4月16日、カタクリの花を見に立ち寄った長野県北佐久郡立科町山部の津金寺[つがねじ]に建てられていた明治時代の教育者・鉱物学者、保科百助(ほしなひゃくすけ)(1868ー1911)の顕彰碑です。石碑の人物・保科百助については、「百助少年」(立科町HP 2016年3月30日)。
P4160089

「五無斎」については、鉱物採集に出かけた先でわらじが切れてしまい、そばの茶店で買おうとしたところ手持ちが僅かに足りず、店の主人が値をまけてくれないことから「お足なし 草鞋なしには 歩けなし おまけなしとは お情けもなし」と狂歌を詠んだことから、あるいは『海国兵談』の著者林子平(1738ー1793)は「親も無し妻無し子無し板木無し金も無けれど死にたくも無し」から六無斎と号しましたが、それにならったともいわれています。
P4160090
石碑に刻まれている「我死なば 佐久の山部へ 送るべし 焼いてなりとも 生でなりとも」、「ゆっくりと 娑婆に暮らして さておいて わしは一足 ちょっとお先へ」が気になってどういう人物だったのか調べました。泊まるところがなくて友だちのところに出したという「○○ ○○○○○○○○○○に○」は「こまるこまる とまるにこまる」と読むそうですが、寄行・奇言の類はさておき「立科教育の精神的原点」として世のため人のために自分の一生をささげた保科百助をたたえる立科町教育相談員・岩上起美男さんの文章が立科町のHPに多数掲載されています。「信州教育」という言葉がありますが、長野県が教育県と言われる所以を感じました。
 ●広報たてしな2013年7月「「立科教育」への期待」20頁21頁
 ●広報たてしな2013年8月「五無斎・保科百助先生の「無垢なる教育的情熱」と「立科教育」」10頁11頁
 ●広報たてしな 2013年9月「五無斎・保科百助先生の凄さと魅力」12頁13頁
 ●広報たてしな 2015年6月「五無斎・保科百助先生を偲ぶ~奇行奇言の背後に横たわる実像~」12頁13頁
 ●広報たてしな 2016年6月「怖い人、五無斎先生を偲ぶ」16頁17頁 
 ●広報たてしな2017年5月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」12頁13頁
 ●広報たてしな2017年6月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」16頁17頁
 ●広報たてしな2017年7月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」18頁19頁
 ●広報たてしな2017年8月「北佐久郡川西が輩出した俊傑二人~教育一途の人・五無斎と現代書道の父・天来~」16頁17頁
 ●広報たてしな2018年6月「五無斎先生を想う~悟らんとして悟りきれない煩悩の世界に生きた鬼才~」12頁13頁