麦打ち

麦の脱穀・調整(『新編埼玉県史 民俗編』)

脱穀・調整 『新編埼玉県史 別編1 民俗1』(埼玉県、1988年)365頁~366頁
 麦の脱穀は、大別すると千歯こきや麦うち台、輪転機で行う作業と、そのあとの作業としてクルリボウ(フリボウともいう)や石製ムギコナシやムギズリ、ムギウチなどで行う作業に分けられる。前者の道具で脱穀しても完全には粒に落ちないので、後者は脱粒を主とした作業である。
 脱穀用具は地域や家によっても異なるが、大麦は千歯こき、小麦は麦打ち台で脱穀するというように、麦の種類によって道具を使い分けている地域、あるいは千歯こきで大麦も小麦もこく地域、また両方とも麦打ち台で行う地域などがある。
 千歯こきには、歯が鉄製のものと篠(しの)竹製のものがある。麦の小束を広げるようにして歯にかけ、強く引くと小気味良い音とともに穂首から落ちる。千歯こきでこく人をコキテといい、主に男性の仕事である。歯につまったごみや穂を取り除く人をコキハズシなどといい、女性や子供の仕事である。コキハズシがいないとコキテがコキハズシも兼ねるので、作業能率は悪い。
 麦打ち台は普通、サナとかムギウチサナと呼んでいるが、ムギウチハシゴ(川口市)、ムギウチダイ(飯能市赤沢、秩父市田村)の名もある。麦束を振り上げ、何度も打ちつけて脱粒するのだが、粒が周囲に飛び散るため、莚(むしろ)などで囲いを作って作業をした。
 千歯こきや麦打ち台による脱穀が主流であったのは大正時代中ごろまでで、その後、足踏み式の輪転機に変化する。しかし、輪転機の導入時期は、他の農具の変遷と同じように一定せず、地域や農家の経営規模により異なる。所有形態も必ずしも一家に一台というわけではなく、共同購入の方法も少なからずあった。また、輪転機を導入せず、昭和30年以降も千歯こきや麦打ち台による脱穀を行っていた家もまれにあった。
 輪転機による作業量は、千歯こきや麦打ち台に比べてはるかに勝るが、ごみが大量に出るため、次のボウウチ(ムギウチ)の作業に多少余分の手間を要すといわれる。
 いずれにしても、これらの脱穀用具で脱穀しても粒になりきっていないので、次に脱粒作業をする。この作業はボウチ、ボウウチ、ムギウチ、ムギコナシなどと呼ばれ、クルリボウ、フリボウと称する道具が古くから用いられてきた。千歯こきや輪転機などでこいた麦を、天気の良い日に庭に広げて干した後、クルリボウで打って脱粒し、ノゲ(ノギ)を落とすのである。二人一組で向き合い、クルリボウで交互に打ちながら一人が後にさがり、一人が前進して行く。このような方法で数組が縦と横に十の字型に並んで打つ。そして一回り打ち終わると足で天地返しをし、再びクルリボウで打つ。同様の作業を三、四回重ねると、麦はほとんど粒になる。
 ボウチ(ムギウチ)の作業は、日中暑いうちに終わらせなければならず、労働は過酷で歌を歌いながら行う。この歌がボウチ唄(ムギウチ唄)である。
 脱粒した麦は押し板や麺板で押し寄せて集め、麦篩(むぎぶるい)に通して大きなごみを取り除く。さらに唐箕(とうみ)を用いて細かいごみを除くが、選別しきれないものは、再度クルリボウで打ってこなす。
 このようにして選別した麦は、天気の良い日に天日乾燥させる。この場合、庭に小石などがないところでは、ドジボシなどといって地面にじかに広げて干すが、小石混じりの庭では莚の上に干す。土用干しなら大麦は一日で上がり、天気が悪いと二日間干す。小麦はたいがい二日間干す。この天日乾燥には、ホシモノボシ、エブリなどと称する道具を用いて粒を薄く広げた。
 干し上がった麦は唐箕にかけて選別し、俵詰めにする。小麦はさらに万石(まんごく)通しか篩にかけて選別する。

麦刈り・脱穀 6月11日

須田ゼミ3年生・2年生で麦刈りと脱穀をしました。11月14日に播いた小麦です。鋸ガマや足踏み脱穀機を使いました。脱粒・選別など作業が大変そうですが、精麦・製粉までなんとかしてみます。麦わらは畑の暗渠に使います。
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大麦・小麦の脱穀・調整工程

大麦の脱穀・調整工程
脱穀「ムギコキ」(センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(クルリボウ・ムギコナシ【畜力】、麦打ち器【畜力】)→籾、ゴミの選別(オオムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ノギ、ゴミを除く】)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→麦搗き(タチウス、ヂガラウス)→ヒキワリ(石臼を用いる、オシムギ(精米所で加工)にして粒のまま食べる

小麦の脱穀・調整工程
脱穀「ムギコキ、ムギウチ」(ムギウチサナ【麦打ち台】、センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(ムギウチサナで脱穀した場合は省略)(クルリボウ【フリボウ】)→籾、ゴミの選別(コムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ウス皮、ゴミを除く】)→選別(マンゴク【ウス皮の付いた小麦を除く)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→粉に挽き、うどん、まんじゅうなどにして食べる

出典:大舘勝治・宮本八惠子『いまに伝える農家のモノ・人の生活館』(柏書房、2004年)143頁

脱穀・調整(『小川町の歴史 別編 民俗編』)

脱穀・調整 『小川町の歴史 別編 民俗編』(小川町、2001年) 289頁~291頁 執筆:高木文夫さん
脱穀・調整 大麦の脱穀は、竹製のコキ(センバ)で穂を扱き莚の上に広げて天日に乾燥させた。その後、フリボウ(クルリボウ)をブッテ(打って)粒を落とす。このことを麦打ち(ムギジノウ)という。
 フリボウ作業は庭に莚を敷き、その上に麦をのせる。この莚の周りにほっかぶりをした近所の手伝い人のトシヨリなど5、6人が集まり、フリボウで叩く。それをカンマシ裏返しをしてから、また叩くとノゲがよく落ちる。この時「岩殿山鳴く鳥は 声もよし ね(音)もよし 岩のひびきよし……」の麦打ち唄を歌いながら叩いていたという。麦打ちは、夏の炎天下に行う大変な作業である。大麦は殻がついているので量が取れる。フリボウで脱粒したあとは、モンブルイで振るいトウミで吹いて選別した。
 小麦の脱穀は、サナ(麦打ち台)に叩きつける(はたく)と粒が落ちやすかった。サナは縦2尺5寸、横5尺位になっており、本体は木製で、叩きつける部分は竹製になっている。土間や台所など6畳位の場所に莚を敷き詰める。その上にサナを置き、周りに幕やカイコ用の古い渋紙を張り、サナを囲んで脱粒した。この作業は麦束のもとを両手でつかみ穂先をはたくとポロリと落ち、ノゲやゴミが飛び散る。時間が経ってから打つと殻の落ちが悪くなる。10俵位の小麦をサナに3人で叩きつけると3日位かかったという。
 戦後使われ始めたアシフミ(フミキカイ・輪転機)は、小麦や大麦の脱穀にも使っている。小麦はアシフミの周りに莚やゴザなどをホロとして掛けてから脱穀した。大麦はアシフミで脱穀したものをノゲをとるために再びフリボウで叩いたという。そのあとは、アシフミから脱穀機になった。
 脱穀が済むとモンブルイで振り、トウミにかけて良質の麦と軽く質の悪い麦やゴミとを選別する。この選別した麦を庭の莚の上に乾燥のため広げ、ホシモノヒロゲ(干しもの返し)を使い、良く干す。乾燥は、天気が良ければ2~3日で充分である。麦の検査後、乾燥した麦を俵に詰めて出荷する。自家用(クリョウ・タベリョウ)の麦を精米所で搗いてもらっていたほか、木呂子の人は、荒川の「船水車」に出向き、自分達で水車を動かして麦を搗いていたという。

麦刈り・脱穀・麦打ちの後(『東松山市史民俗編』)

麦刈り・脱穀・麦打ちの後  『東松山市史 資料編第5巻 民俗編』(東松山市、1983年)72頁
麦刈り 6月に入ると麦刈りが始まる。麦の色を見て黄色に変わると麦刈りの適期である。このころは、田植えの準備が始まるので水田の作業と麦作りが重なり農家は大変忙しい。「とり込み、仕付けで忙しい」というのがこの頃である。晴れると麦刈り、雨が降ると田仕事と、まさに猫の手も借りたい忙しさになる。
 麦の場合は刈り取りが遅れると、雨の多い季節でもあるので発芽してしまうから早目に収穫するのがよく、「麦は十七、八を刈れ」という。
 刈り取った麦は畑で一日干す。これをカッポシにするという。ワラで作ったイッソウで束にしてサシ棒でかつぎ出し、リヤカーで家まで運び軒先や小屋に穂合せに積む。穂合せとは一段目は穂を上にして立て、二段目は逆さにして積むので一段目と二段目の穂が重なる摘み方である。

脱穀 麦刈りの後は、麦の穂を落とす作業と脱粒とになる。大正初期まではサナで穂を落し、クルリ棒(振り棒)で脱粒した。振り棒での脱粒は「夏の暑い時にやるのでたいへんな仕事だった」「ノゲが体につくので後で沼に入った」というような大変な労働だった。

麦打ちの後 フルイに通し、唐みでふいて俵につめる。その後、脱穀の作業は、足踏み式脱穀機から動力脱穀機に変わり、脱粒作業はなくなった。この脱粒の時に歌われたのが岩殿等に伝わる麦打ち歌である。

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