国連環境計画(UNEP:United Nations Environment Programme ユネップ)は、社会・経済・生態系に甚大な影響を及ぼすと考えられる新たな環境問題について検証・分析する「フロンティア」報告書(Frontiers:
Emerging Issues of Environmental
Concern)を毎年発表しています。第4回国連環境総会(UNEA4)に先立ち2019年3月に発表された「Frontiers 2018/2019: Emerging Issues of Environmental Concern(フロンティア2018/2019:新たに懸念すべき環境問題)」では、新たに懸念される環境問題として1)合成生物学の台頭、2)ランドスケープの断片化、3)泥炭地永久凍土の融解、4)窒素汚染、5)気候変動への不適切な適応を取り上げ、それぞれの解決策を検討し、循環型経済の実現に向けた窒素管理の重要性を指摘しています。
「窒素問題の解決:窒素循環汚染から窒素の循環型経済へ」(16頁)は『フロンティア2018/2019』(79頁)の窒素汚染に関する章「The Nitrogen Fix: From Nitrogen Cycle Pollution to Nitrogen Circular Economy」(52~64頁)の公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)による日本語翻訳版[日本語版翻訳:林健太郎(農研機構)・柴田英昭(北海道大学)、日本語版編集協力:一般社団法人 日本 UNEP 協会]です。
窒素問題の解決:窒素循環汚染から窒素の循環型経済へ
はじめに 3頁
20世紀はじめに二人のドイツ人化学者、フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュは、安価で大規
模に合成窒素を生産する方法を開発した。その発明は窒素肥料の大量生産を加速し、世界の
農業を転換させた。これは同時に、地球の窒素バランスに対する我々の長期的な干渉のはじま
りでもあった。毎年、推定2,000億米ドル分の反応性窒素が環境に排出され、土壌を劣化させ、
大気を汚染し、河川や湖沼における「デッドゾーン」や有毒な藻類繁殖の拡大を引き起こして
いる。
多くの科学者が「人新世(Anthropocene)」を現代の地質年代の公式名とすべきだと唱えるの
も無理はない。ほんのここ数十年で、人類は自然変化の170倍もの速さで地球の温度を上昇さ
せてきた。人類はまた、地球の陸面の75%以上を意図的に改変し、世界の河川の93%以上の流
れを不可逆的に変えてしまった。生物圏に大きな変化をもたらしているだけでなく、今や人類
は生命の基本構成単位を書き換えることや、新たに創り出すことさえも可能になった。
毎年、世界中の科学者、専門家、および研究機関のネットワークは、国連環境計画と協力して我々の社会、経済、および環境に大きな影響を与え
うる新たな問題を見いだして分析している。これらの問題の幾つかは、思いがけない用途と不確定なリスクを伴う新技術とリンクし、その他は、
自然景観の断片化および長期間凍結していた土壌の融解といった永続的な問題である。もう一つの問題、窒素汚染は、生物圏における数十年
の人間活動の非意図的な結果をあらわしている。本報告書で取り上げた最後の問題、気候変動への不適切な適応は、変わりゆく世界に対する
十分かつ適切な順応に我々が失敗することに着目している。
良い知らせもある。当該箇所を読むとわかるとおり、窒素管理という世界的な問題に対する全体的なアプローチが始まりつつある。中国、イン
ド、および欧州連合において、窒素肥料のむだを減らして効率を改善する前途有望で新たな取り組みが成されている。究極的には、その他の価
値ある栄養塩や素材と同様に窒素を回収して再循環させることが、クリーンで持続的な農業を助ける。真の循環型経済である。
本報告書で取り上げた問題を通じて、我々の自然への介入は常に、全球規模でも分子レベルでも、我々の住まう地球に長期的な影響を引き起
こすリスクを伴うことを認識すべきである。しかし、先見の明を持って協働することにより、問題の一歩先を進み続け、何世代も先までを見据え
た解決策を創造できるだろう。
窒素問題の解決:窒素循環汚染から窒素の循環型経済へ
地球規模の窒素問題 4頁
環境中における窒素のさまざまな形態
2014年の対流圏二酸化窒素(NO2)の平均濃度 地球全体の大気質への人類の「指紋」 1:42
運輸・エネルギー・産業部門における化石燃料の燃焼
肥料製造
作物栽培における生物学的窒素固定
廃棄物
窒素カスケード
政策細分化と循環経済の解決策 10頁
窒素、栄養塩、そして循環型経済
2015 年に欧州連合(EU)で採択された「循環型経済パッケージ」 は、生産、消費、廃棄物管理、二次原料リサイクルというバリュー・ チェーン(価値連鎖)のすべての段階における資源利用効率を最 大化することを目指している42,43。その計画では、有機肥料と廃 棄物由来肥料の管理と取引が、EU 経済における窒素とリンなど の栄養塩の回収とリサイクルの伴になると認識されている。新た な規制では、国内で入手可能な生物性廃棄物、乾燥あるいは消 化した排せつ物などの畜産副産物、その他の農業由来残渣を用 いた有機肥料の持続可能かつ革新的な生産を奨励している。現 在、EUでは有機廃棄物(生ごみなど)の 5% のみがリサイクルお よび肥料として利用されているに過ぎない。生物性肥料の国境 を越えた自由度の高い流通を可能とすることで、EU 域内の二次 原料向け新規市場とサプライチェーン(供給網)の創出につなが る。その結果、約 12 万人の雇用が生み出されると試算されてい る。生物性廃棄物からの窒素の回収は、製造に伴う炭素とエネ ルギーのフットプリントが大きい合成無機肥料の需要を削減、代 替すると期待されている。同時に、環境への反応性窒素の排出 の削減に役立つだろう。 窒素と他の栄養塩の循環型経済への着手は農地から始まる。農 地からの窒素損失を減らすことによって、作物生育を支える栄養 塩の供給がより効率的になる。ここで主に必要なのは、この緩和 手法の実施により農地からの窒素損失が削減される分だけ、農 地への窒素投入量を減らすことができるという点を農家にわかり やすく伝える実用的なツールを提供することだ。このようなツー ルは、栄養塩レベルを細かく調整することになる農家への信頼を 得るために、適切な土壌診断によって裏付けられるべきである。 また一方、付加価値の高い産物の生産のために、窒素と他の栄 養塩の再利用を拡大する可能性も大いにある。大規模な投資が 社会を「低炭素経済」に転換しつつあるように(例:再生可能エ ネルギー資源の導入)、窒素の価値は、「窒素の循環型経済」に 向けての投資を通じた大きな経済機会を示唆している。
1980年と2016年の窒素肥料の地域別消費量
窒素に関する包括的な国際アプローチに向けて 12頁
農業による大気汚染 2:01
肥料が環境とあなたの問題である理由 1:55
条約間窒素調整メカニズム
農業のアンモニア問題 6:40
参考文献 14頁
------------------------------------------------------------
※The two faces of nitrogen 窒素のはなし~おもてとウラの顔 - 日本語字幕付き 5:05
※The two faces of nitrogen 窒素のはなし~おもてとウラの顔 - 日本語字幕付き 5:05
2020年、ポルトガルの研究者チームが作成した動画。窒素の恩恵、窒素利用がもたらしている様々な問題、その解決の手立てについて紹介しています。日本窒素専門家グループ(JpNEG)のメンバーが字幕をつけています。
※窒素の七変化(フロー図)
肥料と環境: 農地から流れ出す窒素(常陽新聞連載「ふしぎを追って ―研究室の扉を開く」の2008年11月12日の記事を転載したもの)
土に堆肥やきゅう肥を入れると作物がよくとれること、そしてそのような土には腐植がたくさん含まれていることは昔からよく知られていました。ですから200年ほど前まで、植物は土の中の腐植などさまざまな土壌有機物を吸収して生長すると信じられていました。これを有機栄養説といいます。
この考え方は、ドイツ人科学者のリービッヒがとなえた無機栄養説によって完全に否定されました。植物が土の中から吸収しているのは、土壌有機物が分解してできた無機塩であることが証明されたのです。その後、工業的に製造・加工された安価で扱いやすい化学肥料が使われるようになって、食料の生産は飛躍的に増大しました。
食料を生産するときに農地からもっとも失われやすい栄養素は、窒素、リン酸、カリです。足りなくなった三大栄養素を肥料として土に補給する必要があります。とくに失われやすい窒素については、大気中の窒素ガスに水素ガスを反応させてアンモニアを合成する方法が19世紀初めにドイツで開発されました。それ以来、大量の窒素肥料が農地に投入されるようになりました。
ところで、植物が吸収・利用できるのは、農地に投入された窒素のせいぜい半分くらいと見積もられています。土の中に残ったアンモニウムイオンは、微生物の働きによって亜硝酸イオンから硝酸イオンへと姿を変えます(硝酸化成)。土の中の腐植や粘土はマイナスの荷電を持っているので、プラスに荷電したアンモニウムイオンを捕まえておくことはできますが、マイナスの硝酸イオンを保持しておくことはできません。そのため、硝酸イオンは硝酸塩となって水環境へ流れ出してしまいます。
硝酸塩は大気中の窒素ガスとは違って生物に対する反応性が高く、いろいろな問題を引き起こします。身近なところでは、井戸水の硝酸汚染、河川・湖沼の富栄養化などが問題になっており、その流出を防止する技術が研究されています。また、硝酸化成の途中や、酸素の少ない土の中で硝酸イオンが窒素ガスに姿を変えるとき、副産物として亜酸化窒素が生成します。亜酸化窒素が大気中に出ると、二酸化炭素より強力な温室効果ガスとして地球全体に影響を及ぼすため、その発生を抑える技術が研究されています。(農業環境技術研究所 物質循環研究領域長 菅原和夫)