4月23日の記事でとりあげた長野県立科町出身の教育者、五無斎・保科百助(1868~1911)は、6月8日に生まれ、7日に亡くなっています。立科町の広報『たてしな』6月号に岩上起美男さんの「6月、五無斎先生を憶う[おもう]~ 本名? そして、現代書道の父・比田井天来先生との交わり?  ~」が12・13頁に掲載されていました。
広報立科2019年6月号12ページ広報立科2019年6月号13ページ

保科百助の「百助」は「ひゃくすけ」なのか「ももすけ」か。協和村(現・佐久市望月)で生まれた比田井天来との交わりの有無について本当のことを知りたいと願っている岩上さんは、保科百助という人物を大きく4点から評価しています。

①体験型教育の実践者であり、差別の愚[ぐ]なることを力説し、差別撤廃[てっぱい]のために尽力[じんりょく]した謹厳実直[きんげんじっちょく]な教育者。
②もったいぶった権力[けんりょく]や権威[けんい]に対する反骨心旺盛[はんこつしんおうせい]な人。
③自己本位で、悟[さと]らんとして悟りきれない煩悩[ぼんのう]の世界に住んだ鬼才[きさい]。
④奇行[きこう]と毒舌[どくぜつ]の人という半面、シャイで、心優しいユーモリスト。

保科百助という人物についてさらに図書を紐解いて学んでみたくなりました。

広報立科2019年6月号13ページ-001
両親の位牌を見ては思ふかな 線香立つるかゝをほしなと