①『館所蔵民俗資料目録第7集 籠・管理・害虫除去・儀礼用具』(下妻市ふるさと博物館、2002年3月)に収録されている田畑の除草用具です。

  刊行にあたって(2頁から)
 除草用具は豊富な種類と数があるのが目立ちます。特に水田の回転除草機の多様さに驚かされます。
また、最初は柄に刃が付いているという単純な形のものから時代とともに畜力用にまで改良されていく流れが、はっきりとみることができます。……
 また、農耕用具は現地の呼び名が個性的なものが多いのも特長の一つです。

田畑の除草の用具として〈クサカリガマ〉〈ナガエガマ〉〈タチガマ〉〈カマカケ〉〈ガンヅメ〉〈カメノコ〉〈コロガシ〉〈クマデ〉〈ジョレン〉があります。
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②「信州大学農学部附属農場における人力・畜力農具の収集と保存」(有馬博・北原英一・信州大学農学部附属農場)
 伊那は長野県南部に位置し、中央アルプスと南アルプスの問に伸びている細長い谷型の地域である。この谷の底部には天竜川が流れていて水田が連なり、その両岸には河岸段丘が形成されている。さらにその背後には山間農業地が続き、これら相互の標高差は500m以上に及ぶ。一般に伊那谷と呼ばれているこの地方は上伊那郡辰野町付近を北端とし、それから南南西に位置する飯田市の南方まで直線距離で約80kmにわたっている。そのうち北部は寒冷地に、南部は温暖地に属しているうえ、凹凸の多い山岳地形が多いため気象には地域差が大きい。
 このような立地条件のもとで伊那においては様々な種類の農作物が栽培され、他に養蚕や馬匹生産も盛んであった。そのため農家では古来、多種の人力・畜力農具を使用してきた。
 しかし昭和30年代後半からの経済発展、農業構造と生産手段の変化及び農村住宅と納屋の建て替えによって、昭和40年代には人力・畜力農具が急速に廃棄されるようになった。そこで著者ら農場職員は当時の農場長故高橋敏明教授の指導のもとに.伊那の農家に呼びかけて昭和42年[1967]からそれらの農具の収集を開始した。しかし学内には適当な収納場所がなかったため整理もしないまま収納舎の一角へ収容しておいた。
平成7年[1995]に至って、ようやく農場の木造鶏舎を農具展示場として使用できる状況になったため農具を整理・展示し、同年4月1日に農具資料舎と名付けて公開した。また人力・畜力農具以外にも発動横、トラクタなど歴史的意義のある機材も若干数展示した。[25頁]
  〇田車(たぐるま)、代車(しろぐるま)(伊那林屋式:畜力用)
 長野県から山梨県にかけて、水田の代かきに用いていた畜力砕土車で、轅木(えんぼく:舵とり腕木)と馭者席[ぎょしゃせき]を備えた1軸の車輪列型のものと、形式の異なる2軸の車輪列を長方形の馭者台でつないだものがあった。1軸型は土塊を縦方向に、2軸型は縦横方向に土塊を切った。資料舎にはその2形式がある。馭者は土塊の状態を見ながら歩いたり乗ったりした。忙しい時には5~6歳の子供さえ馭者とされ、居眠りで転落しないように席へ荒縄でくくりつけられた。牛馬に体力があれば作業能率の良い車であった。[27頁]

  〇八反取(はったんどり:人力用)
 水田専用の人力除草用具で、一般に2番除草以後に使われた。柄を持って前後に押したり引いたりしながら前進し、表土を浅くかきまわして除草した。10a当たりの歩行距敵は3.5~4㎞に及び疲労がひどかった。少しでも軽くするため柄に竹を用いたものが多い。その後、回転除草機に代替されたが昭和40年代以後は除草剤の普及によってそれも使われなくなった。1条用のほか2条用もあった。[以下28頁]

  〇回転除草機(各種:人力用)
 八反取と同様に2番除草以後に使用する水田専用の手押しのうね間除草機で、通常は爪状の回転刃をもつ2本の軸と鳥居型の柄で構成されている。昭和初期から昭和30年ころまで全国的に使用され、その後は株聞除草機や除草剤に代替された。株間除草ができない欠点があったものの八反取に比べて軽快で能率も良く、中耕もできた。舳先[へさき]の高さと柄の角度が調節できるようになっていて、回転刃の食い込み深さが調節できたが水が深いと浮き上がった。1足ごとに腕を伸縮しながら断続的に押した。カがいるので子供にはいやな仕事であった。

  〇株間除草機(各種:人力用)
 2~4個の縦軸で回転する針金又は薄い鉄板製のローターで稲株をはさみ、柄を押すと土の抵抗でローターが回転して株ぎわの雑草を土とともに外側へかき出して除草が行われる。商品名を「カブマトリー」と称したものもあった。昭和30年(1955年)から数年間に各農家へ普及したが除草剤の出現によって急速に消滅した。実用期問が短かったし小型なので良好な保存状態のものが多く現存している。

  〇畜力3連型回転除草機(畜力用)
 2番除草以後に使用する水田専用の畜カうね間除草機で、昭和30年ころまで大規模農家で使用され、その後は除草剤に代替された。株間除草ができないことと、機体が重くて回転が困難な欠点があったものの能率が良く、中耕もできた。舳先の高さと柄の角度が調節できるようになっていて回転刃の食い込み深さが調節できた。訓練された牛馬はこれを引きながらうね間を上手に歩いたが、田のはしで回転するときには稲を踏みつけたので、小さな田では使いにくかった。