高槻成紀さんの『唱歌「ふるさと」の生態学 ウサギはなぜいなくなったのか?』(ヤマケイ新書、2014年12月)を読みました。
高槻成紀『唱歌「ふるさと」の生態学 ウサギはなぜいなくなったのか?』目次
1章 「故郷」を読み解く
2章 ウサギ追いしー里山の変化
 1 ウサギの思い出 
 2 茅場ーウサギのすむ場所 
 3 かつての里山 
 4 変貌した里山 
 5 里山のもうひとつの変化ー都市化に呑み込まれる里山
3章 小ブナ釣りしー水の変化
 1 小ブナ釣りしー故郷の川 
 2 川の変化 
 3 もうひとつの脅威ー農薬 
 4 さらなる脅威ー外来生物 
 5 水は清き
4章 山は青きー森林の変化
 1 林業と社会 
 2 林学と林業―四手井氏による 
 3 森林伐採と森林の変化
5章 いかにいます父母―社会の変化
 1 人々への思い 
 2 社会の変化 
 3 志を果たして
6章 東日本大震災と故郷
 1 東北の里山を訪ねて 
 2 東北の動物たちに起きたこと 
 3 原発事故から考える日本の里山の将来
7章 「故郷」という歌
8章 「故郷」から考える現代日本社会
 1 「故郷」と社会 
 2 「故郷」に見る日本人の自然観

増え続けるシカ(「第2章 ウサギ追いしー里山の変化」から)
 サルよりも少し遅れて、しかし今やサルよりもはるかに深刻な問題を抱える里山動物になったのがシカ(ニホンジカ)である。
 昭和50年くらいまで、野生のシカを見たことのある人はきわめて限定的であった。シカといえば奈良公園や安芸[あき]の宮島で人から餌をもらうものしか知られていなかった。私はシカの研究をして来たが、1992年に『北に生きるシカたち』という本を書いたとき、編輯者は「シカが増えているって本当ですか」といぶかしげであった。それほどシカが増えていることは知られていなかった。だが、今や、たとえば東京の奥多摩に行けば、山中にシカの痕跡を見ない場所はない。それどころか広く関東地方の山地にはシカが溢れているという状況である。
 ここでもシカという動物の性質と里山のことを考えてみたい。シカはオスは80キログラムほど、メスは50キログラムほどの大型獣で、1産で1頭の子しか産まず、警戒心が強いから、大きさや繁殖力、行動特性では里山の動物の条件を満たさない。
 そのようなシカがなぜ里山で増加したのであろうか。もともとシカは里山にはおらず、かといって、クマやカモシカのような典型的な奥山動物でもなく、山から丘にかけての里山に近い部分の森林に生息していた。そして、そういう森林の、鬱蒼とした林内よりは、林の縁など下生えの植物が豊富な場所を好む。そして危険を感じると林内に逃げ込むという行動をとる。里山には林縁が多いから、シカはもともと里山に侵入する潜在力をもっているといえる。それが実現した最大の要因は、臆病なシカが怖がる人の存在がなくなったためである。
 その上で、里山以外を含む近年のシカの増加はだいたい次の三つで説明されることが多い。
 ひとつは森林伐採によって食料が増えたというものである。シカの性質を考えれば、戦後に森林伐採がおこなわれたことはシカに有利になったとはいえるだろう。だが、森林が伐採された時期とシカが増加した時期には数十年の時間差があり、最近のシカの急増は十分に説明できない。
 もうひとつは、暖冬と子鹿の死亡率による説明である。地球温暖化によって暖冬が多くなった。シカは1産1子であるといったが、2歳の秋には妊娠し、その後ほぼ毎年妊娠する。これはサルが5歳くらいから繁殖するようになって、1年おきに妊娠するのと大きな違いである。したがってシカの新生児はたくさん生まれるのだが、最初の冬に死亡する子鹿が多い。その子鹿が暖冬によって生き延びると、シカ集団としては増加することになる。このことも事実であるが、シカの増加は雪の少ない南日本でも起きており、全国のシカの急増を説明できない。
 第3の説明は、オオカミがいなくなったからだというものである。しかしオオカミが絶滅したのは20世紀の初頭であり、1990年くらいから急に増えたことの説明にはならない。
 これらの説明に対して北海道大学の揚妻直樹[あげつまなおき]氏は里山の変化こそがシカを増加させたのだとする。揚妻氏は、里山に活気があった時代、森林は薪炭林としてさかんに伐採され、明るく下生えが豊富であったのに対して、農業地帯は徹底的な管理によって地上植物は非常に乏しかったとする。最近の小椋純一[おぐらじゅんいち]氏の検証などによると、私たちがなんともなくもっている「昔の日本の農地は豊富な緑に溢れていた」というイメージは正しくなく、草原的な貧弱な植生であったといい(小椋、1996[『植生からよむ日本人のくらし、明治期を中心に』])、揚妻氏の見解を支持するようだ。重要なことは、農耕地一帯ではこまめに草刈りがおこなわれ(里山の特徴①-集約的な植生管理)、また農作物はよく監視されて、シカにとって接近しづらく(里山の特徴③-被害防除)、山の森林の下生えは豊富であるというかつての関係が、農耕地は手入れされなくなって藪状態になり、草本類や低木類が増加した一方で(里山の特徴①-集約的な植生管理の崩壊)、森林は木が育ち、また針葉樹の人工林が増えて暗くなり、下生えが貧弱になることで、シカにとっての山と里の資源環境が逆転し、シカが山よりも里に降りざるをえないという状況が現出したということである。揚妻氏はこのことと同時に、シカが採食行動を変化させることも見逃してはならないと指摘しており、その見解は傾聴に値すると思う。
 いずれにしても、シカは今や里山にたくさんいることになった。とくに牧場があると、シカにとっては理想的な環境となる。というのは牧草は牛を肥育するために品種改良され、栄養価が高く、消化率がよく、春早くから秋遅くまで生育するし、日本の牧場は小規模で森林に接しているから、シカは牧場で牧草を食べ、危険を感じれば森林に逃げ込むことができるからである(里山の特徴⑥-モザイク構造)。シカがひとたび里山にすみつけば、大型であり、群れで生活するから、農作物も、牧草も、周辺の群落も強い影響を受けることになる。(72~75頁)
動物の生息地としての里山の特徴(同書50~54頁)
 里山の変化と動物(同書65~70頁)
  ①集約的な植生管理
  ②豊富な食物
  ③被害防除
  ④多様な群落[萱場・雑木林・人工林]
  ⑤小面積な群落
  ⑥モザイク構造

里山動物の性質と特徴(同書55~60頁)
 タヌキ、キツネ、アナグマ、ウサギ(ノウサギ)、カヤネズミ、ハタネズミ、アカネズミ、リス
  ①体が大きくないこと
  ②警戒心が強すぎないこと
  ③寿命が短いこと
  ④繁殖力が高いこと
  ⑤融通がきくこと
  ⑥群落複合の利用

里山動物としては例外的な動物(同書60~61頁)
 ムササビ、イノシシ

9月3日の記事で林将之さんの『葉っぱはなぜこんな形なのか? 植物の生きる戦略と森の生態系を考える』の「第2章 葉の形の意味を考える」からシカはなぜこんなに増えたのだろう?を紹介しました。
高槻さんの著作に2015年12月に出版されたヤマケイ新書の『シカ問題を考える』がありますので、続けて読んで見たいと思っています。

 気候変動による影響が疑われる現象の一つとして、ニホンジカの急増が挙げられます。埼玉県内のニホンジカ捕獲頭数は、1990年度は114頭でしたが、その後急増し、2016年には3000頭を超えました。
 全国的にもニホンジカの増加や分布拡大が起きていますが、それらに温暖化が寄与していることが指摘されています。ニホンジカは大型草食ほ乳類で、様々な植物を大量に食べるため、個体数の増加が自然の植生に大きな悪影響を与えています。埼玉県と山梨県の県境の亜高山帯には、シラビソ・オオシラビソの針葉樹林帯が広がっていますが、広い範囲で皮を剥いで食べる被害が発生し、森林衰退も起きています。
 下層植生も広く食害し、スズタケなどササが衰退する一方で、ハシリドコロやトリカブトといった有毒植物のみが残る林も増加しています。さらに、ニホンジカの増加とともに、ササなどの植生を好む鳥類のヤブサメやウグイスなどが減少するとの報告もあります。この様に、植物だけではなく、動物への影響も懸念されています。
埼玉県におけるシカ捕獲頭数の推移