市民の森保全クラブ定例活動日。参加者は芦田さん、新井さん、片桐さん、金子さん、澤田さん、鷲巣さん、渡部さん、Hikizineの8名でした。渡部さんの指導で「刈払機使用及び作業の注意点」について学習、その後、新エリア尾根の園路付近の下草刈りを刈払機、鎌を使ってしました。
休憩時に鷲巣さんの右手の甲にとまっていたサトキマダラヒカゲ(タテハチョウ科)
人の汗が好き?
市民の森保全クラブ Think Holistically, Conduct Eco-friendly Actions Locally
かつて埼玉県内ではほとんど確認されなかった南方系の生物で、近年、その記録が増えているのはムラサキツバメだけではない。チョウでは、かつては全く記録の無かったナガサキアゲハが2000 年に北本市で記録され、その後、県内各地で記録されている。1980 年代まではほとんど近畿地方以西でしか見られなかったツマグロヒョウモンも、2000 年代に入ると県内各地で確認されるようになり、現在は最も普通に見られるチョウの一つになっている。また、チョウ以外では、元々中国や東南アジア原産であり、昭和初期に九州に入ったと考えられているカメムシであるヨコヅナサシガメも、2000 年代に入ると埼玉県内でも記録されるようになった。この様な、南方系の生物の埼玉県への侵入や定着は、今後進むと考えられる。
容器内の数ヶ所に産卵し、右のかたまりには80粒強の卵があります。メスは交尾後1~2日から産卵し平均300粒、数十粒ずつかたまりでイネなどの葉の表に産卵するそうです(ニカメイチュウ[ニカメイガ]の生態 『BOUJO.net 病害虫・雑草の情報基地』より)。
かつての害虫としての猛威は,1953年の佐賀平野での大発生にうかがうことができる。佐賀平野中心部の城田での誘殺数は,1950年の200頭前後から「漸進大発生」の様相を示し,1952年の第1世代では100倍の20,000頭をこえ,翌年53年の越冬世代で23,000頭を記録したが,その後同年第1世代になると大発生は崩壊し,誘殺数も300頭前後に激減した(桐谷,2009)。この大発生時には,幼虫がイネ茎を食い荒らす音が畔に立っていても聞こえたそうである。さらに,幼虫の集団移動が生じ,その際には通常の寄主植物ではない,サトイモ,メダケ,タカナ,ダイコンまで加害されたと記録されている。また,農民がトラックを仕立てて「BHCかホリドール(パラチオン)をよこせ」と農薬会社の工場におしかけたのもこの時である。※ニカメイガ(岐阜大学応用生物科学部昆虫生態学研究室HP)
ところが,1960年代の日本の高度成長期を境にニカメイガの生息密度は減少し続けた。現在では「並のイネ害虫」,あるいは「ただの虫」,さらに地域によってはほとんど「絶滅危惧種」に近い状態にまで至っている……(20頁)