上村邦彦『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性:世界システムの思想史』(平凡社、2016年)の「終章 資本主義の終わりの始まり」3 資本主義からの脱出からの引用(211~214頁)です。引用されている本も読んでみたいですね。

……資本主義が終わるということは、「経済成長」が不可能になる、ということである。「経済成長」が止まるということは、言い換えれば、「剰余価値の実現」が不可能になり、個人消費が低迷し、商品が売れなくなり、利潤を獲得できずに赤字に転落して倒産する企業が増加していく、ということである。大学を卒業して会社に就職し、定年まで同じ会社で勤め上げる、という生活の仕方を選ぶことがますます困難になる、ということである。
 そうだとすれば、私たちは、これから次第に縮小していくはずの、会社に雇用されて賃金労働者として働く「第一経済」以外に、副業としての「第二経済」や互酬的「第三経済」にも足をかけて、危険を分散するとともに生活維持を図る、という複線的な生き方を選択せざるをえなくなるだろう。ただし、それはおそらく、単線的な「第一経済」だけの生活よりずっと「楽しい」ものである。
 そのような生活実践は、すでに少しずつ始まっている。例えば、朝日新聞記者の近藤康太郎は、長崎県諫早支局での記者勤務という本業の傍ら、始業前の早朝一時間だけ「オルタナ農夫」(オルタナティヴな農夫)として自給用の米作りを実践し、それを「資本主義から少しだけ外れる、近代社会からばっくれる」と表現した。「ちょっとだけ、はずれる。全力で逃げるんではない。資本主義社会にも足を突っ込みつつ、肝心なところは、ばっくれる」*さしあたりは、この「ちょっとだけはずれる」ことが重要かもしれない。
近藤康太郎『おいしい資本主義』4頁(河出書房新社、2015年)
 それ以上にもっと「資本主義からはずれる」生活実践も、広く見られるようになった。たとえば、「ナリワイ実践者」を自称する伊藤洋志は、「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事」を「ナリワイ(生業)」と定義し、「一人がナリワイを3個以上持っていると面白い」と言う*。ナリワイは「やっていて楽しいということも大事な条件なので、単なる労働ではない」**。それを彼は「人生を盗まれない働き方」と名づけている***。
伊藤洋志『ナリワイをつくるー人生を盗まれない働き方』4頁(東京書籍、2012年)
**同上、9頁
***同上、副題
 東京出身の水柿大地は、岡山県美作市で「地域起こし協力隊員」として働いた後、美作市上山地区に住み着いて、そこで同じような「多就業」の生活を実践している。彼によれば、「月に五万円稼げる仕事を五つ持ったら二五万円、六つ持てれば三〇万円になる。仮に一つ仕事がなくなっても二五万は稼げる、というところに持っていけるのが多就業の利点であり、幅広くいろころなことに取り組めるので、人としての厚みも増していくのではないだろうかと考えている」*。
水柿大地『21歳男子、過疎の山村に住むことにしました』201頁(岩波ジュニア新書、2014年)
 そのような生活の仕方を、社会学者の上野千鶴子は「百姓ライフ」と名づけた。「「百姓」とは読んで字のごとく「百の姓[ひゃくのかばね]」、つまり多様な職業の組み合わせのことです。気候風土に応じて、夏は稲を耕作し、冬は麦や菜種を育てる。農閑期には機織りや炭焼きをして現金収入に充て、杜氏のような専門的技術を以て出稼ぎをする」*。このような「百姓ライフ」という言葉で彼女が強調するのは、「正規雇用はこれから希少財化する。これからはシングルインカムではなくマルチプル・インカムの時代だ」ということである。それを彼女は「持ち寄り家計」とも呼んでいる。「それは自分の収入源をひとつに限定しない、という選択肢のことです」**。
上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』326頁(文春新書、2013年)
**同上、327頁
 念のために確認しておけば、「資本主義の終わり」が、ただちに経済生活の崩壊や貨幣経済の終わりを意味するわけではない。現在でも、「利潤獲得」を目指してはいない独立自営業者や専業農家も存在しているし、公務員、教員、NPO法人の専従職員など、賃金労働者ではあるが営利活動に従事しているわけではない人も多い。ただし、資本主義的生産様式が支配的な「資本主義社会」に生きている以上、そのような人々も「資本主義の終わり」と無縁でいられるわけではない。だからこそ、自分の生活は自分で守るためのさまざまな工夫がこれから必要になる、ということである。
 最近「脱資本主義宣言」をしたフリーライターの鶴見済は、この宣言の意味を次のように説明している。

「脱資本主義」などと言うと、「社会主義にするのか」「カネは使わないのか」「昔に戻るのか」などと極端な反論が飛んできそうだが、どれも違う。少なくとも自分は、とりあえず理想とする方向に向かってみて、その先のことはその都度考えればいいという立場だ。なぜなら、どういう社会にすべきかは、それぞれの場所によって違う答があるはずだから。*

 彼が主に実践しているのは「手作りのイベントと、共同運営の畑」だそうだが、彼がイベントに参加する高円寺の「素人の乱」下北沢の「気流社」など、「こうした店の“界隈”では、贈与経済とも呼ぶべき別の経済が芽生えていて、「脱資本主義」が当たり前に実践されている」**という。
鶴見済『脱資本主義宣言ーグローバル経済が蝕む暮らし』214頁(新潮社、2012年)
**同上、213頁
 作家の佐藤優もまた、「資本主義といるシステムが自壊しているプロセス」の中で「重要なのは、自分の周りで、直接的人間関係の領域、商品経済とは違う領域を、きちんと作ること」*だと語っている。そのうえで彼は、これから起こりうる「資本主義の暴発」をできるだけ抑える対応策として、「具体的には、労働組合、宗教団体、非営利団体などの力がつくこと、さらに読者が周囲の具体的人間関係を重視し、カネと離れた相互依存関係を形成すること(これも小さな中間団体である)で、資本主義のブラック化に歯止めをかけること」**を重視している。
佐藤優『いま生きる「資本論」』241-242頁(新潮社、2014年)
**同上、250頁


朱野帰子『わたし、定時で帰ります。』(新潮文庫、2019年)[あけのかえるこ]

※※「わたしたちの月3万円ビジネス」(2018.01.28)
NPO法人チーム東松山主催『わたしたちの月3万円ビジネス』体験ワークショップ