千曲川左岸に100メートルも切り立ってそびえている大きな崖と千曲川の側方浸食によってえぐられた大きな穴があります。上田市大字小泉(旧小泉村下半過)にある半過岩鼻(はんがいわばな)です。
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1)「上田市誌自然編(1)『上田の地質と土壌』(2002年)の「第1章上田の地質」にその地質学的解説があります。
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2)かつて岩鼻より上流の小県郡(ちいさがたぐん)から南佐久郡にかけては大きな湖(海)があり、現在も残っている地名として湖の北端の「塩尻」(潮尻)、南端にあたる「海の口・海尻・海瀬」などがある。岩鼻は唐猫に追われた鼡(ねずみ)がかみ切ってできたもので、湖の水が北方へ流れ出してできたのが今の千曲川の流れ、塩田平や佐久平は湖底だったなど、さまざまな伝説が残っています(上田市誌民俗編(4)『昔語りや伝説と方言』(2003年)等)。
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※異説:「小海町」の名前の由来(小海町HP
 ……仁和3年(887年)あるいは仁和4年(888年)に起きたとされる八ヶ岳(天狗岳)の水蒸気爆発による大崩落によって千曲川の下の深山(現在の八那池洞門付近)が泥流によってせき止められ、海の口から、海尻にかけて大きな湖ができました。この時土村の除ヶ付近(現在の小海小学校付近)の相木川もせき止められ、相木の入口までの湖ができました(相木湖と呼ばれていた)。

海ノ口の湖水は寛弘8年(1011年)に決壊して無くなりましたが、相木湖はその後も残ったらしく、天正初期(1572年頃)古絵図にも記入されていますので、鎌倉時代の中頃(1300年頃)まであったと思われます。これが当時ここに入って来た人達によって「小海」と名付けられたものが小海の名前の起源と言われています。

【歴史、地理の自習の時間】 海なし県、長野県のJR小海線の「小海」の意味。
(←『ブログ高知』)佐久海ノ口駅。 海尻駅。小海駅。海瀬駅。


3)崖の上にある千曲公園からは、千曲川を中心に上田市全体が見渡せます。このあたりは千曲川の中流域にあたり多様な生きものの生息環境(すみ場)をそなえた川原が発達しています。岩鼻の崖には猛禽類のチョウゲンボウやハヤブサが営巣し、川原やまわりの田んぼ、堤防の法面、畑や水田、林縁をえさ場にして子育てしています。
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川原 この日本的な風景
   桜井善雄『水辺の環境学3 生きものの水辺』(新日本出版社、1998年)90頁
 地質構造が若く、急峻な山地からの石礫や土砂の供給が多いわが国の多くの河川では、それらが堆積する中・下流部の河道に広い川原が形成されるのは自然の成り行きであり、川原の存在は、日本の川の自然環境を考える時に忘れてはならない特徴的な要素である。
 さて川原は英語で“dry river bed”といわれるように、平水時や低水時には陸の一部のように見えても、本質的には水が流れる河床の一部である。
 自然の川の特性である流量の変動、とくに洪水によってもたらされる堆積と浸食の程度と頻度が、流路の中の場所によって、不均等に起こるのは当然である。そのため、低水時に水面の上に現れている川原の地表には、全くの石ころだらけの部分から、生育場所の乾湿、草丈の長短などさまざまな草本群落や、低木、亜高木の群落まで、多様な植生がみられる。そして、自然の原因による流量変動が続く限り、このような植生は極相に向かって一方的に遷移することなく、たえず退行と回復をくり返しているのである。
 このような川原は、まことに「日本的」とでもいえるような「移ろいの風景」を、もともとそなえている場所なのである。
激しく変わる川原の植物
   上田市誌自然編(3)『上田の動物と植物』(2001年)の第2章第3節5千曲川の植物(池田登志男)
 川原は砂や大小さまざまな石が多く、昔は洪水が出るたびに地形や水の流れが変わるので、植物も安定して育つことができませんでした。ですから、そういう所にも強いカワラヨモギやオオマツヨイグサなど限られた植物が多く見られました。
 河川の護岸工事や山地の植林が充実してきた現在は、洪水も少なくなり、川原の陸地化が進んできて、さまざまな植物が育つようになりました。各地にニセアカシヤやヤナギ類の林ができたり、畑や野球場・マレットゴルフ場も作られています。
 このように陸地化してきた場所もありますが、場所によっては水の流れや地形が絶えず変化し、生えている植物が変わっている所もあります。
 昔、川原一面に黄色い花を咲かせたオオマツヨイグサは消えて、それよりも花の小さいメマツヨイグサに替わりました。また黄色いじゅうたんを敷いたように見えるアブラナ科のハルザキヤマガラシ、場所によってはアレチウリやクワモドキの群生地も見られます。
 洪水によって植物が流され、その後に再び生え、また洪水で消える。こうしたことが繰り返されてきた川原こそ自然の姿で、陸地化し安定してきている現在の川原は、人間の力で作られた人工的な川原といえます。