『昭和農業技術発達史第2巻水田作編』(農山漁村文化協会、1993年)199頁~202頁
 第5章水稲雑草防除技術
  第2節除草剤利用による水田除草労働からの解放
    3.中耕効果説の否定と中耕除草機離れ
 2,4-Dが普及され始めると、水稲作の除草法について農家から1つの問題が提起された。それは、この当時、中耕除草には除草の他に水稲と土壌に土壌かく拌好影響を与えるという中耕効果説が広く農家に浸透していたため、除草剤で除草ができる場合にもなお中耕をする必要があるのではないかという問題であった。この考え方は古く江戸時代の農書に現れ、明治年代以降の農学者・栽培技術者の検討を経て広まり、さらに昭和年代に入って土壌肥料の面でも検討されて理論的な説明もなされるようになった。
 そこで農林省関東東山農業試験場(当時)の野島数馬は、昭和26年(1951)から、中耕効果説に含まれている脱窒防止、土壌肥料面での土壌かく拌効果、地温上昇効果、土壌中への酸素の供給、根への影響について詳細な解明を進めた。また、明治年代以降に国公立の農業試験場で行われた中耕に関する多数の試験結果を検討した。野島は昭和35年(1960)にその研究成果を公表し、中耕は脱窒防止、雑草の発生防止、除草の3効果が主体で、それ以外の生育促進効果は認められないとし、端的には中耕には除草以外の効果のないことを明確に示した。この論文の中で、従来の試験結果では全体として中耕効果説は認められない(図略)のに反して、発表されたものは中耕効果説支持のものが多かったことが明らかにされ、既製概念の打破のむずかしさが示唆された。
 ところで、水田中耕除草機は昭和30年(1955)前後に2つの面で進歩した。1つは、小型トラクターで除草機をけん引するか、小型トラクターに除草用駆動車輪を装着する動力型中耕除草機の開発であり、他の1つは、株間除草器という土壌かく拌の深さが浅く、水稲の株際までかく拌できる人力除草機の考案であった。前者は主に3条型、後者は1条型であった。しかし、前記のように除草剤の開発と利用が進むと、水田雑草の防除は次第に除草剤の利用に負うところが大きくなった。
 除草法の変化を表5-3でみると、2,4-Dなどの茎葉処理材の他にPCP粒剤の普及もかなり進んだ昭和37年(1962)には除草剤は79%の水田で利用され、機械除草は71%の水田で行なわれていた。その3年後(1965)には除草剤利用は77%、機械除草は51%の水田で行なわれており、機械除草の比率が低下してきた。以上2回の調査結果は手取除草・中耕除草・除草剤のうちのいずれを利用したかを示したもので、具体的な組合わせ方は省略してあるが、昭和43年(1968)の調査結果は雑草防除手段の具体的な組合わせ方まで示したものである。昭和43年は茎葉兼土壌処理剤が普及し始める直前に当たるが、除草剤処理の回数別にみると、利用しないもの3%、1回25%、2回63%、3回9%であり、すでに3回処理の除草法まで出現していた。一方、機械除草は51%で3年前の調査と変わりがなかった。
 ここで注目すべき点は手取除草の有無であり、手取除草は3回の調査で年次順に41%、71%、92%の水田で行なわれており、むしろ年々比率が高まった。この主要因は多年生雑草の増加であったとみてよい。このころの多年生雑草はミズガヤツリ、ウリカワが主体であったが、これらがひとたび増加してしまうと中耕除草もあまり効果がなく、その結果再び手取除草が広く行なわれるようになったのであろう。以上のような以上のような事情のもとで、その後中耕除草の実施は急速に少なくなり、通商産業省の中耕除草機の生産台数の調査も昭和47年(1972)で中止された(図5-5)。
表5-3 除草剤の普及と除草法の変化(同上書200頁)
除草剤の普及と除草法の変化

表5-5 水田中耕除草機の生産台数(同上書201頁)
水田中耕除草機の生産台数