『昭和農業技術発達史第2巻水田作編』(農山漁村文化協会、1993年)193頁~194頁
第5章水稲雑草防除技術
 第1節防除剤利用以前の防除方法の進歩
   1.水田中耕除草機の進歩
 水稲栽培では湛水、移植による生育促進という2要因によって雑草の発生生育が抑制されるが、雑草を放任しておけば20~40%の減収となる。水稲直播栽培ではさらに著しい減収となる。
 水稲作の除草は古くは1~3番除草の手取りとヒエ抜きとによるのが一般的であったが、江戸時代には雁爪などが用いられるようになった。しかし雁爪による除草も手取りと同様に四つんばいの姿勢で1回に10a当たり2人もかかる重労働であり、夏の間煮え田で除草を続けた農民は文字通り“農業とは雑草との闘い”であることを実感した。
 明治年代に入って八反取・田打車・豊年車などが考案され、立ち姿で除草ができるようになった。田打車は明治25年(1892)に島根県の老農、中井太一郎によって考案され、特許登録がなされた。これは太一車ともいわれ、正条植えの励行と歩調を合わせて普及し、改良が加えられて、大正年代に1条用と2条用の人力回転中耕除草機の完成をみるに至った。
 下って大正9~12年(1920~23)に畜力水田中耕除草機が岡山県立農事試験場の塩見邦治技師によって考案、試作され、大正13年(1924)から全国の府県農事試験場で実用性が検討され、徐々に実用に移された。これは国公立試験研究機関における水稲作除草技術研究の最初の実用的な成果であったといえる。畜力水田中耕除草機の主体は広幅の等幅3条型であったが、水稲の技術密度を高めるために牛馬を通す条間だけを36~39㎝の広幅にし、それ以外の条間を27㎝程度にする中広3条型や中広5条型のものもあった。しかし畜力水田中耕除草機の利用は狭い条間に牛馬を通すことなど技術的にむずかしい点もあって、主として人力回転中耕除草機が使われた。中耕除草機を主体とした除草方法としては中耕1~2回、手取り1~2回、ヒエ抜き1回が一般的であった。
 以上のような水稲機械除草方法の進歩にともなって、10a当たりの除草労力は雁爪時代の7~8人から3~4人に削減された(表5-1)。
表5-1 機械除草方法の進歩(同上書195頁)
機械除草方法の進歩

水稲作における除草法の進歩と除草労力の推移
水稲作における除草法の進歩と除草労力の推移(近藤康男)