安富歩編訳『超訳論語 革命の言葉』エッセンシャル版(ディスカヴァー・トゥェンティワン、2016年)のアマゾンサイトでは同書の「内容紹介」として「序」の、①、②で引用した文章の直前部分が掲載されています。

 危機にこそ、人間の真価がわかる。今この時代に読み直したいまったく新しい「論語」。

 本書は、私自身が、この世界を生きるためのよすがを求めて、論語の言葉の響きを聞き取った、その報告である。
 論語という、二千数百年という時間を越えてこの私に届いた奇跡の言葉には、人々の心を響かせてきた、何かがあるはずだ。
 私はその何かを聞こうとして、多くの知識を蓄えつつ、耳を澄ませてきた。
 その響きを本書ではお伝えしたいと思う。

 もちろん本書は、徹底して客観的たらんとしつつ、同時に、徹頭徹尾、主観的な書物である。
 それゆえ、ここに書かれていることを、決して鵜呑みにしないで頂きたい。
 一つ一つの言葉が、役に立てば役に立て、役に立たなければ、捨てて欲しい。
 そして、論語について何かを誰かに言いたい、と考えたなら、必ず原文に当たり、
 本当に私が聞き取った響きが聞こえるかどうか、読者自ら確認してほしい。
 もし違った響きが聞こえたら、それがあなたにとっての論語なのであり、その響きを大切にして欲しい。
 本書はそのための手がかりに過ぎないのである。(「序」より 著者よりコメント)

※本書が「徹底して客観的たらんとしつつ、同時に、徹頭徹尾、主観的な書物」であるとはどういう意味でしょうか? 
内容紹介で引用されている部分の更に前の部分では、論語の言葉から真実を聞き取るには、二つの方法、客観的な方法と主観的な方法とがある。客観的な方法とは、「二千数百年前の、孔子が生きた時代がどのようなものであったのかを、文献や考古学の資料に基づいて推定し、その上で、論語を資料として読む」方法であるが、この客観的な方法だけで「正確な意味を汲み取る、というのは、人間にはできない相談」、「孔子が言った言葉の本当の意味を客観的に措定することなど、決してできない」。それでも客観的方法には「ある言葉が意味していないことを明らかにできる」ことと、「その言葉が元来意味した内容を明らかにできる」ことを指摘していますが、で引用した部分からも、安富さんの『超訳論語』が客観的方法を十二分に踏まえたものであることが理解出来ると思います。

※アマゾンのカスタマーレビューにある甘凡君さんの「なぜ、革命の言葉なのか」(2019年5月25日)では、この本と著者の選書である『生きるための論語』との併用が勧められ、安富さんの『論語』三部作、『生きるための論語』、『生きる技法』、『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術』を読むと、①現代でどうしたら幸福に生きられるかという問題提起から、論語をどう解釈し直したか、②現代人が幸福を考える上での8要素(1自立、2友達、3愛、4貨幣、5自由、6夢、7自己嫌悪、8成長)に対して、どう考えるかを提示し、③その8要素で、もっともやっかいな自己嫌悪に関して、どう克服するのかの著者の思想(論語をベースにした実践哲学)が述べられているとして、この3冊を読むのがベストとしています。

※仁とは
白川静『字通』(1996年)によれば、字訓に「したしむ・いつくしむ・めぐむ」があり、「初形は人の下に敷物をおく形」「人が衽(しきもの)を敷いている形」で「衽席(じんせき)を用いて人に接することによって親しむ、和むという具体的な行為や事実から、次第に抽象化して「和親・仁愛」の意に展開したものであろうとしています。
仏教語に「一月三舟」(いちげつさんしゅう、いちがつさんしゅう)があって、「一つの月も、止まっている舟、北へ行く舟、南へ行く舟から見るとそれぞれ異なって見えるように、人はそれぞれの立場により仏の教えを異なって受け取るということ」(『デジタル大辞泉』)とされています。仁についてもあれこれと考えていきたいですね。