群馬県の『伊勢崎市史 民俗編』(1989年2月)「第1章 環境と民俗」の「第2節 耕地の広がりとムラの景観」、「田の草取り」項目です。

  田の草取り(『伊勢崎市史 民俗編』) 下線、[ ]は引用者
 田の中も放っておけば、さまざまな植物が生えるが、田は稲だけを栽培するための土地であるので、それ以外の植物の繁茂は好ましいものではない。田を田として管理するためには、田の草と呼ばれる稲以外の雑草を取り除かねばならない。除草剤が使われるまでは、それらは手作業だったから多くの労力を要した。春先に苗代に種籾が蒔かれて少し芽が出ると、水苗代の場合は芽干しとか実干しといって、一昼夜ほど水を落したが、完全に水を切ってしまうと雑草が生えやすかったので、浅く水を残した。また、このときに雑草を抜いた。苗代は田植えまでに2回ほど草むしりを行った。田植えが終わると本田の田の草取りが行われた。通常、3回行われ、一番草二番草三番草、あるいは一番ゴ二番ゴ三番ゴ、または一番田の草二番田の草三番田の草といった。
 養蚕を大きくやっている家では、労力の問題で2回しかできないこともあった。一番草は田植え後10日から15日ほどして行われ、二番草はそれからさらに10日から15日ほど、三番草二番草から10日後くらいになった。田植えが6月下旬だった上植木の堤原では、三番草は7月下旬になるが、八斗島[やったじま]では田植えが7月中旬なので、三番草は8月20日ころになってしまった。大正末ごろ、八反コロガシとか八反取りと呼ばれる手押しの除草器が入ってきたが、それまでは、素手かさもなければ指に田の草ヅメ(爪)あるいは単にクダと呼ぶ円筒形のブリキなどをはめて四つ這いになって稲の根の周りをかき回して草を取った。こうすると土がほぐれて根の張りがよいという。取った草は、土の中に押し込むか、アゼに放り上げた。田の草取りは、暑い最中、四つ這いの姿勢で行う辛い労働であった。特に二番草ころになると、稲も伸びて葉先が顔や目をさすので、手拭いや網を被った。汗も目にしみた。なるべく暑くならない朝早くから始めて、昼休みを長くとるようにした。8月上旬ころ、マワリガリといって、田の周囲の草を刈って、稲の根元まで陽が当たるようにすることもあった。
 二百十日をすぎて、穂が出る前には、田の稗抜きを行った。稗[ひえ]は、まだ青いうちに抜かないと実がこぼれて翌年また生えてしまう。抜いた稗は、道端に置いて乾燥させ、燃やしてしまった。うっかり田の端に置いたり水路に入れたりすると、田の中に入ってしまい、次の年にまた苦労することになるので気をつけた。特に水路に入れるとそこの田だけの問題ではなくなるので、ほかの家から苦情が出た。田植えと稲刈りの間は、田の除草と水掛けが大きな仕事だったのである。[61~62頁]