高1500m以上で比較的採草利用が維持されたのは、西麓集落が現金収入を得るために酪農を開始したことと関連していたと考えられる。利用規制の運用状況の変化は、こうした生業の変化に伴う草の資源価値の変化を反映していると考えられる。
今後は、さらに戦後から現在についても同様に明らかにすることにより、現在の草原の形成過程について検討し、今後の草原保全のあり方についても考えていきたい。謝辞文献
※車山山頂(茅野市)には高さ12.4mの気象レーダー観測所(気象トップラーレーダー)があります。






