麦刈り・脱穀・麦打ちの後  『東松山市史 資料編第5巻 民俗編』(東松山市、1983年)72頁
麦刈り 6月に入ると麦刈りが始まる。麦の色を見て黄色に変わると麦刈りの適期である。このころは、田植えの準備が始まるので水田の作業と麦作りが重なり農家は大変忙しい。「とり込み、仕付けで忙しい」というのがこの頃である。晴れると麦刈り、雨が降ると田仕事と、まさに猫の手も借りたい忙しさになる。
 麦の場合は刈り取りが遅れると、雨の多い季節でもあるので発芽してしまうから早目に収穫するのがよく、「麦は十七、八を刈れ」という。
 刈り取った麦は畑で一日干す。これをカッポシにするという。ワラで作ったイッソウで束にしてサシ棒でかつぎ出し、リヤカーで家まで運び軒先や小屋に穂合せに積む。穂合せとは一段目は穂を上にして立て、二段目は逆さにして積むので一段目と二段目の穂が重なる摘み方である。

脱穀 麦刈りの後は、麦の穂を落とす作業と脱粒とになる。大正初期まではサナで穂を落し、クルリ棒(振り棒)で脱粒した。振り棒での脱粒は「夏の暑い時にやるのでたいへんな仕事だった」「ノゲが体につくので後で沼に入った」というような大変な労働だった。

麦打ちの後 フルイに通し、唐みでふいて俵につめる。その後、脱穀の作業は、足踏み式脱穀機から動力脱穀機に変わり、脱粒作業はなくなった。この脱粒の時に歌われたのが岩殿等に伝わる麦打ち歌である。