東北道西那須野塩原インターチェンジを降りて2分、那須野原台地にある千本松牧場(那須塩原市千本松799)と、接骨木地区(にわとこ)のマツ林を見学しました。
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※「千本松」命名について(「せんぼんまつ牧場のひみつ」より引用)
 この地域は、古くは「那須野」、江戸時代には「那須野原」、明治初期より「那須野が原」と呼ばれていました。那珂川・蛇尾川・箒川などが那須連山から運んだ土砂が堆積した扇状地で、水に乏しく原っぱや雑木林ばかりだったようです。人も住まないことから「九尾の狐」の伝説も生まれたといいます。鎌倉時代初期の建久4(1193)年には、ときの将軍 源頼朝が1万人を使い巻狩を行ったと「吾妻鏡」に記されています。
 明治13(1880)年、伊藤博文や松方正義の薦めにより開拓が始められました。開拓に不可欠な水を確保するため、印南丈作や矢板武らの努力により、那珂川上流より水をひくことに成功しました。「那須疏水」の開通です。 那須疏水は、福島県の「安積疏水」と京都「琵琶湖疏水」と並び、日本三大疏水と称されて、今も那須千本松牧場の南端を東西に流れています。
総理大臣を2度務めた松方正義公が、明治26(1893)年にこの地を那須開墾社より譲り受け、大農具を導入して欧米式の農場を開きました。これが、那須千本松牧場のはじまりです。……
この地には、天然のアカマツが密生繁茂していたので、松方正義公は「千本松」と命名し、それがそのまま地名となりました。現在でもたくさんのアカマツが群生しており「栃木の景勝100選」にも選ばれています。……
※高度経済成長期の施業で千本松牧場の平地林は広葉樹林からアカマツ優占林となる(犬井論文参照)
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※接骨木地区の放置された平地林
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犬井正「那須野原台地における平地林利用の変容」(『人文地理』40巻2号、1988年)
  Ⅰ はじめに
  Ⅱ 那須野原台地西原の概況
  Ⅲ 平地林の伝統的利用法
   (1) 農業の再生産資材としての落葉の利用
   (2) 農家の生活資材としての林産物の利用
  Ⅳ 塩原町接骨木地区における平地林利用の変容
   (1) 高度経済成長期以前の営農形態と落葉採取利用
   (2) 高度経済成長期以降の平地林と農業の分離
  V  西那須野町千本松地区における平地林利用の変容
   (1) 高度経済成長期以前の平地林の利用形態
   (2) 高度経済成長期以降の農用林野的利用の消滅
  Ⅵ むすび

※千本松農場における林業経営(犬井論文78~79頁から引用)
第二次世界大戦後, 千本松農場は蓬莱殖産株式会社が会社組織により酪農と平地林の育成林業に主力を置いて農場経営を行なった。1946 (昭和21) 年に酪農経営を取り入れ北海道から乳牛10頭を導入し, 生乳の生産とともに1949年にはバター製造所を建設し, バターの生産を開始した。1956年には農場の作業を馬等の畜力中心からトラクター・自動車等の大型機械へと転換した。1961年には乳牛飼育頭数が100頭に増加したためにそれに必要な牧野造成を開始した。1965年には乳牛飼育頭数が200頭になり, 採草地を造成拡大して接骨木地区に建設された地方競馬全国協会にも飼料用干草の販売を開始した。1973年には乳牛飼育頭数が300頭に増加し, 観光農場部門も併設された。1985年現在, 乳牛350頭と耕地・牧草地215haの規模に成長した。
 一方1960年代の高度経済成長期以降, 燃料革命により全国的な薪や炭の需要減少の影響を受け, それまで農場の大きな収入源だった平地林からの薪炭材の生産量は減少した。同時に,「落葉・生草利用組合」の組合員農家の平地林の利用面積も漸減したので, 農場は順次広葉樹から針葉樹へと平地林の樹種転換をはかっていった。植林等に要する造林経費は酪農部門で得た収益によって補填した。
 長い間の落葉採取慣行のため林地の地力消耗が著しかったので, 林業用固形肥料等を施用してアカマツへの転換を積極的に図るとともに,適地には小面積ながらスギ・ヒノキも植林した。その結果かつて最も広大であったクヌギ等の広葉樹林の面積は減少した。それに替わってアカマツが528.8haと大半を占め, スギ・ヒノキは24.1haである。アカマツは40~50年生を中心に高度経済成長期以降, 土木建築用材として材木業者に立木で売却し高収益を得てきたので, 毎年計画的に造林されてきたために他の樹種に比べ畜積量が非常に多い。スギ, ヒノキは1960年代以降に造林をしたものが大部分のため20年生以下の若齢級の林分が多い。全国的な国内材の売れ行き不振の影響を受けてスギ・ヒノキの販売量は少ない。61年生以上のスギ・ヒノキは農場社屋や畜舎の周辺に仕立てた防風林である。広葉樹林は大部分アカマツ林との二段林になっており, コナラを中心にしいたけ栽培のホダ木原木として20~30年伐期で伐採し販売している。
 接骨木地区の農家保有の平地林は保有規模が小さいとともに, 個々の農家の資本畜積が小さいため平地林を林業用地へ転換することは困難であった。しかし, 千本松地区は600haに及ぶ広大な平地林を千本松農場が単独で保有してきたので, 酪農部門で得た収益を林業部門に補填しつつ造林を可能にしてきたのである。その結果, 古村と同様に高度経済成長期以降, 農用林野としての機能を喪失しても, 不動産業者等による平地林の蚕食を防ぎ大規模な育林地に転換できた特殊な事例と考えられる。