市民の森保全クラブ定例作業日FFF21(Eridays For Forests 21)です。参加者は芦田さん、新井さん、澤田さん、木庭さん、鳥取さん、橋本さん、細川さん、鷲巣さん、Hikizineの9名。3月28日4月2日9日に駒打ちし、岩殿C地区に仮伏せしたキノコホダ木を移動して本伏せしました。
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植菌時期が遅く、気温も上昇しているので、仮伏せ期間をもっと短くした方がよかったのでしょうが、他の作業に追われて遅れてしまいました。

なめたけ(なめ茸)、ナメコ、エノキ(エノキ茸)
えのき茸を醤油やみりん、砂糖などと甘辛く煮たものを瓶詰めにして「なめ茸(たけ)」として売っていますが、ナメタケという和名のキノコはありません。1958年に初版が印刷された岩出亥之助『キノコ類の培養法』(発行:地球社)には以下の記述があります。エノキタケは学術用の新名?
エノキタケの名称 エノキタケはエノキタケ属の一種で、往時から我が国各地に生産されナメコと称されているほかナメタケ、ナメラツコ、ナメススキなどと称せられ重要な食用菌の一つである。すなわちナメコなる名称は古代より本菌と一、二の食用菌に付けられて来た名称であり、エノキタケなる名称は学術用の和名として付けられた新名である。昭和の初頃、東北地方においてスギタケ属の二、三の食用菌ナメスギタケ、ヌメリスギタケ、ナメコなどのある種が缶詰として都会地にその販路を開拓するに至り俄然その生産、製品の販売に力が注がれるようになり、その後地方産業上重要な位置をなすに至った。ここにおいて古来ナメコなる名の下に広く親しまれて来たエノキタケは一蹴されスギタケ属の物にこの魅惑的なナメコの名称を奪われ商品上の宣伝に供されるに至ったのである。元よりこれらの食菌は多量の質粘物[ママ]を有し、いずれも世人にナメコと称されることについては不思議はないが、これを学術上から見る時に、ただ粘質物を有する特性のみによって異種の菌類に対して同一の和名ナメコを付することは不合理である。したがってナメコまたはナメタケなる名称は粘質物を有するキノコに付けられた一方言として取り扱い、学術的和名としては菌の寄主、特徴を表現した名を付けることが妥当である。すなわちエノキタケのごときもエノキに発生することが多いので、この名称が付けられたのであるが、本菌はただにエノキのみではなく、カキ、ケヤキ、ヤナギ、イチヂク[イチジク]、コウゾ、ポプラ、ハンノキ、ブナ、トチノキ、タデ、アカシアなどにも発生を見るがゆえ、地方的の方言としては、コウゾナバ、イチヂクナバ(九州、中国、四国)とも称せられている。(237頁。キノコの学名略、下線引用者)
エノキタケの人工培養沿革 エノキタケの人工培養についての沿革はたしかでないが京都府下では既に300年前から始められたらしいが記録はない。南桑田群篠村[現在は亀岡市篠町(しのちょう)]では明治32年頃[1899年]からカキの原木を使用して、人工培養が行われ生産50貫以上に達したとのことである。本菌は冬季野菜の欠乏した頃にもよく発生するので歓迎され正月の料理となり、特に昭和4年[ママ 昭和3年(1928)]に大典の時大饗[たいきょう]第1日の吸物に選定されたことから有名となった。東京都下、千葉県東葛飾郡内、埼玉県下でも40年前ほだ木培養が行われ相当の収益を挙げていた。いずれもカキ、ケヤキの原木を土中に埋め、自然に変質発茸させた培養法であるが、故北島博士は生の原木に胞子を接種する培養法を考案した。また昭和初年著者等はキノコ類の瓶培養につき研究をして板が、本菌も鋸屑培養が可能となり、戦前は専らこの培養法が盛んとなり、ほだ木培養はほとんど圧倒された観を呈した。戦後本菌の培養も漸く活況をみるに至り、将来農村の副業としても有望なキノコである。本菌は古来、ナメコ、ナメタケなどど愛称されたものであるが東北産ナメコと混同し易いのでエノキタケなる和名が名付けられ、商品的に考えると大きな支障を来したようであるが、現在の瓶培養によるエノキタケは柄も白く長く育成されたもので、天然産のものとは形状品質的にも異なるもので、新しい認識の元に益々販路も拡大されるであろう。(98~99頁)
ナメコの人工培養沿革 東北地方では古来ナメコまたはナメラッコと称されたものはスギタケ属のナメコ、ヌメリスギタケなどであるが現在の栽培種は前者である。本菌は粘膜に包まれ、肉質軟弱、胞子褐色である関係から生茸としてよりはむしろ蕾の内に瓶詰めとして商品化するに適し、逐年都会市場への進出によつてその販路は一躍拡大され昭和10年頃[1935年]から全盛を誇った。本菌の人工培養は大正10年[1921年]来でそれまでは天然産のものであった。当時山形県西村山郡本道村今井徹氏を始め同地の営林署の研究によるところが多い。昭和3年[1928年]には山形県5万円、秋田県3.5万円、その他青森、福島、宮城などを合計すると10万円の山岳を示し数年後には山形県だけでも10万円以上に達した。他のキノコと同様戦時の空白時代あったがようやく戦前の全盛期を凌ぐまでに現在生産を挙げている。本菌はブナを原木とし海抜800m以上の地を適地とするが、低地でも多くの雑木を利用し栽培も可能であるので、缶詰の他生茸としての出荷も最近盛んとなってきた。(99頁)