岩殿満喫クラブ 岩殿 Day by Day

市民の森保全クラブ       Think Globally, Act Locally

2016年07月

ジャガイモ、エダマメの収穫 7月14日

須田ゼミ3年生が青木ノ入の畑のジャガイモとエダマメを収穫しました。
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ソバは今回もうまく出来ませんでした。
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実入りが悪いので、刈り取って後作の準備をします。



殿山共同農場の皆さんの田んぼの草取り 7月14日

殿山共同農場jの皆さんとスタッフ、7名でが岩殿A地区の下の田んぼとB地区の下の田んぼの草取りと、畦と水路のまわりの除草をしました。お疲れさまでした。
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新宿小3年生の校外授業支援 7月14日

東松山市立新宿小学校3年生(2クラス)の校外授業「市野川探検隊・川遊び」に参加しました。支援スタッフは比企の川づくり協議会3名、加藤PTA会長でした。
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学校の授業で水の中に入って川遊びが出来るということは素晴らしいことだと思います。

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ライギョ(カムルチー)、幼魚
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ナマズ
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オハグロトンボ、ヤゴ
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トラクター耕耘、水口をふさぐ 7月13日

岩殿C地区の田んぼを吉田さんがトラクターで耕して下さいました。
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下の田んぼはトラクターがはまりこんで手こずったようです。

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2枚の田んぼとも水口を閉めて、無名沼ロ号に落とすようにしました。

道端の枯木を片づける 7月13日

市民の森の下の作業道に枯木がはみ出していました。
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どうしたのだろうと道下をのぞいて見ると幹もついていて7~8メートルあります。前からここにあったのか記憶がはっきりしませんが、車のボディをこすらないように片づけました。
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水が涸れてくる 7月12日

岩殿C地区の堰。10日(左)と今日(水)の水のたまり具合です。

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B地区の入山沼からの水路は水涸れ状態です。
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水位の下がった田んぼではヒビ割れの箇所がみられます。
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塩本の棚田(長野市信州新町) 7月11日

長野市信州新町竹房にある塩本の棚田を訪れました。日本の棚田百選の一つで、犀川の流れや北アルプスの景色を眺めることができる場所にあります。
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地すべり地帯にあり、集水井工の施設がありました。
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集水井工(しゅうすいせいこう)は、縦穴をほり、深いところの地下水を井戸に集めたのち排除して地すべりを防止する工法です。









芦ノ尻道祖神 7月11日

長野市大岡丙にある芦ノ尻道祖神です。道祖神と彫られた石碑にワラをまいて作られています。
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『たくさんのふしぎ』2014年1月号「村を守るワラのお人形さま」(宗形慧 文・写真)に登場しています。
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※「道祖神祭り」は東松山地域では「フセギ」にあたります。東松山市のフセギについては、きらめき市民大学郷土学部Aグループ2011年度レポート「残そう東松山の民俗行事 “防ぎ”の調査と記録」に市内高坂地区と石橋地区のフセギについてまとめられています。「フセギ 東松山市」で、検索すればこのほか多くの記事を見つけることができます。

望月のフセギ行事について
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  (望月会館前案内板)

原田沖の棚田(長野市大岡丙) 7月11日 

原田沖棚田(長野市大岡丙)は県道12号線の下にある棚田です。電気柵に囲まれ、耕作放棄された田んぼもありました。1999年7月、農林水産省に認定された「日本の棚田百選」(日本全国117市町村、134地区)の一つです。
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長野市地域おこし協力隊ブログ』に「棚田って意外と写真を撮るのが難しいんですね。近くで見ようと下っていくと、平坦に見えてしまうので、上から見下ろせる場所を見つけてください。電柱や木などが手前に入ってしまうことも多く、そういう障害物が写らない角度を探すのが大変ですが、よいポイントを探すのも楽しいです。」とありますがその通りですね。

「沖」という地名:松本市の島田地区では、「村内地字三九件のうちそのほとんどが高綱沖・中沢沖など沖がつく」、薪村地区では、「地字は本郷沖・芝沢沖などの沖地名二一件」ある(『日本歴史地名大系』)そうですが、沖とはどのような意味があるのでしょうか。

粉豆腐 7月11日

道の駅あおきで売っていました。凍み豆腐(しみどうふ、高野豆腐)を作る際に出る割れた物や形状不良を粉にしたものです。信州では昔から食べていたそうです。
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「雪豆腐」は飯田市の株式会社信濃雪製造です。

半過岩鼻の崖 7月11日

千曲川左岸に100メートルも切り立ってそびえている大きな崖と千曲川の側方浸食によってえぐられた大きな穴があります。上田市大字小泉(旧小泉村下半過)にある半過岩鼻(はんがいわばな)です。
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1)「上田市誌自然編(1)『上田の地質と土壌』(2002年)の「第1章上田の地質」にその地質学的解説があります。
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2)かつて岩鼻より上流の小県郡(ちいさがたぐん)から南佐久郡にかけては大きな湖(海)があり、現在も残っている地名として湖の北端の「塩尻」(潮尻)、南端にあたる「海の口・海尻・海瀬」などがある。岩鼻は唐猫に追われた鼡(ねずみ)がかみ切ってできたもので、湖の水が北方へ流れ出してできたのが今の千曲川の流れ、塩田平や佐久平は湖底だったなど、さまざまな伝説が残っています(上田市誌民俗編(4)『昔語りや伝説と方言』(2003年)等)。
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※異説:「小海町」の名前の由来(小海町HP
 ……仁和3年(887年)あるいは仁和4年(888年)に起きたとされる八ヶ岳(天狗岳)の水蒸気爆発による大崩落によって千曲川の下の深山(現在の八那池洞門付近)が泥流によってせき止められ、海の口から、海尻にかけて大きな湖ができました。この時土村の除ヶ付近(現在の小海小学校付近)の相木川もせき止められ、相木の入口までの湖ができました(相木湖と呼ばれていた)。

海ノ口の湖水は寛弘8年(1011年)に決壊して無くなりましたが、相木湖はその後も残ったらしく、天正初期(1572年頃)古絵図にも記入されていますので、鎌倉時代の中頃(1300年頃)まであったと思われます。これが当時ここに入って来た人達によって「小海」と名付けられたものが小海の名前の起源と言われています。

【歴史、地理の自習の時間】 海なし県、長野県のJR小海線の「小海」の意味。
(←『ブログ高知』)佐久海ノ口駅。 海尻駅。小海駅。海瀬駅。


3)崖の上にある千曲公園からは、千曲川を中心に上田市全体が見渡せます。このあたりは千曲川の中流域にあたり多様な生きものの生息環境(すみ場)をそなえた川原が発達しています。岩鼻の崖には猛禽類のチョウゲンボウやハヤブサが営巣し、川原やまわりの田んぼ、堤防の法面、畑や水田、林縁をえさ場にして子育てしています。
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川原 この日本的な風景
   桜井善雄『水辺の環境学3 生きものの水辺』(新日本出版社、1998年)90頁
 地質構造が若く、急峻な山地からの石礫や土砂の供給が多いわが国の多くの河川では、それらが堆積する中・下流部の河道に広い川原が形成されるのは自然の成り行きであり、川原の存在は、日本の川の自然環境を考える時に忘れてはならない特徴的な要素である。
 さて川原は英語で“dry river bed”といわれるように、平水時や低水時には陸の一部のように見えても、本質的には水が流れる河床の一部である。
 自然の川の特性である流量の変動、とくに洪水によってもたらされる堆積と浸食の程度と頻度が、流路の中の場所によって、不均等に起こるのは当然である。そのため、低水時に水面の上に現れている川原の地表には、全くの石ころだらけの部分から、生育場所の乾湿、草丈の長短などさまざまな草本群落や、低木、亜高木の群落まで、多様な植生がみられる。そして、自然の原因による流量変動が続く限り、このような植生は極相に向かって一方的に遷移することなく、たえず退行と回復をくり返しているのである。
 このような川原は、まことに「日本的」とでもいえるような「移ろいの風景」を、もともとそなえている場所なのである。
激しく変わる川原の植物
   上田市誌自然編(3)『上田の動物と植物』(2001年)の第2章第3節5千曲川の植物(池田登志男)
 川原は砂や大小さまざまな石が多く、昔は洪水が出るたびに地形や水の流れが変わるので、植物も安定して育つことができませんでした。ですから、そういう所にも強いカワラヨモギやオオマツヨイグサなど限られた植物が多く見られました。
 河川の護岸工事や山地の植林が充実してきた現在は、洪水も少なくなり、川原の陸地化が進んできて、さまざまな植物が育つようになりました。各地にニセアカシヤやヤナギ類の林ができたり、畑や野球場・マレットゴルフ場も作られています。
 このように陸地化してきた場所もありますが、場所によっては水の流れや地形が絶えず変化し、生えている植物が変わっている所もあります。
 昔、川原一面に黄色い花を咲かせたオオマツヨイグサは消えて、それよりも花の小さいメマツヨイグサに替わりました。また黄色いじゅうたんを敷いたように見えるアブラナ科のハルザキヤマガラシ、場所によってはアレチウリやクワモドキの群生地も見られます。
 洪水によって植物が流され、その後に再び生え、また洪水で消える。こうしたことが繰り返されてきた川原こそ自然の姿で、陸地化し安定してきている現在の川原は、人間の力で作られた人工的な川原といえます。

上田 道と川の駅 おとぎの里 7月11日

千曲川左岸に100メートルも切り立ってそびえている大きな崖とえぐるようにあいた大きな穴にひかれて、「上田 道と川の駅 おとぎの里」に寄りました。
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「上田 道と川の駅」は、『道の駅』Vol.18(2016年夏号)で紹介されていました。
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……道の駅に登録されてからオープンまでなんと、12年!様々な紆余曲折がありました。建物すら無いところから始まって、ようやく食堂まで完成したのも2年前。その間、地元の人々が自ら動いて一つ一つ作り上げてきた道の駅です。……

『おとぎの里』のリーフレットのウラ表紙に沿革が書かれていました。
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     1998年4月17日 道の駅登録
     1998年6月11日 川の駅登録
     2002年4月1日  上田水辺プラザ施設供用開始
    [ 2010年4月1日  全国ではじめての“道と川の駅”としてオープン]
     2010年8月1日  おとぎの里飲食・物販開始
     2013年5月23日 飲食・物販施設開始
     2014年3月27日 河川協力団体指定
1998年に「道の駅」「川の駅」に登録されて2010年に飲食・物販開始までの12年間の「紆余曲折」は、2001年、『脱ダム宣言』の田中康夫県知事のもとでおこなわれた公共事業の見直しが契機となったようです。詳細はわかりません。

現在、おとぎの里の事業は、地域の皆さんが会員となって「持続可能な豊かな地域づくり」を目指して部会に分かれて活動を展開しています。安全・安心部会、あとりえ部会、ふるさと部会、農林水産物部会、あきない部会、企画・プロモーション部会、てらこや部会、食品部会の8部会です。

おとぎの里のめあて

■「コミュニティービジネス方式」により、収益事業とそれに支えられる公益事業の展開し“新たな公共の場づくり”を目指しています。
■“地域性・社会性+事業性・自立性”を伴った「地域事業」を展開しています。
■民(産)・学・官の連携と協働を推進しています。
■市民が主体となり、特徴ある持続可能な“豊かな地域社会の創造”を目指しています。

※参考:公共事業の見直し 小さく生んで大きく育てられる公共事業
        岩波ブックレット№589『市民がつくる公共事業』2003年)9~10頁
田中 札幌についで長野市もオリンピックを行いましたが、やったあとに「宴のあと」の悲しさを痛感してしまいました。かつて長野市は東京から時間的にはたいへん遠い県庁所在地でした。東京駅ではなく、上野駅から特急に乗って軽井沢へ行くまでには碓氷峠(うすいとうげ)を、かつてはアプト式というギザギザの電気機関車をつないで長野市まで三時間もかかっていました。四国や九州の県庁所在地は羽田から二時間で行けてしまう。けれども、現在新幹線ができて東京から長野市までは最短一時間二五分で行けます。これによって何がおきたかというと、ビジネスで来た人たちが日帰りで帰るようになってしまいました。観光客についても、もともと長野県というのは他の都道府県がお金を出しても買えないような軽井沢や上高地という得難い財産がありましたが、これを所与のものとして、県民があまりその貴重さを把握していなかったわけです。長野県民というのは生糸から精密機械を経てIT関連産業に、というように、議論をして物をつくるのは非常に得意なんですが、それをいかに営業したり接客したりするかということについては少なからず不得手な県民でございまして、気がついたらお客が来なくなっていたということです。みんな草津の温泉に泊まって志賀高原へバスで降りてきて、あとは善光寺を拝観してー最近では「拝観料」が無料なので県庁一階のガラス張りの知事室もご覧になって知事の名刺を一枚受け取ってお帰りになる方も多いのですがー、その多くの方が夕方の一六時台の新幹線に乗って東京に帰って、東京でご飯を食べるようになってしまいました。 このようなことを経て長野県の人たちは、バイパスができてしまうと「道の駅」には人が来るかもしれないが、自分たちの集落の商店街は空洞化してしまうことを感じたわけです。それはまさに物質主義から脱物質主義への転換だということです。脱物質主義の世の中といっても、これは一言では言えないわけです。橋やトンネルを造るというのは目に見えるものですから、お金をそこにかければ確かにできます。でも「豊かさ」は、そのことによってはどうももたらされない。……

田んぼの草取り 7月10日

午前中と夕方、岩殿A地区の上の田んぼの草取りをしました。百円ショップで売っているイカ型レーキを試してみました。14日と16日の田んぼの草取りイベントで使えそうです。。
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レーキで掻き取ったコナギやイをかごにため、樹脂容器に集めました。午後7時頃完了しました。


羽化に失敗したトンボ 7月9日

岩殿B地区の上の田んぼのイネについていました。ヤゴの殻に頭部が見えています。身体が抜けきらないままに硬化してしまったようです。
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まとまった降雨の期待外れる 7月9日

0時頃から雨が振り出しまとまった降雨を期待していたのですが、7時、9時が最も多くて1㎜、お昼過ぎには止んでしまいました(鳩山町の降雨量は5㎜)。9日7時頃と10日の9時頃の水量の比較です。C地区の堰は変化なし。A地区の下の田んぼは5㎜位上昇していました。

岩殿C地区の堰
(左:9日、右:10日)
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岩殿A地区の下の田んぼ
(左:9日、右:10日)
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北向き斜面のササ刈り 7月8日

市民の森保全クラブ定例作業日。作業参加者は芦田さん、金子さん、細川さん、渡部さん、Hikizineの5名、澤田さんが書類を届けてくれました。作業エリアの北向き斜面のササ刈りをしました。ヤマユリ、オオバギボウシの花が咲いてきました。作業は午前中で終了し、3人でお昼を食べ歓談しました。
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次回は、7月24日(日曜日)です。7月、8月の作業は午前中だけとしました。

新宿小6年生の校外授業支援 7月7日

東松山市立新宿小学校6年生(3クラス、65名)の「市野川の生きもの調査と水質判定」に参加しました。支援スタッフは比企の川づくり協議会4名、加藤PTA会長、東中学校の生徒3名です。

市野川右岸、旧流れ川橋付近に仕掛けた網を回収して生きもの調査
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猛暑のため早めに河川敷から体育館に移動し、(常温アルカリ性過マンガン酸カリウム酸化法による)簡易パックテストCOD(低濃度)で都幾川、市野川、滑川のCOD(化学的酸素要求量あるいは消費量)を測定しました。
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田んぼと畑の除草 7月6日

須田さんが岩殿A地区の下の田んぼと畑の除草をしました。麦刈りをしたのは6月27日でしたが、10日もたつと随分様変わりしてきていて驚きます。
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田んぼの畦と道下の裾刈り 7月6日

吉田さんが草刈り機で岩殿C地区の田んぼの畦と道下の裾刈りをしてくださいました。
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田んぼの草取り 7月6日

昨日の続きで、岩殿A地区の上の田んぼの草取りをしました。
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半分くらい終わりました。

岩殿C地区で作業 7月5日

岩殿C地区のダイズの間引きをして1株2本にしました。
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ワラビ園の草の片付をしました。
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無名沼イ号の堤の草刈り 7月4日

無名沼イ号の堤の草刈り。ありがとうございます。
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岩殿C地区の草刈り 7月3日

岩殿C地区のボッシュ林側、物置のおいてあるところとその上の草刈りをしました。
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白いトウモロコシ・ピュアホワイト 7月3日

新聞のチラシを見て、滑川農産物直売所にトウモロコシを買いに行きました。
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黄粒種のフルーツコーン未来(みらい)と白粒種のピュアホワイトを並べて売っていました。
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左のネットに入っているのがピュアホワイトです。ピュアホワイト(3本350円)を買って、外のテントで未来の試食をしました。自宅で食べたピュアホワイトは試食した未来より格段に甘かったです。

東松山市はピュアホワイトを戦略作物に位置づけ、新たな農産物の特産品になるよう育成しています(藤野孝一さん:「ピュアホワイト」の産地化をめざして)。市役所のHPでは、「戦略作物ピュアホワイト(動画)」や、「農産情報のページ」に記事があります。広報7月号の表紙も白いトウモロコシとったどー!です。
東松山市広報(2016年7月号表紙)

ワラビ園の草刈り 7月2日

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岩殿C地区のワラビ園の草刈りを始めました。ワラビも含めて、すべて刈払います。
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『林業新知識』(全林協、2016年3月号)によれば、ワラビ栽培の失敗しないポイントは「7月上旬の全刈り」だそうです。この時期に全刈りすれば、刈払い後にのびてきた背の低いワラビを育てることになりますが、他の雑草木は大きく育つことはできません。降霜で地上部が枯れるまでワラビは光合成を行って地下茎に養分を蓄え、翌春に芽ぶき、前年に貯めた養分で成長します。日当たりのよい斜面の活用法です。

7月4日の写真です。刈った草が枯れました。地面が見えるように持ち出します。
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夜刀神社(愛宕神社) 茨城県行方市 7月1日

茨城県行方市(なめがた)の夜刀神社(やとじんじゃ)を訪問しました。霞ヶ浦と北浦の間にあり(旧玉造町)、愛宕神社に合祀されています。
駐車場の脇に椎井池(しいいのいけ)があり鳥居の奥で水が湧いていました。池のほとりに夜刀神(やとのかみ)を退治した壬生連麻呂(みぶのむらじまろ)の小さなブロンズ像(宮路久子さん製作)が建っています。
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『常陸国風土記』行方郡の条は、古代における耕地開発の歴史を語ったものとして有名で、社会科の歴史の教科書のコラムで取り上げられていたことがあったと思います。
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常陸の国の地域史と教育」(『保立道久の研究雑記』より)
「常陸国風土記」の行方郡の条は、古代における耕地開発の歴史 を語ったものとして歴史家の間では有名なものである。「風土記」の伝えるところでは、継体天皇の時代に、箭括氏麻多智【やはずのうじのまたち】という男が、行方郡の谷地を開発しよ うとして「夜刀の神」といわれる蛇体の神と闘争し、「山の口」に掘った「堺の堀」に堺の印となる棒杭を立てて「神の地」と「人の田」の境界とし、蛇神のた めには神社を設けて祭ったという。そして、孝徳天皇の時代には茨城の国造の地位にあった壬生連麻呂【みぶのむらじまろ】が、この谷に池を築いてさらに本格的な開発に乗り出し、 「池の辺の椎の樹」に昇り集まって抵抗する蛇体の神を排除して池堤の構築を完成させたという。
 この「夜戸」・ヤトの神とは「谷戸」の神、つまり 谷に開けた湿地の神のことをいうのだろう。常陸にはどこにもそういう谷地が多い。人間の力が及ぶ前は、そこは、当然、山蛇の栖【すみか】だったのである。「風土記」 の説話には、そのような「谷戸」の開発を経験した奈良時代の民衆がもっていた伝承がはっきりと現れている。
夜刀神社は愛宕神社の本殿の隣に合祀されていますが、かつては、現在地の南200m程隔たった台地の縁辺、字滝の入に鎮座していたそうです。
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七つ街道ハブPA・菖蒲 7月1日

⾸都圏中央連絡⾃動⾞道(圏央道)桶川北本インターチェンジ(IC)〜⽩岡菖蒲IC間の開通(2015年10⽉31⽇)に合わせてオープンした菖蒲パーキングエリア(PA)に立ち寄りました。内回り・外回りの両⽅からご利⽤できる集約⼀体型のPAで、圏央道初のGSも併設されています。

七つ街道ハブPA 菖蒲

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都⼼から放射状に伸びる⾼速道路(東関東道、常磐道、東北道、関越道、中央道、東名高速)をつなぐ圏央道のほぼ中央にあります。

ショッピングコーナーでは、圏央道がつなぐ各高速道路沿線のお土産品を売っています。

鳩山高校黒豆ワーズ
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埼玉県立鳩山高校と鳩山町の愛情と美味しさにこだわるフード会社 花結びのコラボ商品。


カピバララーメン
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埼玉県こども自然動物公園と西三河のご当地ラーメン キリンラーメンの小笠原製粉株式会社のコラボ商品。
 2013年4⽉5⽇〜 埼⽟県こども動物⾃然公園で先⾏発売
 2013年5⽉27⽇〜 全国発売開始
 ⼈気動物の「カピバラ」を「キリンラーメン」「ペンギンラーメン」の仲間に加えたいとのことで埼⽟県こども動物⾃然公園の打診から商品開発が始まった。味はゆず⾵味しょうゆ味。カピバラの体が茶⾊いことから、茶⾊いスープのしょうゆ味に。また、カピバラ温泉に浮かんでいるゆずを連想できるように、ゆずの⾵味を効かせたらしい。(キリンラーメンとは?マツコデラックスの紹介で大人気!美味しい食べ方は?から)

なめがたファーマーズ・ヴィレッジ 7月1日

さつまいものテーマパークとしてテレビや雑誌で紹介されている「なめがたファーマーズ・ヴィレッジ」に行きました。2013年に廃校となった大和第三小学校の校舎や周辺耕作放棄地を合わせた10万坪で東京ドーム7個分の広さ。運営を担うのは白ハト食品工業JAなめがたと農家が出資した資本金3億円の農業生産法人、株式会社なめがたしろはとファームです
広大な敷地には、サツマイモ農園やレストラン・カフェ、マルシェ(直売施設)、ミュージアムファクトリーなどがあり、「学び」、「食べて」、「育てる」体験ができるテーマパーク。農業の『ディズニーランド』×『キッザニア』×『DASH村』をめざしています。
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「日本の農業をステキにしよう!」がコンセプト。生産から製造、販売まで行う6次化産業に加えて、「観光」と「教育」、「IT(農業)」、「地域貢献(障碍者雇用)」、「子育て」、「交流」の6つを加えた12次化。従来の「汚い、きつい、危険」という3K農業を、「きれい、気持ちいい、格好いい」、新3K農業へ。朝は畑で農業をして、午後はミュージアムの受付やレストランのウエイトレスとして働くといった「半農半Xスタイル」など提案しています。

水津陽子「地元の農業を結実させたテーマパークで人を呼ぶ なめがたファーマーズ・ヴィレッジ
   (『日経ビジネスオンライン 日本人が知らない新・ニッポンツーリズム』2016年1月7日)
     「さつまいものテーマパーク」実現への道、成功要因はどこに?
     ただ「来てくれ」じゃない!JAがこだわった地域貢献への思い
     企業と地域、互いの強みを⽣かす「ステキな農業」のビジネスモデル
今のところ、核となる事業はあくまでさつまいもの加工工場で、農業体験などの観光交流事業はスタートラインに立ったところですが、オーナー制の貸農園「ロイヤルファームオーナーズクラブ」は行方市のふるさと納税の返礼品に組み込まれるなど、行方ファンづくりに向けた動きも始まっています。オーナーになると自分畑を持ち、プロの農家のサポートを受けられるほか、会員専用のBBQ施設の使用や和栗の木やブルーベリーなどのオーナー権が与えられます。茨城県は北海道に次ぐ農業王国で、栗やメロンでは日本一の生産量を誇っていますが、農家民宿や農家レストランなどの事業体数は北海道はもとより長野や新潟にも遠く水を開けられ、群馬や栃木にも及びません。
これを機に自然豊かな農と食のイメージが定着することを願うところですが、今のところ唯一のネックは、東京からのアクセス。最寄りの水郷・潮来へは高速バス便が充実しているものの、そこからのアクセスはタクシー以外の選択肢がなく、片道数千円とコストも高いため、車がないと利用は難しいのが現状です。茨城県の観光入込客のトップは千葉県。東京都からの入込が少ない理由の一つはこのアクセスの悪さがあります。

「なめがたファーマーズ・ヴィレッジ」プロジェクトの概要と今後の展望」
   (『なめがたネット放送局』2015年1月6日UP、2015年新春対談、行方市長、白ハト食品工業社長、JAなめがた組合長)

※「産地とメーカーの英知を結集させた サツマイモのテーマパーク」『地上』2016年8月号(家の光協会)
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2月からは、はとバスツアーの立ち寄り地となり、大手旅行代理店のツアーバスが続々と訪れるようにもなった。「熟成焼き芋」に「大学芋」「熟成干し芋」といったサツマイモスイーツのメニューが人気を呼び、来場者数を着実に増やしているという。
平日で約8000人、土・日・祝日は一日で2000人弱が訪れる。昨年秋のオープンから今年5月までの総来場者数は18万人となった。目標来場者数は年間40万人だという。
※はとバスツアー『 【トイレ付きバス・レガートで行く】 300品種で日本一!優雅に巡るハス観賞舟&山百合祭りとなめがたファーマーズヴィレッジ』 

※特集「サツマイモは進化している」(『NHK趣味の園芸 やさいの時間』2016年6月号)
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