岩殿満喫クラブ 岩殿 Day by Day

市民の森保全クラブ Think Holistically, Conduct Eco-friendly Actions Locally

2016年05月

フォッサマグナ発想の地(長野県南牧村平沢) 5月8日

佐久市から野辺山高原を訪れました。たまたま立ち寄った南牧村歴史民俗資料館の展示と『南牧村の地質』(南牧文庫、南牧村教育委員会発行)から飯盛山近くの「しし岩」がある平沢が、ドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンがフォッサマグナの発想を得た場所であることを知りました。ナウマン象は、日本の化石長鼻類研究の草分けでもあったナウマンにちなんで名付けられた和名です。
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しし岩展望台からは八ヶ岳や南アルプスの山々が一望でき、近くには国立天文台宇宙電波観測所もあります。

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※ナウマンについては、ウィキペディアの「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」の項の外部リンクにある山下昇氏が1990年から93年にかけて『地質学雑誌』に連載した「ナウマンの日本地質への貢献」が詳しいです。

※フォッサマグナについては、山下昇編著『フォッサマグナ』(東海大学出版会,1995年)。
 山下昇編著『フォッサマグナ』目次
  はじめに-問題は何か?
  序章 フォッサマグナとは何か
  1章 フォッサマグナの西縁、糸魚川-静岡構造線
   (1) 太平洋から日本海への横断路
   (2) 糸静線の概要
   (3) 姫川地域
   (4) 松本盆地
   (5) 宮川~釜無川地域
   (6) 駒ヶ岳山麓~早川地域
   (7) 静岡地域
  2章 フォッサマグナの東縁、直江津-平塚線
   (1) 東縁を追跡すると
   (2) 実在しない東縁断層
   (3) 東北日本の南限
   (4) 東北日本と西南日本の境界地域
   (5) 復元できない東縁
   (6) それでもフォッサマグナは存在する
   (7) フォッサマグナの定義
  3章 古期岩層-フォッサマグナ以前の岩層
   1. 西南日本の古期岩層
   (1) 帯状に延びた構造
   (2) 飛騨帯-ユーラシア大陸の断片
   (3) 飛騨外縁帯-日本最古の化石を含む混沌地帯
   (4) 美濃帯-プレートの沈みこみと付加作用
   (5) 領家帯-変成された美濃帯と花こう岩類
   (6) 中生代後期~新生代前期の花こう岩類と火山噴出物
   (7) 三波川帯-白亜紀の高圧変成帯
   (8) 秩父帯
   (9) 四万十帯-白亜紀と古第三紀の付加体
   2. 東北日本の古期岩層
   (1) 帯状構造とその意味
   (2) 各帯の特徴
   3. 信越-房豆地区の古期岩層
   (1) 関東山地
   (2) 嶺岡帯その他
  4章 中期岩層-フォッサマグナの発生と発展
   (1) 直前の状態-海岸山脈であった日本
   (2) 中期=フォッサマグナ時代の概要
   (3) フォッサマグナの地質区区分
   (4) 中期の時代区分
   (5) 第1期:フォッサマグナの始まり
        2500万年前~1700万年前(中新世前期)
   (6) 第2期:海底火山活動の始まり
        1700万年前~1500万年前(中新世前期末~中期初頭)
   (7) 第3期:海の拡大と第一次古代日本アルプス
        1500万年前~1150万年前(中新世中期)
   (8) 第4期:隆起の拡大と石英閃緑石の貫入
        1150万年前~600万年前(中新世後期)
   (9) 北部フォッサマグナの第5期:糸静線の始まり
        600万年~70万年前(中新世後期末~更新世前期)
   (10) シンシュウゾウとアケボノゾウ:氾濫する礫岩
   (11) 南部フォッサマグナの第5期
        600万年~70万年前(中新世紀後末期~更新世前期)
   (12) 伊豆半島の中期岩層 
  5章 大峰面-中期と新期の境界面
   (1) 大峰面とは?
   (2) 中期の終わり,新期の始まり
   (3) 大峰面の隆起
  6章 新期岩層-フォッサマグナの変容
   (1) 新期の特徴
   (2) 沈降する越後平野
   (3) 十日町盆地
   (4) 長野盆地
   (5) 生坂村の平坦面群
   (6) 安曇野-松本盆地北部
   (7) 筑摩野-松本盆地南部
   (8) 坂下町の段丘群
   (9) 濃尾平野
  7章 新期の火山
   (1) フォッサマグナと周辺の火山の概要
   (2) “乗鞍火山帯”の火山
   (3) “那須-鳥海火山帯”の火山
   (4) 北部フォッサマグナの火山
   (5) 南部フォッサマグナの火山
   (6) フォッサマグナ中央部の火山
  8章 フォッサマグナの温泉と地下資源
   (1) フォッサマグナと温泉
   (2) フォッサマグナと地下資源
  9章 フォッサマグナと人類
   (1) 人類の時代
   (2) 野尻湖の発掘
   (3) フォッサマグナ地域の遺跡
   (4) ナイフ形石器文化-3万年前~1万4000年前
   (5) フォッサマグナは石材の産地
   (6) 細石器文化-1万4000年前~1万3000年前
  10章  フォッサマグナの成因
   (1) ナウマンのフォッサマグナ成因説
   (2) 1930年代から1940 年代のフォッサマグナ成因説
   (3) 新しい地球科学の発展
   (4) 七島山脈
   (5) 関東平野の地下構造と柏崎-千葉構造線
   (6) 七島弧の本州弧横断
   (7) 島弧交差の諸相
   (8) 交差地域の構造の総括
   (9) 残る諸問題
  11章 ナウマン小伝
   (1) 悪意にみちたナウマン評
   (2) 大学を出るまで(0歳~20歳)
   (3) 日本滞在の10年(20歳~30歳)
   (4) ミュンヘン時代(31歳~44歳)
   (5) フランクフルト時代(44歳~72歳)
  付録1 岩石の古さ
   (1) どちらが先か?
   (2) 地層は「時」の系列を示す
   (3) 生物の進化現象を時間のものさしとした
   (4) 放射線元素の崩壊を利用して年数を測る
   (5) 地磁気の南北は逆転を繰り返した
   (6) 火山灰層は特定の時間を示す
   (7) さまざまな方法を組み合わせる
  付録2 用語解説

 『地学雑誌』104巻3号(1995年)に掲載されている有田忠雄さんの書評があります。

『フォッサマグナ』序章「フォッサマグナとは何か」(山下昇)
  フォッサマグナの位置
 フォッサマグナは、日本列島の中央部を横断して、日本海から太平洋へ突き抜けている細長い地帯である。そこには妙高山・八ヶ岳・富士山・箱根山・天城山など、たくさんの果山が日本列島を横断して南北に並んでいる。
 フォッサマグナの西縁は糸魚川(いといがわ)-静岡構造線という名の大断層である。略して糸静線(いとしずせん)という。……
 フォッサマグナの東縁には名前がない。そこで、仮に直江津(なおえつ)-平塚線(ひらつかせん)と呼ぶことにする。直江津は日本海岸の上越市の一部であり、平塚市は太平洋岸の街である。

  フォッサマグナの発見者、ナウマン博士
 フォッサマグナを発見し、命名したのはドイツ人地質家のエドムント・ナウマン博士(Edmund Naumann, 1854-1927)である。それは今から100年あまり前の1880年代から90年代にかけてのことであった。
 ナウマンは1875年(明治8)、20歳のときに日本に来た。以後10年間日本に滞在し、最初は開成学校から東京大学の教授、後半は地質調査所の所長格の技師長をつとめた。この間、日本国内を1万㎞も旅行した。
 フォッサマグナには3回旅行したと彼は書いている。第1回は日本に来て3ヵ月もたたない1875年11月のことであった。中山道から碓氷峠を越えて長野県に入り、南へ千曲川をさかのぼり、野辺山原(のべやまはら)を越えて平沢(ひらさわ)という小さい村に泊まった。嵐の一夜を過ごした翌日、11月13日の朝のこと、目の前には赤石(あかいし)山地北東縁の急崖がつらなり、左手には富士山が高く大きくそびえていた【実際には平沢の集落からは富士山は見えないそうです(引用者)。】。その印象はまことに強烈であったと彼は言っている。これが、ナウマンにとってフォッサマグナとの最初の出会いであった。

  フォッサマグナは大きな溝
 フォッサマグナはラテン語のFossa Magnaである。Fossaは溝、Magnaは大きいという意味である。だから、日本語にすれば「大きな溝」である。初めはドイツ語でグローセルグラーベンGrosser Grabenと名付けられたが、これも意味は同じである。
 富士山をはじめ高い山々が並んでいるこの地域を溝と呼んだのは何故か、富士山も八ヶ岳も、ここに並んでいるたくさんの高い山は火山だからである。火山は地中から噴出した溶岩や火山灰が地表に積み重なって山となったものである。だから、それを取り除くと、そこの地面はずっと低くなる。

  フォッサマグナの岩石は2500万年前~70万年前の地層
 フォッサマグナの岩石は新第三紀から第四紀更新世の前期まで。すなわち2500万年前~70万年前に堆積した地層である。この地層は泥・砂・礫などが固まってできた岩石、すなわち泥岩・砂岩・礫岩と、火山灰や溶岩から成っている。
 そこで、2500万年前より前を「古期」、2500万年前から70万年前までを「中期」、70万年前から現在までを「新期」と呼ぶことにする。そして、そえぞれの時期に形成された岩石や地層を古期岩層・中期岩層・新期岩層と呼ぶ。したがって、この区分でいうとフォッサマグナの岩石は中期岩層である。

  フォッサマグナは衝突の産物
 ナウマンは、フォッサマグナの前方に七島山脈が存在していることに注目した。日本列島が大陸側から太平洋側へ水平に移動したとき、前面にある七島山脈に衝突し、赤石山地や関東山地が北へ曲げられたと主張し、水平移動の距離を120㎞と算定した。
 フォッサマグナの出来方に関するナウマンの説は、現代のフォッサマグナ成因論の先駆けであった。

シマヘビ 5月7日

岩殿B地区の西の雑木林にいました。昨年と同じ個体でしょうか。今年の方が細い感じです。
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農道の草刈り 5月7日

岩殿A地区の農道の草刈りをしました。
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物置の固定 5月5日・7日

岩殿C地区の物置。アンカーとセメントで固定しました。
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牛糞堆肥を購入 5月6日

鳩山町の畜産業者から牛糞堆肥を購入してきました。
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刈払機の点検 5月6日

市民の森の保全作業は5月から林床管理になります。刈払機の点検をしました。
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次の作業日は5月13日(金曜日)で昼食付きです。




畦塗り 5月6日

児沢の田んぼの畦塗りを再度して漏水部分を止めました。道路側の草地への水漏れも止まったようです。
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無名沼イ号の堤の草刈り 5月5日

無名沼イ号の土手の草刈りを入山田んぼの会の吉田さんがしてくださいました。
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都立小峰公園(あきる野市留原・高尾)の谷戸田 5月5日

東京都あきる野市と八王子市の市境に広がる都立秋川丘陵自然公園(1,335㏊)の中央部にある都立小峰公園の谷戸田を見学しました。
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畦板や水口はコンクリート板を使用(すっきり、ビシッときまっている)

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マムシ注意の看板(警告におわっていないところが素晴らしい)

森林景観づくり事業の実践 5月5日

奥啓一、香川隆英、田中伸彦編著『森林景観づくりガイド ツーリズム、森林セラピー、環境教育のために』(全国林業改良普及協会 2007年)の「事例Ⅳ 森林景観づくり事業の実践」(田中幸雄)。

 森林景観づくり事業―地域ニーズに応えた事業実施―
  はじめに/森林景観づくり/森林景観整備事業の合意形成
  森林景観整備事業の内容/おわりに

はじめに
 ・森林景観づくりとは何か
 ・事業の合意形成はどうすればよいのか
 ・事業の実施内容は何か
 ・事業の進め方や実施上の留意点は何か

森林景観づくり
 ・景観
  景観は「どこから」「何を」見るかが重要
 ・森林景観
  森林や山などの自然からなる景観だけではなく、それらに道路や橋などの人工物も含んだ総合的な景観として森林景観をとらえる(展望台からの眺望)

 景観づくり(景観整備
  ・見通しの確保
    「どこから」「何を」見るかを決めて、見通しを遮る樹木だけを伐採、それ以外はできるだけ残す
  ・視点の設定及び眺める場所の整備
   視点の設定=眺める場所を決める
   眺める場所の整備(見通しの確保に劣らず重要)
    ベンチを置く、説明板を設置する、ゴミを片づける、周りの藪を整理する
    眺める場所が分かるよう案内標識を設置する
   
   樹木については
    ①見通しを遮る樹木の伐採
    ②藪の整理
    ③林縁の樹木の伐採が重要
 ③は、眺める場所の近くの林縁に茂った草木を取り除いて林内が見通せるようにし、林内感を高めてやること。林内感とは林の中にいると感じられることであり、林縁にいても林の中が見通せると得られる。林内感があると人は安らぎを感じることができる。
  ・眺める対象の整備
    眺める対象の整備は概して難しい(多くの時間と労力)
    森林整備と森林景観整備の違いをよく認識して行う(景趣木の植栽は慎重に)

森林景観整備事業の合意形成

 関係者からなる検討会を設置し、議論する
 現地で検討会を開催する
 マスコミを辻手市民に情報発信する

 森林景観整備検討会の設置および進め方
 ・検討会委員の構成
 ・検討会の進め方(事業者が事業内容などを説明し、それについて議論する、3~4回)
  ①森林景観づくりの考え方
  ②現地(事業予定地)の状況、特に景観上の課題
  ③事業の内容(景観整備、特に見通しを確保するための伐採)
    「どこから」「何を」眺めるのか、見通しを遮る木はどれか
 ・説明の内容と主な意見
   「景観」および「森林景観」
   「見通しを確保するための伐採」
   「藪の整理」
   「林縁木の伐採」(眺める場所に面したところ) 実際にみて話合う
 ・マスコミを通じた情報発信
   PR文書の作成
    ①森林景観整備をキーワードとしてPRする
    ②事業内容が正しく伝わるよう努める
    ③表題(タイトル)を工夫する
   マスコミへの情報提供

森林景観整備事業の内容
 ・既設の展望台からの見通しの確保
 ・眺める場所の設定およびその整備

 事業の進め方
  ・事業のスケジュール
  ・伐採にあたっての留意点
 ①伐採は、葉が茂っているときで、かつ観光客の少ないとき、すなわち6~7月か9~10月に行う。落葉すると見通しを遮る木が解りにくくなり、また、見通し確保の効果が実感できなくなるので、避けた方がよい
 ②伐採する木が多いときは、伐採を2回以上に分けて行う。伐採した木は片づける。
 ③伐採手は少人数とし、時間をかけて行う。
おわりに

森林景観を保全するとは 5月5日

奥啓一、香川隆英、田中伸彦編著『森林景観づくりガイド ツーリズム、森林セラピー、環境教育のために』(全国林業改良普及協会 2007年)の「序 森林景観をつくるには」(奥敬一、田中伸彦)。

あらためて森林景観とは
 森林景観を取り巻く状況
 二つの「景観」(心理的な景観と生態的な景観)
  美しさや快適性、楽しさ-人の視角、心理や社会の文化性と結びつく「景観」-「風致」「風景」「レクリエーション」「ツーリズム」-心理的な景観

  広がり、スケール、異質な生態系の組み合わせや配置といった生態学、地理学にかかわる空間の記述の仕方としての「景観」-「景域」「形相」「ランドスケープ・エコロジー(景観生態学」「ビオトープ」「パッチ・コリドー」-生態的な景観


 森林景観をまもり、つく
  森林景観をまもる(保全する)ということは、単純に今、目の前に見えている姿をずっと変わらないようにとどめることではない。その景観を成り立たせてきた、直には目に見えない仕組み(時には自然の力、時には人の働きかけによる)を持続させていくことによって、同じ景観を見ることのできる機会を将来に引き継いでいくことである。そしてそれは、森林そのものだけではなく、その森林を見る視点や人間が活動する場所をうまく引き継ぐことも含んでいる。同じように、新たな森林景観をつくる(創造する)には、単に一時的な「きれいな景観」をつくることよりも、その景観が続いていくための仕組みや、将来にわたって継続的に利用される活動の場を提供することが重要と言える。

 景観の評価

森林景観を理解するためのキーワード
 森林景観の構成要素
  視点、視点場、主対象、副対象、対象場
  図と地
 森林と森林を見る人との関係
  林内景観と林外景観
  シーン景観、シークエンス景観、場の景観
  視距離、仰角、俯角、視線入射角
  テクスチュア(肌理)
  立木密度と林床植生
  スケールに応じた計画
  地域特性を生かした計画
  ゾーニング
  時間に伴う変化
  里山と文化的景観
  森林の療養的利用

ブラタモリから魅力ある森林景観づくりを考える 5月4日

4月30日、NHKGのブラタモリは「京都・嵐山~嵐山はナゼ美しい!?~」でした。おとなり嵐山町の武蔵嵐山(むさしあらしやま)、嵐山渓谷と重ねながら番組を視聴しました。武蔵嵐山は1928年に菅谷村のこの地を訪れた本多静六林学博士が京都の嵐山に似ているというので「武藏嵐山」と名付け、現在の町名「嵐山町」の由来となっています。嵐山町の都幾川沿いの桜は、都幾川・槻川、外秩父産地の大平山、塩山などを借景としていて美しく感じます。現在の武蔵嵐山を京都の嵐山に重ねると、槻川橋【千手堂橋】(渡月橋)、嵐山BBQ【嵐山渓谷バーベキュー場】(中ノ島)、槻川(桂川【大堰川(おおいがわ))、嵐山渓谷(保津峡)となるでしょうか。(武蔵嵐山にかかわる記事・写真は『GO! GO! 嵐山3』のカテゴリ-「武蔵嵐山」に80数点あります。)

番組は渡月橋からスタート。最初の案内人・京都大学准教授(造園学)の深町加津枝さん。「人が目でみて風景を美しいと感じる範囲は上下左右30度の範囲と限られている。その範囲の中に嵐山は美の要素が収まっている」。亀山地区の嵐山公園の展望台に移動して渓谷美をのぞむ。平安時代に京のみやこに暮らしたひとびとが大自然の美を感じられた場所。
一行は天龍寺の庭・曹源池(そうげんち)庭園へ移動。2人目の案内人は京都高低差崖会崖長の梅林秀行さん。天龍寺を作った夢窓疎石がつくった庭で「借景」が特徴(前景:池、中景:斜面、後景:山)。借景は断層崖。夢窓疎石は1346年、「天龍寺十境(じっきょう)」を選定。
大堰川に移動。平地と斜面が出会う「縁(へり)」を感じることができ、急な斜面で1本1本の木がよく見える。嵐山国有林(59㏊保)でサクラを植林。3人目の案内人は京都教育大学名誉教授(地質学)の井本伸廣さん。保津峡の至るところにある岩、チャートに嵐山が急な斜面になっているヒントがある。2億年前に赤道の辺りで出来たチャートはプレートの動きで大陸の近くまで運ばれ、泥や砂と混じり現在の地層となった。この辺りの山々が東西の断層に押されて出来た時にチャートが地表に出てきたのだ。
4人目の案内人は龍谷大学教授(考古学)の國下多美樹さん。6~7世紀頃につくられた秦氏の古墳(狐塚古墳)の石室に入る。秦一族は3世紀ごろ土木や養蚕など当時最先端の技術を持ってきた渡来人。5世紀後半、渡月橋の上流にある一の井堰(葛野大堰(かどのおおい))の原型を築き、桂川の右岸に水を引いて耕地を開拓した。秦氏は嵐山の美のパイオニアだった。


最初の案内人深町加津枝さんの論文を読んで見ました。奥啓一、香川隆英、田中伸彦編著『森林景観づくりガイド ツーリズム、森林セラピー、環境教育のために』(全国林業改良普及協会 2007年)収録の「嵐山から都市近郊林の景観保全を考える」(都市近郊林としての嵐山/嵐山の景観をつくってきた仕組み/嵐山らしい森林景観を探る/都市近郊林の魅力を発揮させるために-嵐山の教訓から-)です。図の出典はは近畿地方整備局淀川河川事務所の桂川嵐山地区河川整備検討委員会(第2回資料)「桂川嵐山地区の歴史的変遷について」(2012年12月)です。

都市近郊林としての嵐山
 京都市西郊に位置する嵐山は、日本を代表する都市近郊の景勝地である。それを特徴づけるのは、渡月橋、大堰川、そしてその周辺にある森林である。嵐山の森林を構成する樹木は、アカマツやヤマザクラ、イロハモミジなどであり、四季折々に美しい景観を織りなしてきた。その景観は各地の森林景観を主体とした名所の原型とも言える。
 嵐山の景観が優れているポイントは、これまでも多く指摘されてきたとおり、(1)森林の一本一本の樹木が作り出すテクスチュァ(肌理)を見るための適度な距離感、(2)適度な見上げ感のある山の形状、(3)渓谷と堰が作り出す多様な水辺の形態や伝統的形態の橋など他の良好な景観構成要素との組み合わせ、(4)比較的急斜面の傾斜であることによる植生の見えやすさ、といった点に集約されている。しかし、これらの地理的、物理的な要因だけでなく、長期間にわたるさまざまな人の働きかけや社会の仕組みが、今日の嵐山の景観を作りあげてきたのであり、このことを抜きに都市近郊林としての嵐山の景観の将来を考えることはできない。(以下略)
嵐山地区の歴史的経緯_ページ_1嵐山地区の歴史的経緯_ページ_2

近代以前の景観

 平安時代以前までさかのぼれば、嵐山はおそらく周辺に住む農民たちの薪・柴や生活資材を提供する、まさしくどこにでもある里山だったと考えられる。平安時代に入り、京都が政治・文化の中心となり、貴族たちによる国風文化が形成されるにつれ、嵐山はその景観を楽しむべき場所としての新たな位置づけがなされる。そこでは船遊びが定期的に催され、和歌という形でその景観に対する評価が蓄積されていった。周辺には貴族たちの別荘も営まれるようになった。中世に入ると、亀山上皇が後の天龍寺となる場所に別荘を造営(1255年)し、また吉野から数百本のサクラを移植し、嵐山の一層の名所化が図られた。夢窓国師による天龍寺の作庭(1346年)では、嵐山を借景とし、吉野からサクラの移植を進めるとともに、禅宗思想を一帯に写し十境を定めた。禅の世界観を示す十境には周辺の重要な視点や視対象が選ばれ、それぞれ「曹源池」「萬松洞」といった名前が付けられた。現在に残る「渡月橋」の名前もこの時に付けられたものである。
 江戸期に入り社会が安定すると、嵐山は一般の人々にも開かれた名所となっていく。京都の町人たちの花見の場として相当にぎわったことを、多くの絵図や資料からうかがい知ることができる。禅宗の信者のみならず参詣者や見物客、有力者らは、このような花見の場としての嵐山の景観を保つために、苗木を寄進した。一方、依然として、周辺の住民にとっては生活資源採取のための山林であることに変わりはなかった。天龍寺などの文書記録からは、嵐山では天龍寺管理のもと、建築資材の供給やマツタケの収穫が行われたことや、周辺住民が燃料や緑肥の採取を行っていたことが読み取れる。こうした利用形態が、嵐山のマツ林を持続的に形成する要因になっていたことは容易に推測できる。このように、近代以前においては、寺社の経営や住民の生活のための資源利用、宗教的な世界観を現世に写し出す行為、都市に暮らす人々の遊山といった、それぞれ異なる動機付けが渾然一体となって、嵐山の名所としての景観が形作られてきたのである。
嵐山地区の歴史的経緯_ページ_3嵐山地区の歴史的経緯_ページ_4嵐山地区の歴史的経緯_ページ_5

近代の保全制度の変遷
 明治に入り、天龍寺領であった嵐山は上地され国有林となった。近代国家としてさまざまな法制度が整備されていく中で、嵐山国有林にも多様な保全制度が指定されていくことになる。河川法に基づく河川保全区域にはじまり、別々の官庁ごとに異なる観点からの保全制度が、いくつも重複してかけられた。これらの制度は植生による土地被覆の保護を目的にしたものである。1915年に風致保護林として指定されて以降、昭和初期まで、原則禁伐という扱いが続き、その後も現在にいたるまでかなり厳しい施業制限が条件付けられている。近代以降に現れた公的制度による保全の枠組みは、保全対象とする林地の機能や目的が細分化され、個々には単純化された管理体系を持つものであった。そして、人間活動による干渉を排除する方向のみに制度指定が行われ、森林を文化的に作られてきた景観として保全するという立場で見ると機能しにくいものであった。
嵐山地区の歴史的経緯_ページ_7嵐山地区の歴史的経緯_ページ_6嵐山地区の歴史的経緯_ページ_8

現在の景観:計画と現実
 昭和初期になると、保全制度では対応しきれない嵐山の森林景観の変化についての問題が指摘され始めた。そして、消極的な保護策のためサクラやアカマツが消失してきたことへの対策として、景観保全のための特別な計画が策定された。そお嚆矢(こうし)は、1931年に大阪営林局(当時)により策定された「嵐山風致施業計画」であり、立地条件を考慮した画伐や風致樹植栽など、先駆的かつ積極的な「風致施業」を導入する計画がなされた。……この方針は戦争によりいったん途絶えたが、戦後になりおおよそ引き継がれた。しかし、1953年の台風被害により伐採が見合わせられ、孔隙地(こうげきち)での補植を中心とした施業方針が1983年まで続いてきた。1960年代になると観光資源として自然景観の重要性が認識されるようになり、嵐山国有林においても各種の調査が実施された。この時期以降、マツ枯れ被害や被圧されたサクラの枯損などで森林景観はさらに変化していった。1971年の施業計画では、老松の自然枯死を極力防止する、自然発生的な孔隙を利用してアカマツの生育に適した環境を造成するなど、マツ枯れ対策を前面に出した基本方針が示された。そして、景観上重要な被害跡地にはアカマツやサクラなどが、谷筋にはスギやヒノキが植栽されたが、大部分は自然の推移にまかされていた。
 1980年の土砂流出防備保安林への指定に伴い、治山とセットで風致施策を行うという方向性がより明確となった。1982年には嵐山国有林の防災・風致対策が示され、往時の嵐山の姿を80年後に復元することを目標とした施業計画が策定された。そして毎年2月25日を「嵐山植林育樹の日」と定め、京都営林署と地元の嵐山保勝会とが共催する植樹祭が開始された。1989年には、植樹祭と組み合わせて0.05㏊の群状択伐によるサクラの植樹試験地が設置され、成育状況等の調査が始められた。以後、この方式による植樹と林相改良が定着し、現在まで継続している。(後略)

歴史的な嵐山らしさ
 歴史的には、冒頭の平安時代の船遊びの例や、あるいは1931年の計画書にも「当初京洛の地を踏む外人にして保津川下りの奇勝を探らざるものなしといわれし程なり、まことに嵐山は大堰川を得てその山容を飾り、大堰川は嵐山を得てその水態を美化せるものと言い得べし」とあるように、嵐山の森林景観は渓谷域とセットでとらえられている。また、明治期から昭和初期にかけては嵐山を借景とした別荘の多くが嵐山対岸の亀山公園周辺から上流部にかけて分布していた。嵐山を眺めるための重要な視点は現在よりも広く分布し、またその視点場に対応して視対象となる山の側にも、「一目千本」と呼ばれるようなサクラを集中的に植栽した地点が存在していたのである。このように本来嵐山は、やや上流の渓谷域まで含んだ「嵐山峡」としてのとらえ方がなされていた。
 ところが戦後以降、渡月橋周辺の観光開発が進むに従って、次第に単なる「嵐山」へとイメージが縮小してきている。国有林の施業の方針も「原則として下から眺める山として取り扱う」というものであり、風致施業箇所も渡月橋からの眺めを想定して配置・実施されている。そのため確かに「嵐山らしさ」は渡月橋周辺で突出しているのだが、上流の渓谷地周辺の景観にも良好な印象評価の地点が多くあり、むしろ好ましさの麺から言えば、渡月橋周辺の景観よりも高いものも多い。渡月橋のようなランドマークはないものの、周辺の社寺や旅館などのつくりや眺望視点との関係は良好なので、嵐山らしさのポイントである人工物との調和に関しても、十分印象づけることができる。
 歴史的な森林景観を提供するという視点からも、この渓谷域を嵐山峡としてアピールし、周辺の眺望視点を意識した風致的な施業を実施していくことも必要であろう。
都市近郊林の魅力を発揮させるために-嵐山の教訓から-
 嵐山は、都市近郊の名所を形作る重要な森林景観として、それぞれの時代ごとの背景をその姿に反映してきた。特に近代以降、公的な枠組みによる森林景観の保全と創出に関しては、先駆的な役割を果たしてきたのだが、そこには常に限界もあったと言える。
 すなわち、人為干渉の制限を目的とする、細分化、単純化された管理体系だけでは、時間とともに変化していく森林景観を、本来あるべき姿にとどめることを困難にしてしまう場面が多かったのである。このような近代的保全制度からすり抜けてしまう部分の存在に対して、今後どのような形で対処していくべきなのかは、現在も行われている地域との協働関係を進めながら、より広い議論の中で考えて行く必要があるだろう。
 また、天橋立の事例とも共通するが、森林以外の周辺要素との適切な組み合わせとその洗練は、嵐山の森林景観を「嵐山らしく」魅せる上で欠かせない重要なポイントである。都市近郊の森林景観は、必ず森林以外の要素とどのように折り合いを付けるのかという問題を内包している。森林管理者だけにとどまらない幅広い協力関係が、ここでも求められるのである。
 そして、現代の嵐山らしさの認識から失われてしまっているものの、優れた部分を再発見する余地があることについても述べてきた。嵐山が本来持っていた景観的魅力を引き出すためには、これまでとは別の視点を開拓することも必要であろう。都市近郊という変化が非常に激しい場所では、見ていた場所、見られていた場所も変化していく。視点と視対象の関係を、時間をさかのぼって考えることは、その都市近郊林が本来持っている景観の魅力を伝えていくための大事な作業プロセスと考える。

物置使用開始 5月3日

夕方から強風が予想されたので、外にあった資材を物置の中に仮置きしましたs
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田んぼに畦シートを入れる 5月2日

岩殿A地区とB地区の田んぼに畦シートを入れました。

岩殿A地区
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岩殿B地区
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ネットで囲まれた田んぼ 5月1日

青木ノ入のまわりの田んぼは南側の藤井沢沼を水源としています。その途中の田んぼにネットがはってあるのに気がついたので何だろうと見にいきました。
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寒冷紗をかけた苗箱が田んぼにあって、田んぼのまわりがネットで囲まれ、新しいわなが置いてあります。
この田んぼで耕作している方にお話をうかがうと、昨日、苗箱を田んぼにもって来て、今朝、ここに来てみるとアライグマの足あとがあって、苗箱があらされていた。市役所は休みなので、ホームセンターでとりあえずネットとわなを買ってきたという事です。この数年の中に、アライグマだけでなくイノシシやシカもでるようになったそうです。

青木ノ入の畑の除草 5月1日

夕方、須田さんが青木ノ入の道の反対側の畑と下の畑の周りに排水用の溝を掘りました。
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畑のまわりにあった刈払機で刈った草も片づきすっきりしました。

青木ノ入の畑の耕運 5月1日

三本さんは昼食後、軽トラに刈払機と耕運機を載せて岩殿に出発。途中、入山田んぼの会の吉田さん宅でプラ箱類をいただき、青木ノ入の上の畑の草刈り、耕運をしました。鶏糞堆肥を5袋入れました。この畑は須田ゼミでソバを育てる予定です。去年は田んぼを止めて畑に転換した最初の年で、何回かソバの収穫に挑戦しましたが、種まきの時季を失して景観植物の栽培でおわってしまいました。今年は収穫できるでしょう。
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三本さん、暑い一日、お疲れさまでした。ありがとうございます。

粗朶で水中生物の保護 5月1日

児沢探検隊の田んぼのまわりのビオトープ池。粗朶(そだ)を使って、生きものの隠れ場を作っています。
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三本さん、午前中は児沢で大奮闘。午後は……

漏水仮止め 5月1日

上の奥の田んぼの漏水の仮止めを関口さんがしてくれました。
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田んぼの水を濁らせて、どのあたりから漏れ出しているの検討をつけ、手さぐりで穴を埋めていきました。
何が掘った穴なのでしょう。モグラでしょうか。

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