page-0001『津軽農書 案山子物語』の「時」と「制作」
  『地域資源の保全と創造』(全集 世界の食料 世界の農村 ⑨)(農山漁村文化協会、1995年)第3章「集約」と「循環」の資源活用システム -近世日本の歴史的経験-(佐藤常雄執筆)234~237頁より引用(下線は引用者)

 宝暦年間(1751~63年)前半の著作とみなされる『津軽農書 案山子物語』は、特異な近世農書で、浪岡五本松(現青森県南津軽郡浪岡町【→青森市】)の加茂社の氏子である山田某が、例祭のあとで夢見心地に現われた「白髪たる老翁」の啓示を聞いた夢物語の形式をとって記述されている。山田某は耕地の立地条件の悪い山沢のわずか二町ばかりの田畑を耕作する農民であり、農作業に熱心に取り組んでもいっこうにその成果があがらなかった。しかし、山田某は産土神に対する崇敬の念が厚く、神のおつげとして農業技術の改善を聞くことができたのであった。

 『津軽農書 案山子物語』の内容は、稲作の苗代づくりから年貢米上納までの一連の農作業、用水堰と農道の築造、豊年と凶年、農業気象などが論じられている。

 稲の脱穀は近世前期の段階では二本の竹棒を用いた扱き箸が利用された。しかし、元禄期(1688~1703年)には「後家倒し」という異名をとる千歯扱きが発明された。この異名の由来は、それまで扱き箸を使って主に女子労働に依存していた稲扱きが、千歯扱きの出現によって後家の仕事を奪ってしまったという比喩によっている。千歯扱きの構造は、横木に数多くの鉄歯を打ち並べたもので、その能率は扱き箸の10倍となったのである。千歯扱きの普及は稲の収穫後の農繁期の農業労働を著しく軽減させ、年間の農作物の作付体系をも変化させる波及効果の大きな農業技術の革新であった。

 しかし、『津軽農書 案山子物語』の農具論では、むやみに千歯扱きを使用することを強くいましめている。その理由は、千歯扱きは当然のことながら零細経営農民や日雇たちの農業の手間稼ぎの機会を奪うことになり、彼らをただ生活苦に陥れるだけでしかないというのである。

 水が高きから低きに流れるという重力の法則は、決してそのまま農業技術の移転にあてはめるわけにはいかない。つまり、先進的な農業技術の導入が、必ずしもその時点で、地域経済を豊かにするものではないという認識に立っているのである。

 『津軽農書 案山子物語』のキーワードは、「まつ(まず)日用、其時を知て用事肝要也」の「時」と「一村といへ共、其地所に随て制作すべし」の「制作」である。

 その「時」は寝る・起きる・食事する・喜ぶ・悲しむ・進む・退く・ほめる・罰するという一日の時であり、これに耕す・植え付ける・刈り取る、を加えた一月と一年の時であり、農民の生産と生活のリズムがこの時とぴたりと合わなければ何事も成就しないというのである。

 「制作」の語意は、定め作ること、詩歌や物語を作ること、絵画・彫刻などの作品を作ること、映画・演劇で作品を作って上映・上演すること、道具や機械などを作ることなどの意味がある。もちろん『津軽農書 案山子物語』の「制作」は、農民の自律的・主体的な農業の生産活動を意味していることはいうまでもない。しかし「制作」は、『耕作噺』【安永五年(1776)に陸奥国津軽郡堂野前村(現青森県黒石市堂の前)の中村喜時が著した近世農書】の「鍛練」と同様に、単なる食料というモノの生産にとどまらず、農民の日常生活をまるごと含む文化創造まで射程にはいっているのである。

 『津軽農書 案山子物語』という書名は、野にある案山子も手を抜いてつくれば、鳥の巣になってしまうが、上手につくれば鳥おどしの役割を果たすということからつけられたものである。つまり、その年の気候を考えることや肥料づくり、用水の掛け引き、土地のよしあしの判断などの農事にもよくあてはまることであり、農民は心をゆきとどかせて注意深く農業に従事しなければならないというのである。まさに丁寧なモノづくりの提唱である。