2021年07月
・「半枯れ」=衰退木?公益財団法人東京都公園協会公園事業部技術管理課研究開発係「ナラ枯れ被害対策の取組について 」の2頁被害発見のプロセスによれば被害木を全枯れ、半枯れ、 フラスありに分けていますが、 市民の森保全クラブ作業エリアでテープをまいたもの全てが被害木ではないかもしれ ませんので、 テープをまいた8本とその周辺の木を調べて被害木を確定する必要 があります。 市民ができることとして、被害木の発見のほか、町田市が実施している「ナラ枯れ・ カシナガ捕獲大作戦に参加しませんか 」のクリアファイルでつくるトラップの設置参考になりました。 作り方の動画もあります。多摩丘陵の自然を守る会の観察記録や、 忠生公園ボランティア・プロジェクトチーム提案「ナラ枯れ・ カシナガ捕獲大作戦from忠生公園 ~未来へまちだのみどりを伝えようプロジェクト~ 」、 そこで紹介されている静岡県森林・林業研究センターのYouTube動画 が参考になりました。(7月29日、会員宛メールから引用)
……被害を放置すると、枯死による倒木で景観が悪くなったり、土砂崩れが起きたりするほか、温暖化や生物多様性の損失など生態系にも影響するため、早期発見と対処が必要になる。
対策は、カシナガの新成虫が6〜8月ごろ、木の中から出てくる習性を利用し、新たな樹木に飛び移るところで、樹木に巻いた粘着シート「かしながホイホイ」で捕獲し、個体数を減らすことだ。……樹木には、カシナガ以外にも他のキクイムシや昆虫が入り込んでいるケースがあるという。このため、森林総研の専門家が、カシナガによる枯死かどうか、つまようじ一本で見分ける方法を伝授した。……職員たちは森林内で、つまようじでカシナガが開けた穴を探しながら、コナラなどの樹木にかしながホイホイを巻き付ける実技に取り組んだ。
県内の国有林は、東京ドーム一万個分ほどに当たる約4万5千ヘクタールある。茨城森林管理署の木村穣署長は「ナラ枯れについて、われわれも基本的なことが分かっていない。職員たち自身でナラ枯れかを判断できるようになってくれれば。人が通る遊歩道付近は特に注意したい」と話した。
森林総研昆虫管理研究室の衣浦晴生室長は「都市部では公園や低山で被害が見られる。今後は市民ボランティアに協力を呼び掛け、ナラ枯れを見つけて初期の段階で対処していく方法について考えたい」と意欲を示した。
◆つまようじを使って見分ける
森林総合研究所昆虫管理研究室・衣浦晴生室長によると、ナラ枯れはつまようじを使って見分けることができる。まずは枯れた樹木の根付近に木の粉が落ちていないか確かめ、幹につまようじが入るぐらいの穴を見つける。穴が大きすぎず、また小さすぎず、つまようじが、やや斜め方向にぴったり入り、5ミリほどで止まれば8、9割はカシナガが入り込んでいると判断できる。
<カシノナガキクイムシ(カシナガ)>
体長4.5〜4ミリで黒っぽい円柱形の体を持つ。生物学的にはカブトムシに近い。ナラ、シイ、カシ類の樹木に穴を開けて入り込み交尾、産卵する。この際、ナラ菌が樹木に入り、感染した部分の細胞が死に、水分などの通り道となる導管が目詰まりして枯死する。
YouTubeの動画9本が紹介されています。
重要なのは①自動車で使う「電気をつくる」ときと、②「電気自動車をつくる」ときのCO2を減らすこと
①「電気をつくる」とき
太陽光発電や風力などの「再生可能エネルギー」での発電を広めるのも効果的
太陽光があたっている昼間や風が吹いている時間帯に充電
②「電気自動車をつくる」とき
ライフサイクル全体(①原料の採掘・輸送、②材料製造、③電池・部品の製造、④車両の組み立て、⑤電力走行、⑥廃棄)でCO2排出量を減らし、脱炭素するのが重要
2035年頃には販売される新車が電気自動車になる必要がある
電気自動車をみんなで使うカーシェアリング
電気自動車を持っている人に乗せてもらう
バイクや自転車を使う人、電気で動くバスや鉄道を使う人も増える
燃料電池自動車やバイオ燃料自動車にも可能性
安く、長距離走れて、充電や充填がしやすい脱炭素の自動車が広まるのでは?
自動車産業全体で一生懸命に対応
⑥飛行機はどうなるの?もう乗れなくなっちゃうの?(小6・中3・会社員)
飛行機は鉄道の約5倍のCO2を排出
重い機体・高い所・高速で移動→多くのエネルギーが必要
バッテリーは重くてかさばるので、電気の飛行機を作ることは簡単ではありません
植物やプランクトンを使った「バイオ燃料」が考えられている
バイオ燃料はまだコストが高い
飛行機の運賃がかなり高くなることも考えられます
飛行機は特別な時だけの乗り物になってしまうかも
フランスでは「鉄道で2時間半以内のフライトを禁止する動きも
飛行機がなくなったり、乗れなくなったりするわけではありません
⑦なぜ日本は温室効果ガス排出量を2030年までに2013年度と比べて46%削減しようとしているの?10年もないのに本当に達成できるの?(中3)
「世界的な平均温度上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求する」
NDC:「国別約束」「国が決定する貢献」 2013年比26%削減(日本 2015年)
IPCC:「気孔変動に関する政府間パネル」 気候変動を多面的に評価する機関
気温上昇を1.5℃に抑えるためには、世界の二酸化炭素排出量を2050年までに実質ゼロにすることが必要
2050年 80%削減
21世紀後半の早期脱炭素社会の実現
2050年脱炭素社会の実現(2020年10月)
2050年に80%削減→2050年に脱炭素社会(実質ゼロ)
2030年46%削減(2021年4月)
私たちも今から何ができるか、周りの人たちと考えてみましょう
⑧個人ができることで一番効果のある対策って何?(小4)
効果的な対策につながるヒントを3つ
ヒント1 太陽光発電などの再生可能エネルギーを使用
契約する電気会社を選びなおすという手も
自然エネルギーを使用している電気会社と契約
ヒント2 古い家電製品の買い替え
冷蔵庫やテレビの買い替えで大きな削減効果の可能性
ヒント3 生活の見直し
窓を開けっぱなしにしてエアコンをつけない
服装でも温度調節を
節水シャワーに交換
モニターの明るさ調整
(温水洗浄便座)季節に合わせた温度設定や必要がなければスィッチをoffに
(ドライヤー・炊飯器)短時間使用ですむ工夫を
効果的な対策をするには自分の生活を知ることが大切
脱炭素社会 温室効果ガス排出量=温室効果ガス吸収量
温室効果ガスの排出量「実質ゼロ」の社会
温室効果ガスの種類 二酸化炭素 メタン 亜酸化窒素 ほか
二酸化炭素を出さないようにすることが地球温暖化を食い止めるのに有効
石油や石炭などの化石燃料に頼らずに、再生産エネルギーでまかなう
省エネの取組を積み重ねてエネルギー消費量を減らす
もともと大気中にあったCO2が大気中に出てくる
小枝や落ち葉を燃やさない
土の中に埋めてみては?
CO2を土の中に貯めておく
大気中のCO2の量を減らすことにつながる
石油や石炭といった化石燃料は燃やすと温暖化の大きな原因
何億年も土の中にとじこめめられていたCO2をたった数十年で大気中に出してしまう
化石燃料を燃やすことは温暖化の大きな原因
たき火の煙には体に良くない成分も含まれているので気を付けて
たき火をする場合はルールとマナーを守って
電気オーブンで焼きいもを作る場合
電気がどんなほうほうで作られたかが大事
火力発電で作られた電器を使うとたくさんのCO2を出すことになる
太陽光や風力発電で作られた電気ならCO2はほとんど出ない
③使っている家電製品を長く大事に使うのと新しい製品に買い替えるのでは、どちらがいいの?(中3)
冷蔵庫では2003年製と2013年製とではエネルギー消費量が3分の1
買い換えにより、エネルギー消費量が大きく下がる可能性
家電製品を作るときにもエネルギーや資源を使います
買ってすぐ捨ててしまうのはエネルギーや資源の無駄遣い
10年以上使っている家電製品であれば買い替えを検討してもよい
1. 今、使っている製品の確認を 年間エネルギー消費量を参考に
2. 新しく買い替えるときも省エネ性能の比較を
3. 大きな製品に買い替えると省エネ効果が下がってしまうことも
15年以上使っている冷蔵庫やテレビは買い替えで諸費電力の大幅減ができるかも
④大人が外に行かないで、家でめちゃめちゃスマホをするのは、やっぱり脱炭素になるの?(小5)
クルマの利用を控えた方が脱炭素に近づく
在宅勤務で通勤をなくして移動を減らすのは脱炭素に有効
自宅でスマホを使う時は、自宅の照明や空調を使用しているので注意
サーバーセンターでも大量の電力を消費
運動する量がへってしまうと、健康にもよくありません
何事もほどほどに
卵のうを守ったまま死んでいくクモ
子グモが分散するまで見守るクモ
子グモにミルクをあげるクモ
卵をくわえて保護するクモ
卵のうをくわえたまま移動するクモ
卵のうを運び、生まれた子をおんぶするクモ
母グモが子グモたちの食糧になるクモ
アマチュア向けのクモの図鑑
日本のクモ (文一総合出版)
クモ ハンドブック(文一総合出版)
おしまいに
※CCNE『原発ゼロ社会への道2017』(目次、PDF)
虹の発生原理は上述のように太陽と観察者と水滴群の三者の位置関係が特定の条件になった場合に観察されます。太陽(光源)は必ず虹を見ている人(観察者)の背後から射しており、虹の円弧の中心は、太陽と観察者を結ぶ直線の延長線上にあります。つまり、空中の水滴群と観察者と太陽(光源)との位置関係は特定の条件で結び付けられており、この相対的位置関係が成り立てば、雨上がりの空以外でも虹は発生することになります。(光と色の話 第一部 第19回 虹の色(『シーシーエス株式会社』)

写真にある2本の虹の内、目立つ方の虹は主虹(しゅこう。外側:赤、内側:紫)、外側のうっすらと見える虹は副虹(ふくこう。外側:紫、内側:赤)と呼ばれ、色の順序が逆になっています。主虹と副虹に挟まれた中間の空は主虹の下側、あるいは副虹の上側の空よりも幾分暗く見えます。この暗い領域は「アレキサンダーの暗帯」と呼ぶそうです。
虹の色数は文化の問題とする説:物理学者の桜井邦朋は『考え方の風土』(1979)の中で「虹の色の数にしても、私たちは何の疑問もなしに7と答えられるのに、アメリカでは6としか答えられないことを知ったときには、まさに、文化的風土、言い換えれば思考のパターンなどに反映される知的風土が、彼我で完全に異なるのだという有無をも言わさぬ結論を示されたようで、私にはたいへんなショックであった」と書いている。また言語社会学者の鈴木孝夫は『日本語と外国語』(1990)の中で、欧米での同様な経験をふまえて「欧米では虹は5~6色と思っている人が少なくない」と書いていて、「こういう認識はそれぞれの言語の背後にある文化によってもともと違うと理解した方がいいのだ」と述べた。さらに鈴木孝夫は「日本人にとっては虹の色は昔から七と決まっている。虹と言えば七色、七色と言えば虹というほど、この二つの結びつきは固い。(略)つまり日本文化の中では虹は七と決まっている。(略)このような連続的に存在する対象を、日本人が七つの離散的な部分に分節して分けるのは、多分に言語文化的な慣習のせいと言えよう」とした。生物学者の日高敏隆も「日本では七色の虹がアメリカでは六色になり、ベルギーでは五色になってしまうのは、たいへんおもしろかった」と書いた。
虹の七色はニュートンの影響:このような考えに対して科学史家・科学教育研究者の板倉聖宣は、「日本人の虹は七色だとする常識の方が間違っていて、欧米人の方がまともだ」と批判した。板倉は鈴木孝夫の説を否定し、日本で「虹が七色」と言われるようになったのは、幕末から明治時代初期に欧米の科学が導入されてから以後であることを明らかにした。江戸時代の人々は「紅緑の虹」と書いていたが、それは中国伝来の表記法をそのまま用いたものだった。江戸時代の西川如見(1648-1724)の絵には「紅緑の虹」として4色に彩色されたものがある。江戸後期に宇田川榕庵はニュートンの音階と虹色の対応を翻訳紹介した。明治以後の日本の学校教育では欧米から伝来した自然科学の入門書の「虹の色は七色」という記述に従って教えられることになった。明治初期に輸入され翻訳されベストセラーとなった『理学初歩』にも「虹の色はViolet、indigo、blue、green、yellow、orange、redの七色」と記されていたが、これはアメリカで書かれた入門書であった。 英語圏では虹の七色を覚えるために「Richard of York gave Battle in vain」(ヨークのリチャードの挑戦はむなしかった)という語呂合わせがある。日本でも「せき・とう・おう・りょく・せい・らん・し」と覚える方法があった。日本もアメリカも、その他の近代科学の成果を受け入れた国々なら「ニュートンの虹は七色説」が教えられた。
アメリカでの六色への転換:欧米では1700~1800年代の色彩学者のあいだでは、ニュートンの「虹は七色」説は否定されて、六色説が主流になっていた。明治中頃までには日本の色彩学者の間でも「ニュートンによる虹は七色説は誤りであり、あらゆる面から見て虹は六色とした方がいい」とされていた。日本と欧米の色彩学者の間ではニュートンの権威は決定的なものではなかった。 しかし、1938~49年までのアメリカの小学校理科教科書では虹は7色と教えられていた。それが6色に変わったのはBertha Morris Parkerの『Teaching Manual to accompany』(1941-1944)の影響である。そこには「プリズムを設置して壁に色の帯を映します。それを教科書の虹色の帯の図と壁に映った色帯を比べさせます。」そして「どれか壁の上の色帯に見つけるのが難しい色がありますか?それはどれですか?」と問うようになっていた。そして「インディゴ(藍色)というのはほとんど青や紫と区別がつきませんね」と子どもたちに気づかせる授業を行い、「虹は七色ではなくで六色と考えた方がいい」「七色に見えなくても心配しなくてもいい」と教えるものだった。 アメリカでは1948年以降の教科書にはパーカーの「虹は六色」が受け入れられた。日本での虹の六色説の受け入れ:第二次世界大戦後に文部省が作った理科教科書はパーカーの単元別教科書をモデルにしていたが、虹は7色として、パーカーらの考えは受け継がなかった。これによって「アメリカでは虹は6色、日本では7色」と別れることになった。日本で「虹は6色」と書いてあるもっとも初期の本は近藤耕蔵の『日用物理学講義』(1917年:大正6年)である。近藤は「スペクトルは6色に大別するがよし」と書いた。近藤の考えは「青と菫の間に藍を入れると、この部分だけ色を細かく分けすぎることになるから、無理に藍を入れずに〈虹は6色〉としたほうがいい」というものだった。しかしその当時物理学者が書いた教科書では虹は6色と書いたものは1冊も無かった。東北帝大の物理学教授で光学を専門にしていた愛知敬一(1880-1923)は啓蒙書の中で「虹は6色」と書いたが、そのすぐ後の記述ではゆらいで「虹は7色」説を繰り返していた。近藤の虹は6色説は、近藤の弟子以外には当時の教育関係者には受け入れられなかった。1942年の啓蒙書でも、霧吹きで作った虹の色を子どもにを数えさせるお話の中で、最初に子どもに「赤、橙、黄色、緑、青、もっと濃い青、紫」と言わせて、大人が「もっと濃い青」を「藍」だと教えて、7色としている。日本でも欧米でもニュートンの権威を乗り越えられたのは、物理学者ではなく色彩学者や技術者、実業教育研究関係の教師たち、科学啓蒙家といった人々だった。日本の分光学の専門家がスペクトルの認識を変えたのは1947年の中村清二『中村物理学・上巻』で、「色の数を数えることはできない」としながらも6色をあげている。1952年ごろまでに6色への転換が行われたが、その当時の検定教科書では大部分が虹は7色だった]。専門家がニュートンの権威を乗り越えても、日本では常識の権威を越えることができなかった。また、日本では早くから虹の教育は小学校の教材ではなくなったため、高校の物理で初めてスペクトルを習うことになり、高校の物理教科書で虹は6色となっていても、その一般常識を変えることが遅れた。