脱穀・調整 『小川町の歴史 別編 民俗編』(小川町、2001年) 289頁~291頁 執筆:高木文夫さん
脱穀・調整 大麦の脱穀は、竹製のコキ(センバ)で穂を扱き莚の上に広げて天日に乾燥させた。その後、フリボウ(クルリボウ)をブッテ(打って)粒を落とす。このことを麦打ち(ムギジノウ)という。
 フリボウ作業は庭に莚を敷き、その上に麦をのせる。この莚の周りにほっかぶりをした近所の手伝い人のトシヨリなど5、6人が集まり、フリボウで叩く。それをカンマシ裏返しをしてから、また叩くとノゲがよく落ちる。この時「岩殿山鳴く鳥は 声もよし ね(音)もよし 岩のひびきよし……」の麦打ち唄を歌いながら叩いていたという。麦打ちは、夏の炎天下に行う大変な作業である。大麦は殻がついているので量が取れる。フリボウで脱粒したあとは、モンブルイで振るいトウミで吹いて選別した。
 小麦の脱穀は、サナ(麦打ち台)に叩きつける(はたく)と粒が落ちやすかった。サナは縦2尺5寸、横5尺位になっており、本体は木製で、叩きつける部分は竹製になっている。土間や台所など6畳位の場所に莚を敷き詰める。その上にサナを置き、周りに幕やカイコ用の古い渋紙を張り、サナを囲んで脱粒した。この作業は麦束のもとを両手でつかみ穂先をはたくとポロリと落ち、ノゲやゴミが飛び散る。時間が経ってから打つと殻の落ちが悪くなる。10俵位の小麦をサナに3人で叩きつけると3日位かかったという。
 戦後使われ始めたアシフミ(フミキカイ・輪転機)は、小麦や大麦の脱穀にも使っている。小麦はアシフミの周りに莚やゴザなどをホロとして掛けてから脱穀した。大麦はアシフミで脱穀したものをノゲをとるために再びフリボウで叩いたという。そのあとは、アシフミから脱穀機になった。
 脱穀が済むとモンブルイで振り、トウミにかけて良質の麦と軽く質の悪い麦やゴミとを選別する。この選別した麦を庭の莚の上に乾燥のため広げ、ホシモノヒロゲ(干しもの返し)を使い、良く干す。乾燥は、天気が良ければ2~3日で充分である。麦の検査後、乾燥した麦を俵に詰めて出荷する。自家用(クリョウ・タベリョウ)の麦を精米所で搗いてもらっていたほか、木呂子の人は、荒川の「船水車」に出向き、自分達で水車を動かして麦を搗いていたという。