群馬県道62号線沼田大間々線にある赤城豆腐すみれ屋で買った木綿豆腐です。一丁480円、半丁240円、四分の一丁120円(内税)で売っていました。購入した豆腐はふたのない容器で渡されたので、ふたに印刷されている情報がありません。ネットで検索して、こうだろうと思われるものを以下に記入しました。

半丁240円(内税)の豆腐 →43.6円(100グラムあたり)
品名:木綿豆腐
原材料名:大豆(国産、北海道産と群馬県産のブレンド)
     にがり(青大豆をつかったざる豆腐は藻塩にがりと塩田にがりをブレンド)
     (水は赤城原水)
内容量:550グラム
消費期限:
保存方法:
製造者:赤城豆腐すみれ屋(2003年創業)
 責任者:大塚吉秋(尾瀬ドーフで修業)
 桐生市黒保根町下田沢2428-10
 ℡0277-96-35…

赤城山麓標高570mの一の鳥居に店はある。「お店のすぐ前に芭蕉句碑があり、すみれ橋が隣です。句碑の碑文『山路来て 何やら床し すみれ草』。屋号の名称を赤城豆腐すみれ屋と致しました。」(『桐生っ子クリップ』より)

豆腐一丁の大きさと重さ
     kine-oreさん、2014/09/24 09:23の回答
天保改革の一環の中で、バラバラだった豆腐(水豆腐)の一丁の大きさを古来の定寸に合わせる改革が行われ、天保13(1842)年8月23日にはそれを守らず豆腐の切り方が小ぶりだったとして南奉行所に呼び出され仮牢留めを食った豆腐屋4軒に関わる記載があります。
「江戸時代豆腐の定寸」(石井研堂 著「天保改革鬼譚. 第2版」)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018039/96

そこで、「古来の定寸縦1尺8寸横6寸の箱で、豆腐を9丁に切割り、代56文のを52文に、…」とされています。
ここから、豆腐の「一丁前」の大きさは【1寸を3㎝、1尺を30㎝とすれば(引用者)】18×6センチと考えられます。今の大きさの倍近い長細タイプでしょう。
    江戸時代豆腐の定寸2jpegOutput江戸時代豆腐の定寸jpegOutput

また、重さについては大正14年の料理本には「豆腐一丁599瓦(180匁)」とあります。
越智キヨ 著「家庭栄養日本料理」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970355/195

これらをまとめると、
定寸縦1尺8寸横6寸高さ5寸によって、一丁は18×6×5センチであり比重は1.1強と見なすことで、およそ600グラム(180もんめ)になります。

また、その豆腐屋のない村や地域では材料持ち寄りでの共同で自家製で拵えていた記載があります。
そこでは「ダイズ二升がトウフバコ一箱分で、これで豆腐十二丁ができるのである」(宮本馨太郎「めし・みそ・はし・わん」岩崎美術社)
この場合、
定寸縦1尺8寸横6寸高さ5寸によって、一丁は18×6×5センチであり、比重1.1強と見なすことで、およそ410グラム(120もんめ)になります。
こちらが今日のパック入り豆腐一丁でも一番大きいサイズに当たります。
ダイズ2升で12丁なので、一丁は大豆1.5合(容積270立方センチメートル)を要する量ということなり、これは「出前一丁」というように、提供されるべき料理の一人(あるいは一家)あたりの量である「一丁前」「一かたけ」を呼ぶ単位であり、それはその摂取量は食生活の変化、食事様式の変転など、時代と共に移ろって行ったことになります。