林将之さんの『葉っぱはなぜこんな形なのか? 植物の生きる戦略と森の生態系を考える』(講談社、2019年5月)を読みました。
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林将之『葉っぱはなぜこんな形なのか? 植物の生きる戦略と森の生態系を考える』目次
はじめに
第一章 樹木図鑑を作るわけ
 ◇葉っぱスキャンの発見
055-5/]/日本各地の森を巡る
 ◇僕の樹木独学スタイル
  使えない樹木図鑑/バイブルとの出会い[『樹木』(保育社 検索入門シリーズ)
 ◇就職活動
  夢探しの時間/転機を招いた樹木の資料作り/森づくりの活動
 ◇樹木鑑定サイトの開設
  誕生秘話/全国から寄せられる鑑定依頼/「このきなんのき」から広がった
 ◇樹木図鑑を作る
  三度目の売り込み/画期的な図鑑を作る/図鑑を作り続ける
☆葉の心理テスト

第二章 葉の形の意味を考える
 ◇ギザギザのある葉とない葉
  どっちが普通?/ギザギザは何のためか?/全縁の葉と気温の関係
 ◇切れ込みのある葉とない葉
  歳をとると丸くなる?/風を通すための切れ込み/それ以外の可能性
 ◇羽状複葉のメリット
  羽状複葉はどこで見られるか/プランターでの観察/所変われば葉も変わる/常緑樹と落葉樹
 ◇対生と互生
  2種類の葉のつき方/ウツギ類はなぜ対生の低木が多い?/互生する葉
 ◇不分裂葉の形
  普通の形の葉/倒卵形の葉/不分裂葉という用語
 ◇大きな葉と小さな葉
  大型化する葉/大きな葉をつける木/小さな葉をつける針葉樹
 ◇葉の蜜腺
  葉から出る蜜/アカメガシワの戦略/アリを住まわせるマカランガ/アリと植物はどっちが賢い?
☆花の心理テスト

第三章 植物と動物の絶妙な関係
 ◇沖縄の木にぶら下がる”危”ない板
  ○危の板とミカンコミバエ/不妊化されたウリミバエ/なぜオスは誘引されるのか
 ◇クマのいる森
  緊張のクマ遭遇体験/異常なベースで殺されるクマ/クマが絶滅するとどうなる?/タネを運ぶクマ/九州のクマとサクラ/クマがつくる環境/クマと共存するために
 ◇シカの多すぎる森
  森の異変/シカと植物のせめぎ合い/シカ被害の“先進地”丹沢山地/なぜシカは増えたのか?
 ◇鍵を握るオオカミ
  なぜオオカミは絶滅したのか/イエローストーンのオオカミ再導入/日本へのオオカミ再導入の可能性/知らないものに抱くイメージ

第四章 人間は自然の中か外か
 ◇植物は人間を意識しているか
  紅葉はなぜ美しいのか?/庭の園芸植物は作戦成功?
 ◇自然は保護するものか
  人間は木の実を食べてはいけない?/「自然保護」への違和感/共存orコントロール
 ◇天敵のいない島
  ウサギとヤマネコ/無人島のヤギ/人間のコントロール

あとがき
  僕が育った庭/姿を変えた裏山/大好きな海
「第2章葉の形の意味を考える」を興味を持って読みました。岩殿地区では最近、シカの食害が話題になることが多く、今後どうなっていくのか心配しています。シカが増えた原因は何なのでしょうか?

シカはなぜこんなに増えたのだろう?
……まずは、シカ本来の生息地である低地の森林や草原を、人間が開発しつくしたことから考えたい。シカといえば、山の動物と思われがちだが、江戸時代の初期には、平野部の草原や田畑周辺、雑木林などに多く生息していたといわれる。当時の関東平野にはススキなどの広大な草原があり、将軍・徳川秀忠や家光は、東京の板橋で毎回数百頭ものシカを狩ったという。今の関東平野はどうだろう?世界最大といわれる市街地がどこまでも広がり、郊外は農地で埋め尽くされている。点在して残った雑木林や河原の林は、市街地や道路、鉄道、堤防などの人工物に囲まれ、シカが棲む連続的な森林と草原が広がる環境がほとんど見当たらない。シカは山へと追いやられたのだ。
 明治時代の前後で、シカの個体数と狩猟をめぐる状況も大きく変化したといわれる。明治維新で食肉文化が持ち込まれ、シカ肉が普及した上、シカの毛皮や角も利用価値があったため、銃の普及とともにシカは多く狩猟され、乱獲で個体数が著しく減っていったようだ、
 昭和に入ると、今度は戦後の復興特需で山にスギ・ヒノキが大量に植林され、日本の森林の4割は人工林に変わった。さらにその後、日本は政策転換して木材輸入を自由化したため、海外から安い木材が大量に輸入されると国内の人工林は次々放棄され、シカの食べる林床植物やエサ場となる伐採跡地もますます減ることになった。これに前後して、戦後から各地でシカの狩猟禁止が広がり、シカを保護する政策へと転換した。そして、昭和後期、1970年代にシカの個体数はかなり回復し、平成に入る1980年代後半から、今度はシカによる農業被害や植生被害が顕著になり始めたのだ。シカは人間に居場所を追われつつ、生息環境を変えてきたと言えるだろう。
 一つ知っておきたいのは、江戸時代~昭和初期は、燃料(薪[まき]・炭)や建材、茅[かや]、食料、肥料(落ち葉)の大半は国内で自給していたため、ハゲ山や草原が相当多かったことだ。反対に今は、使われなくなった里山や畑に次々と植物が茂り、大規模な川の氾濫[はんらん]や土砂崩れの発生も抑えられているので、かつてないほど森林化が進んでいる。シカが増えて森林を衰退させる現象は、減りすぎた草原環境を取り戻す作用と考えられなくもない。
 いづれにせよ現代は、シカ肉はほとんど食べられなくなり、毛皮や角の用途も激減し、シカの需要は大きく減った。そのため、猟師の収入も数も減少し、高齢化し、シカ猟が解禁されても積極的な狩猟がおこなわれなくなったことも、シカ増加の要因といわれている。
 これに対し、国は若者向けに狩猟の魅力をアピールしつつ、シカの駆除を進め、全国で年間60万頭ベースで捕獲(狩猟を含む)し、食肉利用(ジビエ)も進めている。北海道産エゾシカのハンバーガーやステーキのように、一定の普及効果も感じるが、現実にはシカの食肉利用は1割弱で、大半のシカは森に捨てられているという。巨大な死体の大量放置は、倫理的な問題に加えて、新たな生態系の変化を起こすリスクをはらむ。シカの死体はクマを強く引き寄せ、クマの栄養状態を向上させ、近年のクマ急増を助長している可能性も指摘されている。国は毒エサ(硝酸塩[しょうさんえん])によるシカの駆除実験にも取り組み始めているが、自然の循環に組み込まれない対処療法は、同様に別の問題を引き起こすだろう。
 また、温暖化もシカの増加を後押ししていると考えられている。雪に弱いシカは、積雪地では細い足が埋もれて身動きできなくなってしまうため、過去にも大雪で大量死したことが知られている。しかし、近年の急激な温暖化で積雪が減少し、これまでシカが分布していなかった北日本の日本海側や、標高2000メートル以上の高山にも、次々とシカ(イノシシも)が姿を見せ始めている。シカの食害によって、尾瀬のニッコウキスゲ、日光のシラネアオイといった象徴的な花が壊滅的に激減し、南アルプスのシナノキンバイやハクサンイチゲのお花畑が姿を消し、そこをエサ場にする天然記念物のライチョウ(雷鳥)も絶滅が危惧されるようになった。
 日本の生態系にとって未知なる経験が、今次々と進行しているのである。

共存orコントロール
 こうして人間と自然の関係をいろいろ考えていると、両者の付き合い方には、大きく二つの価値感があることに気づき始めた。「自然を理解し共存する」という考えと、「自然を制御しコントロールする」という考えだ。前者が「自然の中」に身を置き、後者が「自然の外」に身を置く考え方ともいえるだろう。
 例えば、クマやオオカミと人間がうまく共存する術を探る手法は前者で、クマやオオカミなど危険生物は排除して、シカやイノシシの個体数は人間が管理する手法は後者である。絶滅したオオカミを再導入する行為は、両者の中間かもしれない。人間がコントロールしながらオオカミを導入し、共存へと導く手法だからである。
……完全なる制御とコントロールを推し進める社会では、“迷惑生物”の撲滅運動が起きるかもしれない。まず、人間に必要な動物は、ウシ、ブタ、ヒツジなどの家畜とペットだけだから、オオカミや熊はもちろん、シカやイノシシも絶滅させよう。さらに、遺伝子組換えでカを絶滅させる試みのように、マムシ、ハブ、スズメバチ、ムカデ、ゴキブリ、ナメクジ、ヒルなど、危険生物や不快生物はとことん絶滅させたらどうか。海の中なら、サメ、有毒のクラゲ、ガンガゼ、オコゼ、イモガイあたりはぜひ絶滅させてほしい。植物なら、ウルシ科、イラクサ、シキミ、ドクウツギなどの毒やかぶれ物質をもつ植物をはじめ、手を切りやすいススキや、駆除が難しいクズあたりも、絶滅させる候補に挙がるかもしれない。もちろん、毒キノコや各種病原菌だって絶滅させた方がいいだろう。
 これらのありふれた迷惑生物を絶滅させるとどう悪影響があるのか。今の科学では正確に推測できないだろう。しかし、間違いなく生態系の一部が崩れて、何らかの別問題が発生し、そこにまたコントロールの必要性が生じることだろう。
 ちなみに、シカが全くいない森は、シカが多少いる森に比べて、虫の種類がやや少ないという。大型のサメを乱獲したアメリカ東海岸では、ホタテやハマグリが大きく減少して漁業に悪影響が出た。それがなぜか、わかるだろうか? シカがいなくなると、シカへの防御機構をもつ植物や、シカが作った草地に生える植物が、他の植物との競争に負けて姿を消し、それを食草としていた虫や、シカのフンや死体を食べていた虫もいなくなるのだろう。サメの例では、大型のサメを駆除したことで、その餌食になっていたエイが増え、そのエイが好むホタテ、ハマグリなどが大量に食べられたためと推測されている。
 目障りな生物をすべて絶滅させれば、人間にとってユートピア(理想郷)のような世界が訪れる可能性もゼロではないだろうが、生物の多様性は連鎖的に低下し、思わぬ環境変化が起こるリスク、アレルギー(雑菌などが少ない潔癖[けっぺき]な生活が一因との説がある)のような新たな現代病に悩まされるリスク、危険や不快感に対する適応力を失ってしまうリスクなどを常に抱え、改変した自然をコントロールし続けることに大きな労力を費やす社会になる可能性が高いだろう。
 世界中の先住民たちは、経験的、感覚的に自然を理解し、自然と共存しながら持続可能な自給生活を続けてきたはずだ。それが、急激に経済成長を始めた国から順次、自然を制御しコントロールしようとする価値感に急激に転換していった。そして、自然破壊と文明発展が進むと、今度は科学の力で自然への理解を深め、自然をコントロールする技術も高めつつ、再び自然と共存する道を探る段階に来ているように見える。
シカがいる森いない森

※地球永住計画「連続公開対談・賢者に訊く」2018年6月18日(Facebook2018年9月3日記事
【樹木の葉はなぜさまざまな形をしているのか?】
・日なたの葉は小さく、日陰の葉は大きいのはなぜ?
・ヒイラギなどの若い木にトゲがあり、成木ではなくなるのはなぜ?
・ヤマグワなどの幼木の葉に切れ込みがあり、成木ではなくなるのはなぜ?
・羽状複葉(フジなど)の大半が落葉樹なのはなぜ?
・対生の葉が低木(ウツギ、ムラサキシキブなど)に多いのはなぜ?
・ミカン、サンショウ、クスノキなどの葉に香りがあるのはなぜ?
・アカメガシワなどの蜜腺は何のためにある?
・若葉はなぜ赤い?
このように、葉っぱがさまざまな特徴をもつのは、環境や昆虫などと関係があると考えられます。