誘蛾灯によるニカメイガ成虫の誘殺 宮下和喜『ニカメイガの生態』(1982年7月)より
 誘蛾灯による成虫の誘殺も、古くより有力な防除手段になると考えられてきた。1877年(明治10)、青森県で起った大発生の時には、篤農家楠美勇助という人が、ボンボリによる成虫の誘殺を考えている。その後、明治年代の中頃からはカンテラ灯が用いられるようになり、熊本県では、1894年(明治27)頃からサンカメイガの防除のため、数ヶ村にわたって多数のカンテラ灯による誘殺が実施されている。また、これによる発生消長の調査も1887年(明治10)頃より始められている。
 誘蛾灯は、光源がカンテラであろうと電灯であろうと、実際に多数の成虫を殺すのが目に見えるので、防除効果も高いに違いないと信じられやすかった。そのため、農林省もこれによる防除を奨励し、使用数は大正年代から昭和年代のはじめ、さらには第二次世界大戦終了直後まで増えつづけた。大正年代から昭和年代のはじめにかけては、主として誘蛾灯の構造や光源の改良が研究の対象となり、ついて光源の種類や点灯時間、あるいは面積当りの点灯数などについての様ざまな検討が行なわれた。第二次世界大戦がたけなわであった1942年(昭和17)での全国における誘蛾灯の設置数は、電灯約6万、アセチレン灯3万、石油カンテラ25万にも達し、対象面積は32万ヘクタール余にもなったが、大戦の戦局悪化につれてアメリカ空軍の本土爆撃に対する防空上の必要から、全面的に中止されるようになった。……[109~110頁]
……この頃[大正年代]から誘蛾灯の光源を従来の石油ランプから電燈に切り代える場合の必要性から、光源の光の性質や照度と走光性との関係が実験的に大変くわしく調べられはじめた。……そしてそれらの結果は、鏑木らによって取りまとめられ、1939年に発表された[鏑木外岐雄ら 螟虫に関する研究(第3報) 二化螟虫の生態特に趨光性及び趨化性に就いて 農事改良資料第140号]。……誘蛾灯としての光源は、燭光数が大きくしかも近紫外部分の光線を多く発するものが望ましいということになる。
 そのため、この方向にそった光源の開発が行なわれ、水銀灯。青色蛍光灯、ブラックライトなどが次つぎと現われた。とくに青色誘蛾灯は、従来の60W白熱電灯の3.5培も多くメスを誘殺できたことから、第二次世界大戦終了直後の食糧難時代における害虫防除の花形兵器として、1947年(昭和22)には全国で約2万5000灯、1948年(昭和23)には、6万8000灯、1949年(昭和24)にはじつに14万灯もの多くが点灯された[石倉秀次・小野小三郎、1959年、イモチとメイチュウ、富民社]。石倉は、各種の誘殺成績を検討し、青色蛍光灯の有効半径は127~145メートル、つまり有効面積は約5ヘクタールにも及び、夏世代幼虫による被害を約40%程度も減少させうると推定した。ところが、この当時わが国はまだ連合軍による占領下にあったため、連合軍総司令部の農業部は、誘蛾灯の大量点灯が害虫と一緒に多種類の天敵をはじめとする益虫を多く殺すという理由もあって、効果に批判的見解を表明し、農林省に奨励を止めさせてしまった。そのため、点灯数は1949年(昭和24)を境にして急激に減ってしまった。[60~61頁]
蛍光誘蛾灯をつけませう
   イネのニカメイチュウ
        蛍光誘蛾灯をつけましょう
ニカメイチュウは、毎年どこにでも出ていますが、昨年はこのため全国で200万石以上の減収がありました。この害虫の駆除には、本田の採卵と葉鞘変色茎(さやがれ)の切り取りをていねいに行えば、非常に効き目があります。  また、最近発明された蛍光誘蛾灯(5町歩に1灯)は、驚くほど効き目があります。この設備をぜひ共同で早く行いましょう。
[1953年(昭和28)、岩手県の岩谷堂普及所(現・奥州農業改良普及センター)が、農業技術(主に病害虫防除)指導のために作成・使用した手書きの巻物風資料](岩手県農業研究センター第48回・企画展「農業改良普及事業創成期の技術資料」)