2015年05月
児沢の山側の畑は昨年の秋まではメリケンカルカヤに覆われていましたが、11月6日にメリケンカルカヤを刈り取り、12月14日にトラクターで開墾しました。先日、平畝をつくりましたが、水はけが悪く、小石交じりでササの根っこが多い畑なので畝を高くするために畝間を鍬で掘り、土の中の小石や根っこを除きました。明日も作業の続きをします。




岩殿(入山)A地区の畑と青木ノ入の畑では、須田さんが作業をしました。新たに種や苗を植えたり、間引いたり大忙しです。ソバは早くも花が咲き始めているものもありました。
須田ゼミの田植えは6月11日(木曜日)に延期となりました。麦刈りもする予定ですのでこちらも忙しそうです。




ゼミ生が5月7日にまいたソバ。蒔き忘れしていて後日まいた筋もありますが、種まきの密度もいろいろですね。

そばの最初の間引の目標は1m当り100~150本。間引作業になれない人は、180本ぐらいでよいそうです(→HP『田園科学室』さんの「1次間引と中耕・除草・土寄せ」)
須田ゼミの田植えは6月11日(木曜日)に延期となりました。麦刈りもする予定ですのでこちらも忙しそうです。




ゼミ生が5月7日にまいたソバ。蒔き忘れしていて後日まいた筋もありますが、種まきの密度もいろいろですね。

そばの最初の間引の目標は1m当り100~150本。間引作業になれない人は、180本ぐらいでよいそうです(→HP『田園科学室』さんの「1次間引と中耕・除草・土寄せ」)
畑が濡れている時は絶対に作業をしないことです。大勢が数回づつ歩いたら…延べ百回以上踏み付けることになり、谷と畝の下部がカチカチのコンクリート状になります。空気が通わず、水切れが悪くなり、悪影響がでます。またこんな日に間引くと、葉についた傷に泥が刷り込まれ、植物の健康を害します。さらに、間引き後に必須の土寄せなどの鍬作業ができません。
かわごえ里山イニシアチブ主催『有機稲作ポイント研修会』第3回に参加しました。前回と同様に、民間稲作研究所の稲葉光圀さんの指導で、午前中は川越市福田の耕福米高梨農園、午後は北部ふれあいセンターで座学しました。3月14日、4月18日の研修会に続くものです。
今回はプール育苗の実際(苗代の管理と苗の成長)、水田雑草の実際とその発芽成長、雑草の発芽を促す1回目の代かき、2回目代かきが抑草の重要ボイント、田植えと抑草資材(抑草ペレット)の同時散布などについて学習しました。

4月18日にまいたポット苗(左)。苗半作どころか苗8分作というくらい稲作には苗作りが重要だということや、稲の生理と生態について基本的な知識を学習しておくことの必要性についても再認識しました。
今回はプール育苗の実際(苗代の管理と苗の成長)、水田雑草の実際とその発芽成長、雑草の発芽を促す1回目の代かき、2回目代かきが抑草の重要ボイント、田植えと抑草資材(抑草ペレット)の同時散布などについて学習しました。

4月18日にまいたポット苗(左)。苗半作どころか苗8分作というくらい稲作には苗作りが重要だということや、稲の生理と生態について基本的な知識を学習しておくことの必要性についても再認識しました。
大麦の脱穀・調整工程
脱穀「ムギコキ」(センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(クルリボウ・ムギコナシ【畜力】、麦打ち器【畜力】)→籾、ゴミの選別(オオムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ノギ、ゴミを除く】)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→麦搗き(タチウス、ヂガラウス)→ヒキワリ(石臼を用いる、オシムギ(精米所で加工)にして粒のまま食べる
小麦の脱穀・調整工程
脱穀「ムギコキ、ムギウチ」(ムギウチサナ【麦打ち台】、センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(ムギウチサナで脱穀した場合は省略)(クルリボウ【フリボウ】)→籾、ゴミの選別(コムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ウス皮、ゴミを除く】)→選別(マンゴク【ウス皮の付いた小麦を除く)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→粉に挽き、うどん、まんじゅうなどにして食べる
出典:大舘勝治・宮本八惠子『いまに伝える農家のモノ・人の生活館』(柏書房、2004年)143頁
脱穀「ムギコキ」(センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(クルリボウ・ムギコナシ【畜力】、麦打ち器【畜力】)→籾、ゴミの選別(オオムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ノギ、ゴミを除く】)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→麦搗き(タチウス、ヂガラウス)→ヒキワリ(石臼を用いる、オシムギ(精米所で加工)にして粒のまま食べる
小麦の脱穀・調整工程
脱穀「ムギコキ、ムギウチ」(ムギウチサナ【麦打ち台】、センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(ムギウチサナで脱穀した場合は省略)(クルリボウ【フリボウ】)→籾、ゴミの選別(コムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ウス皮、ゴミを除く】)→選別(マンゴク【ウス皮の付いた小麦を除く)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→粉に挽き、うどん、まんじゅうなどにして食べる
出典:大舘勝治・宮本八惠子『いまに伝える農家のモノ・人の生活館』(柏書房、2004年)143頁
脱穀・調整 『小川町の歴史 別編 民俗編』(小川町、2001年) 289頁~291頁 執筆:高木文夫さん
脱穀・調整 大麦の脱穀は、竹製のコキ(センバ)で穂を扱き莚の上に広げて天日に乾燥させた。その後、フリボウ(クルリボウ)をブッテ(打って)粒を落とす。このことを麦打ち(ムギジノウ)という。
フリボウ作業は庭に莚を敷き、その上に麦をのせる。この莚の周りにほっかぶりをした近所の手伝い人のトシヨリなど5、6人が集まり、フリボウで叩く。それをカンマシ裏返しをしてから、また叩くとノゲがよく落ちる。この時「岩殿山鳴く鳥は 声もよし ね(音)もよし 岩のひびきよし……」の麦打ち唄を歌いながら叩いていたという。麦打ちは、夏の炎天下に行う大変な作業である。大麦は殻がついているので量が取れる。フリボウで脱粒したあとは、モンブルイで振るいトウミで吹いて選別した。
小麦の脱穀は、サナ(麦打ち台)に叩きつける(はたく)と粒が落ちやすかった。サナは縦2尺5寸、横5尺位になっており、本体は木製で、叩きつける部分は竹製になっている。土間や台所など6畳位の場所に莚を敷き詰める。その上にサナを置き、周りに幕やカイコ用の古い渋紙を張り、サナを囲んで脱粒した。この作業は麦束のもとを両手でつかみ穂先をはたくとポロリと落ち、ノゲやゴミが飛び散る。時間が経ってから打つと殻の落ちが悪くなる。10俵位の小麦をサナに3人で叩きつけると3日位かかったという。
戦後使われ始めたアシフミ(フミキカイ・輪転機)は、小麦や大麦の脱穀にも使っている。小麦はアシフミの周りに莚やゴザなどをホロとして掛けてから脱穀した。大麦はアシフミで脱穀したものをノゲをとるために再びフリボウで叩いたという。そのあとは、アシフミから脱穀機になった。
脱穀が済むとモンブルイで振り、トウミにかけて良質の麦と軽く質の悪い麦やゴミとを選別する。この選別した麦を庭の莚の上に乾燥のため広げ、ホシモノヒロゲ(干しもの返し)を使い、良く干す。乾燥は、天気が良ければ2~3日で充分である。麦の検査後、乾燥した麦を俵に詰めて出荷する。自家用(クリョウ・タベリョウ)の麦を精米所で搗いてもらっていたほか、木呂子の人は、荒川の「船水車」に出向き、自分達で水車を動かして麦を搗いていたという。
麦刈りと麦上げ 『小川町の歴史 別編 民俗編』(小川町、2001年) 289頁 執筆:高木文夫さん
麦刈りと麦上げ 大麦の麦刈りは、6月中旬~7月に行い、ほかの麦より早く刈り入れをする。そのあと裸麦、小麦の順番に刈り入れて行く。麦の色が黄色に変わると麦刈りになった。小麦はよく乾燥させて熟したのを鎌で刈り取る。
梅雨時は、暑い上に雨が降ると麦が腐り始めて大変なので、天気待ちの晴れをねらい刈ることになる。天候が悪く乾燥しないと黒くなる時もあり、その場合は脱穀しても実が少ない。
畑地の麦刈りは、間作のサツマの茎を切らないように、鎌を右とか左にうまく回して刈り取った。一方、田麦の刈り取り後には、すぐに田植えの準備としてタホリが始まる。
刈った麦を、その日のうちに大きな束にし、車が通れる所は牛車で、それ以外はショイバシゴに背負って家に持ち込み、縁側や物置に穂合わせをして積み上げる。穂合わせとは、一段目の麦の穂を上に立て、二段目は穂を下にするので、上下の穂が重なる摘み方である。家に持ち込んだ麦は、野外での乾燥が不足していると蛾がいっぱい集まって来るという。麦の借り上げ後は、田植やカイコが忙しいので刈り上げの祝いをした家は少ない。しかし、高見では麦刈りの終日の夕方、白い米と鰯(いわし)か秋刀魚(さんま)などの魚を買いウチテマ(内手間)の家族だけで祝った。また、下横田では大麦の刈り上げ・扱き上げの合同祝いとしてカテメシ(混ぜご飯)を食していた。
麦刈り・脱穀・麦打ちの後 『東松山市史 資料編第5巻 民俗編』(東松山市、1983年)72頁
麦刈り 6月に入ると麦刈りが始まる。麦の色を見て黄色に変わると麦刈りの適期である。このころは、田植えの準備が始まるので水田の作業と麦作りが重なり農家は大変忙しい。「とり込み、仕付けで忙しい」というのがこの頃である。晴れると麦刈り、雨が降ると田仕事と、まさに猫の手も借りたい忙しさになる。
麦の場合は刈り取りが遅れると、雨の多い季節でもあるので発芽してしまうから早目に収穫するのがよく、「麦は十七、八を刈れ」という。
刈り取った麦は畑で一日干す。これをカッポシにするという。ワラで作ったイッソウで束にしてサシ棒でかつぎ出し、リヤカーで家まで運び軒先や小屋に穂合せに積む。穂合せとは一段目は穂を上にして立て、二段目は逆さにして積むので一段目と二段目の穂が重なる摘み方である。
脱穀 麦刈りの後は、麦の穂を落とす作業と脱粒とになる。大正初期まではサナで穂を落し、クルリ棒(振り棒)で脱粒した。振り棒での脱粒は「夏の暑い時にやるのでたいへんな仕事だった」「ノゲが体につくので後で沼に入った」というような大変な労働だった。
麦打ちの後 フルイに通し、唐みでふいて俵につめる。その後、脱穀の作業は、足踏み式脱穀機から動力脱穀機に変わり、脱粒作業はなくなった。この脱粒の時に歌われたのが岩殿等に伝わる麦打ち歌である。
麦刈り 春日部市庄和町史編さん資料13 民俗Ⅲ 日々の暮らしと仕事(春日部市教育委員会、2006年)105頁~106頁
麦刈り 麦のカリシン(刈り芯)は5月末から6月初めであった。大麦はまだ青い状態でも刈ることができる。コムギは、赤くならないと刈ることができないので、6月15日から20日ごろである。
麦刈りは、鎌を使って前に進みながら行う。刈った麦は、畝と平行に置いていく。このとき、刈った麦の穂は、その前に置いた麦のカラの部分に載せるようにして置く。このため、刈った麦は穂でない方の部分を広げるようにして置く。刈った後の麦は、乾燥させるために1、2日間、そのまま畑に置いておく。しかし、雨でも降ると家に引き上げなければならない。
その後、刈った麦束を14、5束で一抱えとし、大束にする。大束にする際には、ユツラと呼ばれるすぐった稲藁を7、8本ずつ分け、穂先で結んだもので束ねる。この大束の状態で運搬し、この作業をムギアゲ(麦揚げ)という。
・(略)
・麦が熟してくると少し穂の先が曲がってきて、穂の色が黄色になる。麦刈りのコツは「鎌を回すように刈る」ことである。引っ張って刈ると刃が抜けてしまうこともある。刈った麦は、1束の量で広げて置いていき、後から腰に藁を下げて1束ずつ束ねていく。1ワの大きさは手で持てる量である。これが16束(4束×4段)で大束になる。穂を上にして、竹槍で挿して畦まで運んで、そこからは荷車やリヤカーで家まで運んだ。【東中野】
・5月20ごろに大麦が熟してきて、青みがなくなってから赤らみ、そして城っぽくなったら刈る。小麦は6月5日頃になる。麦は稲のように垂れない。麦刈りは、刈ったものを寝かしておき、後から丸めて束ねていく。小束が12束(4列×3段)で大束になり、これをタケヤリ(竹槍)で担いで運んだ。田植えが終わるまでは、軒下に積んでおいた。麦刈りは入梅時期になり、麦の芽が出ないように保管した。二毛作のときには忙しいが、小麦を中心に作業をした。麦刈りが終わってから田起こしをして田植えとなる。【永沼】
・麦刈りは大麦が5月末、小麦が6月10日ころを中心に行われる。麦を運ぶには小束を16束で大束を作って運び、バラックの中に立てておいた。穂を上にして2段に積んで、上の段は穂を下にして積んだ。麦刈りごろには雨が多いと刈った麦が乾かないので、屋敷の周りの木を利用して棒を縛ってそこに干した。田植えが終るまで干しておく。【上金崎】
・【略】
児沢の上の奥の田んぼ(140㎡)の田植え(うるちのキヌヒカリ)をしました。参加者はTOTO社員の皆さんとスタッフで15名です。




線ひきで田んぼに筋をつけ、田植えを開始。2時間前に田んぼの水を落水しましたが、もっと田んぼの表面を乾かしておいた方がラインが見やすかったかもしれません。田んぼのところどころが深いので足をとられながらも無事、植え終わりました。苗は苗箱で1箱半使いました。

田植えが終わって、水路の生きもの調べと、田んぼのまわりの樹木を観察し、児沢家で昼食後、シュロの葉のバッタ作りに挑戦。1時過ぎに解散しました。


※TOTO社員の皆さんの田植えは今年で4回目です。昨年の田植えは5月31日で、下の田んぼと今年の奥の田んぼを使いました。昨年の田んぼの写真を見ると、奥は藪でこども動物自然公園のフェンスは全く見えません。
2014年5月31日撮影

2015年5月25日撮影





線ひきで田んぼに筋をつけ、田植えを開始。2時間前に田んぼの水を落水しましたが、もっと田んぼの表面を乾かしておいた方がラインが見やすかったかもしれません。田んぼのところどころが深いので足をとられながらも無事、植え終わりました。苗は苗箱で1箱半使いました。

田植えが終わって、水路の生きもの調べと、田んぼのまわりの樹木を観察し、児沢家で昼食後、シュロの葉のバッタ作りに挑戦。1時過ぎに解散しました。


※TOTO社員の皆さんの田植えは今年で4回目です。昨年の田植えは5月31日で、下の田んぼと今年の奥の田んぼを使いました。昨年の田んぼの写真を見ると、奥は藪でこども動物自然公園のフェンスは全く見えません。
2014年5月31日撮影

2015年5月25日撮影

明日は児沢の上の奥の田んぼの田植えです。
田んぼの低い所をならして少し水を入れておきました。明朝、水を落とします。

明日は、線引きという道具を使って田んぼに筋をつけ、交点に稲の苗を3、4本まとめて1株植え、一人3条(サク、カワ、列)受けもって植えて行きます。通常は後に下がりながら植えていくことが多いのですが、子供が多い場合などは転びにくいので前に向かって植えて行きます。前に植えた方が株を植える場所(筋の交点)が確認し易いかも知れません。
条間30㎝、株間30㎝の正条植えとしますので、一坪に36株植えることになります。これを36株植えと言います。条間は普通30㎝で苗箱の短辺と同じ長さです。条間30㎝で株間を15㎝とすると、一坪72株植え、株間22㎝にすると50株植えになります。
田んぼの低い所をならして少し水を入れておきました。明朝、水を落とします。

明日は、線引きという道具を使って田んぼに筋をつけ、交点に稲の苗を3、4本まとめて1株植え、一人3条(サク、カワ、列)受けもって植えて行きます。通常は後に下がりながら植えていくことが多いのですが、子供が多い場合などは転びにくいので前に向かって植えて行きます。前に植えた方が株を植える場所(筋の交点)が確認し易いかも知れません。
条間30㎝、株間30㎝の正条植えとしますので、一坪に36株植えることになります。これを36株植えと言います。条間は普通30㎝で苗箱の短辺と同じ長さです。条間30㎝で株間を15㎝とすると、一坪72株植え、株間22㎝にすると50株植えになります。
荒川の左岸、鴻巣市の横うえの田植えです。
田植え 『鴻巣市史 民俗編』(鴻巣市、1995年)288頁~289頁 執筆:関孝夫さん
田植え 『鴻巣市史 民俗編』(鴻巣市、1995年)288頁~289頁 執筆:関孝夫さん
田植えは6月下旬に行われ、中でもウエシンは6月22、3日といった。しかし、他の家より後に行った方が、虫もつかず用水の具合もよい。
田植の作業は田んぼの長い方の辺と平行に行い、後向きに進んで行う。シロナワといって、両端のクロからクロへ綱を張って、これを目安に苗を植えて行った。一人2間くらいずつを受け持ち、何人かで同時に行う。株と株の間は細かい程よいとされるが、5寸間隔くらいであった。ウネとウネの間は30センチメートル(約1尺)だった。シロナワは棒に付けて立てるものだが、この棒を移動させるのは、両端で田植えをするものが行った。一ウネごとにシロナワを移動させるのが本当であるが、2尺ずつ動かして、前に植えた苗とシロナワの中間とシロナワの上に苗を植えた。いちいち一ウネごとに動かしていては手間がかかって仕方がないのでこのようにした。
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