山極 寿一『「サル化」する人間社会 』(集英社インターナショナル、2014年7月)
   【目次】
   第1章 なぜゴリラを研究するのか
   第2章 ゴリラの魅力
   第3章 ゴリラと同性愛
   第4章 家族の起源を探る
   第5章 なぜゴリラは歌うのか
   第6章 言語以前のコミュニケーションと社会性の進化
   第7章 「サル化」する人間社会

 第7章「サル化」する人間社会
  人間社会はサル社会になり始めている
   人間は、「家族」と「共同体」の二つの集団に所属している
家族は「子どものためなら」「親のためなら」と多くのことを犠牲にし、見返りも期待せずに奉仕します。血のつながりがあるからとか、自分がおなかを痛めて産んだ子だから、といった理由でえこひいきをするのを喜びとするのです。/一方、コミュニティでは何かしてあげれば相手からもしてもらえます。何かをしてもらったら、お返しをしなくてはなりません。それは互酬的な関係で、えこひいきはありません。/人間以外の動物は家族と共同体は両立できませんが、私たち人類は、この二つの集団を上手に使いながら進化してきました。ほかの動物と人間を分ける最大の特徴と言えるということは、これまでの章で述べたとおりです。/人類は共同の子育ての必要性と、食をともにすることによって生まれた分かち合いの精神によって、家族と共同体という二つの集団を成功させました。(154~155頁) 
   ゴリラ・・・家族 家族生活 1頭のオスと複数のメスからなる集団生活
   チンパンジー・・・群れ(共同体)。親子はあるが家族はない 群れ生活
             複数のオスとメスからなるより大きな集団生活
   人間・・・家族+共同体 家族生活と群れ生活が両立
   家族 食事をともにするものたち
   共食→個食

  サルは所属する集団に愛着を持たない
サルは群れから一度離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ありません。/サルと違って、人間は自分の家族やコミュニティを愛し、縛られて生きていくものです。それが人間のひとつの根源的なアイデンティティだと私は考えています。しかし、家族が崩壊すれば、自分がどの家族の出身であるか、あるいは自分がどのコミュニティに属するかということも、もはや人はアイデンティティとして必要としないでしょう。(158~159頁)
   「サル化」社会 :チンパンジーを想定   
   サル:コミュニティ(群れ)から離れれば、愛着(アイデンティティ・帰属意識)ない
      群れにいる時はある?
   人間:家族、コミュニティ それぞれに愛着(アイデンティティ・帰属意識)
     
  霊長類の共感力と人間特有の同情心
   共感能力(ミラーニューロン)の発達→同情心(シンパシー)→向社会的行動
   向社会的行動が人類の認知能力を高めた
同情心とは、相手の気持ちになり痛みを分かち合う心です。この心がなければ、人間社会は作れません。共感以上の同情という感情を手に入れた人間は、次第に「向社会的行動」を起こすようになります。/向社会的行動とは、「相手のために何かしてあげたい」「他人のために役立つことをしたい」という思いに基づく行動です。人類が食べ物を運び、道具の作り方を仲間に伝えたのも、火をおこして調理を工夫したのも、子どもたちに教育を始めたのも、すべて向社会的行動だろうと私は思います。(161~162頁)

  人間の社会性とは何か
   人間の持っている普遍的な社会性
    ①見返りのない奉仕をすること
     共感能力を成長期に身につけ、家族の枠を超え、共同体より広い社会へと広がる
    ②互酬性
     何かを誰かにしてもらったら、必ずお返し
     お金を払ってモノやサービスなどの価値を得るという経済活動
    ③帰属意識 アイデンティティの重要な要素
     相手との差異を認め、尊重し、付き合える能力を持っているのは帰属意識があるから
ひとつは、見返りのない奉仕をすること。これは家族内では当たり前のことですが、そこに留まらないで、見ず知らずの相手や自分とはゆかりのない地域のためにボランティア活動などを行えるのが人間です。/人間は、共感能力を成長期に身につけます。自分を最優先してくれる家族に守られながら、「奉仕」の精神を学んでいきます。そんな環境の中で、「誰かに何かをしてあげたい」という気持ちが育っていく。そしてその思いは家族の枠を超えて、共同体に対しても、もっと広い社会に対しても広がっていきます。(162~163頁)
二つ目は互酬性です。何かを誰かにしてもらったら、必ずお返しをする。こちらがしてあげたときには、お返しが来る。これは共同体の維持のためのルールですね。会社などの組織も基本的にはこのルールのもとに成り立っています。また、お金を払ってモノやサービスなどの価値を得るための経済活動が、まさしく人間の互酬性を表しています。(163頁)
   ボランティアの互酬性は?
三つ目は帰属意識です。自分がどこに所属しているか、という意識を人間は一生、持ち続けます。……/逆説的ですが、人間は帰属意識を持っているからこそ、いろんな集団を渡り歩くことができます。集団を行き来する際、常に人間は自分の所属を確認し、それを証明しなくてはいけませんが、それはほかの動物にはできないことです。人間は、帰属意識を持っているからこそ世界中を歩き回ることもできるし、自分自身の行動範囲や考えを広げていけるのです。人間は相手との差異を認め尊重し合いつつ、きちんと付き合える能力を持っていますが、その基本に帰属意識があると思います。(163頁)

  個人の利益と効率を優先するサル的序列社会
「人間がひとりで生きることは、平等に生きることに結びつかない」という事実です。家族を失い、個人になってしまったとたん、人間は上下関係をルールとする社会システムの中に組み込まれやすくなってしまうのです。(165頁)
家族をなくして集団原理だけでやっていくことは、優劣を重視したサル社会に移行することだと私は今、思っています。(166頁)

  通信革命と序列社会
インターネットから始まり連なる人間関係は、これからの社会にどのような影響を与えていくと考えられるのでしょうか。/人間はどんどん自由になるでしょうが、同時にますます孤独になるでしょう。インターネットを通したつながりが、かりそめの安心感を与えてくれることもあるかもしれません。ですが、それは自分を無条件に守ってくれる家族的なつながりとは全く種類の異なるものです。(166~167頁)
インターネットなどをきっかけにゆるやかにつながることを目的とする集団は、サル的な序列化となじみやすいものだと思います。家族に特有の「家族を守るための決定権」が、そういった集団には備わっていない。ということは、何か問題が生じたときに、集団が分列し、集団より大きな社会が備えている上下関係の論理に組み込まれやすいのです。(167頁)
誰も負けない社会は生きやすいけれど、負けないために勝者にならないといけない世の中は生きにくい。現代社会は勝者をたたえる社会になってしまいました。/勝者にならなければいけないかのような意識が、世の中に蔓延(まんえん)しています。そのうえ、勝者は敗者をおしのけるだけではなく、支配する。これは平等意識からは程遠いものです。(168頁)
平等よりも勝ち負けを優先するサル型の階層社会では、弱いものは常に身を引いて強いものを優先させるので、喧嘩が起きにくい。これは支配するものにとってみれば非常に効率がいいですし、経済的です。/しかし集団があまりに大きくなりすぎると、今度は収拾がつかなくなりますから、ちょうどよいサイズに収まる必要があります。適当な規模の人数で寄り集まってある程度の安全性を確保しつつ、上下関係の中で衝突を起こさずに、ラクに暮らす。弱いものは弱いまま、強いものは強いまま。/家族が解体した集団本位の社会では、この傾向はいっそう進んでいくはずです。私はこの状況を決して楽観視できません。人間の本性からすると、人間にはサルのような序列社会はふさわしくないと思えるからです。(168~169頁)

  IT革命によるコミュニケーションの変容
人間もまた、長い間、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを大切にしてきました。人類の七百万年にわたる歴史を振り返れば、言葉が生まれたのはつい最近のことです。/言葉の出現によってコミュニケーションのあり方は大きく変わりましたが、それ以前は顔を合わせて、体によってコミュニケーションをとっていたはず。(170頁)
言葉は情報を担保しますから、言葉なしに人に何かを伝えることは現代人には難しいのですが、感情的な表現や、全体的なメッセージは言葉なしに伝えられます。(171頁)

   フェイスブック 顔+本
本来、相手の顔という資格情報をきちんと確認しながら他人と付き合うのには、移動のコストや時間がかかります。しかし、フェイスブックなら直接会わないでも、今誰がどこで何をしているのかが把握できる。だから流行しているのです。この現象は、通信手段や映像を使って、仮想的な視角空間の中で効率重視のネットワークを作り、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを避けようとしているとも言えます。/それと同時に、結局相手の顔を確認しようとしているのであれば、インターネットの中でも人間がやっていることは昔から変わらないとも言えます。仮想空間の中ですら友人の顔を確認するのは、対面でのコミュニケーションへの信頼感を人間が失っていないという証拠と考えていいでしょう。(171~172頁)
IT化によって対面的なコミュニケーションが失われかけていることは、人間社会に大きな影響を与えます。前述したように、人間の脳が許容できる集団の最大の人数は百五十人程度であり、これをマジックナンバーと言います。この程度の人数なら、人間はそれぞれの顔と性格を覚えていられます。/しかしフェイスブックでは友人の数が四百~五百人という人も珍しくはありません。若い世代ほど友人の数は増え、千人、二千人とつながっている人もいます。果して、それを人間は受け止めることができるのだろうか? 私には疑問です。/人間は、生身の体をなかなか乗り越えられないものです。生物学的な体と生物学的な心が常に基盤であり、昔からその部分はあまり変化していません。現在はインターネットが隆盛し、生身ではないコミュニケーションに傾いていますが、どこかで自然回帰的な動きが生じてくるだろうと思います。(172~173頁)
言葉だけではわかり合えないのが人間です。どんなに技術が進歩しようと、私たちは太古より身につけたフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを捨て去ることはないでしょう。(173頁)