麦刈り

麦刈り 6月22日

須田ゼミの実習で麦刈りをしました。昨年12月8日に播いたものです。今年は根元で刈らずに穂刈りして、革手袋やテニスラケットのネットで脱穀する方法を試してみました。足踏脱穀機は使いません。小麦を収穫しても、これまで製粉した経験はありません。初めてのことなので時間と労力、手間がかかると思いますが、お店で買った小麦粉ではなく、畑で刈ったものでパンを焼いてみたいという学生の要望は実現したいです。
P6220012P6220015

P6220016P6220018

麦刈り 6月27日

火曜日から雨が予報されているので、須田さん、院生の菊池さん、片桐さんで午後から麦刈りと足踏み脱穀機で脱穀をしました。昨年は6月11日のゼミの時間に作業ができてにぎやかでしたが、今回は講義やバイトで学生の都合がつかず残念でした。
P6270044P6270043P6270040

カテゴリー「麦刈り」の記事



麦の脱穀・調整(『新編埼玉県史 民俗編』)

脱穀・調整 『新編埼玉県史 別編1 民俗1』(埼玉県、1988年)365頁~366頁
 麦の脱穀は、大別すると千歯こきや麦うち台、輪転機で行う作業と、そのあとの作業としてクルリボウ(フリボウともいう)や石製ムギコナシやムギズリ、ムギウチなどで行う作業に分けられる。前者の道具で脱穀しても完全には粒に落ちないので、後者は脱粒を主とした作業である。
 脱穀用具は地域や家によっても異なるが、大麦は千歯こき、小麦は麦打ち台で脱穀するというように、麦の種類によって道具を使い分けている地域、あるいは千歯こきで大麦も小麦もこく地域、また両方とも麦打ち台で行う地域などがある。
 千歯こきには、歯が鉄製のものと篠(しの)竹製のものがある。麦の小束を広げるようにして歯にかけ、強く引くと小気味良い音とともに穂首から落ちる。千歯こきでこく人をコキテといい、主に男性の仕事である。歯につまったごみや穂を取り除く人をコキハズシなどといい、女性や子供の仕事である。コキハズシがいないとコキテがコキハズシも兼ねるので、作業能率は悪い。
 麦打ち台は普通、サナとかムギウチサナと呼んでいるが、ムギウチハシゴ(川口市)、ムギウチダイ(飯能市赤沢、秩父市田村)の名もある。麦束を振り上げ、何度も打ちつけて脱粒するのだが、粒が周囲に飛び散るため、莚(むしろ)などで囲いを作って作業をした。
 千歯こきや麦打ち台による脱穀が主流であったのは大正時代中ごろまでで、その後、足踏み式の輪転機に変化する。しかし、輪転機の導入時期は、他の農具の変遷と同じように一定せず、地域や農家の経営規模により異なる。所有形態も必ずしも一家に一台というわけではなく、共同購入の方法も少なからずあった。また、輪転機を導入せず、昭和30年以降も千歯こきや麦打ち台による脱穀を行っていた家もまれにあった。
 輪転機による作業量は、千歯こきや麦打ち台に比べてはるかに勝るが、ごみが大量に出るため、次のボウウチ(ムギウチ)の作業に多少余分の手間を要すといわれる。
 いずれにしても、これらの脱穀用具で脱穀しても粒になりきっていないので、次に脱粒作業をする。この作業はボウチ、ボウウチ、ムギウチ、ムギコナシなどと呼ばれ、クルリボウ、フリボウと称する道具が古くから用いられてきた。千歯こきや輪転機などでこいた麦を、天気の良い日に庭に広げて干した後、クルリボウで打って脱粒し、ノゲ(ノギ)を落とすのである。二人一組で向き合い、クルリボウで交互に打ちながら一人が後にさがり、一人が前進して行く。このような方法で数組が縦と横に十の字型に並んで打つ。そして一回り打ち終わると足で天地返しをし、再びクルリボウで打つ。同様の作業を三、四回重ねると、麦はほとんど粒になる。
 ボウチ(ムギウチ)の作業は、日中暑いうちに終わらせなければならず、労働は過酷で歌を歌いながら行う。この歌がボウチ唄(ムギウチ唄)である。
 脱粒した麦は押し板や麺板で押し寄せて集め、麦篩(むぎぶるい)に通して大きなごみを取り除く。さらに唐箕(とうみ)を用いて細かいごみを除くが、選別しきれないものは、再度クルリボウで打ってこなす。
 このようにして選別した麦は、天気の良い日に天日乾燥させる。この場合、庭に小石などがないところでは、ドジボシなどといって地面にじかに広げて干すが、小石混じりの庭では莚の上に干す。土用干しなら大麦は一日で上がり、天気が悪いと二日間干す。小麦はたいがい二日間干す。この天日乾燥には、ホシモノボシ、エブリなどと称する道具を用いて粒を薄く広げた。
 干し上がった麦は唐箕にかけて選別し、俵詰めにする。小麦はさらに万石(まんごく)通しか篩にかけて選別する。

麦刈り・脱穀 6月11日

須田ゼミ3年生・2年生で麦刈りと脱穀をしました。11月14日に播いた小麦です。鋸ガマや足踏み脱穀機を使いました。脱粒・選別など作業が大変そうですが、精麦・製粉までなんとかしてみます。麦わらは畑の暗渠に使います。
DSCN6732DSCN6735

DSCN6744DSCN6745



麦刈り(『新編埼玉県史 民俗編』)

麦刈り 『新編埼玉県史 別編1 民俗1』(埼玉県、1988年)364頁
麦刈りの時期は、大麦と小麦とでは多少異なる。早くまく大麦は5月下旬から6月上旬、小麦は6月中旬から下旬、7月に入ってから刈るところもある。「麦は十七を刈れ」といわれるように、カリシンはまだ少し青さが残っているうちである。この麦刈りの適時について、「ちょうなっ首になるからシンだ」(嵐山町菅谷)とか「穂のもとに青い粒が3粒あるうちがカリシン」(皆野町下田野)という判断をしている。
 麦は鎌(かま)を用いて刈るが、種類は草刈りなどに用いる薄刃の鎌が一般的で、稲刈りに用いる鋸鎌(のこぎりがま)は麦刈りには使用しなかった。
 刈った麦は、大麦の場合はすぐに束ねず、カッポシあるいはヨコボシ(横干し)などといって、畑で数日乾かすのが普通である。秩父地方ではハデと称する稲架(はさ)にかけて乾燥させる家もある。小麦は刈るそばから束ねて家に運び、納屋や軒下などに一時保管しておく。
※鎌の種類と地域別(『ホウネンミヤキ』の「鎌/地域別案内」)





大麦・小麦の脱穀・調整工程

大麦の脱穀・調整工程
脱穀「ムギコキ」(センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(クルリボウ・ムギコナシ【畜力】、麦打ち器【畜力】)→籾、ゴミの選別(オオムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ノギ、ゴミを除く】)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→麦搗き(タチウス、ヂガラウス)→ヒキワリ(石臼を用いる、オシムギ(精米所で加工)にして粒のまま食べる

小麦の脱穀・調整工程
脱穀「ムギコキ、ムギウチ」(ムギウチサナ【麦打ち台】、センバコキ、足踏み輪転機)→脱穀「ポーチ」(ムギウチサナで脱穀した場合は省略)(クルリボウ【フリボウ】)→籾、ゴミの選別(コムギドオシ【篩】)→選別(トウミ【ウス皮、ゴミを除く】)→選別(マンゴク【ウス皮の付いた小麦を除く)→乾燥(天日)(ムシロ干し)→粉に挽き、うどん、まんじゅうなどにして食べる

出典:大舘勝治・宮本八惠子『いまに伝える農家のモノ・人の生活館』(柏書房、2004年)143頁

麦刈りと麦上げ(『小川町の歴史 別編 民俗編』)

麦刈りと麦上げ  『小川町の歴史 別編 民俗編』(小川町、2001年) 289頁 執筆:高木文夫さん
麦刈りと麦上げ 大麦の麦刈りは、6月中旬~7月に行い、ほかの麦より早く刈り入れをする。そのあと裸麦、小麦の順番に刈り入れて行く。麦の色が黄色に変わると麦刈りになった。小麦はよく乾燥させて熟したのを鎌で刈り取る。
 梅雨時は、暑い上に雨が降ると麦が腐り始めて大変なので、天気待ちの晴れをねらい刈ることになる。天候が悪く乾燥しないと黒くなる時もあり、その場合は脱穀しても実が少ない。
 畑地の麦刈りは、間作のサツマの茎を切らないように、鎌を右とか左にうまく回して刈り取った。一方、田麦の刈り取り後には、すぐに田植えの準備としてタホリが始まる。
 刈った麦を、その日のうちに大きな束にし、車が通れる所は牛車で、それ以外はショイバシゴに背負って家に持ち込み、縁側や物置に穂合わせをして積み上げる。穂合わせとは、一段目の麦の穂を上に立て、二段目は穂を下にするので、上下の穂が重なる摘み方である。家に持ち込んだ麦は、野外での乾燥が不足していると蛾がいっぱい集まって来るという。麦の借り上げ後は、田植やカイコが忙しいので刈り上げの祝いをした家は少ない。しかし、高見では麦刈りの終日の夕方、白い米と鰯(いわし)か秋刀魚(さんま)などの魚を買いウチテマ(内手間)の家族だけで祝った。また、下横田では大麦の刈り上げ・扱き上げの合同祝いとしてカテメシ(混ぜご飯)を食していた。

麦刈り・脱穀・麦打ちの後(『東松山市史民俗編』)

麦刈り・脱穀・麦打ちの後  『東松山市史 資料編第5巻 民俗編』(東松山市、1983年)72頁
麦刈り 6月に入ると麦刈りが始まる。麦の色を見て黄色に変わると麦刈りの適期である。このころは、田植えの準備が始まるので水田の作業と麦作りが重なり農家は大変忙しい。「とり込み、仕付けで忙しい」というのがこの頃である。晴れると麦刈り、雨が降ると田仕事と、まさに猫の手も借りたい忙しさになる。
 麦の場合は刈り取りが遅れると、雨の多い季節でもあるので発芽してしまうから早目に収穫するのがよく、「麦は十七、八を刈れ」という。
 刈り取った麦は畑で一日干す。これをカッポシにするという。ワラで作ったイッソウで束にしてサシ棒でかつぎ出し、リヤカーで家まで運び軒先や小屋に穂合せに積む。穂合せとは一段目は穂を上にして立て、二段目は逆さにして積むので一段目と二段目の穂が重なる摘み方である。

脱穀 麦刈りの後は、麦の穂を落とす作業と脱粒とになる。大正初期まではサナで穂を落し、クルリ棒(振り棒)で脱粒した。振り棒での脱粒は「夏の暑い時にやるのでたいへんな仕事だった」「ノゲが体につくので後で沼に入った」というような大変な労働だった。

麦打ちの後 フルイに通し、唐みでふいて俵につめる。その後、脱穀の作業は、足踏み式脱穀機から動力脱穀機に変わり、脱粒作業はなくなった。この脱粒の時に歌われたのが岩殿等に伝わる麦打ち歌である。

麦刈り(春日部市庄和町史編さん資料13)

麦刈り 春日部市庄和町史編さん資料13 民俗Ⅲ 日々の暮らしと仕事(春日部市教育委員会、2006年)105頁~106頁

麦刈り 麦のカリシン(刈り芯)は5月末から6月初めであった。大麦はまだ青い状態でも刈ることができる。コムギは、赤くならないと刈ることができないので、6月15日から20日ごろである。
 麦刈りは、鎌を使って前に進みながら行う。刈った麦は、畝と平行に置いていく。このとき、刈った麦の穂は、その前に置いた麦のカラの部分に載せるようにして置く。このため、刈った麦は穂でない方の部分を広げるようにして置く。刈った後の麦は、乾燥させるために1、2日間、そのまま畑に置いておく。しかし、雨でも降ると家に引き上げなければならない。
 その後、刈った麦束を14、5束で一抱えとし、大束にする。大束にする際には、ユツラと呼ばれるすぐった稲藁を7、8本ずつ分け、穂先で結んだもので束ねる。この大束の状態で運搬し、この作業をムギアゲ(麦揚げ)という。
・(略)
・麦が熟してくると少し穂の先が曲がってきて、穂の色が黄色になる。麦刈りのコツは「鎌を回すように刈る」ことである。引っ張って刈ると刃が抜けてしまうこともある。刈った麦は、1束の量で広げて置いていき、後から腰に藁を下げて1束ずつ束ねていく。1ワの大きさは手で持てる量である。これが16束(4束×4段)で大束になる。穂を上にして、竹槍で挿して畦まで運んで、そこからは荷車やリヤカーで家まで運んだ。【東中野】
・5月20ごろに大麦が熟してきて、青みがなくなってから赤らみ、そして城っぽくなったら刈る。小麦は6月5日頃になる。麦は稲のように垂れない。麦刈りは、刈ったものを寝かしておき、後から丸めて束ねていく。小束が12束(4列×3段)で大束になり、これをタケヤリ(竹槍)で担いで運んだ。田植えが終わるまでは、軒下に積んでおいた。麦刈りは入梅時期になり、麦の芽が出ないように保管した。二毛作のときには忙しいが、小麦を中心に作業をした。麦刈りが終わってから田起こしをして田植えとなる。【永沼】
・麦刈りは大麦が5月末、小麦が6月10日ころを中心に行われる。麦を運ぶには小束を16束で大束を作って運び、バラックの中に立てておいた。穂を上にして2段に積んで、上の段は穂を下にして積んだ。麦刈りごろには雨が多いと刈った麦が乾かないので、屋敷の周りの木を利用して棒を縛ってそこに干した。田植えが終るまで干しておく。【上金崎】
・【略】
お知らせ
岩殿漫喫クラブと市民の森保全クラブのこれからのイベント情報は、岩殿満喫クラブ・市民の森保全クラブ催事・イベント情報でお知らせ中です。
催事・イベント情報・比企探訪最近の記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ