千曲川左岸に100メートルも切り立ってそびえている大きな崖とえぐるようにあいた大きな穴にひかれて、「上田 道と川の駅 おとぎの里」に寄りました。
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「上田 道と川の駅」は、『道の駅』Vol.18(2016年夏号)で紹介されていました。
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……道の駅に登録されてからオープンまでなんと、12年!様々な紆余曲折がありました。建物すら無いところから始まって、ようやく食堂まで完成したのも2年前。その間、地元の人々が自ら動いて一つ一つ作り上げてきた道の駅です。……

『おとぎの里』のリーフレットのウラ表紙に沿革が書かれていました。
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     1998年4月17日 道の駅登録
     1998年6月11日 川の駅登録
     2002年4月1日  上田水辺プラザ施設供用開始
    [ 2010年4月1日  全国ではじめての“道と川の駅”としてオープン]
     2010年8月1日  おとぎの里飲食・物販開始
     2013年5月23日 飲食・物販施設開始
     2014年3月27日 河川協力団体指定
1998年に「道の駅」「川の駅」に登録されて2010年に飲食・物販開始までの12年間の「紆余曲折」は、2001年、『脱ダム宣言』の田中康夫県知事のもとでおこなわれた公共事業の見直しが契機となったようです。詳細はわかりません。

現在、おとぎの里の事業は、地域の皆さんが会員となって「持続可能な豊かな地域づくり」を目指して部会に分かれて活動を展開しています。安全・安心部会、あとりえ部会、ふるさと部会、農林水産物部会、あきない部会、企画・プロモーション部会、てらこや部会、食品部会の8部会です。

おとぎの里のめあて

■「コミュニティービジネス方式」により、収益事業とそれに支えられる公益事業の展開し“新たな公共の場づくり”を目指しています。
■“地域性・社会性+事業性・自立性”を伴った「地域事業」を展開しています。
■民(産)・学・官の連携と協働を推進しています。
■市民が主体となり、特徴ある持続可能な“豊かな地域社会の創造”を目指しています。

※参考:公共事業の見直し 小さく生んで大きく育てられる公共事業
        岩波ブックレット№589『市民がつくる公共事業』2003年)9~10頁
田中 札幌についで長野市もオリンピックを行いましたが、やったあとに「宴のあと」の悲しさを痛感してしまいました。かつて長野市は東京から時間的にはたいへん遠い県庁所在地でした。東京駅ではなく、上野駅から特急に乗って軽井沢へ行くまでには碓氷峠(うすいとうげ)を、かつてはアプト式というギザギザの電気機関車をつないで長野市まで三時間もかかっていました。四国や九州の県庁所在地は羽田から二時間で行けてしまう。けれども、現在新幹線ができて東京から長野市までは最短一時間二五分で行けます。これによって何がおきたかというと、ビジネスで来た人たちが日帰りで帰るようになってしまいました。観光客についても、もともと長野県というのは他の都道府県がお金を出しても買えないような軽井沢や上高地という得難い財産がありましたが、これを所与のものとして、県民があまりその貴重さを把握していなかったわけです。長野県民というのは生糸から精密機械を経てIT関連産業に、というように、議論をして物をつくるのは非常に得意なんですが、それをいかに営業したり接客したりするかということについては少なからず不得手な県民でございまして、気がついたらお客が来なくなっていたということです。みんな草津の温泉に泊まって志賀高原へバスで降りてきて、あとは善光寺を拝観してー最近では「拝観料」が無料なので県庁一階のガラス張りの知事室もご覧になって知事の名刺を一枚受け取ってお帰りになる方も多いのですがー、その多くの方が夕方の一六時台の新幹線に乗って東京に帰って、東京でご飯を食べるようになってしまいました。 このようなことを経て長野県の人たちは、バイパスができてしまうと「道の駅」には人が来るかもしれないが、自分たちの集落の商店街は空洞化してしまうことを感じたわけです。それはまさに物質主義から脱物質主義への転換だということです。脱物質主義の世の中といっても、これは一言では言えないわけです。橋やトンネルを造るというのは目に見えるものですから、お金をそこにかければ確かにできます。でも「豊かさ」は、そのことによってはどうももたらされない。……