子供たちにとって小鳥捕りは冬の楽しい遊びでした。嵐山町(らんざんまち)古里(ふるさと)の大塚基氏さんが書いた子供の頃(昭和30年代)の冬の小鳥捕りのしかけ、「ぶっちゅめ」(ブッチメ)の思い出です。
   ぶっちゅめ
 本当の語源は解りませんが、なんとなくぶって捕るとか、ぶって閉じ込めるとかの意味ではないだろうかと推測されるぶっちゅめは、山あいや畑の傍らの陽だまりに仕掛けて、雀やホオジロなどの小鳥を捕る罠(わな)のことを言います。
 ばねになる篠棒(篠1)に結わえた2本の糸によって、両端を縛られた篠棒(篠2)を地面に接して横に固定された篠ん棒(篠3)に絡めて引き上げ、その篠棒を篠1に結わえたもう一本の糸に結わえられた短い仕掛け棒(篠4)に引っかけて、そこに細い篠棒(篠5)を横に設定します。そして小鳥がやってきて仕掛け棒(篠4)と篠2との間に頭を突っ込んでぶっちゅめの囲いの中の撒き餌を食べようとすると、篠5が動いて仕掛け棒(篠4)がはずれて、地面の横棒(篠3)と篠2との間に小鳥が首を挟まれてしまうという仕組みです。
 ぶっちゅめは、子供たちの冬場の遊び仕事として先輩たちから引き継がれてきました。
 子供たちは、雀やホオジロなどが集まる陽だまりの所を見つけると、それらの所にぶっちゅめを仕掛け、それに小鳥が掛かっているかどうかの確認を楽しみの日課としていました。
 そして、捕った雀やホオジロなどの小鳥は、羽をむしりとり、内蔵を取り出して、炭火などであぶったり、肉を煮物などにいれたりして食べました。
 私は、家の周りの畑だけしかぶっちゅめを仕掛けた記憶はありませんが、先輩たちからは、谷津の畑の陽だまりに仕掛けたぶっちゅめで捕ったとかの話をたびたび聞きました(この頃は谷津の奥の方まで綺麗に耕されていました)。
 また、冬場の子供たちの遊びとして、篠や竹などを使った弓を作り、茅の穂の下の節のない真っ直ぐな茎の先に篠で作った矢じりをつけて、家の周りに群れる雀などの小鳥を狙いましたが、なかなか当たりませんでした。若い衆には空気銃が流行(はや)っていて、空気銃でとってもらって焼いて食べた雀のこりこりとした肉の味はいまだに忘れられません。
 ※ブッチメの仕掛け
『小川町の歴史 別編 民俗編』(2001年)774頁のブッチメの図(宮本八惠子さん作図)に、大塚さんの説明の篠1から篠5の番号をつけてみました。
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