2016年08月
境川の多自然川づくり見学の帰路、車窓から「舘ヶ丘団地名店街」の看板をみて買いものをしようとハンドルをきりました。名店街はシャッター商店街化しており、ダイエー系列のグルメシティ館ヶ丘団地店は8月末で完全閉店で売りつくしセールをしていました。団地ができた時に開業したスーパーです。
館ヶ丘団地は1975年に住宅公団によって高尾山の麓の29㏊(東京ドーム6個分)に建設された総⼾数2848⼾の⼤型団地です。住民は1万人をこえていた時代もありましたが、現在およそ3,500人、65才以上の割合は51%、その内70%以上が独り暮らしです。団地内にあった小学校2校、中学校1校は統合されて小中学校1校となっています。
八王子保健生協が市から事業委託を受けて運営する「八王子市シルバーふらっと相談室館ヶ丘」のウィンドウに館ヶ丘団地おむすび計画・熱中症予防対策のチラシが貼ってありました。
おむすび計画は2011年からスタートした高齢者の熱中症予防を、主な目的とした地域活動です。「おむすび」とは、団地の中で人と人との輪を結ばれる、そんな願い込めて名付けられたそうで、子供から大人まで幅広い世代の参加できる多世代型の活動です。
※人がふれあう場をつくる ーつながりでくらしを豊かにー 八王子保健生協(日本医療福祉生活協同組合連合会『comcom』2014年8月号)
※高齢者を支える「舘ヶ岡団地」の取り組み(TBSラジオ『人権トゥデイ』2016年7月9日放送)
館ヶ丘団地は1975年に住宅公団によって高尾山の麓の29㏊(東京ドーム6個分)に建設された総⼾数2848⼾の⼤型団地です。住民は1万人をこえていた時代もありましたが、現在およそ3,500人、65才以上の割合は51%、その内70%以上が独り暮らしです。団地内にあった小学校2校、中学校1校は統合されて小中学校1校となっています。
八王子保健生協が市から事業委託を受けて運営する「八王子市シルバーふらっと相談室館ヶ丘」のウィンドウに館ヶ丘団地おむすび計画・熱中症予防対策のチラシが貼ってありました。
おむすび計画は2011年からスタートした高齢者の熱中症予防を、主な目的とした地域活動です。「おむすび」とは、団地の中で人と人との輪を結ばれる、そんな願い込めて名付けられたそうで、子供から大人まで幅広い世代の参加できる多世代型の活動です。
※人がふれあう場をつくる ーつながりでくらしを豊かにー 八王子保健生協(日本医療福祉生活協同組合連合会『comcom』2014年8月号)
※高齢者を支える「舘ヶ岡団地」の取り組み(TBSラジオ『人権トゥデイ』2016年7月9日放送)
町田市(東京都)と相模原市(神奈川県)の境を流れる境川上流部の蛇行流路を見学しました。
多自然川づくりの参考事例、多自然型工法として紹介されている場所です。
相模原市立宮上小学校北側は川幅が広く川原やワンドがあり、こどもが川に入って遊んでいました。
写真7・8・9が宮上小北側です。
写真4・5の蛇行部分
この地域の境川の河道の航空写真はヤフーマップがおすすめです。
蛇行部分は上流の西側、地図を左に移動してください。
多自然川づくりの参考事例、多自然型工法として紹介されている場所です。
相模原市立宮上小学校北側は川幅が広く川原やワンドがあり、こどもが川に入って遊んでいました。
写真7・8・9が宮上小北側です。
写真4・5の蛇行部分
この地域の境川の河道の航空写真はヤフーマップがおすすめです。
蛇行部分は上流の西側、地図を左に移動してください。
多自然川づくりの事例としてとりあげられることが多い境川は、東京都、神奈川県を流れ相模湾に注ぐ2級河川です。上流部は概ね東京都と神奈川県の境を流れており、かつての武藏国と相模国との国境を流れることから境川、八王子街道(大山街道、国道16号線))が境川をわたる橋は両国橋、橋の南側にある宿は橋本(相模原市緑区橋本地区)と命名されています。
島谷幸宏『河川環境の保全と復元 多自然型川づくりの実際』(鹿島出版会、2000年)は多自然川づくり分野の基本図書です。
「第4章保全・復元の際の基本的考え方」にのコラムで川の蛇行部と河畔林を残すことができた例として境川が取り上げられています。
図4-2 ショートカット案
図4-3 決定案(川の蛇行と河畔林を残すことができた。黒い部分が拡幅する部分)
境川は図の右側から左側に流れ、右側に国道16号線、両国橋、中央の蛇行部に計画された「管理橋」は現在、「横町橋」となっています。
「多自然型川づくり」は型がとれて現在は「多自然川づくり」となり、『多自然かわづくりポイントブックⅢ 中小河川に関する河道計画の技術基準;解説 川の営みを活かした川づくり ~河道計画の基本から水際部の設計まで~ 』(日本河川協会、2011年)で、境川は18、29、30、55、97頁などでとりあげられています。
※NPO法人境川の斜面緑地を守る会のホームページ
島谷幸宏『河川環境の保全と復元 多自然型川づくりの実際』(鹿島出版会、2000年)は多自然川づくり分野の基本図書です。
「第4章保全・復元の際の基本的考え方」にのコラムで川の蛇行部と河畔林を残すことができた例として境川が取り上げられています。
コラム6 治水計画と自然環境保全の例(境川)図4-1 当初案(河道の直線化、断面の拡幅、護岸の設置により、天然河川の湾曲部が消滅する)
現在の環境が良好な場合は、その環境をどのようにして保全するのかが重要となる。河岸に河畔林が残っている境川を例に考えてみたい。境川は神奈川県と東京都の境界の洪積台地上を開削して流れる、神奈川県が管理する掘込み河川である。以前は相当の区間で河畔林があったが、現状では2㎞の区間のみが河畔林が存在する区間になっている。また大きな蛇行部が存在することも特徴である。この河畔林の保全をめぐって、河畔林管理者である神奈川県と境川の斜面緑地を守る会の間で議論がなされた。当所の計画案は計画流下能力60立米/秒を確保するために河道を直線化し、断面の拡幅、護岸を設置する計画であった(図4-1)
当所の改修計画のインパクトとしては、河畔林やニリンソウなどの林床植物の生育地になっている天然河岸の消失、魚類のハビタットとしての重要な湾曲部の喪失かあげられる。これらのインパクトは、河畔林からの落ち葉や落下昆虫など餌物質を減らすことにもつながり、エネルギーフローにも影響を与える。また河畔林の伐採は、光環境を変え林床植物に影響を与える。元凶の環境が良好なときのインパクト軽減策としては、回避、低減が基本である。境川では、なるべく蛇行部や河畔林を残すことを基本に、いくつかの代替案に対して流下能力の詳細な検討がなされ、天然河岸の強度がどのくらいあるかを調べるためのボーリング調査が行われ、蛇行部分がほとんど残ることになった(図4-3)。一部河畔林が伐採される林床植物は移植されることとなったが、河川沿いの樹林地の樹木を間引き光環境を改善してから移植することとなった。(39~40頁)
図4-2 ショートカット案
図4-3 決定案(川の蛇行と河畔林を残すことができた。黒い部分が拡幅する部分)
境川は図の右側から左側に流れ、右側に国道16号線、両国橋、中央の蛇行部に計画された「管理橋」は現在、「横町橋」となっています。
「多自然型川づくり」は型がとれて現在は「多自然川づくり」となり、『多自然かわづくりポイントブックⅢ 中小河川に関する河道計画の技術基準;解説 川の営みを活かした川づくり ~河道計画の基本から水際部の設計まで~ 』(日本河川協会、2011年)で、境川は18、29、30、55、97頁などでとりあげられています。
※NPO法人境川の斜面緑地を守る会のホームページ
7月22日に種まきしたAviej(アヴィージュ)の畑のコマツナに害虫がついていました。
カブラハバチ
幼虫はナノクロムシ(菜の黒虫)とも呼ばれるそうです。
カメムシ科のナガメ(菜の花につく亀虫)もいましたが、写真はとれませんでした。葉の白い班は吸汁されたところです。
カブラハバチ
幼虫はナノクロムシ(菜の黒虫)とも呼ばれるそうです。
カメムシ科のナガメ(菜の花につく亀虫)もいましたが、写真はとれませんでした。葉の白い班は吸汁されたところです。
今日も猛暑です。児沢の上の奥の田んぼに水がほどよく入っていたので、受水口の改造などは見合わせ、田んぼに水がなくなった時に田んぼの生きものが退避できるように退避溝を上の奥と手前の田んぼの苗を植えていない部分にほりました。
上の手前の田んぼ
上の奥の田んぼ
水がにごっているので溝状にうまく掘り下げられているかどうかわかりません。
手前の田んぼの排水口付近に穴があいて漏水しているのを見つけて漏水箇所をふさぎ、排水路を覆っていたウキクサを苗箱を使ってすくいとりました。
※水田の自然再生マニュアル(福井県)
上の手前の田んぼ
上の奥の田んぼ
水がにごっているので溝状にうまく掘り下げられているかどうかわかりません。
手前の田んぼの排水口付近に穴があいて漏水しているのを見つけて漏水箇所をふさぎ、排水路を覆っていたウキクサを苗箱を使ってすくいとりました。
※水田の自然再生マニュアル(福井県)
岩殿C地区のアズキの花です。
※蝶形花(ちょうけいか) 旗弁・翼弁・竜骨弁
矢野興一『観察する目が変わる植物学入門』(BERET SCIENCE、2012年)90頁
※蝶形花(ちょうけいか) 旗弁・翼弁・竜骨弁
矢野興一『観察する目が変わる植物学入門』(BERET SCIENCE、2012年)90頁
多くのマメ科で見られる、上側にある大きくてよく目立つ1枚の花弁は「旗弁」といい、昆虫に花の存在を知らせる旗印の役割をしています。旗弁の根元には昆虫に蜜のありかを教える模様(ガイドマークまたは蜜標)がついているものが多いです。花の下側には重なり合った4枚の花弁があります。一番内側の2枚は「舟弁(あるいは竜骨弁)」といい、雄ずいと雌ずいを左右から包み込んで保護しています。舟弁の左右には翼のように張り出している「翼弁」が2枚あり、昆虫の足場となります。このような多くのマメ科に見られる花を「蝶形花冠」と呼びます。「アズキの花の受粉のカラクリ」(『My Tiny Flower Garden』より)
桜井善雄さんの『水辺の環境学④ 新しい段階へ』 (2002年)の「第3章水辺のあれこれ」の「谷戸(谷津)-この日本的な自然」(174~177頁)の後段です。
さて、1960年代から始まったわが国の農村整備事業は、一区画の水田の面積を大きくして、農作業の機械化を可能にし、生産性の向上に大きく貢献したが、その反面、伝統的な農村の多様な自然環境は消滅し、何百年もそれに依存して人間と共存してきた野生生物は、驚異的な速度で減少した。それでも、上記のような国および農家にとって投資効果の小さい谷津田は、改造から免れた。しかしそれも、あるいは放棄されて荒れ放題となり、あるいは開発されて、今はみる影もないまでに減少した。
今、わが国の野生生物の多様性の回復が叫ばれているが、そのためには、まず、その土地固有の昔から存在した生息環境を保全・復元しなければならない。谷津田こそまさにその重要な対象である。しかし、その回復と維持は、農家の献身的な努力ではもはや不可能である。都会の人びとのボランティア活動も意義があり重要であるが、根本的には、谷津田を耕し、維持することによって暮らしが成り立つ社会・経済的な裏づけがなければならない。1999年に改正された農業基本法によって、国はその道を開いてくれるだろうか。(強調は引用者)この本が出版されて15年近くたちましたが、「谷津田を維持して暮らしが成り立つ社会・経済的な裏づけ」はますます必要になっています。岩殿満喫クラブも模索しています。
桜井善雄さんの『水辺の環境学④ 新しい段階へ』 (2002年)の「第3章水辺のあれこれ」の「谷戸(谷津)-この日本的な自然」(174~177頁)の中段です。
谷戸は、山裾の扇状地や火山噴出物が堆積した台地を、水流が浸食・開析して形成した、小規模な浸食谷である。日本列島の若い地質構造とモンスーン気候による高い降水量が、このような特徴ある地形を、全国にきめ細かくつくり出したのであろう。
谷戸の浅い谷底には、狭いながら下流側に傾いた平場が堆積によって形成され、谷の奥や左右の崖の基部には、湧水(ゆうすい)をみることが多い。少しでも多くの米がほしかったわれわれの祖先は、このような自然条件を利用して、営々とここに棚田を拓いた。そして用水の安定確保と、稲の生長のために少しでも水を温めようと、谷頭に温水溜池を設けていることが多い。
谷戸は、関東地方では「谷津」とも呼ばれ、単に「谷」と書いて「やと」と読む地方もある。谷戸の水田は、谷津田、谷戸田、谷地田などのほか、中国地方では棚田、迫田(さこた)などとも呼ばれる。このような呼び名は、全国の地名や人びとの姓にも多くみられ、谷戸と日本民族とのかかわりが、いかに永く深いものであるかを物語っている。
谷津田には、昔から人間と共存してきたさまざまな野生生物の多様な生息環境がある。一年中水を湛(たた)えた谷頭の溜池や山裾のしぼり水の小川、そのまわりの湿地や湿田、夏には一面水を湛えた湿地となる水田とその畦畔(けいはん)、棚田の三方を囲む斜面や崖をおおう森林と、その裾を取り巻く低木の藪等々、さまざまな小さなハビタットを含むビオトープがモザイク状に入り組み、全体として特徴のあるビオトープシステムを形成している。
農村地域にすむ野生生物の生態とその保全理論について優れた業績をあげている守山弘さんは、季節と、代かきや田植えなどの農作業によって移りゆくこのような谷津田の生息環境を、さまざまな昆虫、両生類、魚類などの、北方系の種類と南方系の種類が、時期的にうまくすみ分けて利用している状況を解き明かしている(守山弘『水田を守るとはどういうことか-生物相の視点から』農文協、1997)。
また、このような小動物とそれを取り巻く環境は、わが国ではすでに野生から姿を消したトキやコウノトリにとっても、欠くことのできない餌場と繁殖環境を提供していた。日本列島の自然と人間の営みによってつくりだされた谷戸の環境は、まさにわが国特有の、管理・利用型の生息環境の代表ということができるだろう。
青木ノ入の畑のズッキーニを収穫しました。巨大になっていました。カレーに入れて調理しました。クセがなく食べやすいので夏野菜の定番になりそうです。カボチャの仲間でつるは伸びないので別名は「つるなしかぼちゃ」です。
JAバンク新潟県信連発行の『Sole!にいがた』Vol.25 2016年夏号は、ズッキーニの特集です。
JAバンク新潟県信連発行の『Sole!にいがた』Vol.25 2016年夏号は、ズッキーニの特集です。
桜井善雄さんの『水辺の環境学④ 新しい段階へ』 (2002年)の「第2章新しい仕事」の「多自然型川づくりの道程」(81~85頁)からです。
わが国の河川は、その自然性と社会性からみて実に多様である。したがって生きもののためにせよ、地域社会のためにせよ、その川の環境の特性を生かした整備をおこなうには、かなり高度の知識とセンスが必要である。このような事業が始まってもう10年以上も経過するのに、いまだに上記[土砂で埋まった魚道、渓流の脇に渓流をまねた水路、ホタルが住めないホタル水路、埋まった人工ワンド、浮遊物がたまって腐敗したワンド]]の類いの不自然型川づくりがみられる理由としては、
①担当者の交代が頻繁過ぎて対象水域の特性の理解が不十分のまま、計画が民間業者まかせになりやすい
②対象河川についての生態学的情報が不十分か、またはあっても活用されず、さらに生態の専門家の一貫した協力がない
③理にかなった事業から予算が決まるのではなく、予算が事業の規模・内容を決めることもある
④生態学や川の自然の法則からみて、その場所にとって必然性のある計画や工法を選ぶのではなく、自然らしく見せたいという思いつきが先に立つ
また地方の市町村などでしばしば聞くことであるが、
⑤首長や議員などの有力者が、思いつきや地元への点数稼ぎのために、担当者としては無視することができない素人考えの口出しをし、時には圧力をかける
⑥その事業を遂行するために、地域や水路の利用権をもつ関係団体からの不合理な意見を取り入れざるをえないこともある
等々があげられるように思う。(84~85頁、強調は引用者)
桜井善雄さんの『水辺の環境学④ 新しい段階へ』 (2002年)の「第1章新しい視点を」の「川の環境民主主義(33~37頁)からです。
ついひと昔前まで、ごく身近な不都合でもない限り、人びとは川の改修や管理について、積極的な意見をもつことも言うこともなく、すべて管理者すなわち御上まかせであった。しかし近年になって国海外の環境問題の激化を反映して、わが国でも、川の自然環境を守ろうという意識が急速に高まり、そのような時代の背景の中で、河川管理に住民の意見を反映させるという条項が、新しい河川法[1997年改正]に盛り込まれた。
前の節[「脱ダム宣言」]で環境民主主義という言葉を使ったが、最近の関連した出来事[2000年吉野川第十堰の可動堰化の是非を問うた住民投票]をめぐって、このことをもう一度考えてみたいと思う。(33頁)
したがって、この種の事業の可否に関する民主的な判断には、河川管理者と住民が、洪水による災害の可能性とその防御に関する情報と理論を共有し、その対応策をさまざまな選択肢の中から選ぶ過程が、どうしても必要である。このような過程は、新しい河川管理計画の検討に意識的に取り入れられるべきものであり、本来それは、河川管理者と住民の間に置かれた白紙から出発し検討されるものであるから、そこに討論はあっても、根本的な対立は原則としてありえないはずである。
とはいえ、どんな水系でも、環境保全との折り合いを模索しながら総合的な治水・利水計画を立てるには、かなりの専門的な知識と基礎データが必要である。ここでは、住民がそれをすべて理解しなければならないと言っているのではない。河川管理者には、このことについて十分かみ砕いて説明する責任があるし、住民もまた客観的な立場にある専門家の協力をえて、積極的に理解につとめ、それにもとづいて地域の河川管理計画の策定に参加し、発言してゆくのでなければならない。説明が不十分な一方的な押しつけや思い込みの強い狭量な発言は、このような双方の努力を撹乱し妨げこそすれ、貢献するところは極めて少ない。最初から白か黒かの立場にこだわった議論ではなく、そこには民主的な討論を通じて合理的な折り合い点を見つけ出す、大乗的な議論がなければならない。
民主主義は、国民すべての主権の保証と、社会の意思決定への平等な参加が保障される社会のあり方であり、当然一方では義務の自覚が求められる。環境民主主義もその埒外(らちがい)にはない。(34~36頁、強調は引用者)
さらにもう一歩踏み込んで考えなければならない大切な問題がある。それは、河川管理という目的が明白な事業に対して、なぜ、場合によっては、見当違いな批判や反対が生まれるのか、ということである。
わが国の公共事業や国際協力事業には、嘆(なげ)かわしいことに、いまだに手を変え品を変えた政治家と業界の癒着と汚職が跡を絶たない。そのことが、公共事業全般について、心ある国民に不信を抱かせる原因になっており、その不信が必要な河川事業に対しても人びとを反対運動に駆り立て、共通の課題であるべきはずの事業そのものについての、もっとも本質的な対話と議論を妨げているのではないだろうか。目の前の現象に惑わされずに物事の本質を見抜く、より広くより深い思考が、今私たちに求められているように思う。(37頁、強調は引用者)
桜井善雄さんの『水辺の環境学④ 新しい段階へ』 (2002年)の「第1章新しい視点を」の「脱ダム宣言」(22~32頁)からです。
※基本高水(こうすい、たかみず):洪水防止計画を立てる際の基本となる高水のこと。その水系の過去の高水の実績、対象地域の重要度、経済効果などを総合的に考慮して決められる。これにもとづいてさまざまな選択肢の中から洪水の被害を防ぐ具体的な対策が選定される。
わが国の地質、地形、気候、土地利用(国民生活、産業、社会資本などの立地)等の欧米諸国とは著しく異なった特性を考えると、洪水に対する対応の仕方には、画一的でなく、水系あるいは地域ごとに個性があるのは当然です。その地域に降った雨のどれだけが流出するか、それは雨の強度と継続時間によってどう変わるか(これについては、地球温暖化のために降雨が時間的および地域的に集中する傾向が表れ始めていることも考慮する必要がありましょう)。それによってどの程度の高水(こうすい)がどんな頻度で予測されるか[基本高水]。当面それをどの程度まで防ぐ必要があるか。その高水を現在の河道で排除できないならば、その水系と流域にどんな対応の仕方が考えられるか-河道の拡幅か、掘り下げか、堤防の嵩(かさ)上げ補強か。それらがいずれも不可能なら、洪水のピークを下げるための遊水池や調節池の設置はどうなのか。また、洪水調節に加えて水資源や電力も得られる多目的ダムの建設を選ぶのか。もし多目的ダムとするならば、そこに安易な選択はないか、水資源や電力の開発を需要の単純なトレンド主義で考えていないか。さらにダムそのものの安全性や、ダムという巨大な人工構造物の建設が、当然周辺の自然環境や社会環境に与えるであろう影響について問題はないか。あるとすればその代償的な解決の方策はあるか。そして考えられるすべての方式について、費用に対する総合的な効果はどうか、等々の諸問題を、基礎になる資料と数値と検討のプロセスを公開し、時間がかかりまた煩(わずら)わしくても、最初から広く住民の意見を聴き、それを反映させながら検討して、社会全体の共同責任において結論を求めてゆく方式をとることが望ましいのではないでしょうか。(26~27頁)
しかし忘れてならないのは、このような仕事にはかなりの専門的な知識と長い間の経験の集積が必要であって、簡単にフィーリングで決められるような問題ではないということです。住民参加を形骸化させないためにも、基礎データの提供だけでなく、並行してそのような知識の啓発と支援は欠くことが出来ません。
このような過程を踏むことによって、住民ははじめて自分自身の安全と、完璧には避けることができない自然の脅威に対する対応の仕方について、主体的に考える姿勢をもつことができ、環境全般の管理に対する行政まかせ、御上まかせでない責任感も生まれると思うのです。それこそが環境民主主義を育てる政策であると、私は考えます。(27~28頁、強調は引用者)
※基本高水(こうすい、たかみず):洪水防止計画を立てる際の基本となる高水のこと。その水系の過去の高水の実績、対象地域の重要度、経済効果などを総合的に考慮して決められる。これにもとづいてさまざまな選択肢の中から洪水の被害を防ぐ具体的な対策が選定される。
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