群馬県

前橋市みろく1号公園のサクラ 3月12日

関越自動車道の前橋インターで下りた前橋市元総社町のみろく1号公園のカワヅサクラです。リクシルの工場の北側200m位のところにある送電線の下の小さな公園です。焼き芋屋さんの屋台がでていました。
DSCN3431DSCN3429DSCN3424
 

群馬県の県木がクロマツになった理由

海岸にはクロマツが多く生え、内陸にはアカマツが多く生えている。海なし県の群馬県の県の木がクロマツなのはなぜだろう。前橋市(旧富士見村)に、1951年4月4日の第2回全国植樹祭のお手植えのクロマツがある。
DSCN9877DSCN9878

全国植樹祭の植栽樹にクロマツが選ばれた理由は、上毛カルタの「ろ」の札の船津伝次平(ふなつでんじべい、1832-1898)が赤城山麓にクロマツを植林したことにあるようだ。
老農・船津伝次平

自治研報告書集(第29回地方自治研究全国集会 「徳島市」2002年10月29日~31日)に「赤城山に造林されたマツについて(中間報告)」がある。
   4.船津伝次平のマツの植林について
(1)船津伝次平について
船津伝次平は、1832年に生まれ、1858年(27歳)で、名主となり、植林を行う、また、農業関係で数々の功績を残し、1898年(明治31年)に永眠した。

(2) 船津伝次平が植林した当時の森林の状態について
富士見村教育委員会「郷土の偉人船津伝次平」では、「当時、赤城の山頂から、南のふもと一帯は前橋藩、大胡藩などの138ヵ所村の入会地(共有地)のはぐさ場(草刈り場)でした。夏になると、ふもとの村の人たちは、馬を引いて、馬の飼料にする草刈りにいきました。それが堆肥の原料になりました。秋になると屋根ふき用の萱刈りをしたり、冬には草を焼いて肥料用の灰を集めました。また、来年よい草が茂るようにと、わざわざ野火をつける者もあり、毎日のように山火事があったので……略……このように山全体が草山でしたので、大雨が降りつづくと、白川などがあふれて大洪水となり、ひでりががつづくと、川の水が減って、田植えの出来ないような年がありました。」と、当時の状況を説明している。

(3)牧野和春著「森林を蘇らせた日本人」による赤城の植林の抜粋
船津伝次平は、1858年原之郷の名主に選ばれた。……(略)……伝次平は、水不足からの争いの愚かさを感じ、周囲の名主に呼びかけ、赤城山麓の植林の必要性を説いたのである。すなわち、白川の水源を確保するためには、広大な原野に植林し、涵養林としての機能を果たさせるしかないとの判断からである。彼は、各名主を説得し、前橋藩に届け出て許しを受け植林に着手した。……(略)……
松苗については、「造林功労者事績」によれば「伝次平の意見としては郷土付近の自然生苗を疎植せむとせしに、藩は東京西ヶ原より養成苗を運び来り密植し繁茂につれこれきる方法を用ひしめ着手より3年の日子を要して之を完成せり」と記述している。なお、東京とあるは、当時、まだ江戸のはずである。これに対し、「船津伝次平」(昭和58年、富士見村教育委員会刊)という小冊子によれば「苗木は特別に仕立てたものでなく、並木のそばの雑木林や、松の木の下に自然に生えたものを根に土をつけたまま堀とって運んだのですから、各村から労役に出た者の苦労は大変なものでした」とあり、食い違いが見られる。
植え方は、一反歩(約1,000平方メートル)あたり75本、苗木と苗木のあいだを十分にとった植え方が採用された。これは、従来どおり、まぐさ用の下草を刈り取りための余地を残したのである。
その結果、3年間かけて完成。芳賀、富士見、北橘、横野の村にまたがる400町歩(約400ヘクタール)の広大な植林が誕生し、白川の水源涵養林としての機能を果たすことになった。

(4)なぜクロマツを植林したのか?
1858年以後、数年で植栽されたマツは、現在、100年生以上になっているはずである。赤城白川を下流から上流に向け、クロマツを求めて歩いてみると、龍蔵寺町近くで約100年生のクロマツの伐根を1本発見できた。同様な太さの松が、周辺にあった。クロマツは、海岸に多いマツで内陸には少ない樹種である。なぜ、船津伝次平は、クロマツを植えたのであろうか?
既に記したように、牧野和春著「森林を蘇らせた日本人」では、
 ①植栽したクロマツは、江戸からクロマツの苗木を運んで植栽
 ②赤城参道には、クロマツの並木があったことから、その実生苗を堀取り植栽
の2説の記録が紹介されている。
植栽本数は、75本/1,000平方メートルなので、400haでは、75万本必要となり、3年間で植栽したので、1年間では、25万本の苗木が必要となる。25万本を、江戸から運ぶのも、実生で掘り取り、植栽するのも容易なことではない。また、マツは、早春に植栽しないと、活着が悪い樹種なので、3月から5月の2ヵ月間程度で植栽したものと推察できる。クロマツの苗木は、江戸から持って来たのか? 並木近くから掘り取ったのか? 本年度は、結論が出なかった。
県内でクロマツを捜すと、敷島公園や前橋城跡にクロマツの大木があることから、何かアカマツではなくクロマツを選択する意味が存在したはずである。この問題は、今後の検討課題とする。……
富士見かるたの「め」の札は「明治の老農船津翁」。船津伝次平は上野国勢多(せた)郡原之郷(はらのごう)村(→富士見村)出身である。
明治の老農・船津翁

※群馬県以外でマツを県木に指定している県: 岩手県(ナンブアカマツ)、福井県(マツ)、島根県(クロマツ)、岡山県(アカマツ)、山口県(アカマツ)、愛媛県( マツ)、沖縄県(リュウキュウマツ) 。

橘山、前橋市南橘地区訪問 9月22日

前橋市の北西部、渋川市境にある橘山に登りました。橘山(たちばなやま)は標高228m、前橋市田口町と渋川市北橘(ほっきつ)の市境、北関東循環器病院の西隣にあります。
DSCN9689DSCN9692
橘山は地質的には赤城山火山の大爆発に伴う火砕流や泥流から出来た「流れ山」です。赤城山南西麓には30余りあり、2万5千分の1の地形図では、城山、十二山、九十九山などが「流れ山」です。山名の由来として、①日本武尊と弟橘姫の神話(ヤマトタケルノミコトが東征の途中、橘山の頂上の石に腰をおろし、荒れた海を鎮めるため身を投げた愛妻オトタチバナヒメを偲んだ。その石が神社のご神体となり小石神社なった。恋し石は前橋市の敷島公園近くの小石神社に移され、山頂には祠が残っている)、②山の形(鼻先に立つ山=立鼻)があるようです。
橘山に関係する里山の会は、前橋市田口町にある「橘山憩いの森愛護会」と渋川市北橘町にある「橘山愛護会」、「南橘の自然観察と環境を守る会」があり、合同で事前観察会を行っているようです。「橘山憩の森愛護会」は花王・みんなの森づくり活動助成団体です。

南橘地区には、「ホタルの里」や「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーにした「南橘地区冒険遊び場」があります。
DSCN9683DSCN9685

菜の花(田口菜)プロジェクトは地域づくり推進事業の一環で、遊休農地を地元に伝わる伝統野菜「田口菜」(アブラナ科)の花でいっぱいにする運動です。種まき・草取り・摘み菜・花観賞・種取・搾油体験など約80名の会員が活動中です。
DSCN9686
田口菜はカキナ同様、抽苔(ちゅうだい)した花茎を摘んで主におひたしにして食べるそうです。高村光太郎が太平洋戦争後移り住んだ岩手県花巻郊外の稗貫郡太田村山口での農業体験を綴った随筆「開墾」(1947年の草稿「まねこと開墾」。雑誌「北方風物」のために書かれたが、掲載前に廃刊となり未発表)に出てきます。

西毛の谷津田 2 9月22日 

安中市の東部、岩井・野殿・大谷地区の谷津田を見学しました。
DSCN9675

丘の上には牧場があり、遠くまで見渡せます。
DSCN9676DSCN9677

ふれあいの里という看板がありました。
DSCN9680

西毛の谷津田 9月21日

群馬県の南西部、西毛(せいもう)の富岡市、安中市の丘陵地帯の谷津田を見学しました。冨岡丘陵・岩野谷丘陵(観音山丘陵、岩井・野殿・大谷)、その北側の野殿丘陵地域です。田んぼの奥にため池があります。
DSCN9573DSCN9574

安中市学習の森に駐車して、崇台山に登りました。富岡市と安中市の市境にある標高299mの低山で群馬百名山のひとつです。
DSCN9578DSCN9589DSCN9592

富岡市黒岩とかぶら里山保全会のフィールドのある富岡市蕨地区の谷津田も訪問しました。
DSCN9629DSCN9638DSCN9646

DSCN9653DSCN9668DSCN9660

川場村の棚田 9月12日

群馬県の北毛エリア、利根郡川場村の諏訪神社から世田谷区民健康村ふじやまビレジの間、桜川に沿った富士山区に、世田谷区川場ふるさと公社の運営するオーナー制度の35区画の棚田があります。
DSCN9253

愛宕山はふじやまビレジに向かって県道263号を北上すると、右手に40m弱の小さな独立した山です。麓には諏訪神社、右手の木の階段を登ると山頂に愛宕神社があります。
DSCN9292DSCN9260DSCN9285

DSCN9268
 山頂の愛宕神社の社殿

DSCN9282DSCN9281
山頂からは富士山地区の棚田は見えませんが、東側には一面の黄金色の田んぼが見渡せ、山下のコンニャク畑が見下ろせます。

※世田谷区民健康村棚田オーナー制度のお約束事
○地権者といつもいっしょの米づくりをしていただきます。
基本は地権者と共に田んぼに入り、共に汗をかいていただきます。そんな中、川場についてのいろんな会話から、川場を愛でる気持ちを育んでいただきます。
○田んぼに入ってお米をつくっていただきます
基本的に進んで田んぼに入り、積極的に稲作に取り組むことが目的です。
基本的な作業は①田植え②草刈り③稲刈りとなりますが、稲作にはその他の作業もたくさんあります。
その作業は、地権者と話し合いの上で機会を得ることも可能です。

○自然と付き合っていただきます
自然が相手の稲作ですから、天候により不作になる可能性もありますが、そういったことも含めた理解が必要となります。また、作業日が悪天候の場合も踏まえての1泊2日のスケジュールとなっております。

○地元住人や他のオーナーとのコミュニケーションを大切にしていただきます
地権者やその他の住人との交流を深めることで、双方の信頼関係も 深めることを目的とします。そのため、地権者が経営する民宿に宿泊し、川場村の食文化など交流を深めることも醍醐味の一つと考えます。
また、作業に参加できない場合は、地権者へのご連絡も必要となります。

○美しい景観と地元住人の生活を大切にしていただきます
先祖から受け継いできた貴重な土地・自然を継承し、棚田の周辺環境の整備も目的です。川場の美しい自然とは、地元の生活と自然が結びついていることにもなります。そのため稲作だけでなくその他、農業体験の場も地権者と会員で直接ご相談の上、機会を得ることも可能です。

○安全に作業をすすめていただきます
草刈り、稲刈りでは手道具(刃物)も使用します。その取り扱いには十分注意し、安全で楽しく作業が出来るようご協力ください。
川場村のむらづくり
  Ⅰ.農業+観光  Ⅱ.都市交流事業  Ⅲ.田園プラザ事業(関東好きな道の駅5年連続第1位)

大和田一紘「都市との結婚で過疎から脱却した群馬県川場村 -東京都世田谷区との交流で次々生まれる新プロジェクト-」(JBpress 2015.09.01)  経営力がまぶしい日本の市町村50選

みなかみ町真沢の棚田 9月12日

群馬県の北毛エリア、みなかみ町月夜野真沢(さなざわ)の棚田を訪問しました。
DSCN9238DSCN9240
「農林業の振興及び観光の健全な発展を図るため、都市と農村の交流の場として真沢ファーム交流施設」(みなかみ町真沢ファーム交流施設条例)としてみなかみ町月夜野2537番地2に設置された宿泊・温泉施設「真沢の森」には、棚田と畑の市民農園が付設されています。年間契約で、水田は30区画(区画平均面積35㎡ 料金10,000円~24,000円)、畑は 30区画(区画平均面積50㎡ 料金12,000円~18,000円)だそうです。

隣接して、さなざわ里山だんだんの会」が管理している農地と林地があり、棚田の再生、山林の枝払い下草刈り、田植え経験、収穫祭、子供達の体験学習等の活動を実施しています。
DSCN9228

お知らせ
岩殿漫喫クラブと市民の森保全クラブのこれからのイベント情報は、岩殿満喫クラブ・市民の森保全クラブ催事・イベント情報でお知らせ中です。
催事・イベント情報・比企探訪最近の記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ