野本寬一さんは『藤枝市史 別編 民俗』「第5章季節のめぐり」で藤枝市の年中行事の特色の一つに「年玉(としだま)・年霊(としだま)としてのトシトリモチの形式が確立されていること」をあげている。暮れについた餅を「トシトリモチ」として家族で食べる伝承行事です。

トシトリモチ 『藤枝市史 別編 民俗』2002年 324頁~328頁
正月準備の中心は餅搗きであり、お飾り、注連縄などの用意である。クモチは嫌うといって二十九日の餅搗きを避けるのは全国的傾向である。九(く)が苦(く)と同じ音だからである。一夜餅を嫌って三十一日の餅搗きを避ける例もあるがこれは比較的新しい禁忌である。表1-5ー1[トシトリモチについて、藤枝市、焼津市、大井川町の16例(伝承地・餅の名称・行事伝承内容・伝承者)をまとめた表]に見る限り、十二月三十日に搗く例がほとんどだった。それは旧暦に基づく習慣だったと見てよい。……三十一日に餅を搗かずに三十日に餅を搗き、その日にそれをトシトリモチにするということは、三十日から一日へ、旧年から新年へと転換する旧暦時代の流れを踏襲してのことと考えられる。旧暦には大の月三十日と小の月二十九日があるのだが、十二月を大の月三十日に当てたことになる[よる?]。
[表中14事例が、家族個々に一個ずつのトシトリモチが与えられている]現在、正月には子供達が大人から「お年玉」と称して現金を与えられるのであるが、古くは年玉は年霊(としだま)であり、餅が年霊を象徴するものであったとする考え方は一般化しつつあるが、それは実証されたとはいえない。鹿児島県の甑島(こしきじま)で、大晦日の晩トシドン(年殿)と呼ばれた仮面の来訪神がやって来て、子供達にトシトリモチ・トシダマと呼ばれる餅を配って歩く例が広く知られており、八丈島で家族の人数分だけの餅を神棚に上げ、これを身祝い餅と称して四日に下ろして雑煮を入れて食べる例などもあるが、年霊餅(としだまもち)の実証例は少ない。そうした中で、表1-5-1に示したような藤枝市のトシトリモチの事例は貴重である。新年を迎えるに際して家族一人一人に餡をまぶした餅が与えられ、これをミゴで切って食べるというトシトリモチの形は、藤枝市・焼津市・大井川町から大井川以西の遠州南部にまで及んでいる。トシダマの餅として注目すべきものであろう。……[膳の上にミゴを敷き、その上に大きな餅を載せ、その一つの餅をミゴで切って家族で分けて食べる事例]……トシトリの日に一つの餅をミゴで切って家族全員で頂くというのは、年霊をハヤしていただく、年霊を増殖分割させていただくという要素が見られ、より古層の民俗を示すものと見ることができる。トシトリモチを食べることは、新たなる年の霊を体の中にいただくということにほかならないのである。