面子は江戸時代からの子供の玩具です。埼玉県内では、メンチ(めんこ)、ブツケ(ぶっつけ)やパー(ぱーす)などと呼ばれ、男の子のポピュラーな遊びでした。日本各地に、パッチンとかいろいろな呼び方があるようです。
嵐山町(らんざんまち)古里(ふるさと)の大塚基氏さんが書いた子供の頃(昭和30年代)の面子遊びの思い出です。
   ぶっつけ
 私の子供の頃の冬場の暇な時には、よくぶっつけとべーごまをしたものです。
 遊びの方法から名付けたのだと思いますが、ぶっつけは、ボール紙を丸く切ったその表に、映画やラジオ番組や漫画の主人公などが描かれたりしている一種のおもちゃで、一般的には「面子(めんこ)」とも言われていました。
 しかし、私の地方では、それ自体を「ぶっつけ」と言い、遊びもぶっつけと言いました。ですから「ぶっつけを持ってきてぶっつけをしよう」と言う感じで遊びが始まりました。
 ぶっつけの遊びの方法は2つの方法がありました。
 一つは、何人かの子供が集まると、じゃんけんして順番を決めます。そして負けたものがふっつけを土べた(土)の上に置くと、一番勝った者が土べたに置いてあるぶっつけの側に自分のぶっつけをぶっつけて(たたきつけて)、置いてあったぶっつけがおきると(表裏がひっくりかえると)、そのぶっつけが貰えるというゲームです。何人かで遊んでいると、何枚もぶっつけが土べたに置いてあるので、初めの一枚がおきると次のふっつけに挑戦できます。そして、おこせなかったら次の人と交代になるゲームです。
 しかし、ぶっつけで相手のぶっつけをおこすには技術が必要です。ぶっつけは直径3センチぐらいのものから、直径が15センチを超える大きいものがあります。ですから大変です。でもゲームが進行していくと、大きいぶっつけも草花や石っころなどの処に跳ねて行って、斜めになったりするので小さいぶっつけで大きいぶっつけをおこすチャンスが生まれます。
 私の子供の頃は何処の家でも子沢山で子供がいっぱいいました。ですから、私もそうでしたが、子供が弟や妹を負(お)ぶって子守りをしながら遊ぶのも当たり前のことでした。そして、冬の寒い頃には背中の子供が寒くて可哀相なので、背中の子供の上から袢纏(はんてん)を羽織って帯で結わえて遊びました。
 そこで、袢纏を着たままふっつけをすることになりますが、袢纏を着たままふっつけをすると袢纏の大きな袖が空を切り、その風圧でぶっつけがおきる可能性もあって、『ずるい』などと、子守りをしていない子供が子守りをしている子供に対して不満を漏らすこともありました。
 いずれにしてもぶっつけは、土べたにおいてある相手のぶっつけに自分のぶっつけをぶっつけるようにして、その風圧なり、ぶっつけた反動なりで、相手のぶっつけを裏返しにさせてとってしまうと言うゲームです。
 もう一つのぶっつけの取りっこのゲームは、遊びの名前を思いだせませんが、板などの平らな台の上に置いた対戦相手のぶっつけの縁に、自分のぶっつけの縁を少し折って、その折った面を台の上に乗っている相手のぶっつけに横殴りにぶっつけて、台の外に出してしまえば相手のぶっつけが貰えると言うゲームです。そして、どちらも台の上に残ったり、両方とも外に出てしまった場合は、引き分けで順番が次の人に移るというゲームです。
 ぶっつけは、お正月を中心とした、冬場の子供の遊びでした。…… (嵐山町古里・大塚基氏)
 遊び方はいくつかあり、「あおり」、「おこし」、「さばおり」、「さし」、「つきだし」、「はたき」、「おとしめん」などと呼ばれています。遊び方は同じでも呼び方はいくつもあるようです。大塚さんの紹介しているのは、「あおり」と「つきだし」でしょうか。

※日本大百科全書(ニッポニカ)の「めんこ」解説です。
  めんこ
江戸時代からある子供の玩具(がんぐ)で、泥、板、鉛、紙、ゴム、ガラス製などがある。面子とも書き、古くは面打ち、面形(めんがた)ともいった。最初泥 製のものが登場した。直径3センチメートル、厚さ3、4ミリメートルほどの面型に、粘土を詰めて焼いた。江戸時代享保(きょうほう)年間(1716〜 1736)まず上方(かみがた)でつくられ、江戸中期以後幕末にかけて流行した。図柄模様に、当時の人気俳優の家紋、火消(ひけし)の纏(まとい)、相 撲、芝居、地口、江戸地名、商売往来、英雄もの、文字、鳥居などがあり、種類は2000種にものぼった。遊び方は、地面に6から16くらいの区画を描き、 一定の位置からめんこを投げ入れ、相手のものに重なれば自分の所得となり、もし線の上にかかれば逆に相手にとられる。この方法を江戸では「きず」といい、 京では「むさし」、大坂では「ろく」などとよび、各地でそれぞれの名で流行した。
 明治時代には、厚さ1ミリメートルほどの鉛の薄い板に、武者絵 や花模様を彩色した鉛めんこが出現した。直径約3センチメートルのものを中心に、大小各種があり、円形のほかに武者絵の刀や槍(やり)の穂先の部分を突出 させたり、力士姿をその体形のままにつくったものなどがあった。江戸時代の泥めんこにかわって1879〜1880年(明治12〜13)ころから現れ、日露 戦争前後を頂点として盛んにもて遊ばれた。遊び方には、トーケン、カッパの2種があり、泥めんこと同じ方法で行われた。またトランプの銀行遊びのような遊 び方もあった。
 さらに明治後期からは、これらにかわってボール紙製の紙めんこが流行し、現在もみられる。円形の丸めんこのほか、しおり形の長 (なが)めんこもある。遊び方は、地面の相手のめんこに自分のものをたたきつけ、横から風をおこして相手のものを裏返しにすれば勝ちとなる。めんこは地方 によって、ビタ(青森)、ブッツケ(北関東)、ベッタン(関西)などと、いろいろによばれる。べいごま、ビー玉とともに賭(か)け事遊びとして、流行期に は小学校で禁止されることもあった。 [斎藤良輔]
市町村史の民俗編の子供の遊びの中に書かれている「めんこ」の部分を、続きの記事で紹介します。