今日も田んぼの草取り。毛塚一反田、終了しました。
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田の草取り(『上田市誌民俗編(2)』上田市、2001年3月)120頁
 上田市誌 第24分冊 衣食住とくらし
 第4章 生産・生業 第1節 稲作 6 田の草取り 下線は引用者
 田の中に出てくる雑草を取るために、また稲の分けつを促すためにと、3回から4回、田の草取りをしました。田の草取は中腰で田の中をはって雑草を取るという大変な重労働です。それぞれの除草の回数ごとに一番取り二番取り三番取りまたは、一番ご二番ご三番ごと言いました。休んで腰を立てるとなお痛くて大変でした。
 大正年間から昭和初年には、ころばし八反取り(田の草取りの農具)が使用されるようになり、手による草取りと併用されるようになりました。また畝間の中耕としてがん爪(熊手状のもので3~5本の曲がった爪をもつ農具)が使われました。
 石神での除草は①ころばしをかける(攪拌する)②はう(株間を除草する)③八反取りヌリツケ(最後の除草で、水を落しておき、塗り付けて固まらせる)の順でしました。ヌリツケは穂ばらみ前の(穂が出る直前)天気の良い日に、稲の葉先が目に入らないように網の面をかぶってやりました。
 東前山では、田植えから20日過ぎてからころばしをかけ、稲が60~70㎝になった7月ごろにがん爪で株の間を起こしました。下郷では、一番ごは、稲のまわりの土をぎゅうっと握って稲株から離し、草は押し込んで埋めて、稲がフラフラするほど、稲株を開くようにしました。稲の分けつを促すためでした。
 小学校尋常科を卒業して高等科になると、大人並みに田の草取りをさせられるようになったということです。
 除草剤の普及で、田の草取りの重労働がなくなったのは画期的なことでした。除草剤を効率良く使うためには、撒く時期や水田の水の調節が大変重要です。なるべく除草剤を使わないためには、今もころばしを使っている人もいます。