稲架

稲の干し方から冬水たんぼへ 9月20日

稲刈り体験の参加者に稲の干し方について話そうと、過去の記事を読み直しました。「稲の干し方あれこれ」(2014.11.04)では有薗正一郎さんの『農耕技術の歴史地理』(古今書院、2007年)の第8章「近世以降の稲の干し方の分布について」を紹介しています。
刈った稲の籾を干す方法は、(1) 穂首刈りして、穂の束を干す方法、(2) 刈り取ってすぐ脱穀して、籾を干す方法、(3) 籾付きの稲束を干す方法の3つがあります。現在はコンバインで稲を刈って脱穀し、その後、籾を乾燥機に入れて乾かし、籾摺り機で玄米にしています。
(3)の籾付きの稲束を干す方法には稲束を田面で干す地干し法と、稲束を立木か稲架に掛けて干す掛け干しがあります。地干し法は1910~20年頃もまだ広くおこなわれ掛け干し法と並用されていました。
その理由は、湿田でも稲束を干す前に水を抜けば地干しはできたし、掛け干し法は労力がかかったか らである。20世紀前半までの稲は現在の稲よりも背丈が高かったので、掛け干し法では稲束の穂先が田面につかないように、稲架の横木を高い位置に設定せね ばならなかった。また、20世紀初頭頃までの日本人は現代人よりも10cmほど背丈が低かったので、稲架の横木の位置は現代人の目線よりも30cm以上高 くなり、稲束を持ち上げる姿勢で稲架の横木に掛ける作業は、多くの労力がかかった。さらに、掛け干し法は稲架の設置と取り外しに多くの労力がかかる。他 方、地干し法は背丈が低い人でも背丈が高い稲束を楽に扱えるし、稲架の設置と取り外しの手間がいらない合理的な稲束の干し方であった。 (有薗「近世以降の稲の干し方の分布について」2004年人文地理学会大会研究発表要旨抄録より)
「湿田でも地干しができた」のは、近世には湿田が多かったが、その多くは安定しない用水事情に対応するために田に水をためておく人為的な湿田であったので、稲刈り前に田んぼの水を排水することができたからです。イネの地干し作業が終われば田んぼにまた水を入れ、冬期は水の出入口を管理して水をためておきます(冬季湛水、「冬水田んぼ」)。
 水田は夏期に稲を作付して米を作る場である。したがって、来年春の灌漑水を確保するとともに、水田の地力を維持して一定量の米を収穫するためには、冬期は湛水(たんすい)しておく必要があった。水田でのイネ一毛作と冬期湛水は、低湿地の生態系に適応することで、投下する労力と資材を減らすとともに、地力を維持する農法である。1884(明治17)年の一毛作田率75%からみて、近世にはすくなくとも水田面積の四分の三でイネ一毛作をおこなっていたと考えられる。
 他方、畑では多毛作をおこなう必要があった。冬作物を育て、初夏に収穫した後、畑を休ませると、雑草が生えるので、雑草が繁茂しないように夏作物を作付したからである。
 近世の水田はイネの一毛作が広くおこなわれて冬期湛水が奨励され、畑では多毛作をおこなってきたのは、それぞれの環境に適応する人々の智慧であり、それを文字媒体で奨励したのが、農書の著者たちであった。(有薗「近世農書はなぜ水田の冬期湛水を奨励したか」 『愛大史学』22号、2013年1月、21頁)
岩殿で冬期湛水の「冬水田んぼ」は可能でしょうか。

稲の自然乾燥の方法 9月18日

児沢の田んぼでは、10月2日、8日に稲刈りを予定しています。のこぎり鎌で刈った稲を束にして稲架に掛けて自然乾燥します。刈った稲を干す方法はいくつかあります。クリップ NHK for School の総合(小学3~6年)「稲の自然乾燥」は、2分弱の動画です。番組のナレーションを引用しておきます。視聴して下さい。
 刈り取った稲には、水分がまだたくさん残っているので、乾燥させなければなりません。稲の自然乾燥には、地域によって、いろいろなやり方があります。
 これ は束立て(そくたて)や、地干しと呼ばれるやり方です。地面に稲の束を立て、風と地面の熱を利用して乾燥させます。
 田んぼに組んだ棒は、はさや稲木などと呼ばれます。 この棒に稲の束をかけていく作業は、はさ干しなどと言われます。
 日当たりが良すぎるところでは、日陰に向けて干すこともあります。米が割れないようにする ためです。
 日本海側の湿気が多く、風通しも良くない地域では、6段から9段もある高いはさを作るところもあります。大人の背ぐらいの高さの棒に、稲の束を かける棒がけというやりです。かわいた気候の地域でよく利用される方法です。
 風とおしをよくするために、らせん状にする棒がけもあります。稲の干し方に は、地域ごとに地形や風向きにあったやり方が工夫されています。
※当ブログの過去の記事では、「タナガリ・ベタガリ 滑川町水房」、「稲刈りと乾燥 読書ノート」、「稲の干し方あれこれ」、「稲架あれこれ」などがあります。

児沢田んぼの稲刈り 9月26日

児沢の上の奥の田んぼの稲刈りをしました。TOTO社員の皆さんとスタッフ10人です。昨日からの雨で田んぼの泥濘(ぬかるみ)に長靴がはまると抜け出すのが大変でした。11時半頃、作業が終わりました。その頃はお日様もでていて夏に戻った様な暑さでした。
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児沢の上の奥の田んぼ(140㎡、キヌヒカリ)の田植え~稲刈りまでの作業は、田植え(5月24日)、毎日田んぼの水管理、除草(6月11日~13日)、アキアカネ羽化(7月上旬)、2回目の除草(~7月14日)、田んぼの学校で除草体験(7月18日)、3回目の除草(~7月29日)、畔の草刈り、穂がではじめる(8月上旬)、田んぼの落水、畔の草刈り(8月23日、9月13日)、水口をふさぐ(9月16日)、稲刈り(9月26日)でした。土屋又三郎『農業図絵』(1717年、加賀・御供田村)に見る昔の稲作(田植え~稲刈り)と題した資料を参加者に配りました。
農業図絵(田植~稲刈り150926版)
図版出典:日本農書全集26『農業図絵』(農文協、1983年、校注・執筆:清水隆久)

タナガリ・ベタガリ 滑川町水房

浅野明さんの『稲干しのすがた』(文芸社 2005年12月)にあるバラ干しの平干し(=ベタガリ)と棚干し(タナガリ)の話で、滑川町の水房(みずふさ)(嵐山町に接する市野川左岸の地区)の稲刈りの仕方です。

バラ干
 平干
……ベタガリと呼ぶのは埼玉県滑川町水房である。この地ではタナガリと呼び、四うね分の刈った稲を束ねず、となりの二うねの稲の上にのせて干すという棚干しが行われている。上にのせた四うね分の稲が乾き、取り入れたあとに残った二うねの稲、これを刈っても棚にする稲がないため束ねず田に寝かせて干した。これをベタガリと呼んだのである。ベタガリの稲は乾いたところで束ね脱穀した。……バラの平干しは古くから行われていたようで、正安元年(一二九九)に、奧州江刺郡にある祖父河野通信の墓前へ上人が詣でた所の場に、墓のかたわらの田の中、稲を伏せて干してあるのがみられ、乾田の所では古くからみられたようである。(18頁~22頁)
一遍上人絵伝聖塚
 一遍上人絵伝聖塚の図
 【岩手県北上市稲瀬町水越にあります】
……
 棚干し
 ヤチ田・ドブッ田などと呼ばれ、足が深くもぐるような田ではむずかしいが、少し水はけのわるい田などではタナガリなどと呼ぶ棚干しが行われていた。埼玉県滑川町水房ではタナガリと呼ぶものは五【ママ】うねの稲を刈ると、となりの二うねの稲を少し寝かせ、この上に刈った五【ママ】うねの稲を束ねずにのせる。こうして五うね刈っては二うねの上にのせられた稲は七日ほど置かれ、乾いたところで小束十把分を一まるけにしておき千歯で扱(こ)いだ。五【ママ】うねの台となった二うねの稲は刈っても台とする稲がないため、ベタガリと呼び、束ねず田に寝かせて干した。長野県浅科村上原ではタナガリと呼ぶのは、四うねを少し寝かせ、この上に五うねの稲を束ねずにのせる干し方。これをオオダナとも呼んでいたという。二うねを寝かせ、これに五うねの稲をのせて干すのをコダナと呼んでいたが、コダナは雨にあうとつぶれてしまうためオオダナが多く行われていたという。オオダナは少しぐらい雨が強く降ってもつぶれることはなかった。
 タナガリの行われていた頃の稲はアイコクであった、と浅科村ではいっている。アイコクは丈が短く棹が太く丈夫であったといわれる。そのようなことがタナガリという干し方を行わせることになったと思われる。アイコクは味はわるいが寒さに強く、粒が大きく収量の多い品種で、ドブッ田に合う稲であったことから、昭和初期まで各地で栽培されていた。浅科村でもアイコクでタナガリが行われていたのは、昭和八年頃までであったといわれている。滑川町では品種について聞くことはできなかったが、タナガリを行っていたのは昭和の初め頃までであったといわれ、水房でもアイコクによってタナガリが行われていたのであろう。(23頁~25頁)……

4うね分か5うね分か統一されていませんが、それを棚干し(タナガリ)して、2うねの稲の上にのせて干す。それが乾燥すると、千歯扱きで脱穀するために、結束して取り去られる。その後、台になっていた2うね分の稲を平干し(ベタガリ)して、田んぼの地面に寝かせて干す。棹が太くで丈夫であったアイコク(愛国)という品種の稲であったから、上にのせられた棚干しの稲の重さに耐えられたということです。

浅野明『稲干しのすがた』(文芸社 2005年12月)目次

浅野明さんの『稲干しのすがた』(文芸社 2005年12月、250頁)の目次です。
文芸社の電子書籍サイト ブーンゲイト BoonGateで35頁分の立ち読みと500円で購入ができます。
http://www.boon-gate.com/search_results?search=%E6%B5%85%E9%87%8E%E6%98%8E

  まえがき
  地干し
   バラ干し
   束ね干し
    穂上立て干し
    穂下立て干し
   積み干し
  掛け干し
   三つ叉稲架
   四つ叉稲架
   二叉稲架
   杭立て稲架
   立木稲架
   縄稲架
   万年稲架
   万年杭
   斜め稲架
   合掌稲架
   棒稲架
   小屋稲架
   軒下稲架
   枝稲架
  四国の稲干し
  九州の稲干し
  参考文献
  索引

目次によれば、稲の干し方は地干し掛け干しに大別され、地干しにはバラ干し束ね干し積み干しの3タイプがあります。

稲刈りと乾燥 読書ノート

おいしいお米とはどんなものでしょうか。
ふくい米.comというサイトに「おいしいお米の条件」が出ていました。
 おいしいお米とは

  ①つやがある(透明感があり白っぽくない)
  ②ご飯粒はふっくらしている
  ③ご飯粒の表面がしっかりしている
  ④臭いをかぐと、ご飯特有の香がある
  ⑤口中に入れて噛むと、「じゅっ」と広がる淡い甘さがある
  ⑥粘りがあり、ご飯粒同志が付着している
  ⑦適度な軟らかさがあり、口中でほぐれる
  ⑧ご飯以外の異味や異臭がない
  ⑨パサついたり、硬かったりせず食べてもカスがない

というもので、おいしいお米になる条件は

  1品種
  2産地(地形・土質・水質)
  3生産者(栽培法・施肥・農薬・諸管理)
  4気象条件(気温・日照・降雨)
  5収穫
  6乾燥・調整
  7貯蔵
  8精米加工
  9炊飯

とあり、各条件について詳述されています。
例えば、乾燥・調製については、

 乾燥、調整も最近は機械化が進んできたが、注目すべき点は2点。仕上がりの水分である。15.5%をベストとすると、14%以下になると、どのようなよい品種でも、粘りが悪くなる傾向がある。また、16%を超えると、カビが発生しやすくなる。ちなみに、検査では15.9%以下であればOKとなっており、13%の1等米もある。逆に16%を超えると規格外になる。
 また、天日乾燥は風味もよく、おいしいとされる。しかし、最近では、かっこだけのはさ干しが多くみられる。つまり、はさ干しだけでは水分が均等にならないため、水分調整が大変難しく、調整乾燥を機械でする農家がほとんどである。また、はさ干しのお米は胴割れや、発芽しやすく、その点を考えるとお奨めは出来ない。(おいしいだけならいいのだが、品質がついてこない)因みにおいしさだけから言うと、1番 天日乾燥、2番 屋内ハウス内太陽光循環システム、3番 除湿乾燥機、4番 送風乾燥機、5番 低温乾燥機、6番 高温乾燥機となる。2番の、 屋内ハウス内太陽光循環システムは設備投資が大きく、また、効率が悪く、時間が掛かるため余り普及していない。また、整粒と比較すると未熟粒はタンパク質含有量が高いため、整粒歩合が低下するにつれ、タンパク質含有量が高まる傾向がある。

と論じられいます。

以下、大舘勝治さんの『田畑と雑木林の民俗』の91頁からの引用です。
 稲刈り ……鎌での刈り方は、男は横に六株刈って一つかみにし、束ねて前進し、女なら四、五株刈って一つかみにし、根元の近くをマルキワラで結わえた。湿田の場合は直に置けないので、六株刈るうちの一列を株を高く残して刈り、その稲株に稲束の根元をかけておく方法が採用されていた。また、ソリなどと称する田舟の上で束ね、畦まで運ぶ方法も広く行われていた。
 乾燥 刈った稲は、乾田の場合はそのまま地干しにするが、湿田では稲架にかけて一週間くらい天日で乾燥させるのが一般的な方法である。以前は湿田が多かったので稲架にかけることが多かったが、暗渠排水を設けて乾田化すると、稲架にかける必要がなくなった。稲架にかけて自然乾燥した米はおいしいが、乾燥しすぎても米の味が落ちるといわれる。……

乾燥しすぎるとまずくなるということは経験的に分かっていることですが、来年度からは、水分計でチェックしていきたいと思いました。

見沼田んぼで「フナノ」見学 11月9日

さいたま市見沼区の見沼田んぼに、「フナノ」とよばれる家型のワラ塚ができあがったという朝日新聞の記事を見て、見学しました。
  →「ふなの作り」(『NPO法人見沼ファーム21』HPより)

高さ4m、幅5m、奥行き2.5mという大きなもので、使ったワラは約9トン(田んぼ9反分)だそうです。
「フナノ」という命名の由来はなんでしょう。他の場所にも「フナノ」という呼び方があるのでしょうか。
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人型のワラ塚もありました。
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※藤田洋三さんの『藁塚放浪記』(石風社)の179頁や、「藁塚の桃源郷を行く 韓国」(214頁~233頁)で紹介されている、佐賀県の白石平野でかって見られた家型藁小積、韓国・京畿道水原市などの家型藁積と同タイプで、す。同書で紹介されている『全国藁こずみ大会』は2008年、第10回で一区切りをつけ終了しています。
余談ですが、大会が開催されていた大分県宇佐市安心院町は、「日本のグリーンツーリズム発祥の地」(→『NPO法人安心院町グリーンツーリズム研究会』HP)だそうです。

稲架棒の返却 11月7日

今年は稲架用の棒をいただいたり、借りたりして間に合わせました。
今日は、岩殿・入山田んぼの会の油屋さんと目薬屋さんから借りていた稲架棒をお返ししました。軽トラの荷台から稲架棒がおちないようにロープで「南京縛り」します。途中、入山沼のところは、カーブがキツイので軽トラの前後に張り出している横棒がぶつからないか要注意。道の上から被さってきている枝にかからないように慎重に運転して、九十九川沿いに下りました。
先ず、9月24日に油屋さんの田んぼから運んだ稲架棒。児沢の田んぼと岩殿A・B・C地区で使いました。
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10月20日のお借りした目薬屋さんの分。岩殿C地区で使いました。横木の竹が長いので、軽トラの荷台に足を立て地面に平行になるようにして運びました。
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油屋さん、目薬屋さん、ありがとうございました。
稲架棒は雨ざらしにすると傷んで使いものにならなくなるので、雨除けがある置き場の確保をめざします。片桐さんが上手に、荷台に稲架棒をロープで固定していましたが、ひもやロープの結び方の勉強会があるといいですね。

稲の干し方あれこれ

イネを稲架にどう干しているのか、作業の合間に稲架の呼称や写真を撮って記事にしています。
有薗正一郎(ありぞのしょういちろう)さんの『農耕技術の歴史地理』(古今書院、2007年)の第8章「近世以降の稲の干し方の分布について」を読んだのでメモしておきます。

第8章 近世以降の稲の干し方の分布について
 第1節 稲の干し方3種類の長所と短所
   稲作の作業のひとつに、刈った稲の籾を干す作業がある。その方法はおよそ次の3つである。
    (1) 穂首刈りして、穂の束を干す方法
    (2) 刈り取ってすぐ脱穀して、籾を干す方法
    (3) 籾付きの稲束を干す方法

 (1)の穂の束を干す方法は、1枚の田に成熟期が異なる稲を混植して、成熟した穂から順次摘み取っていた時代には、もっとも合理的な方法であった。この方法は、穂首の摘み取りから乾燥までの作業時間を分散できるが、まだ籾が穂軸に付いている分だけかさばるので、籾を干す方法よりも広い面積を要する。穂首刈りした稲束の干し方については、農家の庭に持ち込んで地干ししていたとの説がある。
 (2)と(3)は、1枚の田に1種類の稲を作付して一斉に刈り取る耕作法が普及してから、広くおこなわれるようになった干し方であろう。(2)の籾を干す方法は、干す場所は小さい面積で済むが、広げた籾のうち、日が当たらない下の籾が乾きにくいので、上下の籾をかき混ぜる手間がいる。(3)の籾付きの稲束を干す方法には、稲束を田面に置いて干す地干し法と、稲束を立木または稲架(はざ)に掛けて干す掛け干し法がある。
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地干し法は稲束を干すための施設作りと片付け作業をしなくて済むので、手間はかからないが、水を落とせない田では乾かしにくい。掛け干し法は田の状態に関わりなく稲束を干せるが、稲束を干すための施設作りと片付けに手間がかかる。
 近世以降は、(2)か(3)の方法で稲の籾を干していた。そして、多くの地域では(3)の中の地干し法から地干し法と掛け干し法が並用される姿に変わっていったが、近代に入っても(2)の籾を干す方法をおこなう地域があった。しかし、(2)と(3)に含まれる方法のうちで、いずれが進んだ方法かという視点は適切ではなく、それぞれの地域ごとに、またひとつの地域内においても、田の条件に応じた干し方の使い分けが行われていたようである。(以上118頁~119頁から引用)

 第2節 近世の稲の干し方の分布
 第3節 近代の稲の干し方の分布
 第4節 地干し法がおこなわれた理由を考える

 第5節 なぜ掛け干し法は普及したか
 ……近世から近代にかけて、地干し法から掛け干し法に変わっていったということである。その理由は、掛け干し法は穂先が均等に空気に触れるために、地干し法よりも籾の水分含有率を揃えることができ、これが市場での米の評価を高めたからであろう。この動きの中で目立つのは、九州が一貫して地干し法だったことであるが、その理由はわからない。
 ただし、地干し法は逐次消滅していったわけでもなく、近世後半から近代にかけて、掛け干し法と並用されていたことも明らかになった。……
 現在の日本人の多くが稲刈り後の水田の原風景としてイメージしているであろう稲架による掛け干しの歴史は、たかだか200年ほどであり、かつ掛け干し法が卓越するようになるのは20世紀中頃のことなのである。

 ……近世後半から近代にかけて地干し法が掛け干し法と並用されていたのは、それなりに理由があった。
 第一に、近世には湿田が多かったとされるが、その多くは安定しない用水事情に対応するために田に溜った水を囲っておいた人為的な湿田であり、稲刈り前に水を落とせば、刈った稲束を田面に干すことができたと考えられる。干す作業が終わってから、また水を入れて漏れないように囲っておけばよいわけで、湿田でも稲束を干すことはできる。
 第二に、近世は現在よりも背丈の高い稲が多かった。したがって、逆さに掛ける稲束の穂先が田面につかないようにするには、稲架の横木を高い位置に設定せねばならない。また、近世から20世紀初頭までの日本人は現代人よりも背丈が低かったので、稲架の横木はもっと高い位置に見えたはずである。その横木まで稲束を持ち上げる作業を続けるのは、かなり苦痛である。さらに、掛け干し法は稲束を干すための施設作りと片付けの労力がかかる。地干し法ならば、背丈が低い人でも背丈が高い稲束を楽に扱えるし、稲束を干すための施設作りと片付けの手間がいらない。
 それではなぜ、近世後半から近代にかけて掛け干し法が普及し、地干し法と並用され、次第にその割合を大きくしていったのか。掛け干し法が地干し法よりも確実に稲束を干せるといる理由だけでは、説明しきれない。
 筆者は、営農を指導する側が掛け干し法を奨励または強制したからであろうと解釈したい。米市場で評価を得る方法のひとつが、穀粒中の水分を15%ほどに揃えることであり、それを実現させる方法が、籾粒を田面につけない掛け干し法であった。この視点に立てば、近世における地域の営農の規範が記述されている農書が掛け干し法を奨励し、近代に入ってからは地方の行政組織が掛け干し法を半ば強制したことの理由を、自ずと説明できるのである。そして、掛け干し法を奨励または強制された農民も、掛け干し法の効用を少しずつ体得するようになっていった。さらに、ここ100年ほどの間に、稲の背丈は低く、人の背丈は高くなるにつれて、人の目線から見た稲架の横木の位置が低くなったために、掛け干し作業を以前よりも楽におこなえるようになったことも、掛け干し法の普及を速める方向に作用した。
 こうして掛け干し法の割合が高くなっていき、20世紀中頃には掛け干し法が卓越するようになったというのが、筆者の解釈である。……(以上134頁~136頁から引用)
 
※図31と図32は、133頁にモノクロの写真で掲載されているが、本書カバーにカラー印刷されているのでそれを掲載します。
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図の説明:「図31 コシヒカリと在来稲の株丈」左がコシヒカリ、右が在来稲。女性の身長は150㎝。稲架に掛けると、この女性が稲束を掴んでいる位置が稲架の横木の位置になる。在来種は肩よりも高い位置に横木があるので、持ち上げて掛けることになる。(筆者撮影)
「図32 同じ高さの稲架に掛けたコシヒカリと在来稲の姿」左2列がコシヒカリ、右2列2種類の在来稲。右端の在来稲の穂先が田面に着いている。(筆者撮影)

(以上引用おわり)
横木を何段にも組んで、ハシゴを掛けて稲束を干し稲架がありますが、それはどういうわけなのでしょうか。機会があれば調べてみます。


稲架あれこれ

24日に訪れた長野県上田市の稲倉棚田の稲架です。
鉄の脚で、稲束の上に稲束がかけられて二重になっており、太ってみえます。横棒は1本です。
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帰り道で見た群馬県高崎市倉渕町川浦の稲架です。
脚は木の棒で、3段に架けられています。横棒は3本です。4段に架けられているのもありました。

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※埼玉県内の稲架の呼称(9月24日の記事の続き):藤田洋三『藁塚放浪記』(石風社、2005年12月)には、脱穀前に稲を杭棒にかけて干す稲塚(掛け干しタイプ=稲架と、積み干しタイプ=稲塚を合わせたもの)の呼称としてボッチ、ハサ、ハデ、ハンデ、ハンデン、ハサボシ、ハザカケ、ヤライ、ヤライカケ、コイノロシ、ノロシコイ、ナガテ、オダ、マセ、イネカケ、木ヅルシがあげられています(76頁)。棒杭に刈った稲を掛け干しする乾燥方法は、841年(承和8年閏9月2日)の太政官々符「応設乾燥稲器事」によって奨励された記録があるそうですが、気候などの風土性や地域性に根ざした乾燥方法が各地で行われてきました。明治末期から大正時代にかけ、農商務省の指導の下に「稲架」が全国で奨励されましたが、刈ったイネをそのまま田にひろげて干す地干しも相変わらず続いてきました。現在では稲架が主流になっています。稲架の架け方や組み方は全国各地で異なっています。隣接している大字で異なることがあります。嵐山町の大塚さんのお話では、嵐山町大字古里と隣接する大字吉田では足の組み方が違うそうです。

岩殿C地区の稲刈り① 稲架棒を運ぶ 10月20日

岩殿・入山田んぼの会の吉田さんと岩殿C地区の稲刈りをしました。参加者は、片桐さん、佐飛さん、澤田さん、細川さん、Hikizineです。吉田さんの稲架棒置き場から田んぼまで稲架棒を運びます。長い稲架棒なので、軽トラの屋根に平行に荷台に脚をくんで積みました。道沿いの木にひっかからないよう注意し、九十九川左岸沿いに橋まで上り、入山沼の急カーブを曲がり、市民の森の下の進入路を通って現場に到着です。
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吉田さんに田んぼの状態を見てもらい、二条刈りのバインダーで稲刈りをすることにしました。
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岩殿C地区ウルチ田んぼ 10月2日

9月24日に倒れたイネを刈り稲架にかけましたその後もイネが倒れたので、再度刈りとり稲架にかけました。
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管理機を返却し稲架の足を借りる

嵐山町古里の大塚さんに管理機を返却し、稲架の足を50本位借りて来ました。
4月10日以来、借用していた管理機はプラウ耕の出来る手押し式の耕運機で、岩殿B地区の耕作放棄田んぼの荒起こしに活躍しました。
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借りて来た足は、岩殿A・B地区と児沢の田んぼの稲架に使います。
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予備の足は、昨日、薪を写した児沢家の倉庫の外の棚に置きました。
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児沢田んぼの稲刈り 9月26日

児沢の上の手前の田んぼで稲刈りをして、60束、稲架にかけました。
6月1日に田植えした田んぼです。
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青刈りしたイネを稲架にかける 9月24日

岩殿C地区の青刈りしたイネを稲架にかけました。
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横木2本を使い、残りの足は児沢に運びました。
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稲架用の棒(ハンデボー)を運ぶ 9月24日

岩殿・入山田んぼの会の利根川さんから今年も、刈り取ったイネをかけて乾燥させる稲架(はさ・ハンデ)用の棒を借りることができ、今日、利根川さんの田んぼから運びました。
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※田んぼでイネを架けておく仕掛けの呼称は、「ノロシ」、「ヤライ」、「ハンデ」、「ハンディ」、「ハンデン」、「ハデ」、「マセ」など埼玉県内でも異称が多く、その作業を「ノロシカケ」、「ハンデカケ」等と呼ぶそうです(大舘勝治『田畑と雑木林の民俗』91~92頁)。茨城県で田んぼをしている横田不二子さんの『5畝の田んぼで自給生活を楽しむ 手植え稲つくり』(農文協、2000年)第10章には、オダがけ、オダ足、長柄(ナガラ)(横木)とあります。

稲架棒をいただく

イネを刈り取り天日干しする方法の一つに架干(はさぼ)しがあり、木や竹、丸太などを組み合わせて作る道具を稲架(はさ)といいます。「使わないからあげるよ」と前から言われていた、九十九川岸に積んであった稲架棒を片づけました。竹棒は傷んでいて使えるものはありません。横に渡す棒2本と脚に使う杭棒20本くらいを岩殿田んぼに軽トラで運びました。ありがとうございました。
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