1月26日にキノコの駒打ちをしました。シイタケ、ナメコ、ヒラタケの3種ですが、シイタケ、ナメコは森産業株式会社の種駒です。ナメコの種のパッケージには、「1942年、森喜作博士が世界で初めて種駒によるしいたけの人工栽培を発明したことで、今日、世界中で多くのきのこが食卓に並ぶようになりました。きのこを通じて健康の輪を世界に広げるという理念と情熱は、当社の製品作りに活かされています。」とあります。
ナメコ種駒パッケージ

日本きのこ研究所のサイトに森産業の創業者、森喜作さんを顕彰する「森喜作顕彰会」があって、森博士の「年譜」とともに小学校国語教科書(大日本図書株式会社、1961年)から「しいたけのさいばい」が掲載されていました。

しいたけのさいばい
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 1933年のこと、大分県のしいたけさいばい地、阿蘇山の西ふもとにある山村のできごとである。この辺の農家は田畑に乏しいので、広葉樹・針葉樹の森林を利用して、炭焼きや、しいたけさいばいを副業にして、かろうじてくらしをたてていた。
 すぎ林の木立を通して朝日がきらきら光を投げている下に、1万本に近い、長さ1メートルほどのまるたぼうが組みならべてあった。その前に、みすぼらしい身なりのひとりの農夫が、手を合わせて拝みながらつびやいていた。
「なばよ出てくれ。おまえが出んば、おれが村から出て行かんばならんでな。」
 このいのりをふと聞きつけて、じっと見つめている大学生が会った。森喜作さんである。森さんは、農村経済の実態調査のためこの部落をおとずれ、海抜5、6百メートルの所で、リュックサックをおろした。額のあせをぬぐって、ふと林の中に目を移したとき、この情景を見たのであった。
 森さんは、ふしぎに思って農夫に事情をたずねた。
「しいたけのさいばい」(小学校教科書)memorial_002

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 徳川時代の初め、九州の人、炭焼きげんべえが、炭材として切ったならの木にたくさんのいしたけがはえたのを見て、人工さいばいを思いついた。ならやくぬぎのまるたの表皮になたできざみ目を付け、数千本もならべてほうっておくのである。このまるたをほだという。すると、どこからともなく風に乗って飛んで来たしいたけの胞子がほだのきざみ目に付いて、2、3年もするとしいたけが出て来る。
 ところでほだ材は、直径5センチメートルから15センチメートルほどのならやくぬぎを、長さ1メートルに切ったまるたである。これを、そのままかまに入れて焼くと木炭になる。そこで、原木を焼いて木炭にするか、ほだにしてしいたけをさいばいするか、どっちがもうかるかが村民の頭をいためるところだ。原木1石からは木炭2俵半が焼ける。ねだんは木炭1俵が、ほししいたけにして380グラムくらいだ。ほだ材にして約1キログラム以上のしたけが採れればいいわけだ。しかし、木炭とちがって、ほだ材は数年たたないとしいたけが採れないから、資金をねかさなくてはならない。おまえけに、運は風にまかせろという、いわば危険な「かけ」である。
 実際には、原木1石から7.5キログラムのほししいたけが採れることがある。そのときは大もうけができるけれど、ほだに種が付かなかったらたいへんである。貧しい農夫は山のような借金で、税金はもちろん、米を買う金さえ無いようになる。村をにげ出し、一家がばらばらになるというような悲げきが起こるかもしれない。農夫がいのっていたのは、こうしたことがあるからであった。
 森さんはこれにむねをうたれた。一生をしいたけと共に生きようと決心した。そして、このような投機的な方法でなく、確実に収かくできる道を考え始めた。それが農民の貧しさを無くす、一つの方法と考えたからである。
 以来十年間、森さんは研究に熱中した。そして1943年、ついにその望みを達した。それはたねごまの製造出会った。たねごまをほだに打ちこみさえすれば、確実に、原木1石から5、6キログラム以上のほししいたけが採れるのである。

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 では、たねごまとはなんであろうか。どうして作るのだろうか。
 にわか雨に会った小人が、あわててきのこの下に飛びこんで雨宿りをしているかわいらしいまん画がある。全く、きのこは太った雨がさのようだ。その太いえを持ってひっくり返してみると、厚いかさのうらにびらびらしたひだが、えを中心に、放射状にびっしりとならんでいる。そのおくにきのこの命の精がひそんでいる。しいたけの場合も同じである。そこには胞子という一個ずつの細胞がいく百万も育ち、やがて地上に子孫を残す種として、風に乗る日を待っている。
 開ききったしいたけのかさを軽くたたくと、目には見えない胞子が落ちる。これをシャーレに受け、かんてんで培養すると糸状にのびる。しかし、この胞子にはおすとめすがあって、かたほうだけではしいたけを作らない。多くの胞子のなかで、同性ははなれ、異性が引き合って結合する。この結合がなければしいたけははえない。だから、ほだにしいたけがはえるためには、おすとめすの二つの胞子が同じ場所に付かなくてはならない。ますますぐうぜんを待つことになる。
 森さんはこの結合した胞子をたくさん作り、その中にしょうぎのこまに似たくさび形のこまを入れ、そこに胞子を移した。これがたねごまである。だから、たねごまをほだに打ちこめば、必ずそこからしいたけがはえるわけだ。
 初め、種はおがくずに付けた。しかし、だれも相手にしてくれない。ほだにあなをあけ、いちいちおがくずをおしこむ手数をかけるのがいやなのだ。たねごまにすると、なた一丁でほだに切り口を付け、くさびを打ちこめばいいし、ふたの必要もない。これなら飛びつく。
「しいたけのさいばい」(小学校教科書)memorial_002_02

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 1946年から、農林省はしいたけ増産5か年計画をたてた。その結果、1952年には、ほししいたけ2700トンを生産し、うち、1500トンを輸出し、売り上げは20億円に達した。
 しいたけは栄養素を多分にふくみ、特に保存のきく点は貴重である。むかしから、しいたけは日本食の栄養を補い、国民の保健に大きな役わりを果してきた。そして、このたねごまによるさいばいは、いく十万人の山村の貧しい農民に有利な副業を与えているのである。(101~107頁、ルビ省略)

※この国語教科書は小学校高学年用(6年?)と思われますが、胞子の発芽以降の説明が誤解されそうなので、森喜美男監修・日本きのこ研究所編『最新 シイタケのつくり方』(農山漁村文化協会、1992年)27頁掲載の図「シイタケの生活環」を付けておきます。→詳細は「シイタケのライフサイクル」を参照してください。
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※シイタケ栽培の歴史については別稿を準備中です。