前橋市の北西部、渋川市境にある橘山に登りました。橘山(たちばなやま)は標高228m、前橋市田口町と渋川市北橘(ほっきつ)の市境、北関東循環器病院の西隣にあります。
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橘山は地質的には赤城山火山の大爆発に伴う火砕流や泥流から出来た「流れ山」です。赤城山南西麓には30余りあり、2万5千分の1の地形図では、城山、十二山、九十九山などが「流れ山」です。山名の由来として、①日本武尊と弟橘姫の神話(ヤマトタケルノミコトが東征の途中、橘山の頂上の石に腰をおろし、荒れた海を鎮めるため身を投げた愛妻オトタチバナヒメを偲んだ。その石が神社のご神体となり小石神社なった。恋し石は前橋市の敷島公園近くの小石神社に移され、山頂には祠が残っている)、②山の形(鼻先に立つ山=立鼻)があるようです。
橘山に関係する里山の会は、前橋市田口町にある「橘山憩いの森愛護会」と渋川市北橘町にある「橘山愛護会」、「南橘の自然観察と環境を守る会」があり、合同で事前観察会を行っているようです。「橘山憩の森愛護会」は花王・みんなの森づくり活動助成団体です。

南橘地区には、「ホタルの里」や「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーにした「南橘地区冒険遊び場」があります。
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菜の花(田口菜)プロジェクトは地域づくり推進事業の一環で、遊休農地を地元に伝わる伝統野菜「田口菜」(アブラナ科)の花でいっぱいにする運動です。種まき・草取り・摘み菜・花観賞・種取・搾油体験など約80名の会員が活動中です。
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田口菜はカキナ同様、抽苔(ちゅうだい)した花茎を摘んで主におひたしにして食べるそうです。高村光太郎が太平洋戦争後移り住んだ岩手県花巻郊外の稗貫郡太田村山口での農業体験を綴った随筆「開墾」(1947年の草稿「まねこと開墾」。雑誌「北方風物」のために書かれたが、掲載前に廃刊となり未発表)に出てきます。