佐久市から野辺山高原を訪れました。たまたま立ち寄った南牧村歴史民俗資料館の展示と『南牧村の地質』(南牧文庫、南牧村教育委員会発行)から飯盛山近くの「しし岩」がある平沢が、ドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンがフォッサマグナの発想を得た場所であることを知りました。ナウマン象は、日本の化石長鼻類研究の草分けでもあったナウマンにちなんで名付けられた和名です。
IMG_0260

IMG_0277IMG_0276
しし岩展望台からは八ヶ岳や南アルプスの山々が一望でき、近くには国立天文台宇宙電波観測所もあります。

IMG_0257IMG_0262

IMG_0272

※ナウマンについては、ウィキペディアの「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」の項の外部リンクにある山下昇氏が1990年から93年にかけて『地質学雑誌』に連載した「ナウマンの日本地質への貢献」が詳しいです。

※フォッサマグナについては、山下昇編著『フォッサマグナ』(東海大学出版会,1995年)。
 山下昇編著『フォッサマグナ』目次
  はじめに-問題は何か?
  序章 フォッサマグナとは何か
  1章 フォッサマグナの西縁、糸魚川-静岡構造線
   (1) 太平洋から日本海への横断路
   (2) 糸静線の概要
   (3) 姫川地域
   (4) 松本盆地
   (5) 宮川~釜無川地域
   (6) 駒ヶ岳山麓~早川地域
   (7) 静岡地域
  2章 フォッサマグナの東縁、直江津-平塚線
   (1) 東縁を追跡すると
   (2) 実在しない東縁断層
   (3) 東北日本の南限
   (4) 東北日本と西南日本の境界地域
   (5) 復元できない東縁
   (6) それでもフォッサマグナは存在する
   (7) フォッサマグナの定義
  3章 古期岩層-フォッサマグナ以前の岩層
   1. 西南日本の古期岩層
   (1) 帯状に延びた構造
   (2) 飛騨帯-ユーラシア大陸の断片
   (3) 飛騨外縁帯-日本最古の化石を含む混沌地帯
   (4) 美濃帯-プレートの沈みこみと付加作用
   (5) 領家帯-変成された美濃帯と花こう岩類
   (6) 中生代後期~新生代前期の花こう岩類と火山噴出物
   (7) 三波川帯-白亜紀の高圧変成帯
   (8) 秩父帯
   (9) 四万十帯-白亜紀と古第三紀の付加体
   2. 東北日本の古期岩層
   (1) 帯状構造とその意味
   (2) 各帯の特徴
   3. 信越-房豆地区の古期岩層
   (1) 関東山地
   (2) 嶺岡帯その他
  4章 中期岩層-フォッサマグナの発生と発展
   (1) 直前の状態-海岸山脈であった日本
   (2) 中期=フォッサマグナ時代の概要
   (3) フォッサマグナの地質区区分
   (4) 中期の時代区分
   (5) 第1期:フォッサマグナの始まり
        2500万年前~1700万年前(中新世前期)
   (6) 第2期:海底火山活動の始まり
        1700万年前~1500万年前(中新世前期末~中期初頭)
   (7) 第3期:海の拡大と第一次古代日本アルプス
        1500万年前~1150万年前(中新世中期)
   (8) 第4期:隆起の拡大と石英閃緑石の貫入
        1150万年前~600万年前(中新世後期)
   (9) 北部フォッサマグナの第5期:糸静線の始まり
        600万年~70万年前(中新世後期末~更新世前期)
   (10) シンシュウゾウとアケボノゾウ:氾濫する礫岩
   (11) 南部フォッサマグナの第5期
        600万年~70万年前(中新世紀後末期~更新世前期)
   (12) 伊豆半島の中期岩層 
  5章 大峰面-中期と新期の境界面
   (1) 大峰面とは?
   (2) 中期の終わり,新期の始まり
   (3) 大峰面の隆起
  6章 新期岩層-フォッサマグナの変容
   (1) 新期の特徴
   (2) 沈降する越後平野
   (3) 十日町盆地
   (4) 長野盆地
   (5) 生坂村の平坦面群
   (6) 安曇野-松本盆地北部
   (7) 筑摩野-松本盆地南部
   (8) 坂下町の段丘群
   (9) 濃尾平野
  7章 新期の火山
   (1) フォッサマグナと周辺の火山の概要
   (2) “乗鞍火山帯”の火山
   (3) “那須-鳥海火山帯”の火山
   (4) 北部フォッサマグナの火山
   (5) 南部フォッサマグナの火山
   (6) フォッサマグナ中央部の火山
  8章 フォッサマグナの温泉と地下資源
   (1) フォッサマグナと温泉
   (2) フォッサマグナと地下資源
  9章 フォッサマグナと人類
   (1) 人類の時代
   (2) 野尻湖の発掘
   (3) フォッサマグナ地域の遺跡
   (4) ナイフ形石器文化-3万年前~1万4000年前
   (5) フォッサマグナは石材の産地
   (6) 細石器文化-1万4000年前~1万3000年前
  10章  フォッサマグナの成因
   (1) ナウマンのフォッサマグナ成因説
   (2) 1930年代から1940 年代のフォッサマグナ成因説
   (3) 新しい地球科学の発展
   (4) 七島山脈
   (5) 関東平野の地下構造と柏崎-千葉構造線
   (6) 七島弧の本州弧横断
   (7) 島弧交差の諸相
   (8) 交差地域の構造の総括
   (9) 残る諸問題
  11章 ナウマン小伝
   (1) 悪意にみちたナウマン評
   (2) 大学を出るまで(0歳~20歳)
   (3) 日本滞在の10年(20歳~30歳)
   (4) ミュンヘン時代(31歳~44歳)
   (5) フランクフルト時代(44歳~72歳)
  付録1 岩石の古さ
   (1) どちらが先か?
   (2) 地層は「時」の系列を示す
   (3) 生物の進化現象を時間のものさしとした
   (4) 放射線元素の崩壊を利用して年数を測る
   (5) 地磁気の南北は逆転を繰り返した
   (6) 火山灰層は特定の時間を示す
   (7) さまざまな方法を組み合わせる
  付録2 用語解説

 『地学雑誌』104巻3号(1995年)に掲載されている有田忠雄さんの書評があります。

『フォッサマグナ』序章「フォッサマグナとは何か」(山下昇)
  フォッサマグナの位置
 フォッサマグナは、日本列島の中央部を横断して、日本海から太平洋へ突き抜けている細長い地帯である。そこには妙高山・八ヶ岳・富士山・箱根山・天城山など、たくさんの果山が日本列島を横断して南北に並んでいる。
 フォッサマグナの西縁は糸魚川(いといがわ)-静岡構造線という名の大断層である。略して糸静線(いとしずせん)という。……
 フォッサマグナの東縁には名前がない。そこで、仮に直江津(なおえつ)-平塚線(ひらつかせん)と呼ぶことにする。直江津は日本海岸の上越市の一部であり、平塚市は太平洋岸の街である。

  フォッサマグナの発見者、ナウマン博士
 フォッサマグナを発見し、命名したのはドイツ人地質家のエドムント・ナウマン博士(Edmund Naumann, 1854-1927)である。それは今から100年あまり前の1880年代から90年代にかけてのことであった。
 ナウマンは1875年(明治8)、20歳のときに日本に来た。以後10年間日本に滞在し、最初は開成学校から東京大学の教授、後半は地質調査所の所長格の技師長をつとめた。この間、日本国内を1万㎞も旅行した。
 フォッサマグナには3回旅行したと彼は書いている。第1回は日本に来て3ヵ月もたたない1875年11月のことであった。中山道から碓氷峠を越えて長野県に入り、南へ千曲川をさかのぼり、野辺山原(のべやまはら)を越えて平沢(ひらさわ)という小さい村に泊まった。嵐の一夜を過ごした翌日、11月13日の朝のこと、目の前には赤石(あかいし)山地北東縁の急崖がつらなり、左手には富士山が高く大きくそびえていた【実際には平沢の集落からは富士山は見えないそうです(引用者)。】。その印象はまことに強烈であったと彼は言っている。これが、ナウマンにとってフォッサマグナとの最初の出会いであった。

  フォッサマグナは大きな溝
 フォッサマグナはラテン語のFossa Magnaである。Fossaは溝、Magnaは大きいという意味である。だから、日本語にすれば「大きな溝」である。初めはドイツ語でグローセルグラーベンGrosser Grabenと名付けられたが、これも意味は同じである。
 富士山をはじめ高い山々が並んでいるこの地域を溝と呼んだのは何故か、富士山も八ヶ岳も、ここに並んでいるたくさんの高い山は火山だからである。火山は地中から噴出した溶岩や火山灰が地表に積み重なって山となったものである。だから、それを取り除くと、そこの地面はずっと低くなる。

  フォッサマグナの岩石は2500万年前~70万年前の地層
 フォッサマグナの岩石は新第三紀から第四紀更新世の前期まで。すなわち2500万年前~70万年前に堆積した地層である。この地層は泥・砂・礫などが固まってできた岩石、すなわち泥岩・砂岩・礫岩と、火山灰や溶岩から成っている。
 そこで、2500万年前より前を「古期」、2500万年前から70万年前までを「中期」、70万年前から現在までを「新期」と呼ぶことにする。そして、そえぞれの時期に形成された岩石や地層を古期岩層・中期岩層・新期岩層と呼ぶ。したがって、この区分でいうとフォッサマグナの岩石は中期岩層である。

  フォッサマグナは衝突の産物
 ナウマンは、フォッサマグナの前方に七島山脈が存在していることに注目した。日本列島が大陸側から太平洋側へ水平に移動したとき、前面にある七島山脈に衝突し、赤石山地や関東山地が北へ曲げられたと主張し、水平移動の距離を120㎞と算定した。
 フォッサマグナの出来方に関するナウマンの説は、現代のフォッサマグナ成因論の先駆けであった。