浅野明さんの『稲干しのすがた』(文芸社 2005年12月)にあるバラ干しの平干し(=ベタガリ)と棚干し(タナガリ)の話で、滑川町の水房(みずふさ)(嵐山町に接する市野川左岸の地区)の稲刈りの仕方です。

バラ干
 平干
……ベタガリと呼ぶのは埼玉県滑川町水房である。この地ではタナガリと呼び、四うね分の刈った稲を束ねず、となりの二うねの稲の上にのせて干すという棚干しが行われている。上にのせた四うね分の稲が乾き、取り入れたあとに残った二うねの稲、これを刈っても棚にする稲がないため束ねず田に寝かせて干した。これをベタガリと呼んだのである。ベタガリの稲は乾いたところで束ね脱穀した。……バラの平干しは古くから行われていたようで、正安元年(一二九九)に、奧州江刺郡にある祖父河野通信の墓前へ上人が詣でた所の場に、墓のかたわらの田の中、稲を伏せて干してあるのがみられ、乾田の所では古くからみられたようである。(18頁~22頁)
一遍上人絵伝聖塚
 一遍上人絵伝聖塚の図
 【岩手県北上市稲瀬町水越にあります】
……
 棚干し
 ヤチ田・ドブッ田などと呼ばれ、足が深くもぐるような田ではむずかしいが、少し水はけのわるい田などではタナガリなどと呼ぶ棚干しが行われていた。埼玉県滑川町水房ではタナガリと呼ぶものは五【ママ】うねの稲を刈ると、となりの二うねの稲を少し寝かせ、この上に刈った五【ママ】うねの稲を束ねずにのせる。こうして五うね刈っては二うねの上にのせられた稲は七日ほど置かれ、乾いたところで小束十把分を一まるけにしておき千歯で扱(こ)いだ。五【ママ】うねの台となった二うねの稲は刈っても台とする稲がないため、ベタガリと呼び、束ねず田に寝かせて干した。長野県浅科村上原ではタナガリと呼ぶのは、四うねを少し寝かせ、この上に五うねの稲を束ねずにのせる干し方。これをオオダナとも呼んでいたという。二うねを寝かせ、これに五うねの稲をのせて干すのをコダナと呼んでいたが、コダナは雨にあうとつぶれてしまうためオオダナが多く行われていたという。オオダナは少しぐらい雨が強く降ってもつぶれることはなかった。
 タナガリの行われていた頃の稲はアイコクであった、と浅科村ではいっている。アイコクは丈が短く棹が太く丈夫であったといわれる。そのようなことがタナガリという干し方を行わせることになったと思われる。アイコクは味はわるいが寒さに強く、粒が大きく収量の多い品種で、ドブッ田に合う稲であったことから、昭和初期まで各地で栽培されていた。浅科村でもアイコクでタナガリが行われていたのは、昭和八年頃までであったといわれている。滑川町では品種について聞くことはできなかったが、タナガリを行っていたのは昭和の初め頃までであったといわれ、水房でもアイコクによってタナガリが行われていたのであろう。(23頁~25頁)……

4うね分か5うね分か統一されていませんが、それを棚干し(タナガリ)して、2うねの稲の上にのせて干す。それが乾燥すると、千歯扱きで脱穀するために、結束して取り去られる。その後、台になっていた2うね分の稲を平干し(ベタガリ)して、田んぼの地面に寝かせて干す。棹が太くで丈夫であったアイコク(愛国)という品種の稲であったから、上にのせられた棚干しの稲の重さに耐えられたということです。