イネを稲架にどう干しているのか、作業の合間に稲架の呼称や写真を撮って記事にしています。
有薗正一郎(ありぞのしょういちろう)さんの『農耕技術の歴史地理』(古今書院、2007年)の第8章「近世以降の稲の干し方の分布について」を読んだのでメモしておきます。

第8章 近世以降の稲の干し方の分布について
 第1節 稲の干し方3種類の長所と短所
   稲作の作業のひとつに、刈った稲の籾を干す作業がある。その方法はおよそ次の3つである。
    (1) 穂首刈りして、穂の束を干す方法
    (2) 刈り取ってすぐ脱穀して、籾を干す方法
    (3) 籾付きの稲束を干す方法

 (1)の穂の束を干す方法は、1枚の田に成熟期が異なる稲を混植して、成熟した穂から順次摘み取っていた時代には、もっとも合理的な方法であった。この方法は、穂首の摘み取りから乾燥までの作業時間を分散できるが、まだ籾が穂軸に付いている分だけかさばるので、籾を干す方法よりも広い面積を要する。穂首刈りした稲束の干し方については、農家の庭に持ち込んで地干ししていたとの説がある。
 (2)と(3)は、1枚の田に1種類の稲を作付して一斉に刈り取る耕作法が普及してから、広くおこなわれるようになった干し方であろう。(2)の籾を干す方法は、干す場所は小さい面積で済むが、広げた籾のうち、日が当たらない下の籾が乾きにくいので、上下の籾をかき混ぜる手間がいる。(3)の籾付きの稲束を干す方法には、稲束を田面に置いて干す地干し法と、稲束を立木または稲架(はざ)に掛けて干す掛け干し法がある。
0001
地干し法は稲束を干すための施設作りと片付け作業をしなくて済むので、手間はかからないが、水を落とせない田では乾かしにくい。掛け干し法は田の状態に関わりなく稲束を干せるが、稲束を干すための施設作りと片付けに手間がかかる。
 近世以降は、(2)か(3)の方法で稲の籾を干していた。そして、多くの地域では(3)の中の地干し法から地干し法と掛け干し法が並用される姿に変わっていったが、近代に入っても(2)の籾を干す方法をおこなう地域があった。しかし、(2)と(3)に含まれる方法のうちで、いずれが進んだ方法かという視点は適切ではなく、それぞれの地域ごとに、またひとつの地域内においても、田の条件に応じた干し方の使い分けが行われていたようである。(以上118頁~119頁から引用)

 第2節 近世の稲の干し方の分布
 第3節 近代の稲の干し方の分布
 第4節 地干し法がおこなわれた理由を考える

 第5節 なぜ掛け干し法は普及したか
 ……近世から近代にかけて、地干し法から掛け干し法に変わっていったということである。その理由は、掛け干し法は穂先が均等に空気に触れるために、地干し法よりも籾の水分含有率を揃えることができ、これが市場での米の評価を高めたからであろう。この動きの中で目立つのは、九州が一貫して地干し法だったことであるが、その理由はわからない。
 ただし、地干し法は逐次消滅していったわけでもなく、近世後半から近代にかけて、掛け干し法と並用されていたことも明らかになった。……
 現在の日本人の多くが稲刈り後の水田の原風景としてイメージしているであろう稲架による掛け干しの歴史は、たかだか200年ほどであり、かつ掛け干し法が卓越するようになるのは20世紀中頃のことなのである。

 ……近世後半から近代にかけて地干し法が掛け干し法と並用されていたのは、それなりに理由があった。
 第一に、近世には湿田が多かったとされるが、その多くは安定しない用水事情に対応するために田に溜った水を囲っておいた人為的な湿田であり、稲刈り前に水を落とせば、刈った稲束を田面に干すことができたと考えられる。干す作業が終わってから、また水を入れて漏れないように囲っておけばよいわけで、湿田でも稲束を干すことはできる。
 第二に、近世は現在よりも背丈の高い稲が多かった。したがって、逆さに掛ける稲束の穂先が田面につかないようにするには、稲架の横木を高い位置に設定せねばならない。また、近世から20世紀初頭までの日本人は現代人よりも背丈が低かったので、稲架の横木はもっと高い位置に見えたはずである。その横木まで稲束を持ち上げる作業を続けるのは、かなり苦痛である。さらに、掛け干し法は稲束を干すための施設作りと片付けの労力がかかる。地干し法ならば、背丈が低い人でも背丈が高い稲束を楽に扱えるし、稲束を干すための施設作りと片付けの手間がいらない。
 それではなぜ、近世後半から近代にかけて掛け干し法が普及し、地干し法と並用され、次第にその割合を大きくしていったのか。掛け干し法が地干し法よりも確実に稲束を干せるといる理由だけでは、説明しきれない。
 筆者は、営農を指導する側が掛け干し法を奨励または強制したからであろうと解釈したい。米市場で評価を得る方法のひとつが、穀粒中の水分を15%ほどに揃えることであり、それを実現させる方法が、籾粒を田面につけない掛け干し法であった。この視点に立てば、近世における地域の営農の規範が記述されている農書が掛け干し法を奨励し、近代に入ってからは地方の行政組織が掛け干し法を半ば強制したことの理由を、自ずと説明できるのである。そして、掛け干し法を奨励または強制された農民も、掛け干し法の効用を少しずつ体得するようになっていった。さらに、ここ100年ほどの間に、稲の背丈は低く、人の背丈は高くなるにつれて、人の目線から見た稲架の横木の位置が低くなったために、掛け干し作業を以前よりも楽におこなえるようになったことも、掛け干し法の普及を速める方向に作用した。
 こうして掛け干し法の割合が高くなっていき、20世紀中頃には掛け干し法が卓越するようになったというのが、筆者の解釈である。……(以上134頁~136頁から引用)
 
※図31と図32は、133頁にモノクロの写真で掲載されているが、本書カバーにカラー印刷されているのでそれを掲載します。
0000
図の説明:「図31 コシヒカリと在来稲の株丈」左がコシヒカリ、右が在来稲。女性の身長は150㎝。稲架に掛けると、この女性が稲束を掴んでいる位置が稲架の横木の位置になる。在来種は肩よりも高い位置に横木があるので、持ち上げて掛けることになる。(筆者撮影)
「図32 同じ高さの稲架に掛けたコシヒカリと在来稲の姿」左2列がコシヒカリ、右2列2種類の在来稲。右端の在来稲の穂先が田面に着いている。(筆者撮影)

(以上引用おわり)
横木を何段にも組んで、ハシゴを掛けて稲束を干し稲架がありますが、それはどういうわけなのでしょうか。機会があれば調べてみます。