群馬県の『沼田市史 民俗編』(1998年3月)「第2章 生産・生業」の「第2節 稲作 6 稲作管理」の小項目です。

  田の草取り(『沼田市史 民俗編』) 下線、[ ]は引用者
 普通は3回であった。柔らかい田はほとんど手で行った。八反取り(生えている草を沈める器具)は普通使わない地区が多かった。硬い田には昔はガンヅメ(片手用の小さな熊手)を使い、田を柔らかくしながらの除草だった。次に開発されたのが前述の八反取りであるが、使ってみて具合が余り良くないので、硬い田を柔らかくするのに使われた。草取りは一番ゴ(最初の草取り)から三番ゴ(3回目の草取り)まであり、八反取りはその都度作間[畝間]に合わせて使い分けるのだが、硬い田は便利であった。また、藻が湧く田にも藻を埋めるのによく使われた。藻が湧くと田が冷えて稲の成長を妨げるので、その駆除に使われたのである。
 現在は藻が湧くと硫酸銅を布袋に入れ、水口に置くと藻が消滅する。また、田の草取りも除草剤で済ませる。稲の葉を丸めて虫が巣を作り卵を産んだり、イモチ病等を防ぐために消毒は2回行う。
 稲が穂孕[はら]むと、昔は鳥害除けにカカシを立てた。単なる人間に似せた鳥追いではない。鳥がつかないように祈願を行って立てたものだという。これが十日夜[とうかんや]の終農祝いに通じるものであると言っている。他にカガシオドシ等があり、カラスの死骸などを吊して雀を追いやったものである。これは佐山出身の戸部素行の聞き取りだが、農業経験は少なかったが、有識者であった。現在は防鳥網を張る家が多くなっている。[202~203頁]

※戸部素行[とべそこう]:利根沼田短歌会初代会長。沼田市材木町の長寿院常福寺(天台宗)に歌碑がある。「老ふたりとなりし古家に春立つと 追儺の豆をこゑはりて撒く」